第2章 空、シエロ(1)

1

 聖竜暦1260年9の月15の日――

 メイシュトリンド王国西方国境警備隊駐屯地。



 駐屯地から少し先にゲインズカーリとの国境関門が見えている。

 その先に見えるゲインズカーリ側の国境警備隊駐屯地も見えているのだが、互いににらみ合いを続けてすでに10数年が経過していた。

 かつて、ゲインズカーリ軍はこの国境を越境し、この先のキリルドを急襲、一時占拠するという事が起きた。

 先遣隊として放たれたキリング将軍の部隊は壊滅の危機に追い込まれたが、フューリアス・ネイ率いる『メイシュトリンドの黒い悪魔』がその危機を救い、キリルドを奪還、ゲインズカーリ軍を潰走させた。



 その漆黒の鎧を身に纏い、腰には漆黒の長剣を帯びる一人の壮士がここにいた。

 彼は若くして、メイシュトリンド王国の将軍についた戦略の天才だった。幼き頃よりフューリアス・ネイに師事し軍略を学び、キリング将軍のもとで働きその才を発揮し、執政ゲラート・クインスメア直伝の交渉術を身に付けている。

 このメイシュトリンドの三傑と称される3人から寵愛を受けて育ったこの青年は、生まれは元ヒューデラハイド王国の小村エリンだった。


 彼は「聖竜の晩餐」の唯一の生き残りだ。

 かつてエリン村が「聖竜の晩餐」の対象となり、赤炎竜ウォルフレイムによりすべて焼き払われた時、その村唯一の生き残りとして当時まだゲラートの食客であった、フューリアス・ネイによって保護され、ゲラート・クインスメアにかくまわれた。


 ゲラートはその後、彼を養子として迎え入れ、クインスメア家の正統後継者として国王カールスから正式に貴族会への参入も許されるに至る。



 シエロ・クインスメア。

 今年で28歳になる。メイシュトリンド王国軍将軍。


 11年前、ヒューデラハイド滅亡後、解放軍と呼ばれていた現在のグランアルマリア政府首脳部は、元王国兵による反撃にさらされることになる。

 革命は成功したが、王国に仕えていた一部の者たちはすぐにはこれを受け入れることができず、解放軍が目指す新政府の樹立に反発を見せ、各地に集結してはその地の元領主を担いで、新王を樹立せんという動きを見せるようになった。


 フューリアス・ネイ率いるメイシュトリンド軍は、解放軍メイシュトリンド国家間の密約にのっとり、早急にこの地での紛争排除・治安回復という名目で、その王国残党を滅していくことになる。

 シエロはここで頭角を現した。

 このまだ若い少年は巧みな戦術とその剣の技術で部隊を鼓舞し、常に部隊の先陣を切って戦った。彼の率いる部隊はその勇猛さと知略によりまさしく百戦百勝、無敵の部隊として反乱軍を恐怖に陥れた。

 

 戦場にある彼の姿を目撃したものはのちにこう語ったという。

「漆黒の鎧を身にまとっているにもかかわらず、戦場にあるあの人はまばゆいばかりの光を放っていたんだ――。これは本当の事だ、例え話じゃないんだよ。本当に輝いていたんだ」


 新政府樹立の為、解放軍は中央議会を設置し、代議士選挙を行い、議会の代表つまり国家代表を選出する。

 初代国家代表は予定通りミュリーゼ・ハインツフェルトとなった。


 この頃にはすでに各地で蜂起する集団も少なくなっており、防衛対象は彼女という一人の人間へと変遷してゆく。街に潜伏し彼女を亡き者にしようとする暗殺者集団からの警護が主体となった。

 ここでもシエロは存分に働いた。


 ある時、ミュリーゼが郊外の特殊田畑の候補地を視察していた時のことだ。不意に数名の暴漢に囲まれるという事態が発生した。

 暴漢たちは旧領主家の残党だと口にしながら、ミュリーゼを狙って斬りかかってきた。周囲の政府関係者がミュリーゼを守るべく奮闘するが数が多い暴漢たちの襲撃に耐え切れず数名が命を落とすことになった。

 シエロは自分の部隊の部下3名と共に奮闘し、最後の暴漢を切り倒した時には、あたりは血の海となっていた。

 この襲撃により命を落としたものは、政府関係者4名、暴漢13名だった。


 これ以降、ミュリーゼ警護の任を続けたシエロは、幾度となく暴漢と対峙したが、部下と政府関係者にただの一人の死者も出さなかったという。

 記録によると、打ち倒した襲撃者の総数は、実に243名にも上った。

 

 彼の存在は国家全土に響き渡り、ミュリーゼの暗殺計画を起こすものはいなくなった。

 シエロはミュリーゼ警護の任にあたりつつ、反乱軍の捜索と捕縛に奔走した。


 当時の彼のことを、反乱軍の者たちはこう呼んでいたという逸話がある。


「漆黒の死神」――。


 彼ら解放軍の中で、彼の姿を前にしたもので生き残ったものはいないという意味の暗喩あんゆである。


 そうして、ミュリーゼの任期が終わるまで4年の間、シエロはミュリーゼと行動を共にすることが多かった。




 年頃の男女が近くにいれば自然の成り行きでそうなるものだ。


 任期を終えたミュリーゼとシエロは互いを特別な人と認識していた。

 しかしながら、立場に隔たりがある二人がすぐに寝食を共にする夫婦となることはむずかしい。


 しばらく時間が必要だ。


 そうしてシエロはメイシュトリンドへ戻っていった。ゲインズカーリがまた国境を越えて侵攻を開始したというのだ。国境警備隊隊長の任を与えられたシエロにこれを辞退する正当な理由はなかった。


 


 


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