第2話 魔獣の帰還

「おはようございます。オリビア様」


「おはよう。リタ」


 魔獣事件の翌日、リタがいつものようにオリビアの身支度をするため部屋にやってきた。ベッドから起き上がる時に、昨日転んで打った腰が痛むのはいつもとは違う、と思いながら、オリビアはそっと腰に手を当てた。


「腰が痛むのですか?」


 オリビアの仕草を気にかけたのか、リタが心配そうに眉を寄せ声をかけてくる。


「少しね。でも大丈夫よ。この程度、あの方達に比べたら……」


 昨日、身につけている物などから、三人は王立騎士団所属の騎士であることがわかった。

 そのうちの一人はアレキサンドライト公爵家次男のリアムだ。

 三人ともいまだに目を覚ましていないため、彼らに何が起きたかは不明だった。


 オリビア自身も昨日屋敷に着いてからは緊張の糸が切れ、眠りにつくまでの記憶が曖昧あいまいだった。三人はどうなっただろうと、心配で少し表情を曇らせた。


「三人とも、命に別状はないそうですよ」


 主人の心情を察し、リタが優しく微笑んだ。オリビアも安堵し小さく息を漏らす。


「よかった……。特にリアム様以外のふたりは、かなり危険な状態に見えたから……」


「はい。皆さま生きていてよかったです。詳しい状態については後ほど医師が確認するとの事です」


「わかったわ。朝食が終わったらリアム様の様子を見に行きたいわ」


「承知いたしました」


 身支度を終えたオリビアは、昨日の出来事について報告をしながら、家族と朝食をとっていた。本当に魔獣がいたら命の危機もあった状況に、オリビアの母は青ざめ中座し、父はオロオロと終始困り顔をしていた。


「オ、オリビア。頼むからもう今回のような危険なことはしないでくれ」


「お言葉ですが、あのまま領民を置いて逃げたら、領主の娘失格ですわ」


 娘を案じる父ジョセフの懇願こんがんするような視線と言葉にオリビアは反論した。


「お父様。オリビアの勇気ある行動のおかげで領民はさらに伯爵家を信頼してくれましたし、リアム様も救えたじゃないですか」


「それはそうだが……」


 兄、エリオットがオリビアの味方につき、父は困り果て言葉がうまく返せないようだった。彼の眉が下りに下がる。オリビアはため息をついた。


「心配してくださってありがとうございます。お父様。しばらくはおとなしくしますから」


「頼むぞオリビア〜」


 オリビアが父に感謝を述べると、父は今にも泣きそうな顔で懇願する。貴族とは思えないくらい感情を表に出す父に、オリビアとエリオットはほんの少し口角を上げた。使用人たちも主人に見られないよう顔を伏せていた。



◇◆◇◆



 食事を終え、オリビアとエリオットはリアムの休む部屋へ向かった。リタとジョージも二人についていく。


「リアム様、大丈夫かしら……」


「彼は騎士団員だし、並の人間より頑丈だろう。きっと大丈夫だ」


 兄妹は、リアムの身を案じながら、彼の休む部屋に入る。


「エリオット様、オリビア様」


「トーマス医師。リアム様の具合はどうだ?」


 室内ではクリスタル家専属の医師、トーマスが診察を終えたところだった。エリオットの問いに、彼は小さく頷き現在のリアムの状態について説明する。


「命に別状はありません。何箇所か怪我はありますが、程度は軽いので数日で治るでしょう」


「では、なぜ目を覚まさないの?」


 昨日から意識を取り戻さないリアムを見て、オリビアは不安で医師に問いかけた。


「おそらく、疲労と魔力切れでしょう。明日までには目を覚ますかと」


「……そう」


「心配するな、オリビア。さて、トーマス医師、他の二人はどうだ?」


 エリオットは励ますようにオリビアの肩を軽く叩いて、トーマスと共に部屋を出ていった。他の二人の様子を見に行ったようだ。


「大きな怪我もなくて良かったですね」


 リタが声をかけながら、リアムのベッドの横に椅子を置く。


「そうね。早く目が覚めると良いのだけれど……」


 オリビアは用意された椅子に腰掛けた。


 ベッドに眠るリアムは、昨日の事件が想像できないくらい安らかで、スースーと小さな寝息が聞こえる。血色も良く、ただただ眠っている様子だった。


「それにしてもジョージ。あなた昨日剣を振り下ろしていたら、今頃死罪確定だったわよ」


 主人を差し置き、テーブルにあるマフィンに手を出そうとしているジョージに、オリビアが言った。その顔には少し意地悪そうな笑みを浮かべる。


「それはそうですが……。元はと言えば、お嬢様が危険なことに首を突っ込むからでしょうが」


 ジョージが顔をしかめ、ため息混じりに返事をした。彼はオリビアが十歳の頃から護衛を務めている。基本的に砕けた口調で、彼女が危険をかえりみず行動するときは必ず叱る、まるで兄のような存在でもあった。


「オリビア様のせいにするな。クソジョージ」


 そして、そういった会話があった際は、必ずリタがジョージを睨みつけるのがお約束だ。


「……ふたりは本当に仲がいいわね」


 いつもの光景に、昨日からの緊張感が少しほぐれ、オリビアはわずかに微笑んだ。


「はあ? どこが……」

「オリビア様、目が見えていないのですか?」


 ジョージとリタは不服そうに返事をするが、その声が重なり息ぴったりだった。それを聞いて、オリビアはクスクスと声を出して笑った。


 そして、視線を再びリアムに向ける。


「リアム様……。早く目を覚ましてくださいね……!」


 オリビアの声に反応したのか、リアムが一瞬、ピクリと動いた。


「リタ! トーマス医師を呼んできて!」


「はい!」


 リタが急ぎ足で部屋を出ていく。オリビアは布団の中に手を入れ、リアムの手を握りながら声をかけ続けた。


「リアム様! リアム様!」


◇◆◇◆


 ——真っ暗な闇の中。


 リアムは遥か遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる気がした。意識は演習最終日の翌日を彷徨さまよっていた。


 クリスタル領へ向かう途中、部下と乗っていた馬車は大きく揺れ、天地が逆さまになった。


 部下たちは外に投げ出されてしまったようで、馬車の中にはリアムだけが残されていた。打撲で若干体が痛いが、状況把握と部下の安否確認のため、なんとか馬車から脱出する。


 目の前に広がるのは、異様な光景だった。


 同じように横転している複数の馬車。所々から立ち込めている黒い煙。魔術の攻撃のようだった。馬たちや半数以上の隊員が息絶えており、残りの隊員は怪我を負いながら応戦していた。


 警戒しながら、リアム自身も応戦できるよう魔力を解放し、剣を抜く。


「ジャック! セオ!」


 自分が乗っていた馬車から少し離れた場所に、同乗していた部下を見つけたリアム。ジャックが倒れているセオの前に立ち、黒いローブを着た魔道士と対峙していた。


 リアムは素早く駆け寄り、魔道士に剣を振り下ろした。


「ぐっ……!」


 魔道士はその場に倒れた。リアムは絶命していることを確認する。


「隊長!」


「ジャック! 大事ないか? セオは……」


 ジャックは腕に怪我をしており、着ていた隊服の片腕側が出血で真っ赤に染まっていた。顔色も悪く、このままでは命が危ない。


「セオは……おそらく両足が折れています。……さっきまで意識があったのですが……」


 自身も苦しそうに、リアムに状況を説明するジャック。リアムは血を多く失い立つのもやっとの彼を支え、傷口に手をかざした。すると、柔らかな光と共に出血は止まり、傷口が塞がっていく。回復魔法はリアムの使える魔法のうちの一つだった。


「よく生きていてくれた」


「隊長……。すみません……」


「気にするな。少し休め」


 ジャックがそのまま意識を失う。リアムは彼をその場に寝かせ、セオの様子を確認する。


「セオ! セオ!」


 声をかけながら、セオの足の腫れている部分に触れる。セオがうめき声をあげたが、激痛で意識は朦朧もうろうとしているようだった。自分では治しきれない怪我と判断し、リアムはセオに軽い回復魔法をかけ、ジャックの隣に並べて寝かせた。


 そして、今度は自分自身に魔法をかけるべく、さらに魔力を解放する。少しずつ身体中に魔力が流れてくる。体が熱くなるのを感じた。


 リアムの体がひと回り、さらにひと回りと、どんどん大きくなる。筋肉が盛り上がり、身長も二倍程度になっていた。


 最後に自分の剣に魔法をかける。すると、剣は体に合わせたサイズの大斧になった。


 リアムはそのまま魔道士たちと応戦している仲間達の元へと向かった。


「全員すぐに避難しろ!」


 リアムが周囲に向かって叫ぶ。魔道士たちは人間離れしたその姿に、一歩引いて警戒している。


「隊長!」

「我々もまだ戦えます!」


 隊員たちは引かず、魔道士に向けて武器を構えている。


「だめだ! 巻き込みたくない! 隊長命令だ! なんとか助かってくれ!」


「隊長! どうかご無事で!」


 リアムの切実な願いに隊員たちは武器をしまい、散り散りにその場を立ち去る。


 一人の魔道士が背を向ける隊員に攻撃をしようと手を挙げる。


 その瞬間、リアムが斧を振る。魔道士の首が飛び、残された体はその場に倒れ込んだ。他の魔道士たちの警戒が強まる。


「……お前たち、生きて帰れると思うなよ」


 リアムは力を込め大斧を振る。周りの木が倒れ、何人かの魔道士たちは死体となった。後方にいた魔道士数名が逃走しようとしていたが、体の大きなリアムに数歩で追いつかれ、次の一撃をくらい、声を上げることなく絶命していった。


 警戒は解かず、探知魔法を使う。魔道士たちの中に生存者がいないことを確認し、リアムは持っていた大斧を剣に戻し収めた。


 そして、ジャックとセオを寝かせていたところまで歩いて向かう。二人とも無事だったが、意識は戻っていなかった。


 リアムは両肩に二人を抱え、先ほどまで馬車が向かっていた方向へ歩みを進めた。魔力の消費は激しいが、早く到着するために肉体にかけている魔法は解かなかった。なんとか二人を助けたかった。他の仲間たちの安否なども気になっていた。


 歩き続け、自分も意識が朦朧として、今にも倒れてしまいそうだった。その時には歩き始めてから六時間ほど経過していたが、その感覚もわからないまま、リアムは歩き続けた。


 さらに一時間ほど歩き、リアムはクリスタル領の市街地に到着していた。自分の姿に恐れ慄いた領民たちの悲鳴も、ほとんど聞こえなかった。無意識に足は噴水を目指していた。


 ——最後に見た光景は、美しい銀の髪。


 地面に倒れ込む衝撃と共に、彼の意識は闇の中へ沈んでいった。


 そして……。


 闇の中の遠くに、小さな光を見つける。自分の名前を呼ぶ声も微かに聞こえる。その光は、どんどん大きく、強くなり、比例して声も大きく聞こえる。

 その光に手を伸ばすと、何か温かいものが自分の手を包むような感覚がした。


「……様。リアム様……。リアム様!」


 リアムが目を開けると、薄い紫の瞳がこちらを覗き込んでいる。その瞳と、美しい銀髪に見覚えがあった。


「オリ……ビア。オリビア嬢なのか? ここは……」


 会いにいく予定だった、今はまだ仮の婚約者。彼女は自分の手を握り、必死に名前を呼んでいた。





>>続く


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