ゴースト・パティシエ

 ナガトの先祖話で脱線したけど、今の話の焦点はナガトのパティシエとしての腕だよ。これを一番よく知っているのはカケルのはずだけど、


「ナガトですか? 腕以前の素人です」


 やっぱりね。じゃあ、今はコンペから精進して、


「さすがに気になって昔の仲間に聞いたことがあるのですが・・・」


 なんだって! ナガトはプレデンシャル・ホテルに異動するときに、ドゥーブル・フロマージュのスタッフを根こそぎぐらい引き抜いて行ったって!


「ええ、シェフから、シェフ・ド・パルテェ、プレミア・コミまでゴッソリです」


 ま、まさか。


「そうで良さそうです。ナガトがプレデンシャル・ホテルに招聘されるまでの実績も、プレデンシャル・ホテルで勤務してからの実績も、すべて引き抜いたスタッフのものです」


 ナガトはなにをやっているかと言えば、グラン・シェフと呼ばれる地位にいて、お菓子を作るどころか厨房に立つこともなく、講演会だとかセミナーだとかテレビ出演で名を売っているのだとか。


「ゴーストライターならぬゴースト・パティシエか」


 ゴーストライターは批判されることが多いけど、あれも必要悪な商売だと思ってる。世の中は文才があっても売れるのとは話が別になるんだよ。実力評価がシビアなスポーツの世界とは違うところになる。


「新人が売れるどころか、売り出される確率は宝くじ並みやからな」


 売れなきゃ埋れるしかないのだけど、裏道として知名度のある人間のゴーストライターとして自分の作品を世に出す方法があるぐらいよ。ここも葛藤はあると思うけど、物書きって自分が書いた文章を読んでもらいたい願望が強いのよ。


 本当は自分の名の文章を読んで欲しいけど、それが出来ないのならせめて他人の名前を借りて出すぐらいかな。そりゃ、屈折した思いを抱えるかもしれないけど、それで自分の文章が世に出るし、収入だって得ることが出来る。


 有名作家とされる人でもゴーストライターに書かせてる噂が絶えない人もいる。これは若い時は自分で書いていたのだろうけど、物書きも才能勝負の商売だから、売れる作品が書けなくなってしまったぐらいが原因になる。


 そのまま筆を折るのは潔いけど、有名作家と言う金看板は価値が高いのよ。その人の新作と言うだけでファンが確実に買うからね。そこでゴーストライターが活躍する場所が出来てくる。


 ゴーストライターは例外的な存在と言えないところがあるのよね。たとえば、作者が作品のだいだいの構想とか、おおよそのプロットだけ話して書かせる場合だってある。こういう場合はゴーストライターが書き上げた作品を再チェックぐらいするけど、出版業界的にはこれはゴーストライターに当たらないなんて見解もあるぐらいだもの。


「音楽だってあったで」


 あったあった。耳の聞こえない奇跡の音楽家として売れてた人が、ゴーストライターの作品を売ってただけってやつね。あれはちょっと複雑で、売れない作曲家が売り込みのために、耳の聞こえない音楽家をプロデュースした面もあるのが興味深かった。


「最後は報酬問題でモメた末にバレて大騒ぎになったけどな」


 だけどだよ。ゴースト・パティシエなんて初めて聞いたよ。そんなものを使ってどうするんだと思うけど、これがカケルへの敵対心の産物と思うと寒気がするよ。カケルも、


「このカラクリを知った時にパティシエの道を断念しました。ナガトがプレデンシャル・ホテルの有名パティシエとして執拗に妨害してくるのは目に見えましたから」


 さらっと言うけど、苦渋の末のものだったのはわかってるよ。ところで、もう一つの恋人の方だけど、


「亜衣には未練はないですよ」


 よっしゃってコトリがガッツポーズをするな。このクタバリ損ないが。孫みたいな歳の差の男に抱かれたいんか。


「亜衣はちょっと派手好きでワガママなところがあると思ってましたが・・・」


 なるほど、よくあるパターンだ。高額なプレゼントとかねだるタイプだね。


「ですからシェフ・ド・パルティエを目指したのですが・・・」


 熱中している間は盲目になるのが恋だもの。気持ちはわかる。愛する女の望みをかなえて気に入ってもらおうと必死になるのは貶さないよ、むしろ褒めてあげる。愛する女のためにそれぐらいするのが男だもの。


 だけどその手の女はカネがかかる。さらに言えばちゃんと打算もする。亜衣って女も最初はカケルの給料分の贅沢で満足していたんだろうけど、もっと贅沢したくなったんだろうな。


「よくわかりますね。亜衣がそうでした」


 カケルが面目なさそうに言ってたけど、それがわかったのは捨てられた後だって。だいぶ貢がされていたんだろうな。


「女性にはコリゴリって感じです」


 そんなことはない。亜衣みたいな女しかいないと思われるのは、女への侮辱だよ。そういうタイプの女が存在するのは否定しないけど、そうでない女の方が多いんだ。ここだけど、贅沢するのは勝手だよ。


「ユッキーさんもですか」

「ユッキーと呼んで。もう一回『さん』を付けたら、今日の宿代払ってもらうからね」


 贅沢と浪費癖は別なんだよ。たとえば自分への御褒美ってあるじゃない。あれはその贅沢をすることによって、次の贅沢まで頑張るぞってモチベーションにしてるのよ。倹約しまくって貯金を殖やすのが生きがいみたいな人間はかえって嫌われるよ。


「そやな、浪費癖と自分への御褒美で贅沢するのはちゃっと違うからな。収入の範囲を計算した上での贅沢は悪い事とは言えん」


 浪費癖を持つ人間は始末に負えないところがあるのよね。浪費癖のある人間は、贅沢をするのが快感になって、それが止められなくなってしまうのよ。欲しいものが目の前にあれば、我慢するのが耐え切れない苦痛になってるとしても良いぐらい。


「贅沢による快感のためなら、借金するのなんて何の苦痛もなくなってまうもんな」


 ブレーキの利かない浪費を続ければ借金するかしかないのだけど、借金も返済するより浪費する方が優先するから、雪だるま式に借金が膨らんで時間の問題でクビが回らなくなる。


「亜衣もそんな感じがします」


 だから上昇志向になるの。より贅沢を出来る相手を探すってこと。これを探し出してゲットしないと身の破滅になるぐらいの感覚が残ってるぐらいかな。亜衣に合う相手の条件はそれしかないから、亜衣はカケルを見切ってナガトに走っただけ。


「ドライですが、そうなりますよね」


 元カノへの未練はないのは収穫だった。カケルみたいなタイプは相当引きずるはずだもの。ここは念押しと言うか確認だよね。それから新しい彼女は、


「いませんって。誰が収入も少なくて不安定なフリーターを彼氏にするものですか」


 これも現実かな。男と女がいれば恋もする。だけど女の方が歳を重ねるほど計算高くなる比率が高まる事だけは女でも否定できないもの。色んな避妊法が出来ても、女には妊娠のリスクがある。


 リスクかメリットかは状況によって異なるけど、妊娠したからにはお腹の子どもの事を一番に考えるのは母性本能だと思うもの。


「そやな」


 コトリにわかるか! 五千年も女やって出産どころか、妊娠経験もゼロでしょうが。それはともかく、子どもが出来ることを考えると、女はより現実的に考えるものがある。そう、どうやって子どもを育てるかだ。


 結婚と言う形態で夫の収入も計算に入れるよ。結果的に離婚になったり、シングル・マザーになったりもあるけど、結婚する前から離婚を想定したり、ましてやシングル・マザーを最初から誰が目指すものか。


 大人の恋は中学生や高校生の恋とは違う。似たところもあるけど、恋して結ばれた先の家庭までどこかで考え計算してるもの。だから中小企業より大企業のサラリーマンの方がもてるし、エリート社員ならなおさらになるじゃない。医者とか弁護士とかに群がりやすいのもそうだもの。


「ほんじゃ、ユッキーはパスでエエか」

「わたしがそんな条件を気にするわけないじゃないの」


 これは今の境遇に感謝かな。コトリもそうだけど、男からそういう条件を外せるからね。エリート社員どころか、世に大金持ちって言われる人だって関係ない。


「ユッキー、久しぶりやんか」

「ほんじゃ、コトリは下りてくれる?」

「なんでや」


 やりやがったな。そういうことか。やっとわかったぞ。今日のコトリの不機嫌は策略だ。まんまと引っかかるところだった。わざと不機嫌になって、わたしに宥めさせ、なんとなく負い目をにさせといて、今夜は独り占めするつもりだったんだ。さすがは知恵の女神、恐るべし。この氷の女神さえ乗せられるところだった。


「どうやって決める」

「恨みっこなしの指名にしようや」


 その手に乗るか! 二人の勝負は短期決戦はコトリが有利、長期戦ならわたしが有利と骨の髄まで知ってるからね。コトリの口車につい乗せられて、何度痛い目に遭ってる事か。ダテに五千年も友だちやっている訳じゃない。


「決闘はあかんで。それこそミサキちゃんに怒られる」


 やり過ぎると、この旅館どころか指宿温泉街が廃墟になっちゃうものね。


「じゃあ、どうするの」

「とりあえず寝よ」

「それもそうね」


 明日もツーリング続くものね。

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