第13話 ようやく

 予想外の出来事に、大木は動きを止めた。まさかまだ、誰か居たとは思いもしていなかったのだ。

 先ほどの者達が戻ってきたのかと、大木は考えた。彼の中に先刻の惨劇の光景がよみがえり、恐怖からザワッと枝葉が音を立て揺れる。


 だが、すぐにそうではないと気づいた。

 なぜなら、その声は、先刻の時には聞いた覚えのない声だったからだ。


 ……57……、58……、659……。


 女性のものと思しき声だった。ねっとりとした、聴く者の耳の中にまとわりつくような空気感のある声だ。ぞわぞわと、得体の知れない嫌な感覚が自身の奥底から這い上がってくるのを、大木は感じた。

 声は林の奥から聞こえてきた。段々と大木の方へ近づいてきている。


 と一緒に、ズズ……、ズズ……、と何かを引きずるような音も聞こえてくる。

 しばらくすると、その声の主は大木の前に姿を表した。


 ――それは、だった。


 大鴉達とは異なる、正真正銘の化物だ。大木の幹にも負けない、太く大きな8本の足を持った化物。その足が支える肉体が見せる茫然とした大きさは、大木の長い歴史が生み出す圧倒的存在感すらも、圧倒するものがある。


 大木は、ただ呆然と、目の前に現れた予想外の化物を眺めた。

 しかし、そんな大木になど気付いた様子はなく、化物は大木の方へ近づいてくる。

 そうして、大木の下にあった大鴉達の死体に、その足を伸ばした。

 

 660…………、661…………、662…………。


 大木がかき集めたそれを、化物がザッザッと、1つずつ自らの方へ持っていく。

 その光景にハッとなった化物は、瞬間、その幹を再び大きく揺らした。


 ザアァァァアァッ、ザァアアアアアアアアッ! と、大きく枝葉が揺れる。先刻の恐怖からくる震えとは違う、威嚇の揺れだ。己が集めた獲物栄養分が、今目の前で奪われようとしているのだ。威嚇をせずしてどうしろというのか。


 しかし大木の威嚇を気に留めた様子もなく、化物は彼の足元にある大鴉達を奪い取っていく。そうして、663……、664……、と何やら数字を数え続けている。


 大木は憤った。己の獲物を奪おうとしている事もそうだが、それ以上に自分の事を無視する化物が気に触った。


 長い年月、圧倒的な存在感で、この林の中に居座り続けていた彼は、その存在を誰かに無視されるという事に慣れていなかった。

 彼の前を通った者は、それがどんな者であれ、必ず彼の存在に気圧される。まるで神にでも触れたかのような尊さで感服し、感嘆し、敬意を払う。

 だがこの化物はそうではない。その上、自分の物を奪おうとしている。これは然るべき罰をくだすべきだ――、大木はそう考えた。


 無意味に宙でうねらせるだけだった根達を、大木は化物に向けて振り下ろした。ブォン、と根に裂かれた目に見えぬ空気達がその身を振動させ、大きな衝撃音を生む。

 化物が大木を圧するような巨大な肉体を持っているとはいえ、その根に当たればどうしようもないだろう事は、想像に難くない。押し潰せばこちらのものだと、大木はそう踏んだ。


 だが、それが化物に届く事はなかった。


 なぜなら、振り下ろした次の瞬間、大木の根の動きが止まったからだ。


 ザワリと大木の枝葉が、今度は動揺から音をたてた。

 なぜ止まったのか、大木にはわからなかった。慌てた彼は反射的に根を振り上げようとした。

 だがそれが叶うことはなかった。なぜか根達は、宙に止まったまま、それを振り上げる事も振り下ろす事もできなかった。


 まるでそう、見えない何かに縛り付けられてでもいるような……。強い束縛感が動きを阻止している、そんな感覚を大木が抱いた瞬間だった。


 バキバキバキバキ……ッ。


 何かが折れていくような音が、辺りに響き渡った。

 それは数刻前、かの少年が大剣を振り回していた時に鳴り響いていた音によく似ていた。周囲の木々達が倒れていく時に鳴り響いた、木々の断末魔。それに似ている――。


 だが、大木がその音の出どころに気付いた時には、彼の意識はこの世界から消えていた。


 彼が最後に見たのは、それまで見えていた世界が、斜めに歪んでいく光景だった。

 そしてその中で、自分から奪った獲物を大事そうに抱えている化物と、その後ろにある、まるで何かに締め付け潰されたかのような断面を残し、静かに立っている己の下半身が、大木の視界の中に飛び込むと同時に、彼は物言わぬ木と化した。


 だがしかし、やはり化物の方はそんな大木の状態に気付いた様子はなかった。

 その視線は、己が抱く大鴉達の死体に向けられていた。


 まるで母親が愛しい我が子を見つめるように、化物は大鴉の死体を眺めていた。そうして、1つ、その残骸をつまみあげると、665……、と呟く。

 と、次の瞬間、あぁ、と声をあげた。瞬間、抱いていた大鴉達を地に投げ捨てた。


 足りない……、これじゃあ、まだ足りない……。


 化け物は己の顔を手で抑えた。

 そうして、あぁ、あぁ、あぁ、と声をあげながら首を横に振る。

 それは、最初こそは悲しむような声音だった。だが、次第に、悔しがるようなものになったかと思うと、どんどんと感情が高ぶったものへとなっていき、最終的には喜色を帯びた声音へと変化した。


 そして――。


 あと1つ……。あと1つ……、足りない……。


 あと1つで……。ようやく、……――、そう言葉を続けながら、愉快げな笑い声をあげた。


 数える事をやめた化物の笑い声が、林の中に響く。

 そんな化物の声を、物言わぬ大木と化物達だけが聞いていたのだった。

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