【エピローグ】

『ねえおかあさん、あめだよ。どうするの?』

『それじゃあ、お歌を歌いながら帰りましょうか』

『する! あめあめふーれふーれかあさんが……』


『『じゃのめでおーつかいうれしいなー』』


『あら、奇遇ですね。お子さん、おいくつですか?』

『四歳です』

『うちの子もなんです。偶然って重なるもんなんですね』


『ぼく、あさひ。なまえなんていうの?』

『わ、わたし……も——』



“緊急避難警報は解除されました。以下の地域では引き続き断水と……”


“見てください! ほんの数時間前までは傘もさせなかった場所ですが、ご覧のとおりお天道様がお顔を見せています!”

 

“そんなんで天気が変わっちゃったら、僕の責任は強すぎる!”


“続きまして、夜のお天気です。全国的晴れが広がるでしょう。太平洋側では……”



 まぶたを通して暖かい光が目に当たる。徐々に拡散して俺にこう思わせた。

「眩し……っは!」

 ばっと体を起き上がらせた。体はそれをよしとせず、全身に激痛が走った。あのとき、いつの間にか気絶してた。覚えているのは空が見えたこと。地面に立っていたはずなのに前後左右の感覚が狂わされた。

 上を見上げると木漏れ日がまばらに降り注いでいた。蒸し暑さがいつもより増している。

「終わったんだな……」

 霞のようにぼやけている頭をあちらこちらに向ける。さすがにあの災害のせいで一般の人は外に出ていなかった。聞こえるのはやり止まない車の防犯ブザーとセミの鳴き声だ。

 そういえば、この上着ってだれのだろう。

「よう、目が覚めたんだな」

「わぁ! ってズーウェンさんか……」

「文末が気になるなぁ」

 ベンチで寝ていたズーウェン字さん。ずっとここにいてくれたらしい。

 彼によると、第零班は手も足も出ず壊滅した。あの男が即死の術を発動したとき、陛下が間一髪のところで全員を助けてくれたらしい。さらに途中から発生したてんの討伐や天気の調和もしてくれたそうだ。

 他の班や医療班、結界師が事後処理をしている。

「まあそういうこった。お前はゆっくり休んどけ。俺は向こう手伝ってくるから、そいつを任せたぞ」

「そいつ?」

「じゃあな」

 指さすほうをゆっくり目で追うと、まこもさんが横たわっていた。しかも俺の真隣。

まこもさん!」

 上着は明らかに彼女のじゃなかった。これは陛下のやつだ。彼女の傷はただならないものだった。全身に火傷の痕がある。水膨れになってるやつ、水膨れが破裂して傷口が見えているやつ。皮膚が赤くなっていのも火傷が原因だろう。

 それだけじゃない切り傷や打撲の跡もある。直視するのを躊躇うほどボロボロだった。静かに上着をかけた。

 息はしているようだ。とても安らかに眠っている。少し近づいて頭を撫でる。

「頑張ったね」

「ん、ん……」

まこもさん……!」

 傷に触れないように優しく声をかける。まぶたが少し動いて、眩しそうに顔をしかめる。

「あれ……肉まんは……」

 開口一番、なんとも彼女らしい言葉だった。それが聞けただけでうれしかった。目の前が霞んで涙が溢れる。また大切な人を失うんじゃないかって思った。本当に、本当によかった。

 起きあ上がろうとする彼女を止めようとする。でもいつもの口調で「大丈夫」と言った。

 ふたりで木の幹に寄りかかって、ぼんやりと公園を眺める。

「終わったね」

「うん」

「暑いね」

「うん」

 お互い疲れているせいか、まともな言葉が出てこない。さっきのうれし泣きで語彙まで流れていってしまったらしい。地面をは泥だらけ。地べたに座ってるとお尻が濡れる。でもそんなのどうでもいい。

「なぁ蓬木よもぎ、体大丈夫か?」

「いたるところが痛いけど、回復陣のお陰でなんとか」

 起きたとき、陣符の使用形跡があった。確かにそれを使わないと体を動かせなかったと思う。それはまこもさんも同じだろう。応急処置だけど、ある程度の傷と痛みは緩和されている。

 それに、まこもさんの寝起きのような声が耳に優しい。

「私な、お前がやられたとき、すごく怖かったんだ。また大事な人がいなくなるんじゃないかって。それ以降の記憶はないんだけど」

 ぽつりぽつりと小雨のように話し始める。頭を木に委ねて、空を眺める。

 不思議と気持ちは同じだった。まこもさんもそう思っててくれたんだ。それを言葉にされると胸がざわつく。

「初めて会ったときもこんなんだったな。お前は死にすぎなんだよ。はらはらさせんな。だから……」

 頭を俺の肩に乗せて言の葉を手渡す。


「ありがとな。無事でいてくれて」


 向こうの世界に行ってからだ。生きているだけでよろこんでくれる人がいる。それだけじゃない。テストでいい点数を取ったときも、料理が上手に作れたときも、アイスの当たりが当たったときも。まるで自分のことのようによろこぶ人が周りにいる。

 よくも悪くも正直者で、あずまたみみたいに裏と表がない。だから他人との距離が近づくんだと思う。表面上ではなく、もっと深い場所で。それをきっと絆とよぶんだろう。

 彼女の言葉が全身を巡る。無意識に口が緩んでしまうほどに。また泣きそうになる。こんなに泣いてばかりいると、泣き虫って言われそうだ。

 鼻をすすって、涙を堪える。彼女がそうしたように、俺も身をあずける。

「こちらこそ」

 こういう気持ちをなんていうんだろう。

 木漏れ日がチラチラと顔に当たる。だんだんと眠くなってきてまぶたを閉じた。



「おーいあさ、そろそろいくぞー……って。まったくこいつらは、世話がやけるねぇ」


  ◯


 数週間後、医療班の集中治療により第零班のメンバーが全員復活した。戦闘服も新調して気持ちも晴々としていた。

 今日は第零班全員が王室に呼ばれている。しかも正装ではなく、戦闘服で来るようにと指示があった。

「挨拶はいい。今日はよく来てくれた。そして、無事でなによりじゃった」

 陛下の言葉を聞いて、ようやく帰ってきたんだなと感じた。みんな揃っているという安心もあると思う。あの災害を乗り越えた仲間がここに募っている。

 これ以上心強いことはない。

「わしから伝えることは三つじゃ。ひとつ目は……」

 というと、席を立ち、俺たちの前までやってきた。


「すまなかった」 


 深々と頭を下げて懺悔の言葉を述べた。それに驚かない人はいない。皆口々に「おやめください」「おあげください」など必死で陛下の頭を上げさせた。

 ゆっくりと姿勢を戻して、言葉を繋げる。

「今回はわしの采配ミスじゃ。まんまと敵の罠にはまってしまった。それでみなを危険な目に合わせてしまった。本当にすまなかった。許してくれ」

 建前でないことはだれもがわかった。それに俺らの返事は決まっている。みんなを代表してフーヤンさんが答えた。

「大丈夫ですよ。第零班一同、陛下を、サン班長を必要としています。たとえ波に飲まれようとも、嵐に巻き込まれても、私たちはあなた様の手足です。天の気が赴くままに、一生ついていきます」

 はっとした表情を浮かべた。ひとりずつ班員の目を見て、フーヤンさんの言葉を噛み締めた。

 胸に手を当てて目を閉じる。深呼吸をしていつもの表情に戻った。

「コホン、それじゃあ気を取り直すかの。えーっとふたつ目じゃったな。ふたつ目はあの男についてじゃ」

 また空気が変わった。厳かな雰囲気というより、空気が張り詰めていた。ここにいる全員が対峙した謎の集団。どこの国なのか、気象師なのかまったくわからなかった。名前さえも知らなかった。

 ひとつ言えるのはそれぞれの戦闘力が桁違いだったこと。対人戦に慣れている動きだった。

「あいつの名前は“五”。わしの古い知り合いじゃ。昔は腕のいい気象師じゃった。しかしあることがきっかけで、“天永教”に入った。天永教のことは今は言えん。すまんがの。しかしこれだけは言う。やつらは敵だ。これからはてん以外にも、やつらと戦うことになる。心してくれ」

 その天永教のアジトが見つかればゆうも見つかるかもしれない。救助に向けて、一歩前進といったところ。それで浮き彫りになることがある。今のままでは実力不足ということだ。

 俺が戦った五という人の力は破壊的だった。俺が気絶しているときのはなしを聞くと、どの敵も独特な能力を持っていたらしい。

 そして二対一でも敵わなかった。災害は丸く収まったけど、苦い結果となった。

「それと、三つ目を話すまえに……あさ、お前に問う」

 すっとまっすぐな目を向けた。伸びていた背筋をさらに伸ばす。

「天永教の狙いはお前と妹じゃ。この先、いくたびも彼らと戦うことになるじゃろ。それでもわしについてくるか」

 この質問は二回目だ。陛下の言いたいことはわかる。今回急に接触してきたということは向こうにも事情があるということ。東にいても華仙境にいても襲われる可能性がある。

 もちろん、怖い。死にたくないと膝が震える。俺がへまして捕まったらみんなに迷惑がかかる。天永教の目的を果たしてしまうかもしれない。

 手を強く握る。これが俺の覚悟。


「もちろんです」


 その言葉を待っていたかのように、にっこりとした。

 椅子から立ち上がって、右手を掲げた。

「三つ目! 現在、札幌東区でてん発生中。現場から地盤沈下が起きたと報告があった。ただちにそれを処理せよ! 向かうのは……わしにジャンケンで負けた人!!」

「え、え??」

「ジャンケン……」

 戸惑っているのは俺だけだった。考える暇もなくジャンケンが始まる。慌てふためいて、ルール自体忘れてしまった。どんな形の手を出せばいいんだっけと頭でグルグル思考する。

 陛下の元気な「ポン!」で全員が出す。陛下はパーだった。グーを出したのは……。

「それじゃああさタオファ、よろしく頼むぞ」

 無惨にも負けたグーを見つめる。偶然にも隣にいるまこもさんも一緒だった。任務に行くこと自体は問題ない。けど罰ゲーム感が否めなくて普通に悔しい。

 他の人は放課後のチャイムが鳴ったようにそそくさと帰っていった。

「よろしく頼むよ、相棒」

 ジャンケンで出した左手のグーをそのまま俺に向ける。じっと俺の目を見つめている。

 色白で幼い顔、耳には大きなピアス。そして男勝りな口調。最初に出会ったころと変わらない。


 変わったのは俺の中身だ。


「こちらこそ、相棒」

 拳をコツンッと合わせた。どこからか取り出したジャケットを羽織って、部屋を出る。ポケットに手を入れてガムを放り込んだ。

 ふーっと膨らんだ風船を割って口に戻す。

「ふー……」

「ん? どうしたの?」

 なにか悩んでいるのか、伏目になってため息をつく。

 ガムを数回噛んで、俺の背中を思いっきり叩いた。

てんまで競走!! 負けたら肉まん奢りだかんな、あさ

「え、今なんて……」

「うっせ! ぶっ殺すぞ蓬木よもぎ!」

 王宮の廊下を走る。第零班のメンバーを追い越して、さらに走る。まったく、まこもさんの考えていることはわからない。コロコロ変わるのは天気だけで充分。

 風が吹いて、髪をさらう。前を走る彼女の背中を追って廊下を走る。太陽に照らされた彼女の横顔には花が咲いていた。

「ほら早くしろよー」

「ちょっと待ってよ!」

 天気も気分もコロコロ変わる。一秒後にはなにが起こるかわからない。でもこれだけは言える。今の俺たちは……。


 快晴だ。

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