第4話

 レンリ達が跪く床より一段高いところに、豪奢な椅子が一脚置いてある。そこに座しているのは、あどけなさが顔に残る少年だった。口を真一文字に結び、背筋を伸ばし、膝の上で拳を握りしめている。彼と対面するレンリ達とは八メートルほど離れているが、レンリの元にも彼の緊張感が伝わってきていた。

 外交に慣れてないのだろうか。

 レンリはそう思いながら、少年王の両脇に並び立つ男達に視線を移した。彼等の内で、少年王を心配しているのは一人だけだ。残りはこちらを、主にルタを値踏みするように見ている。レンリには目もくれない。女性蔑視の国だとは聞いたことが無いが、重要な役職が全員男性であることからも察せられるところはある。名指しで呼びつけておいて良い態度だ、と思わなくもないが、レンリはただただじっと跪いていた。

 レンリ達の前には、厚手の毛織物が敷かれていた。赤子が寝転んで収まるほどの大きさだ。レンリ達が踏む絨毯もかなりの価値があるだろうが、毛織物も相当な品だろう。見た目は黒一色だが、毛の長さに違いをつけて蔦の模様が描かれている。ただ、手入れがされていないのか、よく見ると端がほつれていた。

「その布の上に、リキッドとやらを置いてくれるだろうか」

 変声期前の高い声は、小刻みに震えていた。ルタは「かしこまりました」と頭を下げると、栄養剤を並べだす。少年王も、居並ぶ男達も、一斉に首を伸ばした。

「向かって右側のものが、基本の栄養剤です。こちらが鉄分を多めに配合したもの。こちらは食物繊維を多く含んだもの。左側にあるのは固形化したものですが、まだ試用段階です。歯を使わなければ顎が弱りますので、なるべく早い時期の完成を目指しております」

 ルタが容器を指し示すたび、ドゥルガーの人間が一様にうなずく。

「それらは、この国に提供してもらえるのだろうか?」

 少年王が、真っ直ぐにルタを見る。拳は強く握られたままだが、声の震えは無くなっていた。緊張をしてはいるものの、リキッドへの興味が上回っているのだろう。

 少年王の問いに、ルタは少し困ったような顔をして笑った。

「こちらとしても、様々な種類を提供させていただきたいのです。しかし、特に植物や貝類は毒を多く含んでおりまして、実用化はまだ先となるものばかりです。現在、提供させていただけるものは、基本のもの一種類となります」

 ルタの返答に、顎髭を伸ばした小柄な男が口を開いた。

「しかし、そなたらは他の種類も食しておるのだろう? 問題は無いのか?」

「島の者に、毒は効きませんから」

「『再利用者』だからか? そなたらは死んだ者を島へ連れていって、蘇生しているのだろう?」

 首を傾げる少年王に、レンリが首を横に振った。

「どのような場所から情報を得たのかは存じ上げませんが、それは誤解です。我々が島へ連れ帰っているのは、見捨てられた死ぬ間際の人間です。ヒヨク博士が開発された『培養人間』の技術を応用し、彼等を治療しているのです。いわば、究極の医療行為と言えましょう」

「究極の医療行為ねえ」

 毒が蔓延する世界にいながら丸まると太った男が、顎の肉を擦りながら笑う。対するレンリも、目を細めた。

「皆様の真の目的は『再利用』にあり、とお見受けいたしますが。それほどに、死者を生き返らせたい理由がおありでしょうか?」

 挑発するような物言いに、ルタは呆れたと言わんばかりの視線をレンリに向けた。しかし、彼女は意に介さずに、居並んだ男達を順に見て肩をすくめた。

「聞けば、パーパと争われているそうですが。世界全体がこのような時に、何をお考えか」

「このような時にと仰いますが、そもそも毒を撒いたのはパーパでしょうっ」

 レンリの指摘に、小男が顔を真っ赤にして叫んだ。

「そうですとも。極悪非道の所業を許すわけにはいきますまい」

 福々しい男が、腹を擦りながら言う。居並ぶ男達も、二人の意見に「そうだ、そうだ」と口を揃える。

「まあまあ、フウシ殿。彼等を責めたところで、毒は消えますまい」

 唯一、少年王を気遣う素振りを見せていた壮年の男が、フウシを諭す。彼の声は掠れ、話した後は軽く咳こんでいる。フウシは眉を寄せ、壮年の男の背を擦った。

「そうは言いましてもな、セイシ殿。私は友の体を蝕む毒が、ひいては毒を撒いた者が許せぬのです」

 実際は友の体どころか、すべての生き物が多かれ少なかれ毒に蝕まれている。中でもセイシと呼ばれた男は、元々体が弱いのか、毒の影響が顕著に表れているようだった。

「フウシ殿のような友を持ったこと、ありがたく思います。ですが今は、彼から島の植物の状況について聞いてみたい」

 セイシはフウシに軽く頭を下げた後、ルタを見た。少年王が、うなずく。

「分かった。後はセイシに任せよう。植物の話も良いが、栄養剤の件も忘れぬように」

「かしこまりました」

 セイシは少年王に向かって、深々と頭を下げた。

「他の者は、各自の持ち場に戻るように。護衛も不要だ」

 少年王の言葉にうなずいた男達は、ぞろぞろと広間を出ていく。フウシだけはセイシが気になるのか何度も振り向いていたが、セイシがうなずくと広間を後にした。

 広間にいるのが四人だけになると少年王は立ち上がり、レンリを見た。

「私は、あなたと二人で話がしてみたい。付いてきていただけるだろうか?」

「私などでよろしければ」

 レンリは目を丸くしながらも、了承した。少年王は自ら座していた椅子の後ろ側にある隠し扉を開けると、広間を出ていく。レンリは「交渉は任せた」とだけ言いおくと、自身の背丈とほぼ変わらない少年を追った。

 少年王は、大理石が敷き詰められ、壁も白一色の眩い廊下を歩いていく。途中にある分岐路には目もくれず真っ直ぐ歩いていくと、白板で組まれた木戸があった。木戸を押し開いて現れたものは、坪庭だった。

 坪庭には一本の高木と、十数本の低木が植えられている。地面には草花が生い茂り、人が踏む場所だけ飛び石が敷かれている。低木には白や黄色の花々が咲き乱れ、庭の中央には小鳥用の水飲み場が設けられている。一見すると毒に侵されている空間とは思えないが、鳥は一羽もいない。

 水飲み場が見える位置に設置された鉄製の長椅子に、少年王が座る。隣りを勧められたレンリは、黙ったまま言うことに従った。レンリが座るのを見届けて、少年王はふうっと息を吐く。

「フウシの言うことも、最もだと思うのです。私も、毒を散らしたパーパが憎い」

 少年王は両の手をぐっと握りしめたかと思うと、ゆっくりと解放した。傷の無い、ふっくらとした手のひらだ。

「しかし、戦は良くない、と思うのです。弟は、パーパを不幸に陥れることは当然だと言います。フウシをはじめ、多くの者が賛同しています。それでも私は、人が傷つくことを好ましいとは思えません。憎しみは連鎖します。パーパとの国境に近い町は既に疲弊し、消滅した集落も一つ二つではありません。このままでは、皆が不幸になるだけです」

 成長しきっていない手で、少年王は頭を抱えた。

「それでも私は、彼等を止めきることができません。私にも、憎しみの心があるから。両親は、早くに亡くなりました。セイシも長くはないでしょう。フウシ達も、いつ倒れるか分かりません。世界全体の寿命が、日に日に短くなっています。しかし、命を奪い合えば更に短くなってしまう。私は、どうしたら良いのでしょう」

 少年王は急に頭を上げると、レンリに対して深々と頭を下げた。

「申し訳ありません。このような話を、初めてお会いする方にしてしまうなど。しかし、あなたは話を聞いてくれる。そう思ったのです」

「頭を上げてください」

 レンリは両手を、少年王の肩に添えた。少年王は顔を上げると、吸い込まれるようにレンリの瞳を見た。彼女の瞳には、五色の輝きが揺らめくように浮かんでいる。

「私が答えをお出しすることはできませんが、一つ言えることがあります。もうすぐ、あなたを悩ませている戦神は機能しなくなりますよ」

 少年王の目が、丸くなった。

「戦神が消える時、あなたが真に願うことはなんですか?」

 五色の光に捕らわれた少年王の瞳が、小刻みに震えた。

「それが本当だと言うのなら。私は、戦を止めたい。戦をしても、しなくても、この崩壊を止められないのなら。私は、少しでも長く、皆と穏やかに過ごしたい」

「そうですか」

 レンリの瞳から、五色の光りが薄れ、消えていく。と同時に、少年王は目が覚めたようにピクリと体を揺らした。

「わ、私は、何を」

 焦って周りを見回す少年王に、レンリがほほ笑む。

「あなたは、とても運がよろしくていらっしゃる。私は、ドゥルガーの王と知り合いです」

 動きを止めた少年王の目が、また丸くなった。




「島でも、植物の状況はあまり芳しくありません」

 ルタは、栄養剤が十二本入った箱を机の上に置いた。

「水と土の浄化が進んでいるのは、ごく一部にすぎません。特定の小川の脇で育てた植物であれば、毒はありません。しかし、圧倒的に数が少なすぎます。解毒剤ができれば一番早い解決方法となるでしょうが、これもなかなか難しいらしいのです」

 浄化が進んでいる場所は、ミロク達を案内した洞窟以外に三カ所ある。いずれも範囲は限定的で、島外の人へ安定供給できるほどの広い畑を作ることはできない。研究所には解毒剤の開発を試みているチームもあるが、レンリの話ではまだ光明が見えないらしい。

「そうですか」

 応じるセイシの声は、謁見の間にいた時と同様に掠れている。普通に呼吸をしている時でも、息が気道を行き来するたびに微かな雑音が生まれているようだった。

 ルタも、それには気付いている。眉を寄せながらも、先を続けた。

「栄養剤も、まったくの無毒のものは提供できる数が限られます。島の人間であっても、なるべくなら毒を接種しない方が望ましい。研究所としては『長く生きられる者』、『研究の役に立つ者』を優先しなければなりません」

 セイシの眉間に、薄っすらと皺が寄る。

「とんだ選民思考ですね。あなた達が連れていく者は、だいたいが研究者か医者か。軍人でも幹部クラスの人間です。あなたはドゥルガーからパーパに留学した、農学者でしょう。一緒にいた女性は元パーパの研究員で、王からの覚えもめでたい方だ。諜報部員の中には、戦神・ヒガンのオリジナルまでいると聞きます」

 セイシに事実を並べられても、ルタは驚いた顔一つ見せなかった。ここに呼ばれた時点で、ある程度の情報が流れていることは分かっている。

「その通りだとして、あなたも仲間に入りたいのでしょうか?」

 ルタが問うと、セイシは首を横に振った。

「私では、何のお役にも立てません。選民思想があるとはいえ、世界中の毒をどうにかしようと動いていらっしゃるのは本当のことでしょう。私にはただ、願いが一つあるのみです」

 セイシは一つ息を吐くと、天井を仰ぎ見た。

「我が王が青年となり、私と同じ年齢になった時、住みよい世界になっていて欲しいという願いです。それだけの優秀な人材を集めているのですから、そうならなければ嘘でしょう?」

「そう、ですね」

 ルタは目を伏せると、心臓の位置に手のひらを当てた。

「それは、私も願うところです。必ず、とは言えません。ですが、日々努力することは誓わせてください」

 現状を知る研究者だからこそ、『必ず』という不確実な言葉は使えないのだ。セイシにも、彼の誠実さが伝わったのだろうか。

「頼みましたよ」

 ルタを見たセイシの目は、優しい色をしていた。



 一方、ミロクは呆れた目で三階建ての建物を見上げていた。

「よくもまあ、突き止められたもんだな」

 ミロク達は今、政庁から三十キロほど東に離れたところにあるドゥルガー第二の都市の外れにいる。この辺りは、政庁に務める人間の別荘地だ。街中に比べて緑が多く、壁や柱に意匠をこらした建物ばかりだった。四人の目の前にある建物も、一目見ただけで研究機関と見抜く者はいないだろう。

「建物を隠すなら建物の中ってことっすかね」

「だが、どれだけ隠そうとしても、出入りの痕跡を消すのは難しいってことだな」

 フェイファの隣りで、シャオウが肩をすくめる。数分前に、隠れて様子を窺っていた彼等は、目の前の建物の中にセハルにそっくりな人物が入っていくのを見たのだ。

「で、来たは良いが、どうする?」

「どうせ、来たことは向こうに知られてるだろ。正面突破だ」

 言いざま、セハルはシャオウの横を走り抜けていく。シャオウは、愉快そうに笑った。

「なかなか、どうして。血の気の多い」

「まあ、レンリとルタを迎えに行かなきゃなんねえし。ここで時間を潰すわけにもいかねえだろ」

「ああ、そうだな。戦う術が無い奴は、俺の後ろから来い」

 駆けだすシャオウに、ミロクは「へーへー」と適当に、フェイファは「了解っす」と素直に返事をしながら追いかける。三人からは、既にセハルの背中が遠くなっていた。

「迷いなく走っていくが、記憶があるんじゃないのか?」

 怪訝そうに言うシャオウに、ミロクは「さあな」とだけ答えた。

 セハルが開け放していったままの入り口に入った途端に、ミロクは「うおっ」と驚きの声を上げた。思わず一歩外に出て、中と外観とを見比べる。外観こそ白亜の別荘という感じだったが、中身は鉄骨がむき出しの粗野な造りで、天井や壁には様々な太さのパイプが這っていた。

「すごいっすねー。こんな時じゃなきゃ、ゆっくり見学したかったっす」

 ものづくりならどんなことにも興味があるフェイファは、感嘆の声を上げた。先行するセハルは二階に上がりきったのか、ミロクからは完全に姿が見えなくなっていた。

 セハルに続いてミロク達も階段に向かおうとしたが、突如現れた三人の戦神によって行く手を阻まれてしまう。そこには、天体観測区に転属志望の諜報部員によく似た顔が三つ並んでいた。

「ヒガンが三人も並ぶと、気持ち悪い通り越して腹立つな」

 ミロクは盛大に顔をしかめた。三人は無言で佇んでいるが、いまに口を開いてダメ出しをしてくるかもしれないと思うと、自然に奥歯に力が入る。

「セハル君は、通したんすけどね」

「まだ仲間を襲わない理性が残ってるんじゃないか? 風神相手なら、ヒガンから弱点を聞いてるぞ」

 シャオウは、ウエストポーチからガラス板と金属の爪を取り出した。ミロクが何事か尋ねる間もなく、シャオウは爪でガラス板を引っ掻く。独特の高い音にミロクの背筋は震えあがり、慌てて両耳を塞いだ。ミロクの横で、フェイファも頭を抱えてしゃがみ込んでいる。

「急に、何するんすかっ。俺も、その音は苦手っすっ」

「俺もダメージでけえ」

「俺は平気なんだけどな」

 シャオウは悪びれることなく笑うと、スタンガンを取り出した。耳を塞ぎ、しゃがみ込んで震えている風神の首元に、次々とスタンガンを当てていく。島外で使用されている護身用のものより強力に改造されたスタンガンは、成人男性を容易に失神させた。

「これで、一日は起き上がれん」

 スタンガンをしまうと、シャオウは身動きしない風神の横を平然と通り抜けていく。ドゥルガーに派遣される者にとって、戦神とのやり取りは日常茶飯事なのだ。

「ちなみに、雷神はどう対処するんだ?」

 ミロクも同じように通り抜けながら、興味本位で尋ねた。セハルと暮らしだして数日経つが、今のところこれといった弱点を見たことがない。

「犬の鳴き声」

 ぼそりと呟かれた単語に、ミロクは「は?」と聞き返す。

「犬の鳴き声を聞くと、一瞬だが体が竦むんだ。子供の頃、じいさんのところで飼ってた犬が狂暴だったらしくてな。何度か噛みつかれそうになったことがあるんだとさ」

「そういや、機械いじりが好きになったのは、じいさんの影響だとか言ってたな」

 出会った時、工具をずっと気にしていたのを思い出す。どれほど犬が苦手でも機械いじりのために通った少年時代の片鱗が、今も残っているのだ。

 島内に犬がいないことはないが、ほとんどは研究用で、ミロクでさえも目にする機会はほぼ無いと言って良い。セハルにとっては幸いだろう。

「懐けば、かわいいんすけどね」

 ようやく起き上がったフェイファは、風神の一人の服をごそごそを漁っている。

「まあな。訓練すりゃ働きもするし、諜報部員の中にも連れ歩いてる奴はいるな」

「シャオウさんは連れ歩かないんすか?」

「いれば働きもするだろうが、悪目立ちもするだろうからな。ここは荒野ばっかだし、犬の頭数も減ってきてる」

 犬だけでなく、他の生物も数を減らしているのだろう。アウシュニャに着いてから、この建物に至るまでの間に、人と虫以外の生き物を目にしていないことにミロクは気付いた。

「にしても、おまえは何をやってるんだ?」

 シャオウの言葉に、フェイファが振り向いた。その手には、小銃が握られている。

「いただいてたっす」

「いただいてたって、使えるのか?」

 軍人の疑問に歯を見せて笑ったフェイファは、誰もいない空間に向けて銃を放った。パンッという乾いた音が、廊下に響き渡る。

「俺、アウシュニャの出身なんで」

「ああ。そういうことか」

 シャオウは納得したようだが、ミロクには意味が分からない。ミロクがフェイファを見ると、フェイファは困ったように笑った。

「アウシュニャはその昔、『ドゥルガーの武器庫』って呼ばれてたっす。アウシュニャ産の弓や剣は質が良いって評判だったんすよ。銃が主流になってからは地下で火薬を作るようになったんすけど、村のほとんどの子供達は十歳を越えると他の街に行って武器の作成をするんす」

「出稼ぎ、みたいなもんか」

「そうっすね。アウシュニャの人間は、すこぶる器用な人が多いんで、どこに行っても重宝がられるんすよ」

 フェイファは転がっている風神を飛び越えると、ミロクの傍に駆け寄った。

 あれは避難場所ではなく火薬の製造場所だったのか、とか。フェイファとウーゴウは出稼ぎ先で重傷を負ったのか、とか。

 フェイファの顔を見ると様々な思いがミロクの頭の中に浮かんだが、どれも口から外へは出てこなかった。それを察しているのか、フェイファは「大丈夫っすよ」と言いながら、ミロクの肩をぽんっと叩いた。

「アウシュニャ譲りの器用さがあるから、今の仕事もこなせてるっす。ウーもそのうち風車を一人で見るようになるっすよ。それより早く、セハル君を追いかけないと」

「そういや、そうだった」

 セハルの名前を聞いて、ミロクはシャオウを押しのけて階段を駆けのぼる。「俺の後ろから来いっつってんだろ」というシャオウの声が少し下から聞こえるが、無視して二階の廊下に立った。見回してみるが、セハルの姿は無い。

「あいつ、どこ行っちまったんだ?」

 二階も一階と同様に、複数のパイプが天井や壁を這っている。床材は鉄板が使われていて、足音を消すことは難しい。

「部屋が三つあるみたいだな。一つ一つ覗いてくか。戦神が潜んでたら厄介だがな」

 追いついたシャオウが、そろりと廊下を踏む。どれだけゆっくり足裏を床に置いても、キシッという軋む音がした。更にもう一歩、そろりと床を踏もうとした時だった。

 上階から、派手な物音が響き渡った。ドラム缶が転がるような音だ。

「俺が先に行く」

 シャオウは足音が響くのも構わず床を蹴り、階段を駆け上がっていく。すぐにフェイファが後に続き、その後ろをミロクも走る。

 最上階である三階も、階下と同じような造りだった。違うのは、廊下の奥に一つだけ部屋があるということだ。そこから、甲高い少年の怒鳴り声がしている。四つん這いになって近付いてみると、何を言っているのかがより明瞭になった。少年は、言うことを聞かない戦神に対して怒り狂っているようだ。

「セハルだな」

 三人は、更に部屋に忍び寄る。両開きの扉の片方が、向こう側へと倒れている。セハルが蹴り破ったのだろう。シャオウはゆっくりと立ち上がると、閉まったままの扉に背中を付けて部屋の中を覗き込んだ。その下で、ミロクも四つん這いのまま、部屋の中を覗き込む。

 セハルは、ミロク達に背を向けて立っている。その数メートル先に、少年がセハルと向き合う形で立っている。彼の隣りには、セハルと同じ顔をした戦神が、無表情のまま佇んでいる。

 少年は目と細い眉を吊り上げ、それでも笑みを浮かべてふんぞり返った。

「まったく、とんだ不良品がいたものだな。おまえなんか、正常な戦神がすぐに倒してやる。無様に捨て置かれたまま、燃料切れで壊れるが良いさ」

 高笑いをする少年は、「助けは来ないぞ」というセハルの一言に怯んだ。

「覚えてるんだ。『セハル』だった頃のこと。運動神経は良い方だったし、両親共に軍の幹部クラスだったから、協力するのが当たり前だと思ってた」

 セハルが、ゆっくりと少年に近付いていく。笑顔を引きつらせた少年は、じりじりと後ずさっていく。

「昔は、ここに研究員が大勢働いてた。制御装置がどこにあるのか。動力源がどこにあるのか。覚えてるんだ」

 セハルは足早に左側の壁に寄ると、肩の位置を蹴り上げた。壁の一部がひしゃげ、中からレバーが現れる。セハルはひしゃげた薄い板を取り除くと、レバーを下ろした。少年の背後の壁が、音を立てながら横へ移動する。奥には、緑色の液体が入った巨大な円柱があった。

 驚く少年の横を駆け抜けたセハルは、床を蹴って円柱に蹴りを入れる。しかし、鈍い音が響いただけで穴は開かない。円柱が壊れないと知ると、少年はまた笑いだした。

「無駄だ、無駄だあっ。おとなしく壊れろおっ」

「セハル君、どくっすっ」

 聞き慣れた声にミロクが目をやると、部屋の中にフェイファが躍り出ていた。彼は、戦神から奪った銃を両手で構えている。

 目を丸くしたセハルが言われるがまま後ろに退いた瞬間に、銃声が三発鳴った。銃弾は三発とも円柱の中央よりやや下の辺りに命中し、透明な容器にひびを入れた。ダメ押しとばかりにセハルがひびを踵で蹴ると、勢いよく緑色の液体が吹き出した。液体の圧力で更にひびの範囲が広がり、大きな穴が開く。すると、流れ出る液体の量も増した。

 計器と思わしい場所に液体が入り込み、小爆発を起こす。少年は、頭を抱えて叫んだ。

「おまえ達、なんてことしてくれたんだっ。動力源なんだぞ? ごはんが無くなるってことなんだぞ?」

 ここまで微動だにしなかった戦神が、少年を抱き上げて円柱だったものから距離を取った。安全な場所に下ろされた少年は、戦神に礼を言うこともなく、セハルを指差す。

「おまえだって、直に動けなくなるんだからなっ」

「分かってるし、動けるよ。『再利用』されてるからな。フェイファ」

 フェイファが心得たとばかりに、計器に向けて銃を放った。弾は見事に命中し、金属片が辺りに飛び散る。

「『セハル』は、世界の滅亡なんて望んでやしなかった。俺達のどんな個体にも、そこにいる戦神にも、少なからず記憶が残ってる。あんたのことは守っても、動力源のことは守らなかっただろ? このままでは制御不能になることも、俺がやりたいことも、全部分かってたからだ」

 セハルが戦神に目を向けると、彼はこくりとうなずいた。

「俺は帰る。役割を与えられたし……その、じいさんといた時みたいに楽しい、かもしれない」

 しどろもどろに話すセハルの耳が、少し赤くなっている。戦神が、もう一度うなずいた。

「『セハル』の分まで、『セハル』として生きたら良い。俺は先に逝く」

 ミロクには、戦神が心なしかほほ笑んでいるように見えた。

 セハルはうなずくと、扉に振り返る。

「そいつを頼んだ。帰るぞ、ミロク」

「気付いてたのか」

 ミロクとシャオウが姿を現すと、セハルは肩をすくめた。

「フェイファがいるってのもあるが、ミロクは気配を隠す気も無いから分かりやすかった。シャオウは分からなかったが」

「まあ、元軍人だからな」

「俺も、元軍人なんだがな」

 頭を掻くミロクに、シャオウが呆れた目を向ける。

「おまえは、ただ突っ立ってただけだろうが。俺は、軍人とは認めてねえからな」

「好きで突っ立ってたわけじゃねえよ」

 ミロクは大きく息を吐いた。

「とりあえず、レンリを迎えに行くか。遅くなると、うるせーからな」

「ミロクは、レンリに脅されでもしてるのか?」

 からかうつもりなのだろうか。シャオウが器用に片方の眉を上げた。

「脅されちゃいねえけど。なんか逆らえないもんを感じる」

 ミロクが小刻みに上半身を震わせてみせると、今度は神妙な面持ちになったシャオウが「確かにな」と言って、うなずいた。

「俺は、しばらくこの辺をうろうろしてる。あの戦神がいれば馬鹿なことはしないと思うが、念のため見張っとくつもりだ」

 シャオウが喚きながら大泣きしている少年を、ちらりとだけ振り返る。

 帰りは別行動になる、とレンリが予見していた通りだ。だからというわけではないが、やはり逆らえないものを感じる。ミロクは、肩をすくめた。

「じゃあ、ここでお別れだな」

「ああ。また、いつかのスクラップ市で会おう」

 シャオウが手を差し出すので、ミロクは素直に握手を交わす。痛くない程度に加減されているが、それでも力強い手だった。

「セハルとフェイファも達者でな。レンリ達に、よろしく」

 ミロクの手を離したシャオウは、両手を肩の高さに上げる。セハルとフェイファは笑いながら、各々の片手をシャオウの手に打ち付けた。パンッという乾いた音が響いたが、シャオウはびくともしない。

「んじゃ、お先」

 ミロクは、階段を降り始める。「待ってよ、ミロク兄」という言葉と共に、フェイファが後を追う。

「で、本当のところ、おまえはどこまで記憶があるんだ?」

 シャオウに問われ、セハルは彼を横目で見た後、ため息を吐いた。

「ミロクは気付いていないようだから、絶対に言わないでほしいんだ」

 そう前置きして、左袖を捲り上げた。二の腕に現れた傷跡に、シャオウは目を見開く。

「昔、氷柱に襲われた時のものだ。助けに入ったあんたのことも覚えている」

 セハルは、袖を元に戻した。

「悪いようにはしない。今の生活が、結構気に入ってるんだ」

 シャオウは、長く息を吐いた。

「分かった。その言葉を信じよう」

「俺からも一つ質問がある」

「なんだ?」

 セハルは少年と戦神を見た。疲れたのか、少年は喚くことをやめていた。

「端から、ここを突き止めていて潰すつもりだったんじゃないか? 事前準備もできていたんだろ? あまりにも攻略が簡単すぎた」

 セハルの指摘に、シャオウは短く笑った。

「ここ以外にも、制御棟があることは知っているか? そっちに今、ヒガンがいる」

 セハルは眉を寄せた。

「東国に行ったんじゃないのか?」

「ついでってところだな。レンリから連絡が来たのは偶然だが、おまえがいて助かったよ。無駄に戦神とやり合わずに済んだし、レバーの位置までは知らなかったからな」

 戦神と東国。ついでは果たしてどちらなのか。セハルはあえて口を挟まなかった。聞いたところで、のらりくらりと躱されるだけだろう。

 シャオウと別れたセハルが一階まで降りると、まだ転がっているヒガンの顔をした戦神にミロクがカメラを向けていた。

「なに撮ってるんだ?」

「んー、ヒガンのこんな姿、もう二度と見る機会ねえなと思ってな」

 にやりと笑うミロクに、セハルが心底呆れたといった視線を送った。その横では、フェイファが律儀にも奪った銃を元に戻している。

 外に出ると、日が暮れ始めていた。風は無く、生物の声も無く、ただただ静かだ。

「今日も船中泊っすかね。できれば甲板で横になるのは勘弁してほしいっす」

 島からアウシュニャまでは半日かからない程の距離だが、なるべく日中に用事を済ませられるよう手前で一晩を過ごした。船室には一人用の簡易寝台が二台設置されているのだが、運転手であるミロクと一応今回の長であるレンリが使用したため、残りは甲板で雑魚寝となったのだ。

 「風車内の足場の上で寝落ちすることもあるし、大丈夫っす」と笑顔で話したフェイファだったが、足場の上とは勝手が違ったらしい。大抵の場面で笑顔でいるフェイファだが、今は渋い顔をしている。

「文句言うなよ。諜報部員の連中は、毎回雑魚寝だぞ」

 諜報部員達のほとんどは、運転手に休息場所を優先してくれる。率先して船室に入るのはヒガンくらいだ。

「あの人達とは体の造りが違うんすよー」

 フェイファの聞き分けが珍しく悪い。いつもは弟が引っ付いているし、一緒にいるのがミロクとセハルのみということもあって甘えているのだろう。

「帰りにアウシュニャに寄って、寝袋でも借りたらどうだ?」

「寝袋っすかー。おばさん、持ってるっすかね」

 はて、と首を傾げるフェイファをトラックの後部座席に押し込んだミロクは、後ろを振り返った。セハルが出てきたばかりの建物をじっと見ている。

「おい、セハル。置いてくぞ」

「ああ、悪い」

 はっと振り向いたセハルは、慌てて助手席に乗り込んだ。

 ミロクもトラックに乗り込む前に、建物を見た。二階の窓から、セハルと同じ顔ををした戦神が見下ろしていた。

「やっぱり街で買った方が確実だと思うんすけど」

 運転席に座ったミロクに、フェイファが提案する。

「そうは言っても、こっちの通貨持ってきてんのか?」

 ミロクの指摘に、フェイファはポケットをあちこち探す。

「……無いっす」

「だろ? じゃあ、却下だ」

 ミロクは即座にトラックを発進させた。島で使われる通貨はパーパのもので、月に一度研究所から島のすべての人間に仕事に見合った額を支給される。食事であるリキッドは配給制。住居は研究所が指定した家に無料で住まわせてもらえるし、電気も医療も修理も衣服や雑貨も無料。金の使い道と言えば、スクラップ市くらいものだ。そのせいで、島の人間の多くは金を持ち歩く習慣が無い。

「なんの話だ?」

 セハルがフェイファに尋ねたのを皮切りに、二人で甲板トークが始まった。彼等の会話をBGMにして、ミロクはトラックを走らせる。

 城の外で待っていたレンリ達と合流する頃には、二人の話題は鳩へと変わっていた。フェイファは、すっかり寝袋のことを忘れてしまっているようだ。思い出すのは船に乗ってしばらく経ってからだろうな、とミロクは予想する。

 ルタに続いてトラックに乗り込んだレンリは、さっそく口を開いた。

「パーパに休戦協定を結びに行くことになった」

 ミロクは後部座席に振り返ると、まじまじとレンリの顔を見た。

「それは良いが、なんでわざわざレンリが?」

「あいつと知り合いだからな」

 レンリにかかると、たとえ国王であっても『あいつ』呼ばわりだ。悪びれることもなく、思案気に細い顎を擦っている。

「ミロクは行かない方が良いだろうな。おまえは、私以上に軍部の人間に顔を知られている」

「だったら、セハルもまずいだろ。戦神と間違えられて攻撃されても面倒だ」

「ふむ。一度、島に戻るか。代わりの運転手と護衛が必要だ」

 ミロク達はアウシュニャに戻ると、ビーショウに軽く挨拶をして船に乗り込んだ。ミロクの予想した通り、フェイファが寝袋のことを思い出したのは出向して十五分ほど経った後だった。

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