外伝 旅する母のラプソディ ⅤIII

「……私はセーテルの森の奥、隠者の村の生まれなの」


 お婆さんは脳裏に故郷の風景を浮かべているのだろうか?

 目を閉じ噛締めるように自分の出生を語る。

 驚いたわ、こんな所に同じ村出身の人が居るなんて。

 何の因果でオーガと駆け落ちして部族長までやってるのかしら?


 ……ん? オーガ? 何かしら? 何か引っ掛かるんだけど?


「あなたも知っての通りセーテルの森にはオーガより恐ろしい魔物が溢れかえっているので普段はオーガは寄り付かない。それなのにあの人……ゾンドは村外れに大怪我を負って倒れていたの」


 お婆さんは駆け落ちしたオーガとの出会いを語るが、あれれ? ちょっと待って? なんだかどこかで聞いた話なんだけど?

 私が湧き出てきた疑問を口に出そうか迷っているのを尻目にお婆さんは更に話を続ける。

 チラッと子供達を見るが、ラハラハ含め突然始まった自分達の長の独白に戦意が削がれたのかポカーンとした顔でお婆さんを見詰めていた。

 まぁ言葉が分からないんだからそんな顔になるわよね。


「これも知っているわね? 私達の村の掟。『迷える者を隣人とせよ』」


 私はその言葉にコクリと頷く。

 これも村創設の理念より生まれた掟の一つ。

 様々な理由により世間より弾かれた者達が集まり生まれた村。

 だから自分達と同じ迷いの果てに村へ訪れた者を助け受け入れる、そんな意味が込められた言葉だ。

 ……斯く言う私と母もこの掟に助けられたと言うべきだろう。


「父に頼まれ倒れていたゾンドを私は看病した。正直な話、最初は嫌だったのよ? だってオーガなんですもの。目が覚めて暴れ出したらどうしましょう? とか、襲われたら怖いわとかね。でもゾンドは違った。そりゃ目を覚ましたすぐは驚いていたけど、私が暴れるゾンドを押え付けて必死に説得したら言葉は通じないけれど思いは分かってくれて、オーガの言葉で『スーレル』……『ありがとう』と言ってくれたわ」


 サラッと手負いの暴れるオーガを押え付けるとか言うところをみると確実に村の出身者で間違いないみたい。

 似た名前の村って訳ではないようね。

 もしかして部族長をやっているのは今でもって事なのかしら?

 ともあれお婆さんはその瞬間オーガと恋に落ちたのか。

 そう思えるような、とても嬉しそうに頬を赤く染めている。


「それからのあの人は大人しく私の看病を受け入れてくれた。その時言葉が通じないのは不便だからと、私は人間の言葉、ゾンドはオーガの言葉を互いに教えあったの。元気になった彼と一緒に畑の世話をしたり狩りにも行ったわ」


「……で、村の長老であるあなたのお父さんに交際を咎められて駆け落ちしたのね」


「な、なぜそれをっ! 父が喋ったの?」


 惚気話を途中で遮った私の言葉に驚いてお婆さんが顔を上げる。

 私は小さく首を振りお婆さんの言葉を否定した。

 やっぱりそうだったのね、本当に呆れたわ。

 助けたオーガが襲って来たってのは娘を取られたって意味だったなんてね。

 あの耄碌爺ったら見栄張って嘘付いちゃって本当に馬鹿よ。


「違うわ。私の村には過去オーガを助けた事が有ったが治った途端襲い掛かって来たので返り討ちにした。オーガと言う魔物は人と分かり合えない種族だって伝わってる」


「そ、そうですか……父はそんな風に」


 村に伝わるオーガの話を聞いてお婆さんは悲しい顔をする。

 駆け落ちした罪悪感といまだに自分達が許されていない事実に心を痛めているようだ。


「……あの、父は存命なのでしょうか?」


「えぇ、いまだにピンピンしているわ。あれは暫く死なないわね」


 意を決して自分の父の安否を聞いて来たお婆さんに私は笑顔で答える。

 もう100歳近いってのにいまだに現役で狩りしてるくらい元気な頑固爺よ。

 殺したって死ぬようなタマじゃないわ。

 私の言葉にお婆さんは安堵の溜息を吐く。


「あのね? 言っとくけど、長老も馬鹿だけど、お婆さんも馬鹿だからね?」


「え?」


 胸を撫で下ろしているお婆さんに私はそう言った。

 するとお婆さんは弾かれたように顔を上げる。

 思ってもみない私の言葉に驚いているようだ。


「異種族と駆け落ちするくらいの根性が有るんなら、あの頑固爺ぐらい説得しなさいって事よ。長老がこの話をする時に浮かべる後悔を滲ませた表情の意味がやっと分かった。娘の気持ちを理解してやれず駆落ちせざるを得ないほど追い詰めた自分を後悔していたからなのね。本当あなた達頑固な所はよく似てるわ」


「う、うぅぅ」


 自身の父の胸の内を知ったお婆さんはその場に崩れ顔を両手で覆い泣き出してしまった。

 すると私がお婆さんを虐めたのかと勘違いしたオーガの子供達がお婆さんの元に駆け寄って護る様にお婆さんの周りを取り囲んだ。


「マオハ! タタイヤ!」

「デッソ!」


 私を睨みながら口々にオーガ語で何かを叫ぶ子供達。

 しかし、それをお婆さんが優しく宥め出した。

 オーガ語だからやはり分からないが、オーガの子供達の目から怒りが無くなったところを見ると、恐らく『私が虐めたんじゃないよ~』的なフォローだろう。


「そう……父は後悔してくれていたのね。……でもね、お嬢さん? 私は駆落ちした事を後悔していないわ。だってこんなに私の事を愛してくれている家族が出来たんですもの」


 周囲に集まった子供達を両手で優しく抱きながらお婆さんは嬉しそうに言った。

 確かにその顔には後悔の欠片も浮かんでいない。

 父娘の行き違いは有った様だけど今の彼女は幸せのようね。

 けどお嬢ちゃんって年でもないんだけど……まぁお婆さんにとったら私もまだまだ若い部類に入るのか。


「ふぅ、分かったわ。馬鹿と言ったことは謝ります。ごめんなさい。確かに今のお婆さん達を見たら長老だって喜ぶ筈だわ」


「そうだと良いんですが……。私達は駆け落ちしてからこの土地に来るまで一つの誓いを立てそれを守って来ました」


「誓い? それは何かしら?」


 お婆さんは一拍置いた後、話を続けた。

 それは要約すると人と争わず自然と共に生きる事。

 オーガで有りながら自分を受け入れ命を救ってくれた隠者の村への感謝とその恩を仇で返すような駆け落ちによる贖罪を胸に、お婆さんと旦那さんは各地のオーガの孤児達を引き取り部族の数を増やしながらも、それを守って来たらしい。

 今回の悲劇が起こるまでは……。


「……どんな理由があろうとも亡き夫との誓いを破って部族の者達の復讐を止められなかった。ごめんなさい……村の人達は無関係な筈なのに……」


「そう……お婆さんは分かっていたのね。あなた達の大切な家族に手を出したのが馬鹿な奴等の愚かな欲望の所為だって」


 お婆さんはコクリと頷く。

 人の世から長い間離れて生きていたと言えど人の持つ悪意の存在を忘れる訳も無いのだろう。

 ある意味純粋と言えるオーガ達の中で過ごしていたのなら特に敏感になる筈だ。

 それからお婆さんは顔を上げると子供達に何かを話出した。

 言い聞かせるような優しい表情からすると子供達に説得をしようとしているようだ。

 子供達は先程の様に言い返す事はせず俯き何かを飲み込もうとしているように見えた。

 それは最後まで戦う意思を見せていたラハラハも唇を噛締めながらも同じく俯いている。


「お婆さん、なんて言ったの?」


「……これ以上の悲劇が起こる前に、先代族長の命の恩人であるセーテルの人間が止めてくれた。そしてもっと早く私が止めていればラハラハ達の家族も救えたのにごめんなさい……そう話したわ」


 お婆さんの言葉に少し息が詰まる。

 今お婆さんが言った事は結果論に過ぎない。

 私はこの砦の前に立つ傷ついたオーガの姿を見るまで、オーガなんてササッと全滅させてすぐにでも孫に会いに行くつもりだったのだ。

 助ける気など無く、ましてや悲劇を止めるなんて大それた事が目的だったなんて恥ずかしくて嘘でも頷けない。


「お婆さん、あのね……」


「デア! タラソッソ、ワウワウ、ビアルカ! ロウバルス、モウテソ」


 私は恥ずかしさのあまり本当の事を話そうとした瞬間、それを遮るようにラハラハが真剣な顔をして私に何かを訴えてきた。

 その目には憎しみの色は無く少し思い詰めた目でしっかりと私の姿を捉えている。


「『長の言葉は絶対だ。だから言う事を聞く。けど聞きたい事が有る』そう言っているわ」


 お婆さんがラハラハの言葉を訳してくれた。

 何が聞きたいのだろうか?

 私はラハラハの目をしっかりと見て頷いた。


「デェアラソ、オルグゾッド、ハングスロッソ?」


「『父達は最期まで立派な戦士だったか?』。そうね、これは私も聞きたいわ。あの子達は誇り高いオーガの戦士として立派だったのかしら?」


 お婆さんも自分達の大切な家族の最後を聞いておきたいのだろう。

 ラハラハと同じ目で私を見詰ている。

 正直言うと戦いにはならなかった。

 愛剣の一振り二振りで崩れ落ちるオーガ達。

 でも、そうね……これだけは言えるかしら。


「ええ勿論。彼らは最後まで立派な戦士だったわ」


 私の言葉に嘘は無い。

 最後の一人となろうとも私への怒りを失う事無く戦い続けた彼等。

 その姿は間違い無く誇り高い戦士だったわ。

 私の言葉を訳したお婆さんとそれを聞いたラハラハ……それに他のオーガの子供達は皆大粒の涙を流し泣き出してしまった。


 暫くその様子を見守っていたが、突然ラハラハがゴシゴシと手で涙を拭ったかと思うと私を見詰てきた。

 そこには憎しみも思い詰める感情も無く、何か吹っ切れた様な笑みが浮かんでいる。

 その表情に驚いているとラハラハが私を指差して口を開く。


「デルソ! ラッハタライソ! マハマハ、イルッタ!」


「まぁ、この子ったら。『今は無理だけど、いつか絶対勝ってやる』ですって」


 これはラハラハからの挑戦状なのだろう。

 でもそこには憎しみも無く純粋なる強さへの憧れからくる決意……、ラハラハの目に宿る熱い想いはそう語っている様に思えた。

 こんな可愛い挑戦状を受けない訳にはいかないわ。

 私はラハラハの想いに笑顔で答えましょう。


「えぇ受けて立つわ。何度でもね」


 ……あなたのお父さんの分までその想いを私が受け止めてあげる。

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