直感の恋

 佐伯さんはしばらく物思いに耽ってるようでしたが、


「副社長は帰って来ても良いとまで言ってくれた」


 与えられた使命を果たしたらそうなるはず。


「でもね、副社長にはお世話になったけど、辞めようと思ってる」


 どうして、戻るのはあのエレギオンHDではありませんか。


「だから、私にはあそこは向いていない。それだけは良く分かった」


 そんなもったいない。ボクだってエレギオンHDに勤務できることが、どれだけ価値があるか知っているぐらいなのに。


「そう価値はある。でもそれだけの能力を持った人のもの。私では無理」


 じゃあ、じゃあ、店に残ってください。佐伯さんさえ良ければ大歓迎です。すると佐伯さんの目に涙がポロポロと。あの佐伯さんが泣いているのです。


「ここに残るのも出来ない」


 どうしてですか、給料が安いからですか。


「私はあのクソッタレに捨てられた時に結婚どころか男も嫌になった」


 だからこの店に来た時もビジネスと割り切ってボクに接していたそうです。たしかにそんな感じでした。


「シェフはね、誠実だし、優しいし、それでいて厳しいところがある。さらに人を惹きつける魅力もある」


 それは言い過ぎ、


「その証拠に採用したアプランティは誰も辞めていないどころか、立派なスタッフとして成長してるじゃない」


 佐伯さんは嗚咽しながら、


「私もそうなってしまったのよ」


 えっ、今なんて。聞き違えじゃなければ、佐伯さんがボクのことを。


「でも誤解しないでね、これは愛の告白じゃないから。私がそんな対象じゃないのは誰よりも知っている。でもだよ、そんな想いを抱えながら一緒に仕事なんて出来ない」


 そうか、あの電話も・・・オリジナルの復元に成功した時に佐伯さんはすぐに売り出すとしたのです。でもボクはまだ売りたくなかったのです。復元した味では足りないと考えたのです。


 佐伯さんはいつもの調子で、上から押さえこみにかかりオーナーの意向まで持ち出しています。それでもボクもここは何があっても譲れないと頑張り続け、最後は佐伯さんが折れてくれています。


 佐伯さんはあれ以降、ボクの主張はすんなり認めるようになってくれました。その代わりにオーナーである副社長の意向に逆らう形になり、これを説得するのにどれだけ踏ん張ってくれたことか。その理由はこれだったのか。


「だから一緒にこうやってお酒を飲ませてもらってる。せめてもの惜別の宴」


 佐伯さんはキツイ人ではありましたが、仕事は誠実を絵に描いたような人です。ボクも含めて、どうしても敬遠してしまう部分はありましたが、その仕事ぶりに全幅の信頼を置いていて、それこそ佐伯さんがいれば心配ないと思っていました。


 そりゃ、最初は全員から総スカンでしたが、今では口とは裏腹に慕われているとしても良いと思います。あれだけ憎まれ役をやりながら、それを仕事ぶりで納得させてしまったぐらいと言っても良いと思います。ボクだって佐伯さんは嫌いじゃありませ。。いや、人としては好きなぐらいです。


 そんな佐伯さんがボクを異性として意識していたなんて思いもしませんでした。男と女ですから、そういう感情がいつ芽生えても不思議とは言えませんが、まさか佐伯さんにあったなんてです。


 異性としての佐伯さんですが、眼鏡を外し、髪を解いた姿は、かつてクズ上司が惚れて口説いた理由が良くわかります。クズ上司はイケメンで、いわば職場のアイドルのようなものでモテていたのは間違いありません。


 結果は無残なものになってはいますが、佐伯さんは数ある女性社員の中からセフレとして選ばれているのです。それぐらい魅力的だったのが佐伯さんです。その本当の姿をボクは見ています。


 その魅力はボクも息苦しくなるぐらいです。これまでとのギャップが大きすぎるのもありますが、あきらかに動悸がしています。そう、ボクも異性としても佐伯さんを間違いなく好きになっています。


 そりゃ、人としても好きであったのが、異性としての魅力も見つけてしまえば、そうなるのは当然でしょう。さらにですよ、ボクの事が好きだと告白までされています。最後に残るのはそんなお手軽に愛してしまって良いのかの疑問だけです。


 でも良いはずです。恋は理屈ではありません。恋は直感で動くものです。人を好きになるキッカケなんて些細なことが多いものです。それこそ一目惚れだって幾らでもあるはずです。


 亜衣に捨てられた経験は苦すぎるものでしたが、あの経験は人を見る目を養ったはずです。亜衣と佐伯さんは違います。違うどころか、石ころとダイヤモンドぐらい差があります。佐伯さんの人として良いところは、しっかり見て来ています。


 佐伯さんはこの店に必要なだけではなく、ボクにも絶対必要な女性です。それにここで逃したら絶対に後悔します。ボクはボクの直感を信じます。


「佐伯さんはこの店に残らないといけません」

「ダメだって。シェフもいずれ好きな女が出来る。もう女が放っておかないもの。そうやって恋して結ばれて、結婚する様子なんて見られないもの」


 ならば話は簡単です。


「その女性に佐伯さんがなれば良いじゃありませんか」


 佐伯さんは笑いながら、


「その言葉だけで嬉しい。それだけで、これからも生きていける気がしてきた」

「ではちゃんと言い直します。ボクは佐伯さんの事を愛しています。これは正真正銘の愛の告白です」


 佐伯さんの顔がポカーンって感じになりましたが、すぐに気を取り直して、


「人を好きになるのは直感ともいうけど、直感はよく外れるよ。私だってそうだったもの。シェフはこれからイイ女に幾らでも巡り合える。今日の気まぐれで私を選んだら、一生後悔するだけ」


 たしかに今日の直感です。でも気まぐれじゃありません。ボクは心に響く直感を信じて選択します。


「貴女が伝えてくれた想いをボクはしっかりと受け止めました」

「だからあれは愛の告白じゃないって」

「形ではありません。心を受け取りました。ですからボクの心も受け取ってください」


 佐伯さんはじっと考え込んでから、


「信じて良いの」

「信じて下さい」


 自分の選択に後悔はありません。ここにボクと結ばれるべき女性が現れたのです。


「シェフ」

「ボクもミチルと呼びますから、貴女もカケルと呼んでください」


 その夜にミチルと結ばれ、間もなく同棲になりました。スタッフは最初こそ驚いていましたが、ミチルが眼鏡を外し、髪形を変えると、


「見違えた」

「あんなにイイ女だったなんて」

「シェフも目が高い」


 ボクは仕事の最高のパートナーだけでなく、人生の最高のパートナーを手に入れたのです。ミチルは店での仕事ぶりは相変わらず鉄の金庫番ですが、見違えるように表情が柔らかくなってキツイ冷たい印象は消えて行っています。


 家ではどうかと言うとしっかり者の姉さん女房です。歳もミチルの方が上ですが、二人の組み合わせがどうやっても姉さん女房で、綺麗好きの世話女房なのです。年上の女房は金のワラジを履いてでも探せの言葉がありますが、まさにその言葉通りの素晴らしすぎる女性です。


 一緒に暮らせば暮らすほど人生最高の選択をしたと痛感しています。あの夜に決断できなかったらミチルはここにいなかったのです。ミチルがボクを選んでくれたことに感謝するしかありません。


「話がアベコベでしょ。選ばれたのはミチルなんだから」


 違います。ミチルがボクを選んでくれたから結ばれる事が出来たのです。そうそう夜の相性ですが、なるほどクソ上司が溺れ込んだ理由が良くわかりました。よくこれだけの女を捨てられたものだと感心するぐらいです。もっともそんな事はミチルには口が裂けても言えません。

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