第3話

一週間後の夜中、不機嫌丸出しの顔で部屋に帰ってきたローディは小型レコーダーを投げ渡してきた。


「どうだった」


 俺の言葉を無視してベッドに寝転がり、まあ聞け、と言わんばかりの態度でローディは顎をしゃくる。エドに渡す前に聞いていいものか一瞬迷ったが、俺もニコラスとローディが何を話すのか興味があった。

 柄にもなく緊張しながら、再生ボタンを押す。

 コンコン、というのはドアをノックする音だろうか。おそらくドアが開き、足音が聞こえる。


『ああ、サム』


 俺は一時停止ボタンを押し、顔を上げる。


「お前、あいつにサムって呼ばせてるのか」

「向こうが勝手に呼んでくるんだ」

「そうかい」


 ローディは俺が知り合った時にはもうこのあだ名で呼ばれていた。フルネームを聞かされたのは出会って半年後ぐらいか。

 サミュエルともサムとも呼んだことは無い。


「まだ妬いてるのか」

「永遠に妬いてるよ」


 わりあい本気で言ったつもりだったが、ローディは大きな声で笑ってから再び再生ボタンを押した。


『遅かったな』

『悪い』


 ローディの声は気安い。


「そういえばどこなんだ、ここ」

「あいつが指定してきた店。飯食う暇もなかったけどな」


 不機嫌の半分は空腹なのかもしれない。戯れにへその辺りを押してやるとぐるぐると蠕動している気がする。


「ピザでも頼むか」

「いいな、それ」


『それで? サム、あんたの方から時間作れなんて言って来るのは珍しいじゃないですか』

『わざわざ忠告してやろうと』

『エドに何か言われました?』

『まだ確証は無いが、とよ。怪しまれてるぜ、お前』

『でしょうね。情報を集めさせてたうちの一人に連絡が取れない。今頃は犬の餌かも。事を構えずに済むならそれに越したことはないんですけどね。銃弾だってタダじゃないですから』

『嘘つけ、穏当に進める気なんか無いくせによ。どれだけ武器と人と揃えてるのか知ってるんだぜ』

『俺はあんたと一緒で我慢が嫌いなんです』

『「子供の頃に我慢をさせ過ぎると大人になってからおかしくなる」ってわけだ』

『また砂糖のサンタクロースにあんたの「お気に入り」の話ですか。本当にその話好きですね』

『なんだよ、やきもちか』


 聞き覚えのあるフレーズだな、と思った。人の耳を引っ張って気を引こうとするような甘えの声音。


「ローディ、俺の話をそこらじゅうでしてるのか?」

「そこらじゅうじゃないし、ペットの自慢みたいなもんだろ」


 ペットと言われて別段気を悪くするわけでもない。恋人というのも友達というのも部下と上司というのも違う。

 ただ俺の話をこの男にどんなふうにするのか気にかかった。


『そのサンタの話、もう止めたらどうです』


 録音の中のニコラスの声が、ノイズ越しにもはっきりわかるくらい機嫌が悪くなった。


『なんで?』


 隣のローディが居心地悪そうに身じろぐ。


『いつまでもあんたがまともじゃない責任を誰かにとらせようとするなよ、って意味です』


 空気が二重にぴりっと固まった。レコーダーの中と、俺の隣で。

 ああ聞かれたくなかったんだ、という推論に少し遅れて、でも聞かせてくれたんだな、という事実に気付いたから俺は何も言わなかった。


『何の話だよ』

『俺は誰かさんと違ってあんたを甘やかすつもりは無いんです。こんな場所に溜まっててまともな育ちのやつなんか一人もいない。それでサム、あんたは何を学んだんです?』


 沈黙の代わりにレコーダーのざらざらしたノイズがやたら耳につく。


『まあいいです。俺のところに来る前に身の回りは綺麗にしておいてくださいね。とくにあんたにいつも引っ付いてるあの陰気な野郎、あれの始末はきちんとつけてくれなきゃ』

『連れていくって言ったら?』

『それはまあ、あんたの誠意次第ですよ』


 乱暴にドアを閉める音がして、録音データの再生が止まった。

 渋い顔で押し黙っていたローディが、口の中で転がしていたキャンディをばりっとかみ砕く。

 俺はニコラスが黒だなんていうほとんど分かっていたような事にはもう興味が無くて、別のことを言うべきか言わざるべきかに気を取られていた。


「俺は、」

「ニコラスに俺のことなんて話してるんだ?」


 低い声で何かを弁解しようとしていていたローディを遮って尋ねる。


「付き合いが長くて用意が良くて車の運転が俺より丁寧で、なかなか面白いこと言うって」


 流石にセックスしてるとまでは言わねえよ、と笑うがどうにもぎこちない。別にそれを言おうが言うまいがどうでもよかったし、いっそニコラスがそれを知ってればもっと話は早かったとすら思った。


「お前あいつのこと気に入ってるだろう」

「分かってる、分かってるよ」

「何を?」


 強く問うとローディは唇を噛んで俯いた。その表情に責められているような気持ちになる。


「ともあれ黒確定だ、エドに報告するからな」

「ああ」


 頷きながらもまだ複雑そうな表情をしているローディの頭に手を置く。そのまま見た目より柔らかい髪をかき回すと、許されたと思ったのか俯いたままの口元が緩んだ。








 ローディが砂糖菓子のサンタクロースの話をいつまでもし続けるのは、多分それが、ローディが子供らしく過保護に扱われた最後の記憶だからだ。母親が次の年からサンタの乗ったケーキを買わなくなったのは、おそらく金払いの良い男と別れたからであったとしても。

 その可能性にローディが気づいているかどうか問いただしはしないが、分かっていないということは無いだろう。


 愛なり優しさなり言いたいように言えばいいが、本当にそれが満足に与えられていたのであれば、なにも家を出てから他人にたかって回る必要はない。

 飢えているから与えられたがるのだ。あいつは他人にああだこうだと指図されて言うことを聞かされたがるのも、その癖勝手を許されたがるのも、きっと全部飢えなのだ。

 俺はローディが飢えているなら何にせよ欲しいだけくれてやりたいし、それは多分ローディの一番のお気に入りでいる唯一の方法だ。

 でもニコラスはそうは思っていない。あいつはきっと、ローディをこじ開けて、あいつの傷口を無理やり塞がせる方を選ぶだろう。

 どっちが正しいかなんて知ったこっちゃない。

 ただし、俺はニコラスじゃない。







「なるほど」


 オフィスの椅子に深く腰掛けて、芯からまともな実業家みたいな顔をしたエドはレコーダーの停止スイッチを押して鷹揚に頷いた。


「始末するしかないな」

「でしょうね」


 間髪入れずに同意した俺と、押し黙ったままのローディを見比べて、「お疲れ」と片頬を挙げたエドは、俺たちの間にあったやりとりにおおよその当たりがついているのだろう。馬鹿にされているようで腹が立つが、事実馬鹿なのでしかたがない。


「ローディ、ニコラスを呼び出せるな?」


 エドはローディに向かってやたら優しく微笑みかける。低くかすれた声で「大丈夫です」と答えたローディはなにも大丈夫そうじゃなかった。

 そう、じゃあ、とエドが手を鳴らして話をまとめようとしたとき、俺は大きく息を吐く。二人の視線がいきなりこちらに向いて、途端に居心地が悪くなる。


「ローディ、連絡だけしてくれ。俺が行くよ」

「は?」


 最近はこいつの驚いた顔をよく見る。なかなか愛嬌があるし、目が大きく見えるからいつもより幼く感じられてなんだか可愛らしい。

 なんとなく頭を撫でてやると手を払いのけられた。


「どうしてだよ、ハンクが行くんじゃ不自然だ。一発でバレる。殺されるぞ」

「ダメだ。俺が行く。奴もどうせ勘づいてるんだから関係ない。エド、いいですよね?」


 エドは手巻き煙草に火をつけて、煙を大きく吐き出し、冷たい目で俺たちの何かを勘定した。


「お前さえいいなら」

「エド、なんで」

「ありがとうございます」


 ローディが何か抗弁する前にさっさと頭を下げて、腕を引っ掴んでオフィスの外に連れ出す。

 エドが反対するとは正直思っていなかった。ローディを死なすよりは俺の方がマシだとエドなら考えるだろう。


「何考えてるんだよお前!」


 俺の腕を無理やり振りほどいてローディが叫ぶ。オフィスの前の廊下は声が良く響いて、通りがかった人がぎょっとした目で俺たちを見たあとそそくさと逃げていった。


「お前のこと」

「馬鹿言ってんじゃねえよ!」

「馬鹿を言ってるつもりは無いし何が何でも俺が行く」


 顔を歪めて目をわずかに潤ませた表情があんまり可哀想でかわいくて、でもこれだけは譲れなかった。


「分かってるんだろ、なら一番のお気に入りのワガママ聞いてくれよ」

「お前、最悪だ」

「その通り」


 ローディは俺の腹を軽く殴ってから、震える唇で触れるだけのキスをした。その息が触れるぐらいの距離のまま、うっすら涙で潤んだ声で問いかける。


「何すればいい? ハンク、何してほしい?」


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