第18話 ドス曇りから大荒れ、ついに土砂降り
雨音は泣き出しそうになりながら、またエステ店に連れ帰られ、待合室の椅子に座らされた。メイクをしてくれた女性が少しなら泣いても崩れないから、と謎の太鼓判を押している。
「ありがとうございました、ごめんなさい」
雨音は震える声で言った。女性たちが口々に労ってくれるので、雨音の震えは少しずつ収まってきた。
「謝ることないわよ。でも、あなたやっぱりすごいわねえ」
「本当にきれいだもの」
雨音はうつむいて首を振った。外に出るのが怖くなってしまったらしい。雨音がいつもメイクも服装も殊更地味にしている理由がわかった。
きい、とエステ店の扉が開いた。
「こんにちは、あの、うちのがお世話になりまして」
店内の女性たちに睨まれて、蓮はきゅっと首をすくめた。
「奥様、こんなにおきれいなんですから、ちゃんと見てないとさらわれちゃいますよ!」
エステティシャンの女性にぴしりと言われ、蓮はますます萎縮した。
「遅くなってごめんね、チェックインは済ませたから荷物置いて行こう」
蓮は雨音の着替えの入った紙袋を持ちながら言った。貸衣装屋はこの旅館と提携しているので、帰りに旅館に返せば店に寄らなくていいそうだ。
旅館の人に迎えられても、部屋に案内される間も、雨音はずっと無言だった。
ペットと泊まれる部屋は別棟で、本館ほど歴史ある立派なものではなかったが、新しくて過ごしやすそうだった。
俺はバッグから出されて畳に降り、嬉しくなって駆け回った。わあい、広いぞ!
「マオ、その辺で爪研いじゃダメだからね」
蓮が荷物を解きながら俺に声をかける。わかってるよ、早く爪研ぎの段ボールを出せ。
「どうして遅くなったの」
低い声に、俺と蓮はびくっとして部屋の入り口を見た。
雨音はうつむいて立ち尽くしていた。
「ごめん、車が混んでて。それに、撮影会してたみたいだったから」
「見てたの?」
「うん」
蓮、言え!きれいだって言え!俺は声にならない声で叫んだが、蓮には届かない。蓮が言葉を選ぶようにして言ったのは、これだった。
「すごい人だかりだったね」
雨音はぎゅっと両手を握りしめた。
「……どうして、すぐに来てくれなかったのよ!待ってたのよ?約束したから!」
叫び、顔を上げた雨音はまたぐしゃぐしゃに泣いてしまっていた。
蓮はあまりの剣幕に気圧されたように、チェックインを先に済ませておこうかと思って、と小声で答えた。
「撮影会が終わったら疲れてるだろうから……」
「撮影会じゃないわよ!あなたを待ってたのよ!」
蓮はおろおろしながら荷物からティッシュの箱を出して雨音に差し出した。
「あんまり泣いちゃうと、借りた着物にシミが」
雨音はティッシュを箱ごと奪い取り、やけっぱちみたいに何枚もティッシュを取り出して乱暴に顔をこすった。
「もういい!こんな着物やだ!」
雨音はティッシュの箱を投げ、着物を脱ぎ始めた。
「あ、雨音さん、せっかく着たのにもったいないよ……」
「バカ!蓮のバカ!出ていって!」
雨音は脱いだ袴を蓮に投げつけ、俺と蓮を上り框のところの小さな空間に押し込み、っぱーん!と襖を閉めた。
蓮。お前ほんとにもう、何やってんだよ。俺まで締め出されたよ。
恨みがましく見上げると、蓮は袴を広げたり裏返したりしていた。
「へえ、すごいね、着やすいように改造してあるんだ。ここがファスナーになってて、マジックテープはこう……ああ、なるほど」
なるほどじゃない。ひとごとみたいな顔しやがって。俺はもう知らないぞ。
蓮は仕組みを知るのが好きで何でも知りたがるが、今は雨音が先だろうに。
「何だか今日は機嫌悪いなあ……電話もらった時は良くなったみたいだったのに……」
蓮は袴の構造を調べる合間に襖に目をやり、ぶつぶつ言っている。全くわかっていない。
あのな、その電話でお前の対応がまずかったせいで大変だったんだぞ!そのせいで雨音はあそこまではいからさんになり、その結果こうなったのだ。
つまり全て蓮が悪い!
俺は蓮に体当たりし、手に噛みついた。
「痛い痛い、マオ、何だよお前まで」
本当にわかっていないようで、俺は心底腹が立った。
こんな奴を好きでいる雨音が悪い!
なぁーおと雄叫びをあげ噛もうと暴れる俺を、蓮は動けないように抱きかかえ、そろそろと雨音に声をかけた。
「雨音さん、着替え終わった?入ってもいい?」
返事はない。しゃくりあげるような声が時折聞こえる。蓮はもう少し待ち、入るよ、と声をかけて襖を開けた。
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