鬼隠し

自分の見える景色や聞こえる音が、他人ひとと違う事に気が付いたのは、随分と大きくなってからだった。

廊下に倒れている影。

夜に庭で歌う小さな貴人。

皆が纏う心の色。

幽鬼の呻き。

神棚の老人のお告げ。

そして触れた相手から聞こえる心の声。


色々な事を周りに話していたが、誰も否定しなかった。

地方の小さな城とは言え、城主の娘。

その娘を正面切って否定する者は居なかった。

少し妄言の気のある、頭の気の毒な姫様に、皆が話を合わせてくれた。

心の声をよく言い当てるので、首をかしげる者は居たが、やはり貴人であった為、指摘される事はなかった。

どんな事を言っても皆が笑って合わせてくれた。

自分が誰の目にも見えない者を見て、聴こえないはずの声を聞いていた事に気が付いたのは、十の時に舞い込んだ結婚話の折だった。


結婚の挨拶に来た年かさの男は、纏う空気が濁り、腐臭がしそうな色をしていた。

「お梅、お梅、彼の方は嫌じゃ。あんなに恨みの深い女性にょしょうと一緒に行きとうない」

その男の股には髪を振り乱し、忿怒ふんぬの顔をした女が食らいついていた。

その様が恐ろしくて泣き出してしまった。

「姫!なんて事を!!」

初めて叱られたが、城で大切に守られて育った姫には、初めて見る、呪いを吐き散らす幽鬼の方が恐ろしかった。

「嫌じゃ!嫌じゃ!!『川の底の冷たさを思い知らせてやる』と怒っておる!!あんな怖いものの所には行けぬ!!」

それを聞いた男は顔色が変わった。


そして何が見えるのかと問われ、ついて行きたくない一心で細かく答えた。

幽鬼の目の横に大きな黒子がある事、腹が大きい事、そして右肩から先がない事、そして『ややこを殺した男の血を絶やしてくれる』と恨みの声を上げている事。

男は見る見るうちに真っ青になり、血相を変えて去っていった。


その後、男は近隣の噂になる程、大々的にお祓いをしたと言う。

悪事千里を走る、とでも言えば良いのか。

男には過去に孕ませ、密かに切り殺して川に捨てた側女そばめがいたのだと言う話は、あっという間に城下にも広がった。

それと同時に男が祓いをする原因となった、城主の娘の話も広まった。

うちの姫様は見鬼けんきだ。

世にあらざるものを見て、人の心を読む。

そう、皆が囁くようになった。


「こんな出来損ないを生んでしまって、お館様に合わせる顔がないわ!!」

と、縁談を壊してしまった自分に怒り狂っていた母は、気持ち悪そうに口をつぐみ、自分を避けるようになった。

母だけではない。

周りの侍女たちも、怯えたような顔で、遊んでくれなくなってしまった。

おかしなことを言うおかしな姫と思って、まともに聞いていなかった話を、よくよく聞けば、全て奇妙な符合があり、姫が人ならざる者を見ていると、皆が確信してしまったのだ。

誰も心を覗き見られたくなどない。

心の色はいつも見えているが、心の声を読むには直接触れないと駄目なのだと、触れても見せたくないと思えば見えなくなるのだと言っても、もう手遅れだった。

皆、心を読まれる事を恐れて近寄らなくなった。


しかし完全な孤独ではなかった。

「良い良い。気にするでない」

そんな中でも、そう言って受け入れてくれる者はいた。

常に心の蓋が開きっぱなしで、企みもポロリと口に出してしまう父だ。

すっかり縁談の話すらなくなってしまった娘を、気にする事なく父は受け入れていた。

楽天的で、刹那的で、お祭り好きで、城主としての資質を問われたなら、皆が首を傾げてしまうような人だったが、大好きだった。


「人魚の肉だと!!皆の者集まれ、集まるのじゃ!!」

そんな父が連れてきた、片足の無い男を見た時、嫌な予感がした。

全く心の色が見えない、不気味な行商人。

異国の話や聞いた事もないような地方の話を巧みに話し、城主や臣下たちの心を掴んだその男は、底が全く見えなかった。

恐ろしい。

気持ち悪い。

父にはそう訴えたが、いつもの調子で『良い良い』と流してしまった。

父にだけは嫌われたくない。

そんな気持ちで強く諫言かんげんできなかった。

配られたのは小指程の小ささの、一欠片の肉。

気持ち悪いが、少し我慢して飲み込んでしまえばいい。

そう、思ってしまった。



それで何もかも全て失ってしまうなんて思わなかった。

自分までなくなってしまうなどと思っていなかった。



肉を食べてから、すぐに体を直接火で炙られているような痛みが走った。

高熱に喘ぎ、苦しみ、酷い目眩で立つ事も叶わない。

周りを見る余裕もなく、三日三晩苦しみ続けて、ようやく痛みや熱が無くなったと思ったら、周りには誰もいなくなっていた。

何が起きたのか全く分からない自分の前には、件の行商人が現れた。

彼は生きている自分を見て歓喜の声をあげ、気が狂ったように笑っていた。

「これで漸く解放される!お前が次の呪われ人だ!!」

片足が確かに無かったはずの行商人は、両足で地面を踏みしめて狂喜していた。

どれだけ苦労して次の『呪われ人』を探したか、どれ程の人を殺めたか。

その時は全くわからなかった事を、発狂したように笑いながら話し続ける男の脛には、小さな傷跡があった。

そう、苦しむ前に自分が食べたくらいの小さな肉の破片程の傷だ。

抉れて赤い肉が見えているのに、血が出ていない。

その奇妙な傷跡に目は吸い寄せられた。

その傷跡はカラカラに乾いていて、男が動くたびに、パラパラと周りの肉が剥がれて行く。

奇妙な事に、肉は砂のようにパラパラと下に崩れ落ち続け、削げた肉は下に砂の山を作っていく。

呆然とそれを見ていたら、男はどんどん輪郭が崩れ、落ちて行く。

「ようやく……ようやく君の元に……」

男の涙すら砂になって積もっていく。

骨も、肉も、血も、全てがサラサラと砂のように崩れ落ち続けた。

「シンリー………シンリー………」

多分、それ彼の大切な相手の名前だったのだろう。

行商人は完全に崩れ落ちるまで、その名を呼び続けた。

今、振り返れば、あの男の孤独と悲哀もわかるが、その時はひたすら恐ろしかった。


そして崩れ落ち、元は男の姿をしていた塵は、風に舞って消えた。

怯えて誰かいないか城内を探し回ったが、そこにあったのは無数の木乃伊ミイラ と、理不尽な死に怒り、慟哭の声を上げる亡霊たちだけであった。

『私たちが何をしたんだ』

『何故私たちは死んだんだ』

啜り哭く亡霊たちは、生きている自分の姿を見て叫び声をあげた。

『鬼姫!!お前のせいか!!』

『私たちになんの恨みが……!!』

違う、私じゃないと叫んでも無駄だった。

『何故お前なんかが生き残った』

髪を振りみだして襲いかかって来たのは、間違いなく母だった。


亡霊たちから逃げて、城下へ行くと、そこでは既に大騒ぎが起きていた。

城内が突然木乃伊だらけになる異常事態だ。

騒ぎにならないはずはない。

そこに『見鬼』と有名な姫が、ただ一人無傷で出て行ったら、疑われないはずはない。

「何をしたんだ!!」

「この鬼姫!!」

「私の息子を返せ!!」

口々に罵られ、言葉と一緒に石を投げつけられる。

石が頬や額の皮膚を破り、何度も悲鳴をあげた。

何もしていない、信じてくれと叫び続けていたら、不思議と周りが収まっていった。


それは奇妙な光景だった。

石を投げんと構えていた者が、まるで雷に撃たれたかのように痙攣し、石をとり落す。

その者が次の瞬間には『鬼姫じゃない』と、他の者を取り押さえ始める。

しかしその顔は、何か変な物でも食べさせられたかのように、歪んでいる。

そんな者が一人二人と出てきて、周りを抑え出すと、辺り一帯に『人ならざる力が働いている』という緊張が流れ始めた。

目の前の娘は人ではない。

鬼か魔か。

それはわからないが、恐ろしい存在である事は間違いない。

そんな空気だった。


一方的に攻撃を仕掛けた者たちに、畏れと後悔が広がり出した頃だった。

「見ろ!!傷が消えたぞ!!」

「怪我がなくなった!!」

「………鬼だ!!鬼だ!!!」

気がつくと石をぶつけられて切ってしまった頬や額が、何事もなかったかのように元どおりになっていた。

「逃げろ!!俺たちも木乃伊にされるぞ!!」

烏合の衆は悲鳴を上げて逃げ散った。




それが変わり果てた自分の体に気付かされた最初の出来事だった。




言霊を操り、相手を意のままにする。

そして何度傷つき殺されても蘇る、不老不死の化け物と成り果てた我が体。

自分に訪れた変化を理解できず、何度も失敗し、忌み嫌われ、殺され、肉を食われた。

怯え、戸惑い、不死を求める者たちから身を隠す。

最初の三十年程は悲惨そのものだった。

姫として育てられた故、何もできず、人の助けなしには生活できないから、里に降りる。

そして願いを無理やり聞かせてしまって、怒りや憎しみを買い、不老不死を知られて、逃げ惑う。

その繰り返しだった。

人間だけでなく、何故か鬼や妖まで寄ってくる。

犬神、右太郎に出会わなければ、何もわからないまま、自分を不死に変えた行商人のように、この苦しみから逃げ出すために、誰かに呪いを押し付けようとしてしまったかもしれない。


元々忠義な犬であり、敬愛していた主人に非道な呪法であやかしにされた犬神。

人の手で作り出された強力な妖だが、主人が亡くなってしまえば、主人を求めて、永遠に現世を彷徨い苦しまなくてはいけない非業の定めを持つ。

そんな犬神の右太郎は主人の血筋に取り憑き、暴れ回っていたが、何の気まぐれか、自分を気に入ってついてきてくれた。

その手の道に詳しい右太郎は、色々な知恵を授けてくれた。

彼の協力を得て、我が身にかかった呪いを解くために、様々な話を聞き、聞き齧りで神道や呪いを学び、全国を歩いて回った。


人間である自分を忘れられず、里に住み着き、友とした者に殺され、まれる。

売られる。

捕らえられる。

そんな事も数多く繰り返した。

右太郎に助けられつつ、二百年程放浪し、裏切りを繰り返され、山に隠れ住む事を覚えた頃、漸く自分が人間でなくなった事を受け入れる事が出来た。

もう人間ではない。

あの日、あの肉を食んだ瞬間に、人間としての人生は終わったのだと。

漸く受け入れて、元に戻る方法を探す事を諦めた。


猫としての生を終え、そのまま猫又としての生を営む左太郎に出会った事が大きかったのかもしれない。

血筋正しい大名家の姫の飼い猫であった左太郎は、一国一城の主の娘だったと語ると、何故か貴女こそ私の次の主人に相応しいと言い出して、ついて来てくれた。

左太郎もまた年老いた大妖であり、様々な知識を与え、自分を大事にしてくれた。


妖となった事を受け入れ、隠れ住むようになると、それまでの苦しみは一気に和らいだ。

突如として豹変する隣人に傷付く事もない。

生きながら食われ、絶叫する事もない。

そして人心を狂わせて、相手の生を終わらせてしまう事を嘆く事もない。

人でなくなったから、人と触れ合わない。

野山の獣のように、人から身を隠して生きる。

その悟りは得難い平安をもたらした。

人間にも、自分にも。

素晴らしい事だった。

妖たちには、陽気な者も陰気な者も乱暴な者も弱々しい者もいて、それは人間と同じで、居心地は悪くない。

住む世界が変わってしまったのだ。

こうやって延々と生きていくのが幸せに違いない。




そうやって全て諦めて、終わらない生に囚われてきた。




「黒曜様!!」

しかし久々に触れ合う人の子の暖か過ぎた。

氏族を惨殺され、呪いに蝕まれている子を見つけた時、思わず連れ帰ってしまった。

呪いから守る為。

保護し手のない子を生かす為。

そう言い訳をしてその子とひと時を共にした。

元は人。

色々言い訳したが、人恋しかったのだ。


既に名の失われた自分に『黒曜』と名付け、少年は無邪気に自分を慕ってくれた。

全てが終わった時のために、人の里にも馴染ませていたが、その子は珍しい物を見つけては飛んで帰ってきて、色々と見せてくれた。

心が読める事だけは教えていたが、優しいその子は何も怖がらずに受け入れてくれた。

「黒曜様、面白い菓子が売ってたよ!」

「黒曜様、お土産!!異国の花だって!!」

「牛を食わせる店が出来たんだって!!凄いよね!!」

毎日毎日、目を輝かせて新しい世界を見せてくれる。

愛しくて、可愛くて、その成長を側で見られる事が幸せで。

喜びが大きくなれば大きくなる程。

少年が理解出来る事が増えれば増える程。

それを失う時の恐ろしさを思うと、身が引き裂かれるようだった。


幼く、何もわからずに自分を愛してくれるこの子が、不死を知り、それを求めるようになってしまったら。

万が一、自分の肉を齧り、この子が死を得てしまうような事になってしまったら。

言霊を操る力が、この子の心を狂わせてしまったら。

死ねないこの身をどれ程恨んで嘆く事になるか。

想像するだけで恐ろしく、辛かった。

自分の全てを愛し子が知ってしまったら、即刻引き離してくれるように右太郎、左太郎に頼み、細心の注意を払って大切に育てた。

せめて呪いが消えるまでの時間、最大限にその子と共に居たかった。

せめて最後の日まで慈しんで送り出したかった。



最後のあの子の泣き顔が忘れられない。

あれから春は何度も巡ってきたのに、あの泣き顔が、ずっと心に澱のように溜まったままだ。

「中太郎は幸せにしておるかのぅ」

そんな事をついつい呟いて、右太郎と左太郎を心配させてしまう始末だ。

二人がそばに居てくれて、時々周辺の妖たちも遊びに来てくれる。

十分に幸せな環境なのについつい、人恋しさからか忘れられない。



事件が起きたのはそんな折だった。

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