地獄編1

第一話 『地獄へ落ちた女』

 目を覚ますと、アイは地獄にいた。


 広い鍾乳洞みたいな空間は全体的に薄暗く、岩場の影から火柱が立っている。

 暗闇のあちこちから不気味な渦巻きがゴウゴウと唸り声を上げ、ときおりどこかから人の叫び声が聞こえる。

 空気は重く、息苦しい。


 そこは、アイが想像していた通りの地獄だった。

 

 その光景を見ながら、なぜ地獄? とアイは思った。


 あたしが何故、地獄に落とされなければいけないのか。


 地獄に行くのは、悪いことをした人間だと相場は決まっている。


 生前の行いをよく考えてみる。


 思い当たる節を。


 子供の頃、蟻の巣にジョウロの水を入れて大量虐殺した事。


 近所の駄菓子屋で、うまい棒とパッキンアイスを万引きした事。


 中学生の時、家のビールを隠れて飲んで、友達とどんちゃん騒ぎした事。


 高一の時はじめて出来た彼氏のワタルくんと学校サボってラブホ行った事。



 ある。


 ズラズラ出てくる。


 その他にも諸々。


 ありすぎて、分からない程だ。


 でも、納得できない。現実として受け入れられない。



 (てか、これ現実?)


 (あたし、死んだの?)


 (確かみんなでカラオケボックスに行って、トイレ行ったら床のタイルが濡れてて、滑って転んで、後頭部から床に落ちて‥‥‥)


 (ああ、あの時か‥‥‥)


 (死んだわ)


 (あたし、死んでるわ)


 (ウケる)



「ここは衆合地獄。生前、殺生や盗み、それに加え淫らな行いをしたものが落とされる。十界の最下層、八熱地獄に属す。貴様はここで、罪を償うのだ」

 目の前にいた、鬼みたいなやつが言った。


 (意味、分かんないし)


 (てか、鬼? 一応、頭からツノみたいなのが2本生えてるけど、眼鏡かけるし、タブレットに何かせかせか打ち込んでる。顔が青いから青鬼? いや、ただ血色が悪いだけのようにも見える。痩せてるし、スーツ着てるし。ぜんぜん鬼っぽくない)



「やだ」


 アイは言った。


「まだ処女だし」


「なに?」鬼は眉をしかめ、アイの顔を見た。


「ラブホ、行ったことはあるけど、最後までいってないし」


「ラブホには行ったのだろう?」


「行った」


「では、その段階でアウトだ」


「は? なんでよ! 最後までやってないのに?」


「途中まではやったのだろう?」


「やった」


「では、ダメだ」


「なんでだよ!」


「その淫らな行為を想見した段階で、地獄行きは決定しているのだ」


「じゃあ、みんな地獄行きじゃんかよ」


「そうだ。人間は、人間として存在した時点で死んだ後はほぼ100%地獄に落ちる」


 青鬼は、遠くを見ながら語り始めた。


「人間は強欲に支配されている。貴様が地上で見てきた通りだ。贅沢な料理に海外旅行、高級ブランドの服に身を包み、あげく同種同士の殺し合い、盗み合い、騙し合い。森林を破壊し、大気を汚し、動植物を殺す。残ったものは死骸と生ゴミと、人間たちの排泄物だけだ。もはや地上は人間たちの欲望のためだけのものに成り下がってしまった。なんと。なんと嘆かわしいことか。‥‥‥って、おい! 聞いてるのか!」


 アイはしゃがみ込んでスマホをいじっていた。


「ねえ、Wi-Fiのパスコード教えてくんない?」


「人の話を聞け! というか、地獄にそんなもの持ち込むな!」


「なんでよ?」


「当たり前だ! 貴様、自分の立場が分かってるのか?」


「やだもう。帰りたい。っていうか天国行きたい」


「だめだ! 貴様のようなチャラついた奴が行けるところではない。貴様みたいなやつばかりだから地獄はこんなに忙しくなるのだ! ほら見てみろ! ここは、亡者で溢れかえっている。どんどんどんどん落ちてくる。休む間もない。俺は何日も休みを取ってないんだ! 彼女とデートにも行けないし、給料は安いし、上司はうるさいし‥‥‥」


「いや、知らねぇし」


「‥‥‥もういい! 貴様などに話しても無駄だ。さあ来い!」



 青鬼が腕を取ろうとした時、アイは「触んなよ!」と言い、腕を振り上げた。

 ガツンと音がして、青鬼は簡単に尻もちをついた。鼻に手を当て、愕然とした顔でアイを見ている。

 アイは、プッと噴き「弱っ。鬼」と言った。

 すると、青鬼の顔はみるみる赤くなり、プルプル震える手でポケットから携帯電話のようなものを取り出した。


「も、もしもし、こちら。533番区、新羅だ! 謀反者だ! す、すぐに来い!」



 しばらくするとどこからか、ドーン! ドーン! と地面を叩くような音がして、洞窟のような所から大きな青鬼が現れた。

 上半身は何も着けておらず、ボディビルダーのような筋肉に覆われている。3m以上もある巨体に、2本のツノ。鋭いキバ。トゲの付いた鉄の金棒まで持っている。鬼らしい鬼だった。


 大きな鬼は慌てる様子もなく、ドシンドシンと音を立て、歩いて近くまでやって来ると、鼻血を流して座り込んでいるスーツの青鬼をニヤニヤした顔で見下ろした。


「あらら、新羅さま。まさか亡者にやられちゃったの?」


 大鬼が馬鹿にしたような口調で言うと、スーツの青鬼がズレた眼鏡を直しながら、気まずそうな顔で立ち上がった。


「だからキャリアの獄卒は舐められんだよ」

「う、うるさい!」


「少しは体、鍛えねぇとよ。一応、鬼なんだから。ほら」


 大きな鬼はそう言うと腕を曲げ、盛り上がった上腕二頭筋を見せつけた。


「わ、私の仕事は、お前たちのような肉体労働などではない!」


「自分だって、三流大出のブルーカラーじゃねぇか」


「い、いいから、そいつを連れてけ!」

 

 その間、アイは「電波わるくね? ここ」とブツブツ言いながら、ずっとスマホをいじっていた。


「なんだ、こいつ?」


 大きな鬼は子猫を取り上げるようにアイの襟首をニ本指で掴むと、顔の前まで持ち上げ、不思議そうな顔でアイの顔を覗き込んだ。

 

「なんだおい! 離せよっ!」


 アイは手足をバタつかせて暴れたが、鬼には何のダメージも与える事はなく、ギョロリと大きな目に見据えられた。


「こいつ、どちらへ?」


「刀葉樹の林へ連れてけ」


 スーツの青鬼がそう言うと、大きな鬼の顔が変わった。


 ニヤついた顔でアイの体を舐めるようにジロジロ見て「へぇ」と言った。


「亡者のおねえさん、今度、オニィさんといい事しようか?」


「亡者には手を出すな!」


スーツの鬼が嗜めると、大鬼は「はいはい」と面倒臭そうに言い、ドシンドシンと地鳴りを上げながら奥の方へ向かった。

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