第3話 まるで聖母様を装った小悪魔みたいで(1)


「え、どうすんの俺? 普通に仕事できんの? いや無理だよね? 絶対無理でしょ!」


 

 帰宅後に返信を送ろうと試みても、どう送ればいいのかさっぱり分からない。りっちゃんとの関係は俺の中では終わってたけど、他の男と歩いてた本人は、なんで平然としてられるんだろう。

 あの日は派手に転んで逃走したし、てっきり出会でくわしたことも知ってると思ってた。だってそれから一度もメッセしてないんだから、常識的に考えて不自然だよな。テスト期間か。これが災いしてるのか。勉強に集中させる為、あえて連絡を控えていたと捉えられれば、不自然は自然に転じる。

 だからといって俺の意志は変わらない。二股かける女子と元サヤなんてムリだ。というか彼女が俺に拘る理由もないだろう。目撃したと伝えれば、勝手に向こうが去っていくはず。それでいい。もうフラれたようなもんなんだし、別れ際の体裁とかどうでもいいよ。

 開き直って電話をかけることにした。

 


「もしもし、石切さん? なんかすごく久しぶりな気がする〜♪」


「そ、そうだね。テストの手応えどうだった?」


「それなりって感じですよー。石切さんに教わればよかったです」


「いやぁ、二年も現役を退いてると、結構忘れちゃうよ」


「そうなんですかぁ〜? そういえば明後日、私、出勤を二時間早めたんですよー♪」


「ん? てことは15時から?」


「はい♪ 私が行くまでの二時間だけ、我慢しててくださいね♡」


「あぁ〜、そっかぁ。頭の二時間だけはいないからってことね」


「そうなんです。あともうすぐ夏休み——」


 

 その後彼女は一時間以上ペラペラ喋り続け、俺は右から左へと聞き流してる状態だった。学校・バイト・部活・プライベートなど、俺と違って毎日大忙しの女子高生は、話題も尽きないらしい。そんで満足したらさっさと通話を切られ、結局本題には入れずに終わる。

 俺が意気地無しだから悪いのか。序盤なら切り出せそうだったのに、つい日頃のノリで対応してしまった。よくあんなのに三ヶ月付き合ってきたな。聞き専に徹しても、それなりにしんどかったぞ。恋は盲目ってか。

 再度メッセで伝えようかとも考えたが、こちらも難易度が高くて、逃げるように布団を被った。


 翌朝、俺がメッセしたのは浅間さんである。この状況での打開策を、女子の視点からもらいたかったのだ。間を置かずに届いた返信には、短い言葉でこう書かれていた。


『見たままをつづりなさい』


 そっすよね、ごめんなさい。

 見たままを書く。そのまま伝える。

 難しく考えず、俺がどこで何を見たかを書くだけ。難しくない。そのまま綴るだけだ。

 あの時の光景をそのまま——

 


「おはよー石切さんっ♪」


「え、貴船さん? あれ? いつの間にバイト先に……?」


「ちょっとー、ホントに大丈夫? ご飯食べた?」


「あっ! 昨夜から何も食ってないの忘れてた! すみません、いただいた料理は今夜必ず食べます!」


「それはいいんだけど、食事を忘れるって相当重症だよ? 悩みでもあるの?」


「無くはないですけど、くだらないことなんで……」


「あーん、もうっ! 今日のバイト休めないの!?」


「へ? 俺が休んだら店が大変に……」


「今一番大変なのはキミなの! まずそれ自覚して!」


「はっ、はい! ごめんなさい」


 

 飯を食わずに電話して、電話を切ったらすぐに寝て、ボサっとしたまま朝から考え事をしてた。体が条件反射で時間通りにバイト先へと向かわせ、頭に響くのは貴船さんの元気な声。食ってないことを思い出したら腹減ってくるし、カロリーが足りてないのかフラフラするし、本気でまずいかもしれない。メンタル的にもしんどくなってきて、店長に深々と頭を下げた。顔色悪過ぎて、苦笑いしながら許してくれたけど。

 先に上がってた貴船さんは、店の外で待ち構えている。一体何が彼女をそこまで掻き立ててるんだろう。分からないけどもう一度謝った。

 


「すみません、心配ばかりかけちゃって」


「ううん、こっちこそ無理言ってごめんね。生活の為にバイトしてるのに……」


「いえ、体調戻ったら一日増やすとか、方法はいくらでもありますんで」


「おっ、なんか前向きでいい感じ♪」


「貴船さんのおかげで目が覚めました。自己管理もできてないのに、店の心配してる場合じゃないっすよね」


「あたしのおかげ……?」


「えぇ。貴船さんに止められなければ、まともに業務もこなせなくて、もっと迷惑かけてたかもしれません」


「そっかぁ……うん、自転車押してついてきてー」


 

 言われた通りに後ろを歩くと、路地裏を経由して、どんどん住宅街の奥へと進んでいく。社宅なのか、似たような集合住宅が立ち並ぶ場所に来て、急に前方の茶髪がひるがえされた。

 


「ここの二階があたしの家。ご飯食べてってね♪」


「ま、待ってください、まずいですって!」


「大丈夫。いきなり襲ったりしないから」


「逆逆! 俺に襲われないか危惧してくださいよ!」


「石切さん、あたしのこと襲いたいの?」


「はぇ……? いやそんなことしませんけど!」


「だよねー。キミのこと信じてるからさ♪」


「えぇー……それはそれで男として……」


 

 なんだかよく分からないけど聞く耳持たれないし、こんな所で押し問答してると却って目立ってしまう。万が一疑いの目を向けられれば、貴船さんが困るに違いない。諦める以外の選択肢が浮かばず、案内に従って二階の一室へと上がり込んでしまった。

 


「お邪魔しまーす」


「どーぞどーぞー。面白みのない部屋ですが〜」


「おっ、この漫画懐かしい! 全巻読み返したなぁ」


「えっ、男の子も少女漫画読むの??」


「俺は普通に読みますよ。心理描写が細かいんで、これだと12巻辺りでグッときますよね!」


「ホントに熟読してんじゃん! 今度色々話そ〜♪」

 


 キッチンから聞こえる楽しげな声に、フワッとした安心感が湧いてくる。

 それにしても、本当に二人で暮らしてるのか疑問になるくらい、綺麗に片付いた部屋だ。物はそこそこあるけど、空間を妨げてない。家具の一つ一つが室内を彩ってるみたいに。

 感心して目線が彷徨さまよってる頃、鼻腔を優しく刺激する良い香りに意識が向いた。

 


「お待ちどーさま〜。昨日の残り物だけど」

 

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