第16話

ものの数分でチャーハンは美味しく出来上がった。自分で作った料理を好きな女の子に食べて貰うなんて夢のようだ。

出来上がったチャーハンは専用の皿に移し、食卓に置く。食卓の前には腹の虫を鳴かせ続ける海凪が目を輝かせて、待っている。


「いただきます」

「どうぞ、召し上がれ」


余程お腹が空いていたのだろう。バクバクとチャーハンを口の中へ運ぶ。急いで食べ過ぎて、頬が膨らんでいる。


「——凄い食べっぷりっですね」

「もっさい(うっさい)‼」


頬が膨らんで、ちゃんと喋れてない。俺は微笑ましく海凪のお食事を見守る。ちゃんと水を飲まないと喉を詰まらせちゃうぞ。


「——ごちそうさま」

「お粗末様です」


あっという間に平らげた。皿には一粒残ってない。


「なんかゴメン——。勝手に家に上がって、ご飯まで作らせちゃって」

「別に気にしなくてもいいですよ。そもそも家に上がらせたのは俺ですし、ご飯を作ったのも俺の意志でやったことですから」


海凪はすぐに頭を下げたがる。日常的に謝り過ぎて癖になっているようだ。

俺は彼女のつむじよりも可愛いお顔が見たい。慌てて頭を上げさせる。


「結局、家出の理由はなんですか?」

「今日は家に帰りたい気分じゃなかった——。ホントにただそれだけ」


海凪はチャーハンを流しに入れ、代わりにホットココアを淹れてあげた。コップを両手で掴み、ちょびちょびと飲み始める。


「やっぱ、お父さんが原因ですか?」

「それもあるかもしれないけど違う。単純に消えたかった」

「ちょ、新しくできた彼氏を置いて勝手に死ぬなんてダメですよ! まだ藤春さんには彼女として俺を幸せにする義務が残っているんですから」

「アンタが私を幸せにするんじゃなかったの?」

「カップルはどちらも幸せにならないと意味がありません。このまま藤春さんが消えてしまったらお互い後悔しか残りませんよ」


海凪は潤んだ瞳でホットココアから上がる湯気をジッと見つめる。物思いに耽っている様子だ。


「アンタ、ホントに私の事が好きなんだね」

「もちろん。そうじゃなきゃ、転校二日目に付き合おうだなんて言いませんよ」

「フフフッ、確かに」


家に着いた時と比べて海凪の表情がだいぶ和らいできた。晩御飯を食べていいん感じに緊張がほぐれたのだろう。


「そういや今晩、私が寝る場所はどこ?」

「俺のベッド使ってください」

「えぇ〜、なんか汗臭そうでイヤだ」

「そんな事言ったら、俺泣きますよ」

「じょーだん、じょーだん。遠慮なく使わせてもらうね」


やっと軽口を叩けるまで落ち着いてきた。

俺の顔を見てニコッと笑う。


「藤春さん」

「なに?」

「そろそろアレ聞いていいですか?」


話すネタが思いつかなかった俺は再びあの話を直球で切り出す。


「水戸さんを虐めた理由を教えてください」

「――」


海凪は神妙な顔付きに戻り、コップに口をつける。

静かに深呼吸して、ゆっくりと口を開いた——。


◆◆◆


「藤春先輩、藤春先輩! 今日も練習に付き合ってもらえませんか?」

「わかった、わかった。付き合うから取り敢えず落ち着いて——」


水戸涼花は飼い主に尻尾を振る子犬のようで、可愛い後輩だった。

見た目の雰囲気はお嬢様だが、ちょっとおてんぱ。部活では私の身体にまとわりつくようにいつも行動を共にしていた。

涼花との出会いは体験入部の時。彼女の走りに才能を感じた私は即陸上部に誘った。始めこそ二人の間に見えない壁があったが、たった一週間で打ち解けた。


「——藤春先輩はいつも美人でカッコイイです。私が男だったら、もう告白してます‼」

「こら、変なこと言ってないでちゃんと練習しなさい!」


私が何をしても涼花は褒めてくれる。特に私が練習に打ち込んでいる姿は画になるらしい。


「——いつも私のこと褒めてくれるけど他の部員と比べたら全然だよ。未だに大会で結果残せてないし」

「別に結果なんてどうでもいいんです。私は自分の目標のためにがむしゃらに努力する藤春先輩が大好きなんです!」


後輩に慕われるのは本当に嬉しかった。だが同時に素直に喜べない自分もいた。

本来、凡人の私は後輩に慕われるような人間ではない。特に水戸涼花のような人間は私といるべき人種ではない。


「――藤春先輩と私ってどこか似てますよね」


違う――。確かにお互いに努力家という共通点はある。趣味嗜好もほとんど同じ。厳しい家庭環境も同じ。なんとなく顔立ちも似ている。でも藤春海凪と水戸涼花には決定的な違いがある。

それは“才能”だ。水戸涼花には才能があり、藤春海凪には才能がない。同じ努力家でも結果が全ての世界では藤春海凪という女はどこまでも無能に過ぎない。


「——そんなに自分を卑下しないでください。先輩を慕っている私が惨めみたいじゃないですか」


卑下していない。これは自分を客観的に見た評価だ。


「——今までの努力はいつかきっと実る時が来ます。もう少し辛抱です」


彼女の励ましの言葉に根拠がない。努力が実らないまま天命を全うした人間は全国にごまんといる。恐らく私はその中の一人なんだ。


「どうか腐らないで部活を続けてください。お願いします! 私、藤春先輩がいない陸上部なんて行きたくないです‼」


スランプに陥った私が冗談半分で部活を辞めたいと言い出したあの日。涼花は全力で私を止めてきた。藤春先輩は部活に欠かせない存在だと言ってくれた。

いくらなんでも買い被り過ぎだ。私なんか居ても居なくても変わらないのに。


「——私は先輩のアドバイスのおかげでタイムが伸びたんです。だから先輩もいつか、結果が出ますよ。だって先輩は私の“鏡”ですから」


水戸涼花は自分と藤春海凪の姿を勝手に重ねている。藤春海凪に対して感情移入し過ぎて、我が事のように感じている。似ても似つかない私と同化しようとしている。

それに気づき始めたのは彼女が入部して二月(ふたつき)ほど経った頃だった。


「——私ができるなら藤春先輩だってきっとできますよ」


これ以上自分と重ねないで欲しい。才能がある自分を基準にして私を評価しないで欲しい。

藤春海凪は水戸涼花とは全く違う。水戸涼花ができることでも藤春海凪にはできないことだってある。恐らく大半がそれだ。

私は涼花に慕われ、期待され続ける状況が耐えられなかった。

私には才能がないと早く気づいて欲しかった。早く私を見限って欲しかった。

徐々に一人で練習していた頃を羨み、今の状況を恨むようになった。


「——今日は一人にさせて」

「えっ、なんか私、先輩を怒らせるようなことしましたか?」

「ううん。単純に今日は一人になりたい気分なの」


ある日を境に涼花を避けるようになった。このままこの関係が続いたら、私の理性が持たない。自暴自棄になって暴走してしまう。嫉妬に狂って涼花に危害を加えてしまう。

でも、涼花は私の気も知らないで関わろうとする。半ば突き放したところで彼女はめげない。自分と重ね続け、私に期待し続ける。


「——私がこの世で一番尊敬している人は藤春先輩です」


他の部員はとっくに帰った夕暮れの放課後。とびっきりの笑顔で涼花はそう口にした。

その言葉を聞いた直後、頭の中でプツンと何か切れる音がした。視界に映る涼花の笑顔が黒く荒んで悪魔に見えた。

その日、涼花がいないタイミングを見計らって更衣室にあった彼女のユニフォームをゴミ箱に捨ててしまった。これは本当に無意識だった。いつの間にか涼花のユニフォームが手にあって、勝手にゴミ箱へ入れてしまった。

自分が自分でなくなる瞬間——。後悔と同時に“痛快”を感じた。

目の前の鏡を見ると口の端を吊り上げる新しい“藤春海凪”が映っていた。











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