第7話  18歳 全ては『最高の舞台』を作るため

 

 あのニナの咆哮にはアレクサンダーも震えた。

 一日経った今でも思い出せば身体が震える。

 恐ろしさ半分……歓喜半分で。 

 アレクサンダーはその言葉が聞けて満足だった。

 きちんとが出ていると思った。

 ……その言葉がたとえ台本通りだったとしても。


「――そう、


 リリアがアレクサンダーのことを『アレク様』と呼んだのは、何度思い返してもあの一度きりだった。

 彼のことをアレク呼びするのは婚約者ニナを除けば王太子たった一人。

 これにしても従兄弟という血縁より国内安定を図るうえで必要不可欠、との政治判断から生まれた一種のアピールとして。

 親友である一門の者たちであっても当然彼のことは『アレクサンダー様』と呼ぶ。

 主君は王族だが、クライツ家は彼らにとってそれ以上に重要な存在だったりする。

 実質アレクサンダーのことをアレクと呼ぶのはニナたった一人である。

 

 ――十年もの年月を経て周知徹底された貴族社会における不文律。


 それなのにも関わらず、よりによってあの状況で『アレク様』と。

 無知な平民だからという言い訳は通用しない。

 周囲の疑念がに変わった瞬間だろう。

 リリアの真意や二人の関係は別にしても、このことに関しては恐ろしい速さで広まるはず。 

 瑕疵かしとまではならずとも、ニナの手札になることは間違いない。

 

(……つまり、リリアはってコト)

 

 それも真っ黒。

 ようやくそこに辿り着いたアレクサンダーが彼女のことを調べさせたのが、家に帰ってすぐのこと。

 そして翌日には報告書が上がってきた。




 リリアがファーレン商会会頭の養女なのは事実だった。

 ただ内実は想像していたものと全く違っていた。

 国内でも新興とされ、ハーミル国の商品を扱うことで頭角を現したとされているこの商会。かつて幼いアレクサンダーの脛を癒してくれた軟膏も彼らの取り扱う商品だった。

 だが王国内で手広く支店を持ち始めた彼らの実情は友好国ハーミルで老舗しにせとされる『とある商会』の下部組織でしかなかった。

 その商会の名はデュヴァン商会。

 ハーミル貴族デュヴァン伯爵家の家業だ。

 かの国の食を支える大穀倉地帯ヴェルネ地方の中でも決して裕福ではない山林部を領しておきながら、代々の商才でもって堂々たる財と地位を築いた一族。

 そしてリリアはその一門家の血を引く男爵令嬢だった。

 平民ですらない。 

 ファーレン商会会頭のとして本国から派遣されたのが彼女だった。


 

 それだけでも驚きだったのに、報告書がデュヴァン商会の現会頭の血縁関係に移ったあたりでさっと血の気が引いた。


「……チェスタ家をひっぱり出すのはどうかと思うよ?」


 アレクサンダーが思わず泣き言を漏らすのも無理はなかった。

 ハーミル王国筆頭公爵家チェスタ。

 王家の血も色濃い押しも押されぬ大貴族。

 そしてニナの亡き母ラウラの実家だ。

 デュバン家現当主である会頭はラウラの姉である公爵令嬢を妻を貰うことで商会をさらに大きくしていた。

 アルヴィナ辺境伯領への進出もその成果のひとつだろう。

 義伯父である会頭に接触し、して『平民リリア』を用意させたのは想像に難くない。

 リリアはニアによって徹底的な『演技指導』を受けた忠実な駒ということだ。




 ついに隣国貴族をも巻き込んだニナの勝負手。

 なりふり構わないのはアレクサンダーも同じだったが、他国までは巻き込まなかった。伝手がないといえばそれまでだが、むしろそれも含めてここまで行動に移せるニナが今まで隠してきた牙の鋭さを痛感する。 

 

(結局、僕がヘマをした……ということか)


 リリアのことを調査しなかったのは間違いなくアレクサンダーの落ち度だった。

 自分に仕掛けてこないものだから、無理に彼女の素性を暴く必要はないと判断した。そんな彼のな優しさが仇となった形だった。

 ……生き馬の目を抜く貴族社会において、それを『甘い』と云う。

 大人になって致命傷として喰らわされるよりはマシ、とアレクサンダーは前向きにとらえることにした。 



 あの後、都合よく調ニナが早退した為、アレクサンダーに周囲の目のある中での弁解の機会は与えられなかった。

 年内最終日を狙ったのもこれが一番の理由だろう。

 ニナの考える決戦の日が、オーギュスト宮で行われる年末パーティであることは明らか。

 貴族たちのひしめく衆人環視の中で婚約破棄を宣言してくるはず。

 そしてそれはわずか十日後に迫っていた。

 ニナの策の全貌が知れた今、いくつか挽回の策を用意していたが、一つを除いて全て却下するに至った。

 残されたのは絶対に使いたくなかった『妙手』。

 もうそれに頼るしかないのだと認めざるを得なかった。

 悔しくて仕方なかった。

 何より、これを実行に移すには相当な権力が必要になる。

 次期侯爵とはいえ、学生である彼にそれほどの力はない。

 ましてや、王宮に次ぐ自国の権威的な場所オーギュスト宮でを起こしても不問にしてもらえる力など。

 そもそもそんなものを持っている人間など、王家の以外では一人しか知らなかった。

 その人物にこの話を持っていくのがまた屈辱の上乗せとなる。

 それでも、アレクサンダーは絶対に負ける訳にはいかなかった。

 その思いが彼の足を進ませる。

 ……母の待つ部屋へと。





「――そんなコト許される訳ないでしょう?」


 母ネリーはアレクサンダーの言葉に鼻で嗤った。

 だが彼は続ける。


「目的は危害を加えることではありません。そこをにするためです。安全には留意すると誓います」


 目には目を。歯には歯を。

 ――舞台には舞台を。

 そのうえで相手の上に立つ。

 これが彼ら二人の戦い方。 

 視線で続けろと命じる母にアレクサンダーはポツリポツリと計画を話し始めた。


「…………なるほど。……それならば、条件付きで認めなくもありません」


 ネリーは眉間に皴を寄せながらも小さく頷いた。

 それにはアレクサンダーだけでなく、後ろに控えるジェシカまでもが驚く。

 だがその条件をクリアするのが大変なのだろうと、彼は息を整える。


「その条件とは?」


 母ネリーは真顔のまま端的に伝えた。

 

「アレクサンダー、貴方のを教えることです」





「――貴方たちがどんな未来を求めてここまで戦ってきたのか、二人の母として知っているつもりです。……ですから私も二人が思う存分戦えるように手助けしてきた訳で」


 おそらく、ニナがここまで彼を追い込むことに成功したのは、母ネリーの助言もあったのだろうとおぼろげながら彼は理解する。


「ニナは『私を義母ははと呼ぶ未来を勝ち取る』と宣言しました。逆を言えばあの子の敗北は私を失うことです。おのずと彼女の中にある敗北の姿が見えました。そして私はあの子を愛する気持ちを新たにしました」


 どうやらニナはかなり踏み込んだ発言をしたらしい。

 そしてその内容はアレクサンダーにとって少々予想外で。

 だけど心の中で、『もしかしたら』と願っていた部分でもあって。

 もちろんそこに母ネリーがいるだけで、アレクサンダーの居場所があるかは別問題だが。

 ……やはり未来は他人に委ねず、自分で勝ち取るしかないと彼は気合を入れ直す。


「私はこの十年間、貴方たちのを楽しんできました。二人の成婚の日が来年に迫るということは、終局も近いでしょう。今、貴方が話した手が綺麗にハマれば、貴方は絶対に。……勝つとまでは断言しかねますが」


(……さすが母上、よく見えている)


 アレクサンダーは舌を巻く。


「だから、今となっては見ることの無くなった『貴方が敗北したときの未来』を教えて頂戴。これが手を貸す条件です。……私はこれからも貴方を愛する息子と思っていてもいいのですか?」


 再び押してくる。

 ニナの心情をこの場で暴露したのは話しやすくする為だろう。

 この辺りも上手い。

 

「貴方はそれを回避する為だけにこんなみたいな手を思いついたのでしょう? 私に頭を下げてまで。世間様に多大な迷惑をかけてまで。……どうしてもそんな未来だけは見たくないからこんなにも無様な、貴族らしくもない、みっともなく足掻く道を選んだのでしょう?」


 ネリーはアレクサンダーの目を覗き込んだ。

 その目にニナとあの瞳と同種の恐怖を抱く。

 彼は心を定める為に数拍間おいて、ようやく自身が考える『最悪』を告げた。

 それは今まで直視しないでいようと、心の奥底に封印してきた彼女への『想い』を晒すことと同じだった。





「――はい、確かに」


 母ネリーはそれを聞くと満足そうな笑みを浮かべた。

 後ろに控えるジェシカまでも嬉しそうに頬を緩めている。


(……屈辱!)


 そんな二人の姿を見て、アレクサンダーはただただ赤面して唇を嚙むことしかできなかった。


「それで、はどうするつもり? 本番一発勝負なんて貴方らしくありませんよ?」


 それに関してはすでに考慮済だった。


「まずいくつかがありますので、まずを別の人間の名前で買い漁ろうかと。それを使って何度か経験しておこうかなと思っています」


「……練習を含めてするのは?」


「出来れば……」


 アレクサンダーはすっと母から視線を逸らせて、その後ろに控えているジェシカを見つめる。暗に彼女が欲しいと。


「申し訳ございません。それだけは――」


 ネリーの護衛は先王と現王からの王命。

 軽々しく離れる訳にいかないとジェシカは断るが、珍しいことに続いて別の案を提示してきた。

 

「――ですので、息子をお使い下さい」


 その言葉にネリーは当然とばかりに頷く。


「そうね。彼だったら口も堅いし、何より信頼できる」


 アレクサンダーはそもそも彼女に息子がいたことを驚く。

 そういった仕事をしているのかというのも驚きならば、それが実行出来る年齢であることに何よりも驚く。


「ちなみに幾つですか?」

 

 さすがにあまりに幼いと困る。


「貴方と同級じゃない。……何度もウチに来ているでしょう?」


 母の言葉にアレクサンダーは理解が追い付かず、ボカンとするだけ。


「……ケネスですよ」


 ジェシカが微笑み、少しだけ誇らしげに告げた。

 長い沈黙があって。


「――はあぁッッッ!?」


 アレクサンダーの絶叫が部屋内にこだました。




 アレクサンダーの思考が彼方へと飛んで行っている間、ネリーはジェシカに告げる。


「――さてオーギュスト宮の二階には貴賓席がありましたね。……そちらを今のうちに押さえてもらえるかしら? それも含めてお兄様に伝言をお願いするわ。……『例によってウチの子たちが騒ぎを起こすけれど、絶対に過剰な反応を見せないでね。各家にも内々ないないに通達しておいてね』って」


 ネリーの天真爛漫な微笑みはジェシカにとって最高のごちそう。

 そのせいで兄君である国王が苦労することになろうが、彼女にとって知ったことではない。

 ジェシカはネリーの少女の頃から変わらない愛くるしい微笑みを十分堪能してから姿を消した。


「……最高の終局フィナーレを見せてくれるのでしょう? ならば最高の席でそれを堪能しなければ。……楽しみにしているわね?」


 ネリーはいまだ遠くを見つめている息子の頬にキスをした。


 

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