第5話

「いいひとがいるのよ」

 瞳が遠くに住む親にそう言われたのは、剛と何回目かに会ったあとだった。

「一度だけでも会ってみない?」

 それは見合いということか、と瞳は親に聞いたが、はぐらかされるばかりで会話にならない。

「それとも、お付き合いしてる人がいるの?」

 剛の顔が浮かんで、消えた。

 このまま剛と身体の関係を続けていても、結婚できる見込みはゼロに近い。

 どうしても結婚したいわけではなかった瞳は、一度は親の申し出を断ったが、その話が親の勤める会社の上司からの話であることを知り、顔を立てるために一度だけという約束で会うことになった。

 だが向こうからやたらに気に入られた瞳は、断ることができなくなってしまった。

 とんとん拍子に付き合うこととなってしまい、剛と身体の関係を続けながら見合い相手とも会うことを繰り返し、瞳は正直、どちらをとったらいいかわからなくな

っていた。

「――お見合い、したんです」

 ようやくそう話せたのは、もう何度目の逢瀬のときだったろうか――。

「お見合い。結婚するの」

「そうなるかも、しれません」

 瞳は苦しそうにそう言った。

「結婚したら、会えなくなりますね?」

 つい、と、剛の指先が動いて、瞳を羽交い絞めにした。

「っ」

「そうだね。その前に、俺はお前に爪痕をたくさん残そう」

「あぁっ……」

 覆いかぶさる剛に、瞳は抵抗ができない。

 否、抵抗するつもりは最初からなかった。



 誰にも言えない二重の付き合いが続いて、一年が経ったある日。

 瞳はサイトに接続し、剛とコールした。

「どうした、ミハル?」

 淡々とした剛の声に、やはり嘘はつけないと感じる。

 絞り出すように瞳は言った。

「結婚することに、なりました」

『そう……』

 剛の苦しそうな声が電話の向こうから聞こえる。

『それじゃあ、もう、会えないね』

「会えませんか?」

 無理なのはわかっていて、粘ってみる。

 この数年で、すっかり自分から生真面目さは消えてしまったかのようだった。

『人妻には手を出さない。俺のポリシーだ』

 電話の向こうで剛が胸を張っているような気がして、瞳はくすりと笑う。

『俺のことは忘れて、しあわせになれ』

「ずるい」

『何がずるい?』

 あれだけ鮮烈なものを残しておいて、と瞳はつぶやいた。

「どうしたって、忘れられません」

『言ったろう。俺の爪痕を残したまま他の男のものになるのを見るのも悪くない』

 爪痕。

 確かにそれは、瞳の記憶にも、身体にも、しっかりと残っていた。

『サイトは辞めるんだろう?』

「ええ。――辞めます」

『じゃあな』

「ええ」

 別れの言葉はすっきりとしていた。

 涙は合わない気がしていたし、引き留めてどうにかなる相手ではないことは、瞳自身がよくわかっていた。

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