第2話

「おはよう」

 背後から掛けられた声に、ミロクは振り向いた。

「おう、セハル。よく眠れたか?」

「おかげさまで」

 答えるセハルは朝に強いのか、一切の眠気を感じない。逆にレイは朝が弱く、今も布団の中の住人だろう。

「レイを起こしてくるから、これでも飲んでてくれ」

 ミロクはセハルに向かって、緑色の液体が入った小瓶を放り投げる。手のひらより二回りほど大きい瓶だが、セハルは難なく受け取った。

「朝食も、これだけなのか?」

 残念そうに眉尻を下げるセハルに、ミロクが笑う。

「よほどの物好きじゃなければな。島外ほど汚染されちゃいないし、『再利用』された人間に毒は効かないらしいが。それでも、好んで毒を食らう人間はいない」

「再利用?」

 セハルの眉間に、皺が寄った。

「諜報部の奴等は島外に出てスクラップを拾ってくるが、たまに死にかけた人間を拾ってくることもある。それをヒヨク達がいじって生き返らせたのが『再利用者』だ。この島に住む人間の大多数が、それだな」

「あんたもなのか?」

「いいや。俺は、人間であるかどうかすらも怪しい」

 ミロクは肩をすくめると、レイを起こしにいこうと階段に足を掛けた。と同時に、レイの部屋のドアが勢いよく外に開き、レイが階段を駆け下りてくる。降ってくる、と言い換えても過言ではない。ミロクは咄嗟に階段に掛けていた足を床に下ろすと、レイを受け止めた。衝撃で、足が一歩後退する。

「置いてくなんて、ひどいよっ。起こしてくれたって良いのにっ」

「置いてってねえだろ。今、起こしにいくとこだったんだよ」

 涙目になっているレイを引きはがすと、ミロクは大きくため息を吐いた。

「ったく。リキッド飲んだら、さっさと行くぞ」

「はーい」

 レイは棚からリキッドを取り出すと、椅子に座って飲みだした。彼女の背後に回ったミロクは、色素の抜けた長い髪を木製のブラシで梳いてやる。毎朝の習慣だ。ミロクが横目でセハルを見ると、彼も立ったままリキッドを飲んでいる。

「なんか、満たされた感じがしない」

 飲み切って腹を撫でるセハルに、「そのうち慣れるさ」とミロクは笑った。

 レイも飲み切り、空き瓶を仕切りの付いた木箱に入れると、三人は外に出た。

 そよ風が、三人の髪を揺らす。彼等のほかに人はおらず、生活音も聞こえてこない。鳥のさえずる声だけが、辺りを満たしている。しかし、ブナの木で羽を休める鳥もまた、ヒヨク達が戯れに『再利用』したものだ。

 何が楽しいのか時折くるくると周りながら進むレイの後ろを、ミロクとセハルが並んで歩く。

「あの子は、妹なのか?」

 ミロクは、横目でセハルを見る。彼は何の感情も顔に乗せることなく、レイの姿を目で追っている。

「いいや。大事な奴から預かったんだ」

 答える声音に、少しだけ哀しみの色が混ざる。セハルは一瞬だけ声を詰まらせミロクに目をやったが、「そうか」と短く応じた後は再びレイに視線を戻した。

 二人の様子など、レイは意に介していないのだろう。時折指をさしながら、笑顔で案内を続けている。

「それでね、あそこが畑の実験場。ルタさんが、毒の無い野菜を育てるために、いろいろ工夫してるの」

 畑に目をやると、あぜ道にルタが座り込んでいる。向こうからもミロク達が見えたのだろう。ゆらゆらと手招きをしている。レイが小走りで寄っていくので、ミロクとセハルも応じることにした。

「よう、レイにミロク。そっちの坊やは、たしか」

「昨日、会っただろ? うちで預かることになったんだ」

「セハルといいます。あなたのおかげで整備局に入ることが決まりました。ありがとうございます」

 頭を下げるセハルは、やはり訓練でもしてきたのかと疑ってしまうほど綺麗な姿勢だった。体を腰から曲げ、背筋や足は真っ直ぐ。指先もしっかりと揃っている。

 ルタは数回瞬きを繰り返した後、「あーあー構わん、構わん」とおざなりに手を振った。

「せっかく興味のあるとこに入れたんだ。しっかり、やれよ」

 激励の言葉に、セハルは「はい」と返事をする。初めて見る満面の笑顔に、ミロクは「こいつ、こんな顔もできるのか」と周囲に聞こえるか聞こえないかの音量で呟いた。

「ところで、ルタさんは何をやってらしたんですか? 休憩ですか?」

 セハルの問いに、ルタは「ため口で良いよ」と言いおいてから、目の前に植わっている人参を一本抜いた。まだ成長途中の人参は、レイの指と同じくらいの細さだ。

「人参の出来はどうかと思って、試食していたところさ」

 人参に付いた土を軽く払うと、口の中に放り込んでしまう。ミロクは、顔をしかめた。

「よく、そんなもん食おうと思うな。まだ、成功してないんだろ? 毒抜き」

「どうせ僕らには効かないよ。そういう風に造り直されてるんだからね」

 ルタは、にやりと笑った。見るからに無精者といった外見をしている割には、綺麗な歯並びをしている。

「毒なら、君らだって毎日接種してるじゃないか。これ」

 皺だらけで裾に土が付いた白衣のポケットから、小瓶を取り出す。今朝、セハルやレイも飲んできたリキッドだ。

「まさか安全とは思ってないよね? この世界で作られたものなんだしさ」

 ルタの細い目が、更に細くなる。レイはミロクの腕に縋るように掴まり、セハルは息をのんだ。

 ルタが、さぞおかしいと言うように「ククク」と笑い声を漏らす。

「嘘だよ」

 ルタと涙目になったレイを交互に見たミロクは、「おい」と低い声を出してルタを睨んだ。途端にルタは、顔の前で手を振りながら「いやいや、実際に浄化しきれているかって聞かれると微妙なところなんだ」と弁明した。

「怖がらせたお詫びに、材料の一つを見に行ってみる?」

 ルタの提案に、ミロクは小首を傾げる。

「そういや、見たことないな」

「でしょ? この島の人達は材料のことなんて興味無さそうだし、ミロク君は休日もこき使われることが多いからね」

 即座にレンリの顔が思い浮かんで、ミロクは渋面を作る。さすがに全ての休日を潰されることはないが、人使いが荒いのは確かだ。

「案内してあげるよ。付いておいで」

 ルタが小瓶をポケットに戻す。ポケットは瓶の形のまま膨らんで、口から瓶の頭を出している。彼は気にせずあぜ道を出て、ミロク達が暮らす第四地区へと足を向けた。ミロクは腕に掴まったままのレイはそのままに、ルタの後を追う。後ろから、セハルも続いた。

 先を行くルタは第四地区の住宅街には目をくれることなく通り過ぎ、検査用の貯水池場の脇道へと進んでいく。人が横に二人並べるくらいの道幅で、舗装もされていない。小さな荷車が通るのか、親指ほどの幅の轍が道の両脇にできている。人も荷車も踏まない場所には、雑草がちらほらと生えていた。

「この先に、材料があるのか?」

 ようやくレイに解放されたミロクが問う。前を行くルタは、ちらりとだけ後ろを振り返った。

「そう。この先にあるもののおかげで、貯水池の水は再利用を施されていない人間でも下水処理や洗濯なんかに使う分には問題ないくらい汚染度が下がってきてるんだ」

「飲み水としては、まだ厳しいんだな」

「使えないとは言わないけど、推奨はしない。ただ、島の外の人達は、この何倍にも汚染された水を飲んで生活してるわけだけどね」

 人間に限らず、島外のありとあらゆる生き物は現在も体内に毒を蓄積し続けており、いずれ絶滅する。それが数年後なのか、数十年後までもつのかは分からないが。

 というのが研究者達の見解であり、また世界中の常識ですらあった。人々が島に殺到しないのは、研究内容が広く知られていないことが大きい。また、島外の国々の多くは疲弊していて、小さな島に構っていられない、というのもあった。

 ただし、大国のパーパとドゥルガーからはスパイが送り込まれている、という噂もある。そのため、島の海岸線には警備局の中でも特に腕が立つ者が配置されていた。

 貯水池場を抜けると、徐々に木が増えてくる。最初は低木しかなかったものが、進むにつれて高木の割合が高くなっていく。いまだ続く轍に沿って歩いていくと、洞窟の中へいざなわれた。

「この奥に、材料があるんだ」

 ルタの声が、わずかに壁や天井に反響する。

 洞窟は高身長のルタが苦も無く歩けるほどの高さがあり、横に二、三人並んでも支障がないほどの幅があった。入り口から数歩中に入っただけで、すっと気温が下がる。息を吸い込むと、苔の匂いがした。入り口付近は薄暗いものの、奥へ進むと光苔のおかげでほのかに明るい。苔が生えている割には湿度が低く、滑ることを気にせず歩くことができる。

 更に進むと、肺に入る空気が外に比べてかなり澄んでいることにミロクは気付いた。味など無いはずなのに『おいしい』と感じる。

 いつの間にか壁に貼りついていた光苔の姿が見えなくなる。反して、進めば進むほど明るさは増していった。

 陽光だ。そうミロクが気付いた時には、目の前に巨大な空間が広がっていた。白く細かい砂に埋もれた地に、木が何本も生えている。

「木が生えてるっ」

 レイは走り出すと、一番近くに生えていた木の幹に両腕を回した。小柄な少女が余裕で腕を回せるほどの若い木だ。離れた場所には、とても回しきれないだろう太い木もある。

「なあ、あれ」

 セハルに肩を叩かれ、ミロクは彼が指さす先へと視線を上げた。

「こりゃ、また随分と崩れてるな」

 ミロク達が立つ場所に、天井は無かった。陽光の原因は、これだ。まだ残っている天井ももちろんあるが、端から白い砂へと変わって降り注いでいる。

「この辺りの砂に、毒は無いんだ」

 ルタは片手で、足元の砂をすくい上げた。

「天井は浄化されると、白い砂へと変わるらしい。この島には、ここみたいな場所があっちこっちにあるんだ。あっちに流れてる川の水も、毒は無いよ」

 すくい上げた砂を地面へと流し落とすと、数メートル先を指さした。光を受けて、水面が輝いている。近付いてみると、またいで渡れてしまうほど小さな川が流れていた。透明度が高く、底で白い砂が転がる様子が見える。

 小川の脇には、小さな畑があった。外のものより一回り大きい人参が、砂から顔を出している。

「育ててるのか?」

 ルタはうなずきかけてから、否定するように手を振った。

「ああ、いや。リキッドの材料の一つは、水だよ。畑は、趣味みたいなものでね」

 日に焼けた手が、優しく葉を撫でる。

「僕の出身は、ドゥルガーのスーリヤって小さな村でね。農業が盛んだった。最新の技術を学ぶためにパーパに留学したんだが」

 葉を撫でていた手が止まった。そのまま握られた拳が、小刻みに震える。

「研究に夢中になってる間に、村は戦争に巻き込まれたと人伝えに聞いた。帰るに帰れず、かと言って研究に打ち込む気にもなれず管を撒いている内に、世界中に毒が蔓延した。可能性が完全に失われるかと思うと、惜しくなるものでね。どうにか毒の無い野菜を作れないかって模索してる内に、ぶっ倒れてね。運良くレンリに拾ってもらって、今に至るってわけ」

 肩をすくめるルタに、ミロクはため息を吐いた。

「運良く、ね。願ったんだろ? 神様に、まだ死にたくありませんって」

 「ははっ」と、ルタは笑い声を漏らした。

「そうかもしれない。偶然にしろ必然にしろ、こうして僕は生きていられて、夢を追えてるんだ」

 もう一度、日に焼けた手が人参の葉を愛おしそうに撫でた。

「いつか大きな畑一面に、毒の無い野菜を作る。僕の夢だ」

「そうか」

 頬を緩めたミロクの横から、「なあ」とセハルがルタに声を掛ける。

「あんた、スーリヤ村の出身なのか?」

「ああ、そうだが」

「スーリヤ村は、キックボクシングが盛んだと聞いた」

 セハルの言葉に、ルタが頷く。

「年に一度、村一番の男を競う大会があった。大昔に作物を狙った虎を勇者が追い払った、という話があってね。それに倣ってるのさ」

 「虎、ねえ」と薄ら笑いを浮かべるミロクに、「箔がべたべたと付いていくのが伝承ってもんさ」とルタは肩をすくめる。レイが「べたべたー」と言いながら、ミロクの背中に両手を付いた。

 レイの様子には目もくれず、セハルは真剣な顔でルタを見据えている。

「あんたは強いのか?」

「そうだな。留学前に二回優勝したことはあるが。あれから、だいぶ年数が経ってるからな」

「それでも良い。俺に稽古をつけてほしい」

 ミロクは口を挟もうとするが、ルタが片手を挙げて制した。

「なぜ、そう思ったんだ?」

「ミロクを待つ間、レンリから本当は警備局に回すつもりだったと聞いた。整備局に入れてもらえたことは嬉しいし、早く一人前になりたいと思ってる。でも、あんたの畑くらいは守れるようにもなりたいと思った」

 あまりにも率直な言葉に、ルタは苦笑した。

「分かった。昔ほど動けるとは思わないが、できる限りのことは教えるよ。しかし、うちの村を知ってるとはね。君も、ドゥルガーの出身かい?」

 指摘されて、セハルは視線をさまよわせる。

「覚えて、いない」

「ふうん。まあ、再利用された人間の中には、記憶が曖昧な奴も少なくないからね」

 ルタは両腕を上げて背伸びをすると、白衣のポケットから懐中時計を取り出した。

「僕はそろそろ研究所に戻るけど、ミロク達はゆっくりしてて良いのか?」

 問いと共に、時計の文字盤がミロク達に向けられる。背景は白一色、数字と針は黒色で、秒針は無い。見やすくも簡素な時計だ。

 時刻を確認すると、ミロクはため息を吐いた。あと一時間半もすれば正午になる。

「長居したつもりは無かったんだがな」

「外の畑から、意外と距離があるからね」

 ルタが、肩をすくめる。ミロクは、レイを振り返った。

「おい、レイ。そろそろ研究所に行くぞ」

 途端に、「えー」とレイが不満の声を上げる。それを見て、ルタは「相変わらずだな」と笑った。

「ミロクは、これから仕事だろ? 戻りついでに、僕がレイを送ろうか?」

「ああ、頼む。セハルは、どうする? 家に戻るか?」

「いや。仕事に付いていっても良いか?」

 意外な申し出に、ミロクは目を丸くする。

「別に、構わないが。荷下ろしを手伝ってもらえたら助かる」

「それくらいなら喜んで。体を動かすのは嫌いじゃないんだ……と思う」

 曖昧な物言いに、ミロクは軽く吹き出した。

「なんだ、それ。まあ、いい。よろしく頼む」

 うなずいたセハルは、少しだけ顔をほころばせた。

 貯水池場でルタとぐずるレイと別れ、車を取りに家へと戻る。念のため戸締りを確認してから、リキッドを受け取りに研究所へ向かう。道中、セハルに「ついでに、二人を送っても良かったんじゃないか?」と突っ込まれた。その通りではあるのだが、別れが長引けば長引くほどレイの対処が面倒くさくなる一方なので、あえて気付かない振りをしたのだ。その辺りのことは、ルタも分かっていただろう。

 荷物を車に載せると、目的地に車を走らせる。街を抜け、森に入ってしばらくすると景色に飽きたのか、セハルは車に備え付けられているラジオをいじりだした。しかし、どれだけ周波数をいじっても、聞こえてくるのは砂嵐の音だけだった。

「基地局が近くに無いんだな」

「それもあるが、電波状況が日に日に悪くなってるらしい」

「なるほど」

 納得したセハルはラジオの電源を切ると、また窓の外へと視線を移した。座席にもたれたかと思うと、すぐに前かがみになる。

「あれは、何だ? どこに向かってる?」

 セハルは、木々の上から見えだした風車の羽を物珍しそうに眺めながら尋ねた。

「あれは、風車。向かってるのは、天体観測区だ」

「天体観測区?」

「ああ。そういう名称だが、実際は星を観測してるだけじゃない。天候、風、大気の汚染度。あらゆる気象現象を研究していこうって場所だ」

 土を踏み固めただけの坂道を上り、どれも素材が違う三基の風車の前を通り過ぎる。すると、すぐに区役所があるのだが、職人街の役場以上に珍妙な建物だ。木造の平屋建てなのだが、役所と鳩小屋が一つの建物の中にある。

 車を降りたセハルが、困惑気味に「なんで鳩小屋が」と呟いた。

「鳩も研究対象の一つよ。今でも帰巣本能が働くか調査しているの。うまくいけば、島内の連絡手段として取り入れる予定。この辺りは特に、電波の具合が今一つだから」

 区役所から出てきた女性が、セハルの呟きに応じる。

 人口が百人に満たない小さな区は普段から静かで、鳩の鳴き声や風車の羽が軋む音がのどかに響く。車の音がすれば、運送部が来たと分かるのも当然のことだ。ミロクが呼ばわる前に、向こうから外に出てくるのが常だった。

「よう、カウムディー」

「こんにちは。ルタは元気?」

「ああ。今朝も、毒人参食ってた」

「相変わらずね」

 カウムディーは、困ったようにほほ笑んだ。彼女と顔を合わせるようになったのは島に来てからだが、ミロクは一度も彼女の機嫌や言動が荒れるところを見たことが無い。

「ルタに良い知らせを届けたいところだけど、大気の状態も相変わらずよ。わずかに改善されたかもしれない、という程度ね」

 カウムディーが歩きだしたので、ミロクとセハルも後に続く。職人街以上に簡素な集落ではあるが、付き従うのも仕事の内だ。

「あの人は、ルタの知り合いなのか?」

「幼馴染ってやつらしい」

 ミロクには、幼馴染という関係性がどういうものなのか、いま一つ理解できない。小声で尋ねたセハルは納得したようで「なるほど」と呟いた。

「人口の増減は無し。三か月前の大雨で崩れたところは、数日前に工事が完了。土木事業部の方からも、たぶん報告が上がっていると思うけれど」

 セハルはカウムディーの説明に逐一うなずき、合間に興味深そうに建物を眺め、首を忙しそうに動かしている。目覚めたばかりの再利用者は、子供のような振る舞いをする者も多いらしい。レンリの言葉を思い出したミロクは、隣りを歩くセハルに気付かれないよう顔を逸らしながらニヤニヤと笑った。

 前を歩いていたカウムディーも、セハルの行動に気付いたようだ。石で組まれた天文台の前で立ち止まると、彼の顔を覗き込んだ。首の動きに合わせて、腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪が、さらさらと流れる。

「あなたは、観測区が初めてなのね」

 覗き込まれたことに動揺したのか、セハルはあたふたとしながら一歩下がった。

「あの、初めて、というか」

「こいつは『生まれた』ばっかだ」

 耳を赤く染めるセハルに代わって、ミロクが答えてやる。ほほ笑むカウムディーは、セハルの様子に気付いていない。「子供の頃から人気はあったが、好意に関しては殊更鈍かった」というのが、ルタの評だ。

「そうだったのね。所属先は、もう決まったの?」

「整備局だ。車専門。当分の間は、うちと研究所の往復だろうけどな」

 生まれたばかりの再利用者は、定期的に検査を受けることになっている。そこはカウムディーも承知しているので、「そう」とうなずいた。

「じゃあ、うちの整備士の仕事も見ていく?」

 動揺しながらも、ちゃんと聞いていたらしい。セハルは、カウムディーの提案に、目を丸くした。

「ここにも整備士がいるのか?」

「もちろんよ。とは言っても、車を整備するわけではないの。うちでは、望遠鏡や風車なんかを整備するのよ」

 「風車……」と口にしながら、セハルは風車を振り返り見る。三基の内の手前の一基だけが、羽を回していない。

「見てみたい」

 目を輝かせるセハルに、カウムディーはにっこりと笑った。

「さっそく案内するわね」

 黒髪を揺らしながら、さっさと風車へと歩いていってしまう。ミロクとセハルは顔を見合わせた後、彼女を追いかける。既に、セハルの顔からは赤みが引いていた。

 三基の風車は、すべて素材も見た目もまるで違う。一基は、赤や茶色の石で土台を組んだ、小屋と呼ぶのがふさわしいほど立派な風車だ。真ん中の一基は壁が無く、木の柱がむき出しで、まるで櫓だ。もう一基は、太い鉄の棒に羽が付いただけの簡素な造りをしている。

 セハルがなぜ全て素材が違うのかと問うと、「ものによって用途が違うっていうのもあるけれど。一番の理由は、素材が揃わなかったからね」と答えが返ってきた。建築物の材料に苦慮するのは、島中どこも同じだ。

 ミロク達が案内されたのは、立派な風車小屋だった。今の環境でどれほどの動力を生み出すことができるのか、というのが主な観察内容らしい。

 カウムディーは木戸を開けると、中を覗き込んだ。

「フェイファ、いる? 少しお邪魔しても良いかしら?」

 小屋の壁が厚いのか、ミロクには中からの声が聞こえない。カウムディーがこちらを振り返ってうなずいたことで、許可が降りたのだと分かった。彼女が中へと入っていくので、ミロクとセハルも後に続いた。

 小屋に陽光が入る箇所といえば、出入り口と風車の軸が通る穴、薄汚れた小窓しかない。そのため中は薄暗く、外に比べて気温は低いが湿度はやや高い。動力を確かめるために設置された歯車や杵は木でできていて、新築の木造家屋のような香りがする。

 不意に、ミロクの足元を照らすほのかな光が揺れた。見上げると、足場の上からランタンを掲げた少年が下を覗き込んでいる。目が合うと、薄暗い中でも満面の笑みを浮かべるのが分かった。

「誰かと思ったら、ミロク兄じゃないっすか」

「よお、邪魔するぞ。ちょっと、こいつに仕事を見せてやってくれないか?」

 言いながら、セハルを軽く押し出してやる。フェイファは同年代のセハルの顔を見て、目を丸くした。

「良いけど、もうほぼ終わっちまってるっすよ」

「それでも構わない」

 セハルの返答に、フェイファは笑顔でうなずいた。

「じゃあ、そっちのはしごから上がって……あ、ここ狭いんで。先にウーが降りてから、上がってきてほしいっす」

 言葉の後、すぐにランタンを持った少年がはしごを降りてくる。少年からランタンを受け取ったセハルは、危なげなくはしごを上っていった。

「ウーゴウもいたのか」

 ミロクの言葉に、ウーゴウはうなずいた。フェイファの弟だが表情が乏しく、言葉数も少ない。

「私は役所に戻るけど、ミロク君はどうする?」

 カウムディーに問われ、ミロクは足場を見上げた。道具を一つずつ、丁寧に説明するフェイファの声が聞こえる。

「ここで待ってても、しょーがねえし。鳩の世話でも手伝ってやるよ」

「ぼくも、手伝います」

「それは助かるわ」

 二人の申し出に、カウムディーはふわりと笑った。それから「役所で待ってるから」と上に声を掛けると、フェイファは了解とばかりに片手を振った。

 カウムディーはまだ書類仕事があるというので、ミロクはウーゴウと二人で鳩小屋の掃除をすることにした。ウーゴウはよく手伝っているらしく、鳩を誘導するのも慣れている。抜けた羽や糞を処理するのも、ミロクよりもよほど速い。餌やりまで終えて役所の中に入ると、カウムディーがお茶をいれてくれた。ルタが育て、作成した試作品とのことだ。

「この島に来て、初めて茶を飲んだな」

 ミロクはしげしげと欠けたカップの中身を見下ろした。島外で見慣れた茶色ではなく、薄い緑色をしている。カウムディーによれば、茶葉を発酵させないと緑色の茶になるらしい。ルタは試作品ができると、まず彼女に送るようだ。彼女の知識と、幼い頃から一緒に育った信頼から、そうしているのだろう。

 役所内では、五人の人間が書類仕事を続けている。観測結果は日々役所に集められ、役所の人間が集計や分析をしているようだ。

 ミロクとウーゴウは彼等の邪魔にならないよう、部屋の隅でくつろぐことにした。ミロクはカウムディーがスクラップ市で買ったという小説の短編集を借り、その隣りのウーゴウはうとうとし始める。短編集は各国の神話を集めたものだった。神様のわりに人間味があり、生々しく、読み物としてはおもしろい。

 本の終わりが見え始めたところで、ようやくセハルとフェイファが役所にやってきた。フェイファが木戸を勢いよく開いたことで生じた激しい音に、うとうとしていたウーゴウが飛び跳ねる。目を瞬かせる彼に、フェイファは「悪い、悪い」と謝った。

「なあ、ミロク兄。来月、スクラップ市があるんだって?」

 問うフェイファの瞳は、期待で輝いていた。修理の最中か、風車から役所に来る道中でかは知らないが、セハルから聞いたに違いない。

「ああ。来月の三日から五日にかけて、やるらしい」

「俺達も、また連れてってほしいっす」

 ウーゴウの都合や希望などおかまいなしに、フェイファは彼を数に入れる。ミロクがちらりと隣りを見ると、ウーゴウの目も輝いていた。

「三日なら職人街に行く予定があるし、構わねえが。おまえら、休み取れるのか?」

「取れるっ……すよね?」

 勢いよく答えてから振り向くフェイファに、カウムディーはおかしそうに笑った。

「一日くらい、構わないわよ」

「だって」

 ミロクに向き直るフェイファの鼻息が荒い。ミロクは思わず仰け反った。

「レンリも一緒だぞ?」

「大丈夫。俺達、レンリの姉ちゃん大好きだもん。な?」

 急に話を振られたウーゴウは肩を跳ね上げた後、ゆっくりとうなずいた。

「研究所の話を、してくれます。勉強に、なります」

 抑揚が無く感情が読み取れない声だが、ミロクは納得した。

「そうか。じゃあ、当日の朝、迎えに来る」

「わかった」

「わかりました」

 兄は満面の笑みを浮かべて、弟は真顔のままで、了承した。

「カウムディーは、どうするんだ?」

 ミロクが行くとなれば当然レイも付いてくるだろうし、セハルも興味があるだろう。そうなると既に車はいっぱいではあるが、一応聞いてみる。

「私は、行けそうなら最終日に行くわ。ゆっくり選びたいもの」

 スクラップ市では、商品が売れても補充されることはまず無い。島に物を運ぶ手段が限られているからだ。そのため、最終日は人気が無い。しかし、残り物を好きなように物色することができる、という利点もある。カウムディーのように最終日を好む人間も、少なからずいた。

「そうか。分かった」

 顔見知りのよしみで送り迎えを買って出たいところだが、あいにくその日は仕事が入っている。カウムディーも分かっているのか、ほほ笑んだまま何も言わなかった。

 役所を辞する頃には、辺りは既に薄暗くなっていた。特に天体観測区は人工的な明かりが少ないため、他の区画に比べて日の入りが早いように感じる。坂道を下り始めた時はバックミラーで風車の姿を確認することができたが、下りきる頃には前に進むにも明かりがいるようになっていた。

「昨日見た空より、星が多い気がする」

「うちの方は、夜中でも研究所が明るいからな。降りてみるか?」

 ミロクの提案に、セハルがうなずく。通行人が来ることはまず無いが、ミロクは車を道の端に寄せて停めた。

「ああ、本当に綺麗だ」

 車を降りて空を仰いだセハルが、感嘆の声を上げる。空を分断するようにある大河も、線を引いて流れていく星も、全て肉眼で確認することができる。

「暗いってのもあるが、人類が減った分だけ空気の浄化が進んでるのかもしれないな」

 目を細めるミロクの毛先を、そよ風がさらう。「人類か」と、セハルが呟いた。

「そういえば、世界滅亡時計っていうのがあったな。今は、何時を指してるんだろう?」

「零時のほんのちょっと手前だろ」

 迷わず返すミロクに、セハルが振り返る。

「俺達がいるから滅亡しない?」

「世界滅亡と人類滅亡の意味が同じならな。ただし、いるから汚染も止まらない」

 向き直るミロクに、セハルは首を傾げた。

「あんたは、人類みんな滅亡した方が良いと思ってるのか?」

「良いとは思っていない。この星にとっては、その方が良いんだろうとは思うが。滅亡したら、レイもいなくなる」

 淡々と答えるミロクに、セハルは息をのんだ後、顔をゆっくりと空へ向けた。

「そうか……そうだな」

「それにしても、よく世界滅亡時計なんて覚えてたな。どれくらい記憶が残ってるんだ?」

「どれくらい……」

 セハルは視線を数秒間さまよわせると、再び星へと戻した。ミロクも同じように視線を星空へと移す。正面にある高い木の真上に、白く輝く一等星があった。

「何してたかは覚えてない。両親は軍人だった。俺は機械いじりが好きで、じいさんの家によく遊びに行ってた。じいさんは車の整備師だったんだ。それくらいかな」

「そうか」

 風に揺すられて、木の葉が音を立てる。セハルは、ミロクに視線を移した。

「再利用者って、そんなに記憶が曖昧な奴が多いのか?」

 ミロクはセハルを見ると、首を傾げた。

「そうらしい、とは聞いたが。ルタみたいに一から十まで全部覚えてる奴もいるし、本当のところはよく分かんねえな」

「ミロクは、どうなんだ?」

「俺は『オリジナル』だよ」

 ミロクは笑って、肩をすくめた。

「ほら、そろそろ車に戻るぞ。あんまり遅くなると、レイがうるさい」

「心配してるんだろ」

 セハルが笑いながら、車に戻っていく。その背には、「俺の正体自体、よく分かんねえけどな」というミロクの呟きは届かなかった。



「せまっ。セハル君、もうちょっと、そっち詰めてくれないっすかね」

 言いながら、フェイファは弟ごと肩で押しやった。

「充分、詰めてる」

 セハルは同じよう押し返す。間に挟まれ両側から押されるウーゴウは、いい迷惑だろう。

「あいかわらず乗り心地の悪い車だな。もっとスプリングを調整できんのか?」

 三列シートの中央に一人座すレンリの物言いに、セハルはフェイファと揉めながら口を開いた。

「他の整備が先だ。ミロクが放っておいたおかげで、あちこちガタがきてる」

「だから言ったであろう。放っておきすぎだ」

「整備は大事っすよ、ミロク兄」

 矛先が向けられたミロクは、眉間に皺を寄せた。

「うるせーな。文句があるなら、ウーゴウ以外全員降りろ」

 バックミラー越しに睨むと、「ありませーん」というフェイファの声と共に全員が押し黙った。ミロクはため息を吐いて、視線を前方へと戻す。二、三分も経てば、またセハルとフェイファの押し合いが始まるだろう。

 スクラップ市の初日。ミロクは約束通り、レンリとフェイファとウーゴウを迎えに行った。今は、職人街に向かっている最中だ。運転席にミロク、助手席にレイ。中央で一人優雅に座っているレンリ。後部座席ではセハルとフェイファとウーゴウが狭苦しく座っているが、三人からレンリに苦情がいくことは無かった。本能的に逆らってはいけないと察しているのかもしれない。

 なかなかに珍しい大所帯で、車中は始終賑やかい。セハルもすっかり馴染んでいる。

 エンジンを唸らせながら坂道を上っていくと、職人街の役場の屋根が見えてくる。対向車が来るのが見えたため、可能な限り車を道の脇へと寄せた。ミロクは乗り物の運転ができる人間のほとんどと顔見知りだが、こうしてすれ違うのは数日振りのことだ。お互いに手を挙げてやり過ごすと、また車を発進させる。

 役所の前には、既に三台の車が停車していた。研究所以外でこの光景が見られるのも、スクラップ市ならではだ。街も賑わいを見せていて、研究所や整備場から直接来たのか、白衣姿や作業着姿の人間もちらほら歩いている。

「人、多いっすねー。早く行かないと売れきれちまうかも」

 車を降りるなり、フェイファは市を目指して駆けだしていく。その後を、慌ててウーゴウが追った。

「スクラップを修理できる奴なんか少数派だろ」

 兄弟の姿を、ミロクは呆れながら眺める。レンリは「そんなことはないぞ」と笑いながら、彼の顔を覗き込んだ。今日は頭の上の方で結んだポニーテールで、姿勢を変えるたびにしっぽが揺れている。羽織るジーンズの上着は、数か月前にスクラップ市で買ったものだ。

「最近では、日曜大工なるものが密かな人気らしい。知らぬとは、まだまだだな」

 表情はおろか、揺れる髪さえ妙に得意気に見えるのが苛立たしい。ミロクは、がしがしと後頭部を乱暴に掻いた。

「『人気』と『できる』は同意語じゃねえだろうが」

 三人並んで歩いていくと、市の片隅に整備局の人間に混じって、レイと同じくらいの年頃の少女がしゃがんでいるのが見えた。戸惑うように商品を眺めている様子からして、流行に乗ってみたくちだろう。

 ミロク達は、既にしゃがみ込んで品定めをしている兄弟の背後に立った。弟の方はミロク達に気付いて顔を上げたが、兄の方は物色を続けている。

「こんなに数があるのか」

 並んだスクラップを見て、セハルが驚きの声を上げる。事前に、数に限りがあるとミロクが教えておいたので期待をしていなかったのだろう。ミロクがちらりと横目で見ると、セハルの目は好奇心で輝いていた。

「大陸には私達の想像以上に元戦場があり、荒廃した街があるということよ」

 売り手の一人が、ミロク達に寄ってくる。月のような色素の薄い髪に、澄んだ青い目。どちらも島では珍しいものだ。

「みんな、久し振りね。今日は、ルタさんは来ないの?」

「畑を一回りした後、気が向いたら来るそうだ」

「もう。あいかわらずね」

 軽く頬を膨らませる彼女に、レンリは肩をすくめた。

「エリスは、そこも良いと思っているのだろう?」

「彼に憧れて、わざわざ他国にまで来たんだから当然よ」

 エリスは、ふふっと笑い声を漏らす。大層な物好きもいるものだ、とミロクは息を吐いた。ルタが一番の信頼を置くのはカウムディーだが、彼女は天体観測区の役場の人間と恋仲だという噂がある。世の中、うまくはできていない。

「今は諜報部員をやらされてるけど、いつかは彼と同じ研究室に入れてもらうんだから」

 鼻息を強く吐くエリスに、レンリはゆるく首を横に振った。

「一応、上にちょくちょく打診はしているが、しばらく異動は無いだろうな。他国から、ちっぽけな島に移住する物好きも、そうはいないからな」

「逆に目立っちゃって、諜報部員向きじゃないと思うんだけどな」

 エリスは大袈裟なほど大きく息を吐いた後、「あ、そうだ」と指をパチンと鳴らした。

「物好きと言えば。あなたのこと、パーパの王様がお探しになってるらしいわよ。もー、どこで知り合ったの? 隅に置けないんだから」

 にやけながら頬を突くエリスの指を、レンリはうっとうしそうに払った。ウーゴウがレンリを見上げて、小首を傾げる。

「レンリさん、王様と知り合いなんですか?」

 「昔な」とウーゴウに答えた後、レンリはエリスを睨みつける。

「言っておくが、あの男に色恋の感情を期待しても無駄だ。おおかた『再利用』の研究に興味があるのだろう」

「でもでも。ヒヨクさんの方が詳しいでしょうに、わざわざあなたを探すのね?」

 笑みを消さないエリスに、レンリは肩をすくめた。

「あの男は、ヒヨクのことも知っている。説明下手だということも、圧に弱くて床にへばりついたら離れないということも、全てだ」

 途端に、エリスの顔から笑みが消えた。彼女も、ヒヨクのことは多少なりとも知っている。

「なるほど。確かにそれじゃ、あなたを探して説明させた方が早いと思うかもね」

 残念そうに肩を落とすエリスに、「そういうことだ」とレンリは笑った。

「では、私はシショクに寄ってくる。置いて帰るなよ、ミロク」

 「へーへー」とミロクが応じると、レンリは彼の肩を叩いてから、シショクへと歩きだした。颯爽と歩く彼女に、人々が避けて道を譲る。特に凄みを効かせているわけではないが、彼女のために道が開くのは昔からだ。

「もう。おもしろくなーい」

 口を尖らせるエリスに、奥で店番をしていた男が「まあまあ」と宥めるように声を掛けた。

「レンリに口で勝つのは難しいって分かってるだろう? それより、あちらの男性の話を聞いてやってくれないか? 僕では、西方の製品はよく分からない」

 「いいわよ」というエリスの返答と共に、二人は立ち位置を入れ替えた。スクラップをできるだけ多く並べるために、店番の諜報部員達の居場所を狭くしているのだ。

 入れ替わった男性は、ため息を吐いた。

「僕だって、天体観測区希望なんだけどな」

「ヒガンだけは、絶対に変えてもらえねえだろ」

「悲しいねえ」

 涙を拭う仕草をするが、実際に泣いているところをミロクは見たことが無い。同情を誘うように見せかけて、次の瞬間にはもう指を鳴らして「そういえば」とセハルの顔を覗き込んでいるのだから、言うほど悲しくもないのだろう。

「調子はどうだい? 僕なんだよ。君を拾ってきたの」

「拾う?」

 怪訝な顔をしてセハルが問うと、ヒガンはうなずいた。首の動きにつられて、癖のある長めの前髪が揺れる。

「僕たち諜報部員は、島の外に出てやることが三つあるんだよ。島の外の情報を集めること。直せば使えそうな物がないか探すこと。治せば使えそうな人間がいないか探すこと」

「治せば?」

「僕たちが連れてくるのは瀕死の人間なんだよ。ヒヨクが開発した技術を利用して、何の障害もなく普通に生活できるように治してやるのが『再利用』。それをパーパが目を付けたらしいんだよね」

 パーパという国名を聞いて、セハルの眉がわずかに歪んだ。

「たしかパーパは、世界随一の技術大国だろ? わざわざ、この島の技術を狙う必要があるのか?」

「このナカツクニにいる研究者のほとんどが、パーパの人間だからだよ」

 ヒガンは答えながら、観察するようにセハルの顔を覗き込む。対してセハルは、嫌そうに身を引いた。

「な、なんだ?」

「いやあ。よく、パーパが技術大国だと知っていたなーと思ってね」

「そ、んなの。世界の大抵の奴が知ってるだろ」

 たじろぐセハルに、ミロクが大きく息を吐いた。

「やめとけ、ヒガン。こいつは、記憶が曖昧なんだとさ」

「へえ、そうなんだ。やっぱり、オリジナルとコピーの差かな」

 目を細めてセハルを見ていたヒガンだったが、やがて飽きたのか「まあ、いいけど」と手にしていたスクラップをいじりだす。ずっと居心地が悪そうにしていたセハルは、ほっと息を吐いた。

「ところで、ヒガン。ドゥルガーの方は、どうなってるんだ?」

 ミロクの問いに、ヒガンはスクラップをいじる手を止めた。

「あいかわらずさ。少年王はそうでもないが、双子の弟は好戦的でね。戦神を止める気なんて、さらさら無いって感じだよ」

「こんな毒が蔓延してる世界で争って、意味あるんすかね?」

 スクラップを夢中で物色しているように見えたフェイファが、顔を上げる。一応、ミロク達の会話は耳に入っていたようだ。

 ミロクは問いに対して、肩をすくめた。

「野生の本能ってやつじゃないか? 元々は、群れで暮らす野生の猿だったんだろ? 縄張り争いってやつだな」

「それは嫌味かい、ミロク? 元々って、もう何万年も前の話だろう?」

 苦笑いを浮かべるヒガンに、セハルもうなずいた。

「野生っていうのは、おかしい。みんな、管理下に置かれた生き物じゃないか」

 セハルの指摘に、ミロクとヒガンは顔を見合わせて同時に吹き出した。

「君、なかなか鋭いな」

「違いない」

 大笑いする二人に、セハルが「笑うところ、あったか?」と首を傾げる。ひとしきり笑ったところで、ミロクは乱暴に頭を掻いた。

「あー、そろそろ俺は、レンリの様子を見にいってくるわ。セハルは、ここにいるだろ?」

 うなずくセハルの横で、レイが「私も行くっ」と手を挙げる。

「服、できてるかな?」

「さあ。連絡が無いから、まだかもな」

 人垣から離れるミロクの腕を、レイが両手で捕まえる。歩くのには邪魔だが、こうなることは予測がついていたミロクは、振り払うことをしない。普段から甘えたではあるが、今は『パーパ』という国名を聞いて怖くなったのだ。

「不安か?」

 旋毛を見下ろすと、レイは首を横に振った。不安ではないという彼女だが、いつものように顔を上げないこと、袖を掴む手の強さから、彼女の本音が透けて見える。

「そうか」

 ミロクはただそれだけを返して、シショクに着くまで丸い頭を撫で続けてやった。

 しかし、どれだけミロクがレイを気遣っても、シショクの三人娘には伝わらない。常の元気が無いレイを見た彼女達は、レイを心配する一方でミロクがいじめたのではないかと責めた。

「理不尽この上ないんだが」

 ぼやくミロクに、レンリが「そう拗ねるな」と苦笑する。彼女は、レイの元気がない理由が分かっているのだろう。レイの前に立つと、両手で彼女の頬を包み込んだ。

「大丈夫だ。身に危険が迫った時は、必ず我々が駆けつけよう」

 レンリの榛色の瞳は、たまに不可思議な色が浮かぶことがある。赤、黄、青、黒、白の五色の光が移り変わるように現れるのだ。すると、覗き込まれた生物は、時には安心するような、時には言うことを聞きたくなるような、何とも言えない気持ちになるらしかった。

 今回も例外なく、レンリに覗き込まれたレイは、こくんと素直にうなずいた。それ以降は、不安を口にすることも、ミロクの腕に縋るように抱きつくこともなく、三人娘や見習い達と元気に談笑していた。後で合流したセハルもフェイファもウーゴウも、特に違和感は覚えなかったようだ。

 ミロクはしばらくレイの様子を目で追ってはいたものの、彼女やレンリに何かを言うことは無かった。不可思議ではあるが、レンリのことは信頼しているのだ。

 戦利品を車に載せて街を出た時はまだ明るかったはずだが、ミロク達が家に戻ってきた時には既に夜中と言って良い時間帯となっていた。送るだけでも時間は掛かるが、フェイファの戦利品の数が多かったがために下ろすのに時間を要したのだ。レンリのところでリキッドとシャワーの世話になり、着替えて寝るだけの状態になっているのは正直なところ助かった、とミロクは思った。

 というのも、レンリの家からさほど距離は無いというのに、助手席でレイが気持ちよさそうに寝ていたからだ。家に着いたと同時に起こし、部屋に送り届けてやったが、着替えずにそのまま寝るだろうことは容易に想像できた。

 一階に下りると、セハルが黒くて四角い物を片手に大きなあくびをしていた。黒い物は、今日の戦利品の一つだろう。

「今日は、楽しかったか?」

「ああ。いろいろと話を聞けて良かった。人によって、専門分野が違うんだな」

 店番をしていた諜報部員達のことだろう。ミロクは、うなずいた。

「あいつらは元々、何かに秀でてる奴ばっかだからな」

 セハルにつられたわけではないが、大きなあくびが出る。運転も荷物の積み下ろしも慣れているはずだが、腕を天井の方へと伸ばすと背骨が軽い音を立てた。

「つっかれたな。そろそろ寝るか」

 再び階段へと向きを変えると、セハルが「ミロク」と声を掛けた。振り返ると、セハルが両手を突き出している。その上には、先からセハルが手にしていた黒い箱が乗っていた。

「なんだ、これ?」

「カメラだ。あんたにやるから、写真を撮ってくれ」

 ミロクは、まじまじとセハルの顔を見た。

「なんで、また?」

「あんたは、この世の全てを遠巻きに見てる感じがする」

 思わぬ指摘に、ミロクは目を丸くした。

「そうか?」

「ああ。いつも、つまらなそうな顔をしている。何か、趣味を持った方が良い」

「趣味、ねえ」

 ミロクは、黒い箱を見下ろした。自分は心配されているのだろうか。そう首を捻りながらも、黒い箱を持ち上げる。

「まあ、ありがたく貰っとくわ」

 苦笑すると、セハルは安心したように表情を緩めて、うなずいた。

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