生ける咎人

magnet

第1話 


「おい! 何回言ったら分かるんだよ! 酒を持って来い酒を!」


 僕が初めて違和感を覚えたのはいつからだろうか。幼い頃はこれが普通の家庭像だと思っていた。


 呑んだくれの父が母に対して怒鳴りつけ、それに母親は抵抗することなく付き従う。そう言うものだと思っていた。


 母親は抵抗していないのに、父親が手を出すことだってしょっちゅうあった。それが普通だと思っていた。


 だけどそれは違った。小学生に上がり友達ができ、別の家庭を覗き見する機会が得られると、僕の中の常識が音を立てて崩れ落ちていった。穏やかで威厳のあるお父さんに、世話好きでお喋り好きなお母さん、なんと調和の取れた素晴らしい家庭なのだろう、と子供ながらに僕はそう感じた。


 友達の家で遊んでいる時は、自分の家のことなど忘れ、その家の子供になったかのように無我夢中で遊んだ。だが、そんな愛しい時間は瞬く間に過ぎ去っていく。そして僕の現実が怒涛の勢いで押し寄せてくるんだ。


 何度家に帰りたくないと思ったことか、何度友達の家に遊びに行きたいと思ったことか。もはや数えるまでも思い出すまでもない。


 そして中学生になると更に友達が増え、色々な家庭にお邪魔することになった。そして僕は家庭には沢山の形があることを知った。色んなお父さんとお母さんの姿があって、そのどれもが美しかった。


 みんな違ってみんな良い、こんな言葉が素直に飲み込めるくらいにはどの家庭も素晴らしかった。ウチを除いては。


「おい! 帰ってくるのがおせぇぞ!」


 父の矛先は母だけでなく、俺にも向くようになった。成長して生意気になったと感じているのだろう。説教は俺の為でも何でもなく、ストレス発散の為の道具として使用された。


 こんな家庭で育った僕は当然反抗期に突入し、反論を試みようとする。


 だが、腐っても鯛は鯛、父親は父親だった。論破することなんて叶わなかったし、できそうになったとしても最終的には手を出され、家を追い出された。家長である父親に、扶養されている身の僕が反抗する意味などないのだ。


 そうして僕は反抗する意志を徐々に徐々に失っていった。


 高校生に入ると、僕の家への滞在時間は更に短くなった。決して余裕ではない家計の中高校に上がらせてもらえたのは感謝すべきことなのだろうが、そのくらい当たり前じゃないのか? とも思ってしまう。


 自分が親だったら絶対にそうするし、もしできないのならば決して子供なんて産まないだろう。


 家への帰宅時間はどんどん遅くなり、それに比例するかのように父からの説教時間も延びていった。恐らく、遅く帰れば帰るほど、アルコールが注入されていたからだろう、と思う。


 高校生活では友達の存在が非常に大きかったように思う。以前の様に友人宅にお邪魔する機会は無くなったが、その分色んな場所に遊びにいくようになった。その時間がとても楽しかった。そしてあっという間だった。


 ガチャリ


 家に帰ると母が殴られていた。母はいつも僕に謝っていた。謝るくらいなら産んでくれるなよ、とも思うが、母に対しては怒りの感情は持っていない。母は何も悪くないからだ。まあ、強いてあげるとするならば父を夫として迎え入れたことくらいだろう。


 無言のまま二階へと上がり自室へと引き篭もる。夜ご飯は外で食べるか、両親が寝静まった後に夜食として食うかの二択だった。一人の時間が、真っ暗な夜が大好きだった。


 その日は高校の卒業式だった。


 僕は内定が決まり、母さんにこれからは二人で生きていこう、そんな言葉をかけるつもりだった、と思う。


 バタン


 扉を開けると、そこにはいつも通り、いやいつも以上に激しく喧嘩している二人があった。今日の僕は何故かイライラしていた。


 そして、その時完全に理解してしまった。この人は俺の親ではないのだと。今まではなんだかんだ親だからと思っていたのだが、そんなことはどうでも良い、コイツと僕はもう関係のない存在なんだ。


 そう思った瞬間、僕の中で何かが抜け落ちた。


 いつもよりも大きな口調で怒鳴り散らす男、それに怯えるかのように小さくなった母、そんな母に対してその男は一切の躊躇を見せることなく手を振りかぶり殴りつけようとした。


 バリンッ


 そこからの記憶はヤケにハッキリと覚えている。怒り、憎悪、そしてどうしようもないやるせなさ、僕は行き場のない感情を酒の空瓶を片手に詰め込み、男の頭を殴りつけた。


 一瞬、呆然とした様子の男だったが、すぐさま状況を理解し、標的を僕へと変えた。まるで新しい獲物を見つけた獣のように拳を握り締め振るってきた。


 だが、狩人は僕の方だった。


 僕は割れた瓶を獣の方へ向け、躊躇無く腹へと突き刺した。


 ズブリズブリ、グサグサと何度も何度も突き刺した。近くの方から悲鳴が聞こえたような気がした。


 そして男は動かなくなった。そして、理解してしまった。俺はこの男の息子なのだと。


「あ、あぁ……」


 僕はとんでもないことをしてしまったのだ。それと同時に今までずっと苦しめられ、蔑んできた父親と同じ行動、いやそれ以上に愚かな行いを僕自身の手によって行ってしまった。完全に同類だった。


 僕もまた獣だった。


 目の前に広がる惨状と、血塗れの手が全ての終焉を告げていた。


 隣で泣き崩れる母親。その涙は何の涙なのだろう。愛した夫の死か、それとも愛する息子の喪失か、はたまた両方か。


「もう、僕は……」


 この世界で生きる意味と資格を失った。


 右手の上にあった割れた瓶を再び握り直し、今度は先ほどまでより強く、自らの心臓に突き刺した。今度は悲鳴がハッキリと聞こえた。


    ・


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    ・


ーーー【刺突無効】を獲得しました。

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