くだらない夢の話

なずな

夢/夢

プロローグ〈下らない夢の話〉


声、声が聞こえた。

誰の声だろう。

あぁ、お姉様じゃあない。なら一体誰なんだろう。

未だ私の目は開かず。

胡蝶の夢には終わりが見えず。

夢の世界で追いかけて。

ひたすらに奇妙でおかしいのは夢じゃない。

お姉様はおかしくなってしまったかな。

壊れてしまったかな。

もしかしたら死んでいるかもしれない。

もしかしたら私を殺そうとしているかもしれない。

嗚呼。

哀れ哀れ、目覚めることは出来ないと、響く声は赤き女王。

夢の世界で囚われて、白いウサギは走り出す。

時計の針はもう動かない。

瞼の裏には猫がいる。

トランプの裏と表は決して離れることは出来ない。

離れられないなら、破いてしまえ。


 



覚醒した。

また、奇妙な夢である。

のっそりと起き上がり、掛け布団を押しのける。窓からは朝日が差し、何も居ない水槽をキラキラと光らせている。

「きっと、そうなのかな。」

部屋に散乱したトランプや懐中時計。ウミガメの置物とかティーカップ。

トランプはハートのクイーンが真っ二つに破られている。

それらを尻目に部屋の唯一の出口を目指し、歩く。だが、開けることはしない。

ドアノブに手をかける。

嫌な震え、寒気。すぐにでも悲鳴を上げて布団を被り逃げ出したいほどの嫌悪感が押し寄せる。

…また、駄目だったのか。

諦め、ドアノブから手を離す。すると、不思議な事に身体に起きていた異変が全て消え去る。誠に不思議なことである。

嫌だ、嫌だとからだの拒絶は誰にも止められなかった。

仕方がない、と思ったとき、身体はもう既に布団を頭まで被り、ふしぎの国に旅立つ準備をしていた。

しかし、私にはあのアリスという少女の冒険譚など読んだ記憶が無い。

無知なのだろう。知っていることは床に落ちているこれだけでしかない。

嗚呼、私は常にうさぎを追っているのか。

常に穴を落ちようとしているのか。

常に姉といることがつまらないのか。

尤も、私には親族は今は存在しない筈だが。

次第に脳は休息を求め始めた。なんて弱々しい脳だろうか。

そう考えているときにはもう私は傍観者になった。

 


この世界では、私は死んでいた。

あるものは首をむしり取られ。

あるものは自ら命を絶ち。

あるものはまるで神の子のように十字に組んだ木に磔にされていた。

しっかりしろと自分を叱りつける。

これは夢に過ぎない。そうでしかない。夢でなければいけないのだ。

傍観者の私は見ることしかできない。

触ることも食べることも撫でることもできない。ならば何を恐れる必要があるのだろう。

少し、夢は先に進んだ。しかし、変わりはない。死体が転がっているのみだ。

天井の低い廊下へと足を踏み出せず未だ夢は先を見ない。

あまりにも変化がない。まるで写真の中に入ったかのように何も動かない。感じない。どんなものであろうとオーディエンスはパフォーマーを見て評価する義務がある。

嗚呼、なんてつまらない。早くも私は飽きてしまった。

オーディエンスですらない傍観者に最後まで見る義務は無い。

そう思って私は穴に落ちた。

これは、夢だ。上に上がるのではなく、更に深いところへ。深みへと。深みへと。

さぁ、白いうさぎを追って更に下に。

下は、泉である。池とも言える大きさであった。

そして、私は傍観者をやめて、歩みを進めた。

出てきたのは鬱蒼とした森だった。しかし、どこかめちゃくちゃで森と呼ぶには木が少なすぎるうえ、辺りには線路から外れた電車が何台も置かれている。故にこの場所は森だ。樹海だ。

鬱蒼としているがどこか居心地がよく、周りの空気が体に馴染んだ。尤も、これは夢に過ぎないが。

そして私は一両の寝台列車に目をつけた。

青く、ひたすらに青かった。

しまった扉を抜けて中へ乗り込む。

しかし中は寝台列車と呼ぶことが憚られる程に簡素で、ベッドが一つ、ぽつんと置かれているのみだった。潜り込む気にはなれなかった。掛け布団の上に腰掛ける。とても硬く、寝られるようなベッドではなかった。

まるでまな板のような。

ダイナじゃなくてダイナーって感じの。

くだらない、くだらない。

もえろ、もえろ。

まな板の上から降りた。すっと、立ち上がる。立ってから見る足はとても遠くにあった。

親愛なる足さんへ、何処かへ私を連れてってください。

ゆらゆらと足さんは進み始めた。

ベッドの下は硬い床だった。

先には廊下が続いていた。

穴の横には食器棚とか本棚が四千マイルもあるように。

下へ、したへ、さらに下へ。

廊下には扉があった。全て、私の世界の扉だった。

嫌だ、嫌だ。と拒絶した。

どうして夢ですら私は虐められるのか。

虐げられたのか。

扉には鍵は無かった。手を伸ばせば忽ち開いてしまう。

扉と扉の間にはポスターがある。

私が好きなのかもしれない、マジックショーのポスター。びっしりとハートが描かれていた。

EAT ME、EAT ME。私を食べてと耳に響く。響く。

「食べてやろう、食べてやろう。おまえ達は所詮私が創り出したものに過ぎないから、わたしを傷つけたとしても、傷つくのはおまえたちだ。」

齧り付けよ齧り付けよ。あ我が声に答えよ。

しならば身体には虫が集っていた。

なんの虫かはわからないが確かなことは虫であることと、虫たちが私の体を食い破っていることだった。

体の内からも虫は頭を出した。

吐き気を感じた。痛みは感じなかった。

嫌悪感を感じた。

気持ちが悪い。気持ちが悪い。

やめろ、やめろ。

「あゝ、どうして、どうして…」

嘆く嘆く。嫌悪感を感じつつも逃げようとは思えなかった。

やがて扉ばかりの回廊は虫で満たされた。

辺りで虫は蠢き、廊下を覆い尽くし新たな空間を創り出した。回廊は蠢き洞穴の如き暗さを創り出した。

最早何も感じることはない。

食い破られた身体は消え、今、私の身体は右腕と目を残すのみとなった。

「嗚呼…消える…」

私は消え去った。


落ちていた。

食い破られた私は落ちていた。

奥へ奥へ、下へ下へ。

夢の世界で追いかけて。

ティーカップが回る。

落ちていた。しかし見えたものは別にあった。

黒いヒトガタ達がたった一つのティーカップをとりかこみ罵っていた。

なんてことだ。なんてことだ。

やめろ、やめろ。

私が何をしたんだ。お前たちは何故私を虐めるんだ。

何故虐げるのだ。

逃れられない。逃れたい。逃れたい。

「誰か、助けて…」

HELP HELP虚に声は響く。

「」「」「」

ヒトガタ共の言葉は理解できなかった。

正気を取り戻せ。私は強い。

屑どもに穢されていい者ではない。

抵抗。抵抗。

夢の世界故に私の手にはガラス片が握られていた。

殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。

私はこんな屑どもとは違うんだ。優れているんだ。こいつらよりも優遇されるべきなんだ。

振りかぶった手は虚しく虚空を切り裂き、私を現実へと引きずり戻した。


「っ!はぁッ!はぁッ!」

覚醒した。

呼吸は荒く、シーツは汗でびっしょりと濡れていた。

気持ちが悪い。

「はぁッ…はぁ…はぁ…はァー…」

大分落ち着いた。

時刻は午後1時28分、閉め切ったカーテンからは外は見えない。

「何、なに、何なの!」

何もわからない。ヒトガタは何だ。

恐怖は今も残る。

もう少し眠ろうかと思ったが最早眠気はない。

「…お腹すいた。」

もう2日は何も食べていない。

それに異常に体が怠い。呼吸も苦しい。

扉から外に出る。ノブに手をかけると私を受け入れるかのようにスッ、と開いた。

「何かあったかな…」

廊下を進む。何もない。壁には扉しかない。一つしかない扉はものも言わずただそこにあった。

台所へと辿り着いた。

ゴミが散乱していた。中にはインスタントの食品のごみやケチャップの空容器が大量に詰めてあった。

戸棚に手をかけ、開ける。

「…からっぽ…」

何も無かった。正確に言うと瓶に入ったよくわからない液体と異臭のするケーキはあった。

…とても、身体に入れる気にはなれない。

夢の内容などもう、忘れた。記憶の彼方へと消え去った。

ふと、思い出した。

何故私はあれほどまでにドアを恐れていたんだろう。外を、恐れていたんだろう。

今ではわからない。あれでさえ夢なのかもしれない。

何か、おかしい。

確実に何かが狂っている。私は、なんだ?

ここは、どこなんだ?

一転二転三転。視界とせかいはまわる。

まだ、夢だった。夢であるべきだった。

台所のシンクから汚い落書きの手が伸びてきた。私に手を伸ばし、今にも引きずり込もうとしているようだ。

ぞわっ、と背筋が立つ。

平静を保て。夢だ。夢だ。

しかし妙なことに普段は夢である、と気づいたことはない。

ならばこれはどういうことだろうか。

…自らの手を見る。指は、十本ではなかった。

あゝ、夢じゃないか。

ならばこのクソッタレな悪夢を終わらせよう。死ねばいいんだ。包丁を、自らに突き刺せ。

包丁を取り出した。少しずっしりとくる出刃包丁。

包丁を自らの腹部に突き刺した。

血が、だらだらと漏れ始めた。

不思議なことに、痛みを感じた。

痛い。痛い。痛い。

夢だから、大丈夫なはず、そうに違いない。

だが、痛みは増すばかりだった。

「あ…れ…な、何で…痛い、痛いよ…」

おかしい、おかしい。

夢じゃなかったの?

割かれた腹部からは虫が、黒い、芋虫が這いでてきた。

心底気持ち悪い。

うめき声しか、上がらない。

夢とは違う、はっきりとしたうねる感触と傷口を這い回る痛みは絶叫を齎す。

目は、醒めない。覚醒しない。

段々と、意識が薄れてきた。

前はしっかりと見えない。痛みはまだある。芋虫は体中を這い回る。

そこでブラック・アウトした。 



夢の世界で囚われて。

抜け出せない、哀れ、哀れ。

出口なんか見当たらない。助けに来てくれる王子様もいない。

廻せ、廻せ。悪い夢だ、悪い夢。

差し出せ、差し出せ。

自らの罪を認めよ。

吐き出せ、吐き出せ。

この。

「大罪人が」

厳粛な声が響く。


覚醒した。

目を、醒ました。

まだぼやける視界であたりを見回す。

裁判所のようだ。私は、被告人席に居る?

私は、被告人なのか?

見れば弁護側には誰も居ない。

検察は穴だらけの資料を手に持ち何やら未知の言語で話している。

見れば私の足元には地面がなく必死に席にしがみついていた。確かな恐怖、落ちれば間違いなく死んでしまう。

「…の律令32番代によりまたは、博士による論文は無音にて、雪景色。」

判決が、下されようとしていた。

怯えた。嫌な寒気と果てしない恐怖と不安が襲う。

「かつての我が国を取り、空の宇宙は果てしない回廊であった。故に文鳥は遠吠えをした。」

嗚呼…


「…」

覚醒した。

さらに、再び、窓より覗いたのは遥かなる密室。

及んだ、及んだ。

「廿」今のははやのらは、緩鹿なし。猪鹿鳥、ロイヤルストレートフラッシュ。

「老老、栄塀、朝に。夜のメザマ…?」

覚醒した。

ように、再度、窓より覗いたのは遥かなる密室。

汲んだ、汲んだ。

「廿」

 …

「何を、言っているんだろう。」

まだ、夢の中。窓からは遥かに広がる密室が、が、密室が。

「廿」「廿」「廿」

にじゅう、ニジュウにじゅう。

蜜のなしな。納屋の中で。彼とは燃ゆる。

大地は荒れ果て、廿に廿する。


「覚醒した。」

「夢だ。夢だ。」

「そうだろう。」

「そうだろう。」

「廿」「廿」

「今、再び、我、降臨せし。」

「よいだろう、類なる者はにかにはす」

「甘い、蜜、はーなーんにで中々。」

「にやにや、ねのね」

「にゃぁ、にゃあ。」

「何だ、何なんだ。」

「おかしなねこだこと!」


覚醒した。

めざめた。

鏡写しの部屋は終わりを見せない。

一度割れた卵は誰にも戻せない、ハンプティ・ダンプティは二度と元には戻らない。

IT' ME

一度割れた卵は誰にも戻せない、ハンプティ・ダンプティは二度と元には戻らない。

鏡写しの部屋は終わりを見せない。

めざめた。

覚醒した。


覚醒した。くすくす。

覚醒した。きゃはは。

覚醒した。うふふ。

覚醒した。あはっ、ははは。

覚醒した。は。ははは。


覚醒した。

汲み、周り、棄て、叛逆、不許可、故にて夢にて、三時十七分、さあ、朝食の時間だ。

立国、招集、繁栄、そして、反逆。

赤と、黒。QとK。番にあるもの。

ダイナ、ダイナ…。

写され、映され、移され、鬱され。

「この一節、燃える森には未だ消えゆく…君には理解できないかな?聞きかじり、だが、鹿ならば。」

廻す、回す、囘す。

さあ、お茶会の時間だ。


回り回る。世界は動かない。

己の内で、廻る。

何層にも重なった夢はミルフィーユのように甘美なもの。

遍く狂気は正気である。

まだ、始まったばかりなのに。

お話は、まだまだ始まったばかりなのに。

庭を見に行くこともせず。知恵の亡き子供と成り果てる。

まだ、お話の先には登場人物が待ち構えていたのに。

赤の女王に出会うこともなく。

トランプの束だと、反抗する位にも至らなかった。

だから駄目なんだ。お前は。

いい加減に目を覚ませ。

姉は死に絶え、時代は移り変わって尚も眠り続け。

写真に移されたかのように少女のまま。

先はない。先はない。

お前以外誰も居ない。

おきろおきろおきろおきろおきろ。

覚醒しろ。覚醒しろ。覚醒しろ。



覚醒…した。

身体は汗でぐっしょりと濡れていた。

いや…これは夢か?

だがしっかりと不快感はあるし、目覚めたときの息苦しさもある。両手の指はそれぞれ5本ずつ、正しい筈だ。正しい。正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい正しい?

5本ずつあった指は無くなった。手は丸くなった。

腕が無くなった。肘から先が消滅した。

足がなくなった。踝から下が煙のように消えた。

足がちぎれた。ちぎれた足は赤い霧になって消えた。

頭が取れた。取れた頭は脳漿が飛び散り、ぐちゃぐちゃになった。

ぐちゃぐちゃと、何か、落ちる音がする。

ぐちゃぐちゃ、ぼとぼと。

裏と表。回る、回る。

「朗々朗々、朗らかに笑え。進め、そうだ、ならば、金は我が手の内。」

「草々不一、かしこ、敬具、柊の香りに誘われてあなたは。」

茶番は終わった。

まだ、まだだったんだな。

視界は開けた。

「青い、青い海広がる。心は晴れ渡らない。」

海が見える。青い、青い。

絵の具で塗りつぶしたかのような、チープ、安っぽい海。

私の知っている、海。

むかし、絵本で見た海。

視界は回る。視界は回る。

頭がぐわんぐわんする。気分が悪くなる。

心はどよんとし、やるせない気持ちだけが押し寄せてくる。

おお、嗚呼、かな。物悲し、忽然と。

心はだんだんと落ち着く。

海は段々と本来の青を取り戻し、波の音、潮の香りがする。

「青い、きれい。」

落ち着きを取り戻すと、段々と思考がまとまる。

意味不明な言葉は聞こえなくなる。

虚ろ、虚ろ、逃避は重罪。

「うるさい。」

心は、落ち着く。

ざーん、ざーんと波の音が聞こえる。




水平線の向こうには多分なにもないけど。

やがて、かもめかな?ウミネコかな?

鳴き声が聞こえる。

空には鳥、勇ましく空を飛ぶ。未知なる世界へと進む。

だんだんと世界が作られていく。

私が座るところは防波堤の上、アスファルトに砂がまじり、少しだけ不快。

足は裸足、いつか見た波打ち際の少女のような、純白のワンピース。麦わら帽子。

やがて、日が落ちる。時が進むのが早い。

夕日は海をきらきらと光らせ、海は波を高くする。

「空は、オレンジ色に包まれて…綺麗で、あと…綺麗で…!」

太陽は完全に水平線の彼方へと沈む。最後に残ったオレンジ色は黒い空間へと姿を変えた。

日が落ちれば、月が出る。

空に浮かぶ大きな弓張月。

虫たちの声が当たりに撒かれる。

合唱が始まり、まるでオーケストラのよう。

腕に何か、痒みがある。

見ればぷっくりと赤く腫れている。

「うぇ…やられた…」

蚊だ。

痒みが心地良いが、たしかに不快である。

とんとん、と肩を叩かれた。

「     」

隣を見ると、目元が塗りつぶされた少年が居た。

何を言っいるのかはまるでわからないけど。

「     」

「暗いね。」

不思議と恐怖は感じなかった。

寧ろ安心感を覚える。この少年のそばにいれば絶対安心、と言う考えが浮かぶ。

いつも一緒にいるような。

「ほら、星が海に映ってる。」

「    」

「虫も鳴いてる。」

「    」

「月も綺 だし。」

「    」

「  っと、こ  て いな。」

「    」

「    う?」

「    」

「                 」

「    」

「        」

「    」

もう、双方何を言っているのかわからない。けど、ずっとこうしていたい。

安寧を、求めた。

やがて、夜が明ける。

水平線の向こうから太陽が姿を見せる。

海は朝焼けに染まり、まさに幻想的という様である。

「…綺麗。あさも。」

「君も、そう思う?」

「…」

「あれ…?居ない…?」

「行っちゃったかな。」

独り、寂し、。

夜は明け、独り。

「…不安…?」

何か、悪意を感じる。

悪い気を、苦味を、痛みを。

一瞬のうちに、海は荒れ狂いだした。

大人しかった海は波を高くし、雷が鳴り響く。

苦い、怖い、不安、雨が、痛い。

だけど、なぜか、快感。

荒れ狂う海でさえ愛らしい。好きだ。

海ならば、全て愛せる気がする。まるで我が子のように、何もかもが愛らしい。

荒れ狂う姿も、津波となり陸を飲み込む様も、船を飲み込んでいく様も。

大きいものは、悩みなんて吹き飛ばす。

空を見上げる。

暗雲が空を覆い。

凄まじい雨を降らせ。

辺りを水で満たしてしまう。

そういえば、この海の向かいはどうなっているんだろう。

ふっ、と振り向く。

抵抗は一切ない。

見えたのは何か。

黒い、何か。

黒い、動く何か。

黒い、うねうねと動く何か。

黒い、うねうねと動く小さい何かたち。

黒い、視界一面を埋め尽くすうねうねと動く何かたち。

黒い、虫。

個々に違う動きをする、虫たち。

虫たちが這い回る、自分の死体。

何よりも、狭い、狭い廊下。

虫たちが廊下を埋め尽くす。

蠢く、廊下。

うねうねと。

ぐねぐねと。

自分の死体を這い回る虫たち。

嗚呼。

逃避は重罪。

嫌のものから目を背けて。

海を見ていたかった。

「…どうして。」

耳に不快な音が響く。

なんの音だろうか。

やめろ、やめろ。

覚めるな、覚ますな。

虫たちの動きは更に早くなり、うねうねとした回廊は波打つ。

不快だ。やめろ。止めろ。

音を止めろ。

音を止めろ。

「…いや…」

「嫌だけど、いい音。」

「消える。」

「もうすぐ。」

「元に」

「元に」




あと少しなのに。

あと、少しなのに。

なぜ逃げる。

穴を進め。

夢から逃げ出すな。

終わらせるな。

この世界を終わらせるな。

逃げ出すな。

やめろ。

やめろ。

どうして。

幾重に重なる夢は、終わる。

終わらせて、たまるか。

逃さない。逃さない。

「やだ。」

やめろ。やめろ。

扉を開け。小さくなれ、大きくなれ。

「いやだ。」

涙の池は干上がらせない。うさぎを追え。

女王と王は

QとK

12と13

プロローグ〈くだらない夢の話〉

エンディング〈夢の終わり〉

プロローグエンディング

「終わって。」

させるものか。何度でも何度でも。

くだらない夢の話。

なんの意味もない夢の話。

プロローグで終わらせるな。

エンディング。

「もう、やめたの。」



うさぎは、消えた。

穴も消えた。

女王も、妙ちくりんな動物たちも。

消えた。

夢は、覚めた。



目覚まし時計の多少不快なベルの音が部屋に鳴り響く。

「ん…?」

手探りで時計を探す。やめろ。うるさい。

カーテンの隙間からきらきらと陽の光が差し込み、ハチロウのいる水槽を照らす。

ハチロウは…金魚。

「チェシー…おはよー…」

チェシーは猫。今は私の布団の上で朝日に当たっている。

「にゃあ」

チェシーを抱えあげ、撫でる。

大人しく私の腕に納まる。

「ほいっ、先に下行っててねー。」

チェシーを離すと扉の隙間を通り外へ出ていく。

つぎはハチロウに餌をあげないと。

「ハチロー…お腹すいたー?朝だしお腹すいたよねー。」

金魚用の餌をぱらぱらとハチロウの水槽へと落とす。

「今日ね、変な夢見た気がするの。」

ハチロウは一心不乱に餌を吸い込む。

「夢の中でね、ハチロウが居た気がするんだよね。」

ハチロウは私の声なんて気にかけず水槽の中を泳ぐ。

「ハチロウ彼女欲しい?メスの金魚貰ってくるけどー。」

ハチロウは返事をしなかった。

「…うん、明日もらってくるね。」

そろそろ朝ご飯を食べないと。

扉を開ける。

簡単に開く。

扉は元々少しだけ開いていた。

廊下を進み。

隅々まで掃除が行き届いた廊下を進み。

階段を降りる。

「うーん…パンはあったかなー…」

戸棚を開ける。

中には菓子パンが2つと食パンが一袋。朝ごはんには十分すぎる量だ。

「にゃあー」

「お、チェシー、どうしたー。うりうりー。」

わしゃわしゃとチェシーを撫でる。

「あ、お姉ちゃんを起こさないと。」

姉は、一階の部屋で、寝ている。

寝ているはずなの。

寝ている。

はず。

一階に、いる。

いるはず。

いる。

絶対に。

扉を開ける。

はるかなる、空が広がる。

夢からは、逃れられない。

お前は、まだ夢の階層を一つ下ったに過ぎない。

「ねぇ、そういうの終わりにしようよ。」

「お姉ちゃんは、もう死んじゃったよ。」

「この部屋にはお姉ちゃんの臭い死体しかないもん。」

「空なんてない。」

部屋は、部屋になる。

姉の変色した死体が転がり異臭を放つ。

蛆や、ハエがたかる。

そうだ。

「おかしいのは、夢じゃなくて、わたし。」

「ここは、海。」

ここは、海だから。

「チェシーは海は嫌い?」

チェシー。

チェシーは居ない。

何か、白骨化したものがあるだけ。

世界は、どうなったの? 

「みんな死んじゃった。」

「みんな起きない。」

「みんなあの日眠ってから起きない。」

「わたし以外は、居ない。」

足を進め、外に出る。

虫や鳥の声だけが外には鳴り響く。

なんてことない住宅街。

道路には、中に死体が入った車が壁に突っ込んでいる。

道端にも死体がある。

「なんで、わたしだけ生き残ったのかな?」

街中、蛆や、ハエだらけ。

わたしが死ねば、人類は居なくなる。

なんで、こうなったんだろう。

なんで、誰も居ないんだろう。

嗚呼。

わからない、わからない。

この広い世界に、一人ぼっち。

がたがたのアスファルトに仰向けに寝転がる。

空は白い雲と眩しい太陽が浮かんでいる。

嗚呼…

眠気がする。

また、わたしは眠りに落ちる。

でも、この眠りは今までのものとは違う気がする。

長い、長い、長い、長い。

眠り。

意識が遠のく。

段々と遠のく。

いつも眠る感覚とは明らかに違う。

恐怖を感じるが意識は遠のいていく。

嗚呼。

これが。

死。



プロローグ〈くだらない夢の話〉


END

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