第3話 3

 バルコニーに設けられたテーブルに丸くなって。


 ボクは開け放たれた大窓の向こう――ダンスホールでクルクルと楽しげに踊っているクレアを見ていた。


 森にいた時は――特にエイダが逝ってからは、髪の手入れなんてしてなかったから、ボサボサのままだったクレアの髪は、今はエレナにキチンと整えられている。


 ターンするたびにふわりと揺れるそれに、思わず見とれている男達は多いみたい。


 そんな視線からクレアを守るように、パートナーをうまく誘導しながらクレアのそばをキープしているアンはさすがだね。


 クレアのパートナーが顔を寄せ、なにかをあの子に囁いた。


 きっと誘惑の言葉かなにかだろう。


「――ムダムダ。クレアはまだまだお子サマだからね……」


 ボクは呟き、思わず笑ってしまう。


 案の定、クレアは不思議そうに首を傾げてる。


 そのまま曲は終わり、クレアもアンも別のオスにダンスを申し込まれてる。


 やれやれだね。


 しばらくふたりは解放されそうにない。


 ボクは伸びをして、思わず欠伸を漏らす。


「――退屈そうだね。イフューくん」


 と、声をかけられて。


 頭を巡らせると、エドワードがトレイを持ったエレナを伴ってやって来た。


 エレナはトレイに乗せられた料理――というより、ツマミだね――をテーブルに並べ、エドワードの席にはグラスを、ボクの前にお皿を置いて。


「――ごゆっくりどうぞ」


 一礼して去って行く。


「……いいのかい? 主役がこんなトコにいて」


 ボクの問いかけに、エドワードは苦笑してヒゲを撫でる。


「その座はあのふたりに奪われちゃったみたいでね。

 まあ、枯れたおじさんより、美しい華を愛でたい気持ちはわかるよね」


 そう答えながら、エドワードはワインボトルを傾けて、ボクの前のお皿と自分のグラスに注いだ。


「そんなわけで、私は旧友のイフューくんと親交を深めようと思ってね」


「そのイフューくんってのやめなよ。

 なんかムズムズするんだよね。

 なんならキミのコト、大公閣下って呼んでも良いんだぜ?」


「――ハハっ!

 なら君もかつてのように、俺の事をエドって呼んでくれよ。

 久々に会ったというのに、他人行儀でショックだったんだぞ?」


「これでもキミの立場を考えたつもりだったんだけどね……」


 そう。


 クレアも知らないコトだけどね。


 ボクらは実は今回の件がはじめましてじゃないんだ。


「しかし、キミ、老けたねぇ。

 ランベルクとの戦の時はまだ小僧な感じが残ってたのに、今じゃすっかりおじさんじゃないか」


「初めて会ってから二十年以上経ってるんだ。

 最後に会ってからだって、十年ちょっとだぞ?」


 と、エドはダンスホールに目を向けると、そこで踊るアンとクレアを見て微笑する。


「あの時出会ったふたりが、いまじゃすっかり立派なレディだ。

 ……俺だって老けるよ」


 自嘲のような呟きを、ボクは聞かなかったフリをして皿のワインを舐める。


「良いワインだね。

 クレアは酒癖が悪くてね。

 あの子の前じゃ、なかなか呑める機会がないから助かるよ」


「ほう、そうなのかい?」


「昔、ボクとエイダが晩酌してる隙をついて、あの子がこっそり呑んじゃったコトがあってね。

 ……館に保管してある鬼道傀儡の制御権をエイダから奪って、高笑いしながら踊り明かしたんだ」


 あれ以来、ボクはクレアには酒を呑ませないって誓ったんだ。


「今日もアンとエレナに、決して呑ませないようにお願いしてるくらいだよ」


「だが、それだと酒好きな君には辛いだろう?

 今度、クレアくんが眠ってから、俺の書斎に来ると良いよ。

 一緒に呑もうじゃないか」


「さすが親友。

 良くわかってる」


 おどけて言ってみせて、思わずふたりで笑い合う。


 それからエドは自分のグラスを一口舐めて。


「……勝手にクレアくんを養女に迎えて……怒ってるかい?」


 すまなそうに眉尻を下げて、そう尋ねてきた。


 ボクは首を振って否定してみせる。


「クレアを守る為でしょ?

 あの子は初手もその次も派手にやりすぎたからね。

 利用しようとする者、害そうとする者――色々と目を付けられただろうね。

 そりゃ、直接的にあの子をどうこうできるヤツなんて、そうそう居ないんだけどさ」


 人の世の理の内にいる者には、まあ無理だろうね。


「それでも悪意の向け方ってのは、なにも暴力だけじゃないからね。

 キミは大公家という権威の内に置くコトで、面倒くさい人の世の理からあの子を守ろうとしてくれたんだ」


 わかっているコトを伝える為に、ボクはエドの胸を前足で叩いてみせた。


「なにより、エイダとの約束を守ろうとしたんでしょ?」


「……知ってたのか」


「臥せる前にね。

 もしクレアが人の世に興味を持つようなら、キミを頼れって言ってたんだ。

 ああ、なにかしら約束があるんだろうなぁとは思ってたよ」


 約束の内容までは知らなかったけどね。


 エドはグラスを置いて、深々とため息をつく。


「……エイダ先生は――今にして思えば、ランベルクとの戦の時にはもう、死期を悟ってらしたようでね。

 自分が逝った後、クレアくんを頼むと言われてたんだ。

 だが、こんなに早く逝かれるとは当時は思っていなくてね」


「そりゃ、あのババアがぽっくり行くトコなんて想像できないよね」


 ボクの言葉に、エドは神妙な顔でうなずく。


「なんだよ。笑うトコだぜ?」


「エイダ先生には、本当にお世話になったからね。

 盟約を曲げて、二度も俺を助けてくれた……」


「ランベルク戦の件なら、キミはブラドフォードの当主になってたから、盟約を曲げたわけじゃないよ。

 国防は守護貴属としての役目でもあったしね」


 思い出すなぁ。


 交渉を有利に進める為に、シルトヴェールの国境北側から急襲しようとしてたランベルクの<兵騎>師団を、ギガント・マキナで薙ぎ払ってやったんだよね。


 あれを見たクレアは自分も使えるようになりたいって、必死に勉強を始めたんだ。


「だが、その前の時は完全に個人の感情でだ。

 しかも当主――国王という立場ではなかった」


「それでもって、押しかけて来た人の言う言葉じゃないよね」


 そうなんだよ。


 エドってば二十年ほど前に、果て魔女の盟約を正確に理解してたくせに、最果ての森の館まで押しかけて来たんだよね。


「王子サマのクセに、護衛もなしにたったひとりでさ。

 ボクもエイダも驚いたよ」


 その理由ってのが、どうしても一緒になりたい令嬢がいるから、王位継承権を放棄したいってものでさ。


 先代の王は完全にエドを王太子にするつもりだったみたいだからね。


「そんなキミだから、エイダは気に入って仕事をこなしたんだ」


 具体的には先代の王への直談判。


 エイダも短気なババアだったからね。


 ちょっとくらいの肉体言語はご愛嬌だよね。


 そしたら王もちゃっかりしたもんでさ。


 エドの臣籍降下を認める代わりに、ブラドフォード領を公国にするから、自治についてエドを指導して欲しいって、盟約を盾に仕事を依頼してきてね。


 だからエドはエイダの事を先生って呼ぶんだよね。


「そういえば、この城に来てからエレクトラを見てないけど、どうしたんだい?」


 エレクトラはエドの妻――エイダにどうしても一緒になりたいと頼み込んだ時のお相手だ。


「妻はちょっと体調を崩していてね。

 保養所で療養中なんだ。

 機会があれば会ってやって欲しい」


「そうだね。なんならクレアに診させようよ。

 よっぽどの病じゃなければ、すぐに良くなるよ」


「そう言ってもらえると助かるよ」


 そうしてボクらは笑い合って、ワインを舐めて。


 それからエドは言いづらそうに、ポツリと切り出す。


「……先生の最後は、どんなだったんだい?」


「ハッ! あのババアらしい最後だったよ。

 中庭のテラスで――ああ、今日みたいな夜だったね」


 夜空を見上げれば、四角い赤の月モイラが浮かんでいる。


「あの日は朝から妙に調子良さそうでさ。

 だから、中庭で晩酌するのも止めなかったんだ。

 そしたら『ああ、良い月夜だねぇ』って、そのままぽっくり。

 ボクもクレアもびっくりしたのなんのって……」


 三百年付き合ったけど、エイダが死ぬトコなんて想像できなかったからね。


「西の魔王とも呼ばれたあのババアがさ、逝く時はこんなにあっさりなんだなぁって思ったよ。

 ま、エイダらしいって言えば、らしい最後でしょ?」


 黙って聞いていたエドは、少し洟をすすって、袖口で目元を拭ったから。


 ボクは見なかった事にして、皿のワインを舐めた。


 本当にエドはあのババアを慕ってたんだね。


 エドもグラスの中身を煽り。


「……そうか。教えてくれてありがとう」


 それからボクらは、月を見上げて無言でワインを愉しむ。


 言葉なんて要らない。


 ボクらは親友で、そしてもう良い歳の大人だからね。


「――あー、イフューってば、こんなトコでこっそり呑んでる!

 わたしにはダメって言ってるクセにっ!」


 だからお子様が乱入して来たって、笑って許してやれるのさ。


「クレア。お子サマはジュースで十分なんだよ」

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