第陸章 魔族との対話
『我々の処遇を決めて欲しいのだがな?』
私は、不安なのかやや声が固い女魔族の前に来てしゃがんだ。
「そうね、私の一存じゃ決められないけど、多分、すぐに解放って事になると思うわ」
『なっ! 巫山戯ているのか、貴様は!』
彼女は激昂して叫んだ。
気持ちは分からなくはないけど、唾を飛ばさないで……
「ユキコ様? 確かにいきなり解放はないと思うのですけど?」
「アリーシア様、彼らには『影渡り』の術があるのですよ。たとえ牢に繋いでも影がある場所ならばすぐに抜け出せるのではないですか?」
私がそう指摘するとアリーシア様を始め、魔族の面々も驚いたように、あっと声を上げた。
そうですか。皆して『影渡り』の事を失念していましたか。魔族までも……
「ならば下手に捕らえて、逃げられてですよ? お城の中で暴れられたり、街で憂さ晴らしをされたら流石に洒落にならないと思いませんか?」
あまりの事に思わず泣けてきそうになってきたのを堪えて話を続ける。
「もしかしてこの国に『影渡り』を封じる方法がありますか? もし、あるのでしたらその心配も杞憂になりますが」
「いいえ、残念ながらその様な
アリーシア様は申し訳さなそうに答えた。
「ですから、どうせ逃げられるのならば、いっそ何も無かった事にして解放した方が彼らの怒りもスチューデリアには向かないでしょうし、この国も面子が保てるでしょう?」
『き、君は意外と腹芸が上手いな?』
聞き慣れない男性の声に私は誰何の声を向ける。
『これは失礼。私はスタローグ家次男マーストと云う』
ついでなので他の魔族にも自己紹介をして貰った。
まず先程、聖の聖剣により倒された髭の巨漢が彼らの長兄でカイゴーと云った。
生まれた順で続けると今、代表で話していた女魔族が長女テーシャとなる。
革製の鎧と足の付け根まで切り詰めたズボンという姿で、私と同じくらい高い背をした貞淑さと凛々しさが同居する美女との事。少し長めの髪を髪留めで纏めているそうな。
次に痩身の次男マースト。しなやかな四肢は痩せぎすと云うより、無駄な筋肉が無い事が見て取れるらしい。本人にはサーベルを遣わせたら魔界一と自慢された。
続いて戦闘中、月夜の炸裂弾でこの世を去った三男のエント。
そして次女のテーオちゃん。私の顔を見るなり『兄様の仇!』とか『殺さなかった事を後悔させてやる』と元気なお嬢さんだった。背は低いけど私の倍は生きているらしかった。
最後に私が脛当てから引きずり出した少年、末っ子のアンリ君。私が挨拶をすると何故か『あう』だの『えう』だの意味の分からない返事をされた。体の線が細い割りには鉄製の弓を背負っていた事から腕力はあるのだろう。
あまり似ていない兄弟らしいけど、全員の共通点として銀色の髪と青白い肌、人のものとは似ても似つかぬ長く尖った耳を持っているそうな。
ちなみにカイゴーは甲冑の胴体部分、テーシャは兜、マーストとエントは籠手、テーオちゃんとアンリ君は脛当てに身を潜めていたと云う。
そして甲冑の中にあった肉塊のようなものは、装着者を保護する緩衝材であると同時に、互いの魔力を繋ぎ合わせて甲冑を操る触媒であるらしかった。
『さて、先程の件に話を戻したいのだが……』
「はい?」
私はテーシャの前に座ると先を促した。
『解放の申し出の事だ。解放された所で素直に逃げると思うか? 先程の貴様の話ではないが、街で暴れるかも知れんぞ?』
「その可能性も考えたのだけど……その恐れは無いと思うわ」
断言する私にテーシャはしばし絶句した。
『何故、そんな事が云える? 根拠は?』
「少なくとも貴女が誇高い人だと思ったからよ。自爆しようとしていたお兄さんに、生きて武功で汚名返上すれば良い、と云っていたしね。そんな貴女が解放されて、すぐ街やお城に攻撃するような真似はしないと思うし、そう信じたい。私の云った事は外れかしら?」
私がそう問うとテーシャは盛大に溜め息を吐いた。
『確かにな、兄者とエントを倒されて貴様らが憎くないと云えば嘘になる。だが、敗北した後すぐ解放されて、その上非戦闘員を襲うなど恥の上塗りは出来ん。それにヒジリと云ったか? あの勇者が兄者を止めてくれなかったらアンリ、兄者が一番可愛がっていた末弟ごと滅ぶところだった』
その事については感謝している、とテーシャは頭を下げる気配を見せた。
「なるほど、確かに良い子みたいね」
私はアンリ君の頭を撫でると、彼はまたも『あう』と意味不明な言葉を発した。
『アンタ、何、顔を青くしてんのよ? コイツらはカイゴー兄様とエント兄様を殺したヤツらなのよ!』
私に頭を撫でられて顔を青くするとは、余程私が怖かったのかと思ったけど、どうやら違うみたい。
何でも魔族は血の色が青いそうで、羞恥なり、怒りなり、人ならば顔が赤くなるような事態になると、魔族の場合は集まった血で顔が青くなるらしい。
ちなみに魔族は血の気が引く様を、顔色を白くすると表現するそうな。
『あ、青くなんかなってないよ、テーオ姉さん! それにカイゴー兄さん、あんな安らかな顔で死んでいったんだ、敵討ちなんて望んでないよ、きっと』
アンリ君はまだ声変わりをしていないのか、綺麗な高い声をどもらせつつもテーオちゃんに反論している。
でも強い子、お兄さんの死に様をちゃんと見届けて、しっかりと受け止めている。
しかし……
「カイゴーが、貴方のお兄さんが仇討ちを望んでいなかったか、それは私にも貴方にも判らないわ」
『……え?』
アンリ君は驚いたように声を上げた。
「貴方は強い子ね。お兄さんの死をきちんと受け入れて……でも、憎しみの炎が貴方の心を気付かないうちに蝕んでいるのかも知れない」
『そ、そんな事! カイゴー兄さんはいつも、軍人となったからには死について考えておけ。自分が死ぬ事。仲間が死ぬ事。自分が敵を殺すという事もだ、と云っていた。だから、僕が死ぬ事も兄弟が死ぬ事も覚悟はできてた!』
「貴方の覚悟は解ったわ。でも心は判らない。生きているんだもの、心は常に動いているわ」
私はアンリ君を腕の中に抱いた。
『あう』
きっと、この子の口癖なのだろう。
何故か、体が硬直したかのように動きを止めたアンリ君は気にしない事にして、私は話を続ける。
「憎しみという感情は、激しい感情は遅れて芽生える事もあるの……私も同じ、頭で分かっていても心が抑えきれない事もあるのよ」
『ゆ、ユキコさん……でしたっけ? 今のはどういう……?』
私はアンリ君の唇に人差し指を当てて言葉を止める。
「もしもの話よ。もし貴方の中に憎しみが芽生えたら約束して? 決して他者には向けないで……その怒りは私だけにぶつけなさい」
この子は強いけど、心が未熟、いえ、幼い。だから怖い
この子の心に憎しみが芽生えたら際限なく膨らんで自分が抑えきれなくなる可能性がある。
何故、そう思うのか? この子の心はどことなく私に似ているような気がしたから。穏やかな分、ひとたび感情が爆発すると暴走する私のように……
『う……あう……分かりました。肝に銘じておきます。銘じておきますから、その……は、離して下さい』
身を捩るアンリ君を私はすぐに解放した。
「ふふ、ごめんなさい。余計な事を云って混乱させちゃったかも知れないわね?」
私は次にテーオちゃんの頭を撫でながら云う。
「貴女もお兄さんの仇を討つと云うのなら、いつでもいらっしゃい。周りに迷惑をかけずに正々堂々と戦うなら逃げも隠れもしないから」
『ぐっ……莫迦にして! いいわよ! いつか、ギャフンと云わせてあげるんだから! その時になって命乞いしても聞かないわよ!』
「ええ、その時は遠慮なく殺して頂戴ね?」
私は静かに頷いてみせた。
「「「(『『『『ぬはッ!』』』』)」」」
え?
私、何か変な事云った?
「ゆ、ユキコ様……そんな透明な笑顔で、殺してと何故、云えるのですか?」
「そ、そうですよ。その笑顔は美しすぎる。美しいが故に私は恐ろしい」
アランドラ皇子、恐ろしいと言われても困るのですけど。
「特別な事ではありませんよ。武士道論書・葉隠という書物は武士道を究めるには朝夕繰り返し死を覚悟する事が肝要であると説いています。武士道というは死ぬ事と見つけたり。生と死の二つのうち、いずれかを取らねばならない時、私は迷わず死ぬ方を選ぶというだけの話です。全ての終わりは全ての始まりでしかありません。ならば死すべき時に死なぬは恥晒しなだけ……生き恥だけは晒したくはありませんので」
カイゴーの事を悪く云えませんね、と自嘲気味に云うと誰かに抱きしめられた。
いったい、私は今日一日で何回抱きしめられているのだろうか?
『貴様は兄者とは違う。兄者を、故人を悪く云いたくはないが自爆という手段で勝者を巻き込む事は武人として恥ずべき行為だ』
「テーシャ?」
いつの間に拘束を抜けたのだろう?
『なるほど、私達は兄者の暴走を止めてくれたという意味でも貴様らに感謝せねばならんようだな』
「では、恨みとか憎しみとかそういった感情無しで戦ってくれるのね?」
私の言葉に彼女はしばらく沈黙した。絶句したとも云うかも。
『ハハ、なんて女だ、貴様は。おまけに目に光が無いとはな』
「気付いていたの?」
『ああ、貴様は確かに話す時は必ず相手の方を向いている。しかし目を瞑っていても分かるほど微妙にどこかズレていたからな』
テーシャの声には自嘲や私への敬意があった。
『ハハ、敵わぬよ。盲目でありながらこれ程の剣技を身に着け、盲目故に我らの『マリオネット・アームズ』を見破ったのだな。いかんな、私は貴様の事を気に入ってしまったよ』
テーシャは抱擁を解くと、私の真正面で傅く気配をみせた。
『よかろう。私は、我らスタローグ家はカスミ・ユキコとの戦いにおいて非戦闘員は傷つけない事を誓おう』
続いて鞘から鋭利な剣を抜くような音がした。
『ああ、このマーストも勇者以外の者には手を出さない事を魔王陛下より賜わったこのサーベルに懸けて誓おう』
次いで、高音で綺麗な声による宣言がなされた。
『ふん! 弱っちいニンゲンを苛めたって面白くも何ともないわ! だから、アンタ達とだけ遊んであげる!』
最後に声変わりをしていない男の子の声がした。
『ぼ、僕も一生懸命修行して強くなって、いつか、またユキコさんに挑戦したいと思います! 勿論、他のニンゲンには手を出しません!』
スタローグ家の面々は私の周りに集まってワイワイ騒いでいる。
罵声が飛んできても不思議はないのに、彼らの口から出る言葉はどれも人を貶めるものではなく、むしろ敬意を払ってくれているのが感じられた。
「ええと……なんで好意的なの?」
私の呟きはスタローグ家の面々に届かなかったが、答えは意外な所から返ってきた。
(姉様……貴女はどこまで人を惑わせば気が済むのですか?)
私の腰を叩くような『言葉』に戸惑いを覚える。
「つ、月夜? 惑わすって人聞きの悪い事を……」
(知りません!)
「痛ッ!」
月夜は私のお尻を軽く抓んで捻ると、不機嫌そうに私から離れていった。
何だったのかしら?
『ユキコよ』
「はひ!」
突然、テーシャに手を取られて思わず声が裏返ってしまった。
外国人と違って、握手をする習慣の無い生粋の日本人たる私には心臓に悪い一日だ。
『兄者とエントの弔いが済めば、私達は再び貴様達の前に敵として現れるだろう』
「そうなるわね」
甘いのは自覚している。
けど、数多の命を奪って生きている私ではあるが殺さずに済む相手ならば極力手にかけないようにしている。それは情け以外にも理由がある。
見逃す――命を救う行為は、奪った命に対する代償行為に他ならない。
早い話が自己救済が目的なのだ。
私が剣術指南の傍ら鍼医をしているのも、病人が可哀想だ、早く治してあげたいと思うと同時に、人を助ける事で人を斬ってしまった罪悪感を薄れさせ、自分が押し潰されないようにしているだけだ。
医は仁術――という基本理念を根源から覆す最低な動機がそこにあった。
結局、自己憐憫が前提にある情けなのだろう。
『だから今の内に、今だけしか云えない事を伝えておこう』
しかし、テーシャはそんな私に気付いていないようで相変らず真摯な口調で続けた。
その様子に私は猛烈に嫌な予感がしてきた。
『私ことテーシャ=スタローグは貴様に、カスミ・ユキコに尊敬をもって接しよう。敵同士でもあっても、な?』
直後、私の手の甲にチュッと音を立てて柔らかくて温かいモノが触れた。
それが何か気付いた時、私の顔は恐ろしい勢いで熱を帯び、意識が遠のいていった。
しかし、意識が完全に途絶える直前、獲物を狙う獣の如き殺気が私を覚醒させた。
「テーシャ!!」
半ば本能的だった。テーシャを突き飛ばした私の左腕に灼熱が宿った。
「くっ!」
私の左腕を鋭く長い何かが数本貫いていると察した瞬間、打撃音と共に私の胸に衝撃が走って後ろへと弾かれた。
『グロロロロロロロロロロ……』
獣の唸り声のような音は、先程まで私が立っていた所から聞こえてきた。
いったい何が?
弾き飛ばされた時、左腕を貫いていた何かは抜けてくれたけど、抜け方が抜け方だったから傷口は大きく抉れ、容赦なく私に激痛を与える。
『え、エント! 貴様、まさか自分をアンデッドと化したのか!』
マーストの悲痛な叫びが襲撃者の正体をエントであると教えてくれた。
しかし、エントは先程の戦いで月夜の炸裂弾で命を落としたはず!
それにスタローグ家の人達から伝わってくる哀しみと絶望の声……
恐らく今のエントの状態はカイゴーの自爆よりも悪い状況であるらしい。
『エント兄様!! やめて! 戦いはもう終わったのよ!!」
テーオちゃんの慟哭がこの日最後の戦いを知らせる銅鑼となった。
未だ終わらぬスタローグとの戦いはついに決着の時を迎える。
死してなお戦い続けるエントを解放すべく『地獄代行人』の太刀が闇を裂く。
不死身の敵を前に如何に立ち向かうのか?
自ら地獄へ落ちようとするエントの行く末は?
それはまた次回の講釈にて。
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