カケルの事情

 食事は懐石か。


「イタリアンもあるみたいやったけど、薩摩に来たら」

「焼酎だものね」


 イタリアンだって焼酎は合うかもしれないけど、一番合うのは地元の食材で作った料理のはず。薩摩料理の特徴はいくつかあるけど、米があんまり取れないから、サツマイモが中心になったことかな。


「そやから酒かって焼酎やし、それも芋焼酎や」


 九州の醤油は全般に甘いのだけど、薩摩の醤油は甘露醤油と呼ばれるぐらい一段と甘いものになってる。そうだね全体に甘めの仕上げになってる感じかな。それと琉球を支配していた関係で豚肉も早くから食べてたみたい。豚味噌なんてのもあるらしいものね。


「鶏料理も多いで」


 薩摩地鶏は有名だよね。今日の料理は京懐石みたいだけど、


「あんまりコテコテの薩摩風にしたら、県外からの観光客に合わんかもしれんから、それなりやと思うで」


 お造りの醤油が甘いのとか、豚の角煮が入ってるのとか、止碗がさつま汁なのが薩摩風の演出かな。美味しいのは美味しいけど、ちょっと薩摩料理にしては物足りないかも。そうだな京懐石薩摩風てなところね。


 でもカケルは目をシロクロさせてるよ。だろうね。元パティシエだからお菓子だけでなくて料理にもウルサイと思うけど、これだけの宿に泊まったことはないだろうしね。


「森伊蔵の三年古酒なんて初めてです」


 焼酎も蒸留酒だから寝かせば美味しくなるはずなのよね。でも寝かせるだけの余裕が経営的にないのもあると思う。だってたった三年で古酒だもの。ウイスキーみたいに十年とか寝かしたら新たな可能性はありそうだけど、


「こんなチビチビ面倒だよ」

「そやな」


 ボトルごと持って来させた。そうそうカケルの件だけど、


「とりあえず薩摩の黒豚やな」

「薩摩地鶏も忘れないでね」

「芋焼酎も適当に見繕っといた」


 業務外のプライベートの依頼だから、シノブちゃんへのお土産代が高くつくのが難点になる。


「ミサキちゃんも手を抜いたらエライ目に遭うで」


 そりゃ、怖い怖い永久女神懲罰官だからね。そんなことはさておき、カケルの事情が少しずつわかってきた。まずわかったのが、コンペでカケルに勝ったナガトがどうなったかだ。ナガトはシェフ・ド・パルティからスー・シェフになっただけでなく、


「へぇ、大阪のプレデンシャル・ホテルのシェフ・パティスリーになってるんか」


 プレデンシャル・ホテルと言えば一流も一流、超一流のホテルだよ。そこのシェフ・パティスリーになってるだけじゃなく、


「あんまり知らんかったけど、パティシエ界の貴公子とか呼ばれとるみたいや」


 あのコンペの勝ち負けがカケルとナガトの運命の分かれ道になったのはわかるけど、それにしてもの差だよね。世の中にはこういう事はままあるとは言え、ここまでの差になってるのは複雑な気分にはなる。


「さすがはシノブちゃんやな」


 ここまでは表の話みたいなものだけど、あのコンペにはやはり裏があった。これも意外過ぎたけどドゥーブル・フロマージュの経営が傾いてたんだ。あれだけ繁盛してるから思いもしてなかったんだけど、


「アホやな」


 そう思う。ドゥーブル・フロマージュが創業した時にはオーナー・シェフだったのだけど、パティシエもまた才能剥き出しの実力の世界、二代目のオーナーはパティシエにならず経営に専念していたんだ。


「ほんまにアホや」


 経営もケーキ販売に専念していれば良かったのに、誰の口車に乗せられたのか投機に手を出したんだよ。


「素人があんなリスキーなものに手を出したら大火傷するに決まってるやんか」


 わたしもそう思う。ハイリスク・ハイリターンも良いところの代物だもの。後はお決まりのパターンで、大損してその穴埋めをしようとして泥沼状態になってしまってる。クビが回らなくったところで登場したのが、


「平野ビル・グループや」


 救済融資を受けて倒産は免れたものの、実質的な経営を握られてしまってる。これは良くある話だけど、貸しビル業の平野グループがどうして、


「ナガトの苗字は平野で、ナガトの父親が平野長文や」


 そういうことか。息子のためにドゥーブル・フロマージュに投資したってことか。


「投資した時期とナガトの入店がシンクロしてるとなっとるわ」


 そういうシチュエーションでコンペを行えば、


「カケルに勝ち目はあらへん。やる前から出来レースやってことや」


 そうなるよね。店ぐるみでナガトを勝たせるようにしたって事になる。でもだよ、単に勝てば良いだけじゃない。カケルの恋人の亜衣を奪ったのは置いとくとしても、カケルのパティシエの道まで閉ざしてしまうのはやり過ぎよ。


「ここから先はシノブちゃんでも難しいわ」


 調べ出してくれたのは、ナガトが平野社長の三男坊、娘さんが二人いるから五番目で、末っ子ぐらいだものね。この辺からあれこれ想像は可能だけど、


「カケル、教えてくれへんか」


 カケルは寂しそうな顔をして、


「もう済んだことです」


 カケルはコンペに負け、恋人を奪われ、パティシエの道まで閉ざされたショックを二年かけて癒してきてる。癒すとは忘れようとしているに近いもの。そりゃ、忘れられるものじゃないだろうけど、なるべく思い出すまいとしてるはず。


 話したくない気持ちはわかるけど、やっぱり悔しいじゃない。わたしとコトリが力になってあげようって言うのだよ。カケルさえその気なら、


「ユッキー、どうどう。まず話を聞かんと」


 わたしは盛りの付いた馬か!


「馬なら発情期だけやけど、人なら一年中や」


 うるさいよ。コトリもそうでしょうが。そこから、渋るカケルを説き伏せ、なんとか聞き出せた。そうそうカケルから、


「ところで、ボクの部屋はどこでしょう」

「ここや」

「三人でも狭くないでしょ」


 カケルの顔が真っ赤になるのがおもしろい。


「いや、そうじゃなくて・・・」

「なんか問題あるか」

「二対一だから不満だとか」

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