ツーリング日和5

Yosyan

乃井野陣屋

「ここにバイク停めるで」


 これが三日月駅か。もちろん無人駅で一時間に一本あるかないかのローカル線。駅前はロータリーになっていて駅舎は小綺麗だけどね。あの信号の向こうに妙に立派な建物があるけど、あれは旧三日月町の役場ぐらいだろうな。今は平成の大合併で佐用町になってるからね。


 さて散策だけど、ここは出雲街道か。これは出雲の松江と姫路を結ぶ街道で良いでしょ。松江の先の出雲大社まで含めて良いかな。とはいえ誰も歩いてないな。


「因幡街道でもあるで」


 それもそうだ。姫路から言うと、


 飾西 → 觜崎 → 千本 →三日月


 ここまで同じだけど、三日月から平福に向かえば因幡街道、佐用に向かえば出雲街道だよ。西から言えば因幡と出雲の両街道の合流するところが三日月宿になるのよね。こういう合流するような宿場は栄えそうなものだけど、さすがに面影はないか。


「そうでもあらへんで、あの寺を見てみい」


 へぇ、失礼だけど、こんなしょぼくれた町にあれだけの寺があるのか。あれだけの寺を建てられるだけの財力があるぐらい栄えてたことになる訳よね。この道幅も江戸時代のままのはず。


「ここや」


 これが三日月宿の本陣か。こりゃ、なかなかだよ。今も個人所有なのは表札が出ているからわかるけど、さすがにだいぶ傷んでるな。それと中を見学できないどころか、案内板すらないや。


「ここは惜しいと言うか、もったいないとこやねん」


 元本陣から引き返しながら、


「こっちの寺も立派やろ」


 それなりに歴史的建築物は残っているのか。でも観光客なんて誰もいないね。だからからでもないだろうけど、観光案内所も土産物屋さんもない。


「それどころか店屋さんも、ほとんどあらへんぐらいや」


 食堂とか喫茶店も見当たらないものね。かつてはあったのだけはわかるけど、寂れ行く街ってこうなっちゃう典型にしか見えない。魚屋さんが今でも営業できてるのが不思議なぐらい。仕出し屋さんも兼ねてるようだから、法事とかの需要はあるんだろうな。


 橋が見えて来たけど、すぐ隣に立つ家は珍しいのじゃない。だって木造の三階建てだよ。それもかなり立派じゃない。神戸なんかで良く見る、切り分けた羊羹みたいな三階建てとはものが違うよ。


「コトリ、あれは」

「立派なもんやけど新しそうや。まだこれだけのものが建てられる力があるんやろ」


 橋が架けられてるの志文川って言うみたいだけど、この橋も江戸時代から同じ場所にあったんだよね。


「この川を外濠に見立てた陣屋や」


 三日月にも江戸時代に藩があったんだよ。とはいえわずか一万五千石の小藩。元禄十年に出来て、そのまま明治維新まで続いてる。言い換えればなんにもドラマがなかった藩とも言えるかもしれない。


「そう言うな。無事これ名馬や。ドラマがあったら吹っ飛んでるわ」


 そりゃそうだけど、ドラマはこの小藩なりにある。とりあえず先祖は有名人の端くれの森三左衛門可成。信長に使えて槍の三左とまで言われた人。志賀の陣の序盤で浅井朝倉連合軍と激戦を交えて坂本で討ち死にしてる。


 森可成は歴史オタクじゃないと知らないだろうけど、可成の弟はかなりの有名人。歴女のアイドル蘭丸なのよ。だから森家は戦国の荒波を生き抜いた歴戦の強者ぐらいとして良いと思う。


 三日月の森家は可成の末裔だよ。ミーハー歴女的には蘭丸の兄の子孫が現在も生き残ってる辺りにロマンを・・・感じないか。


「まあな。せめて蘭丸の子孫やったらな」


 コトリの言う『惜しい』はその辺もあるのか。可成は信長も目を懸けていたで良いはず。この辺は秘書に蘭丸がいたせいもあるけど、ちゃんと続いてる。さらに本能寺から秀吉時代になってもちゃんと取り入ってるのよね。


「結果だけ言うたら信州川中島十三万石の大名になっとるからな」


 秀吉から家康の時代になっても機敏に動いて、最終的には作州津山十八万石だものね。戦国大名としては成功した方だと思うよ。だけど、そうは問屋が卸してくれなかった。相続に失敗して改易、つまりお取り潰しになってるんだ。


「紆余曲折はあるんやが、支藩の二つが生き残っただけやなく、本家も二万石で復活しとる」


 復活した森の本家の方だけど、ちょっとだけ歴史のメインステージの端っこをかすってるかな。播州浅野藩が殿中松の廊下で改易になった後に、赤穂の藩主になってるからね。赤穂城は播州浅野家がかなり無理して建ててるけど立派なお城なんだ。


「本家への配慮として城持ち大名にしたんかもしれんが・・・」


 赤穂城は播州浅野家五万石でも過剰だったけど、森家二万石ではなおさらの代物。それだけが理由じゃないかもしれないけど、赤穂の森家は財政が困窮して明治維新に至るだものね。つまりは貧乏に苦しみ抜いたぐらい。


 三日月の森は分家だけど、おもしろいところに陣屋を建ててると思う。大名と言ったらお城があって城下町みたいなイメージだけど、


「ユッキーもおもろいところに目を付けるな。三日月の場合は先に宿場町があって、それに陣屋を隣接して作ったことになるもんな」


 三日月宿は志文川の南だから、川を渡った野原に陣屋を作ったぐらいよね。その野原が乃井野だから乃井野藩とも乃井野陣屋とも呼ばれたはずなんだ。この陣屋だけど小さいけど城郭構造だけは持っているのも興味深いところよね。


 志文川を外濠にして、この橋を渡ったところぐらいが大手門だよね。古地図でも馬出みたいなものが描かれてる。その中に武家屋敷が広がってるのだけど、これも二つに分けられてるのよね。それがこの門だ。


「残ってるのが凄いよな」

「かつては両側に塀が続いてたのでしょうね」


 明治維新の時にお寺に移築されていたのが改めて元に戻されたとなってる。つまりこれを境にして、南側が下級武士、門の中が上級武士の屋敷があったぐらいのはず。言い換えれば南側が三の丸、北側が二の丸みたいなもの。そして本丸は、


「あれは立派やな」


 こ、これは想像していたよりずっと立派なものだよ。これは二つの櫓門と、それに連結する二階建ての長屋とでも言えば良いのかな。


「真ん中の門の左側にある窓のある所だけが本物や」


 それ以外は復元だけど、実は乃井野陣屋の主要構造物は江戸時代からあれだけだったのよね。


「それは言い過ぎやろ。あの後ろに本丸屋敷があったんやから」


 でも、姫路城並みの復元率と言えるじゃない。藩主の屋敷なんてどこも残ってないもの。近づくと、どれだけ力を入れて復元しているかよくわかるよ。前の堀と言い、そのまま時代劇のロケに使えそうなぐらい。


「中も入れるで」


 定番の資料館にもなってるけど、柱も立派だよ。こっちは、


「乃井野陣屋で唯一生き残った物見櫓や」


 二階に上がると畳敷きか。真ん中に敷居があるから、奥が上座で、手前が下座だろうな。床の間もちゃんとあるけど、この違和感は、


「コトリ、これって座敷そのものじゃない」

「そやな。北側の窓なんか、こんなに大きいで」


 そうなのよ明るくて開放的なんだよ。ここでお茶したり、月見の宴やっても似あいそう。


「藩主の別邸みたいなもんかもしれん」


 別邸はどうかと思うけど、ちょっとした秘密基地みたいなものかも。こんな小さな藩でも藩主の暮らしって堅苦しいものだろうから、ここでささやかな気晴らしをやっていたのかもしれないね。


「コトリもそんな気がする。とにかく殿中の暮らしは窮屈やったやろし」


 江戸時代の大名と言えば参勤交代だけど、江戸屋敷には正室もいるし、嫡子だって原則として江戸屋敷で育てられるんだ。江戸屋敷の家臣も原則として世襲だから、覚える言葉も江戸弁になるし、いくら殿中に居るとはいえ江戸の華やかな暮らしを知ることになる。


 そんな嫡子が藩主になるとお国入りするのだけど、国の連中は訛りも違うし初対面みたなもの。この辺は藩によって違いがあるだろうけど、お国の方がより退屈だった気がするもの。


「江戸時代の大名家は藩主がボンクラであっても問題ない体制を敷いてるからな」


 藩主の権限は建前として独裁権はあるけど、その権限は実質として封じられ、やってる仕事は江戸城で粗相をしないようにする事と、


「子作りや」


 さらに時代が下るほど貧乏になるから、どこの藩も慢性的な質素倹約状態になり、食事だって侘しい一汁三菜どころか二汁もあったとか。どこかの藩主なんて、年に一度か二度しか出ない鯛の塩焼きの大きさでもめて、藩主から引きずりおろされた話が残されているぐらいだもの。


「大名の暮らしって贅沢のイメージがあるけど、あれって安土桃山時代のものよね」

「そやな桃山時代から、せいぜい家光の時代ぐらいまでやと思うで」


 そんな殿様稼業のわずかな楽しみが、この物見櫓に凝縮されていると思うと感慨深いよね。それはともかく、本当に誰も来ないのね。今日は日曜日だよ。それなのにコトリと二人しかいないじゃないの。


「だから言うたやんか。ここは惜しいと言うかもったいないとこやねん」


 これだけのものを建造したのは、かつてを偲ぶのもあるだろうけど、やはり観光開発のはず。だからここまで気合の入った復元をしてるはずだよ。それに、これを作ったのは旧三日月町じゃない。


 旧三日月町の財政負担も半端なかったはずよ、当然だけどセットで回収も考えていたはず。でもいくらお役所のやることでも、この結果はあまりにも無残過ぎる。


「そうなってもたんは、一つは三日月町がなくなってもたんはある」


 平成の大合併か。佐用町になっちゃったから、三日月なんて端っこだものね。それでも、


「場所もようあらへん」


 京阪神から遠いか。姫路からだって近いとは言えないぐらい。今日だってポーアイから三時間は余裕でかかったぐらいだもの。クルマなら中国縦貫道を使えば早くはなるだろうけど、


「ここだけ見に来るには遠いで」


 それは言えてしまう。それならどこかとセットにするのが定番だけど、たいしたものはないよね。わたしでも思いつかないもの。


「そんなとこや。そやけどもう一つある。この陣屋には歴史ロマンがあらへん」

「お腹減ったね」

「そやな」

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