第十三話 貴族令嬢の想い

「このまま修道院に逃げ込むぞ。そうすりゃさすがのあいつらも手出し出来ないだろ」


 私の手を引いて走る彼がチラリとこちらを振り返りながらそう口にした。

 彼の言葉に胸が軋む。


 あぁそうだ、彼は純粋に私を助ける為にそう言ってくれたのだろう。

 彼は知らないのだ、修道院の悍ましい真実の姿を。


 しかし、そこは想像しただけで身の毛もよだつ忌まわしきこの国の暗部。

 今の私にはその事を彼に語る勇気が足りない。


 ここまで身を落とされようと、まだこの国の貴族だった頃の呪縛が脳裏に蔓延っているのだろう。

 純粋に修道院に行けば助かると信じている彼に、この国の真実を告げる事への羞恥心が勝ってしまったのだ。


 今まで分け隔て無く誰にでも優しくしようと生きて来た。

 そうする事で将来殿下を支えてこの国の更なる発展に寄与する事になるからと夢見ていた。

 そんな私の願いなど、烏滸がましくも滑稽な物だったのだ。

 真実は今までの私の人生全てを否定した。


 この国の貴族は汚れている。

 貴族の娘である私も同じく汚れている。

 だって、あの時ジェイスが彼に殴られ気絶した姿を見て卑しくも心が晴れた。

 魔物と戦っている騎士達の悲痛な叫びを聞いても悲しみを覚えなかった。

 私の心は彼等と同じとても醜い。

 生きていていい人間じゃない。


 彼が助けてくれた事が嬉しくて暫しその事を忘れていた。

 私は……。


「修道院は駄目です」


 私だけが助かる訳にはいかない。

 今まで凌辱され他国へと売られた他の令嬢達に殉じて、私も地獄へと落ちるべきなのだ。

 最初はそう思った。

 けれど、このまま彼を修道院に連れて行くと今度こそ彼は殺されてしまうかもしれない。



 ……違う。

 それはただの言い訳で、本当は彼に私の汚れた姿を知られてしまう事を恐れてしまった。

 それだけは……それだけはどうしても嫌。

 だから咄嗟に『修道院は駄目です』と言ってしまった。

 結局それは私の放漫な自己愛に他ならない。


 あぁ、やはり私も汚れた人間なのだ。


 恐らく彼は理由を聞いて来るだろう。

 なぜなら彼にとって、私は修道院へと護送する荷物に過ぎないのだから。

 もしかしたら、私を助けた事さえその義務感から来ているのかもしれない。

 そう思うと胸が張り裂けそうになる。


 私は理由を聞かれたら真実を言えるだろうか?

 それとも卑しく嘘に嘘を重ねるのだろうか?


 どちらにせよ、彼を裏切る事に他ならない。

 あぁ、いっそこのまま死んでしまいたい。


 押し寄せる絶望の重みによって目の前が闇夜より暗い漆黒に閉ざされたと思った瞬間、彼は口を開いた。


「そっか、分かった。じゃあ何処か身を隠せる場所を探そうぜ。このまま夜の森をがむしゃらに走るのは危ないしな。何よりその靴じゃ山を走るにゃ向いていねぇからよ」


 信じられない事に彼は何も聞かずに私の言葉を聞いてくれた。

 しかも私を気遣ってくれたのだ。

 あぁ、とても嬉しい……そしてそれと同じくらいの罪悪感がこの身を締め上げる。


 やはり話そう。

 彼に嫌われても、それによってここに置き去りにされても構わない。

 この国の真実を語らず彼を偽り続ける事の方が今の私にとって一番苦しい事なのだから。


「あの……実は」


「話は後だ後。今は逃げるぞ。魔物達は騎士達が足止めしてるとは言ってもいつまで保つか分からんしよ」


 私の手を握る力を少し強めた彼はそれ以上何も言わずに私の手を引いてくれた。

 彼の手がとても暖かかった。

 思わず私も彼の手を繋ぐ力をキュッと強める。

 すると心の闇が消えてしまったかのように、その手の温もりと同じくらい胸が暖かくなった気がした。

 私は今とても幸せだと錯覚するほどに……。


 どうやらほんの短い旅の内に私は彼の事が好きになってしまっていたらしい。

 確かに親しい者達の裏切りで心が弱っていたところを、彼に優しくされた事が発端だと思う。

 それくらいで好きになってしまうとは我ながらチョロすぎなのではと恥ずかしい。


 だけど、それ以上に私は彼の自由さに惹かれたのだと思う。

 彼は何度か自分の悲惨な境遇に愚痴を零していた。

 その中には貴族の汚さによって貶められた出来事だって少なくなかった。

 だけど彼は下級兵士と言う立場から逃げなかった。


 しかし、それは決して自由を束縛されている訳ではない。

 その逆で、彼はどんなに辛い目に遭おうとも自分を失わず自由に楽しく生きている。

 どんな時でも彼が彼で居られる理由。

 それは偏に彼が強いからなのだろう。


 戦いの力の話じゃない、彼の真の強さは心にあるのだ。

 私はその心の強さにこそ惹かれたのだと思う。


 辛い事も楽しげに語る彼の強さは、まるで幼い頃に胸躍らせた吟遊詩人の詩に登場する騎士様の様だった。

 私の想う騎士の姿が彼に重なった。

 彼は私の理想……運命の人、そう思えた。


 けれどそれは夢見る少女が月を見ながら想いを馳せる淡くて儚くて、そして愚かな勘違いに過ぎない。

 運命の人など居ない、私の勝手な理想を彼に押し付けているだけ。

 その事を理解していた私は、あの時彼に『助けて』と願いながらも本当は心の何処かで『助けなんて来る筈が無い』と、現実逃避の如き自らの幼さを嘲笑していたのだ。


 だけど、そんな捻くれた私の達観を笑い飛ばすかのように、彼は目の前に現れて助けてくれた。

 それだけじゃない、その姿はまるで物語からそのまま飛び出して来たかのように私の想い描いた騎士様の出で立ちだったのだから……もう出来過ぎ。

 あの瞬間、物語に憧れているだけだった幼稚な私の好きは、確かな想いへと変わったのだと思う。


 ……出会って一日も経たずに好きとか愛だなんて、やっぱり私ってばチョロすぎだと思う。



     ◇◆◇



「おっ? 洞窟があるぞ? ちょっと待ってな」


 どれくらい走っただろうか?

 当ての無い森の中、木々の隙間から差し込む月の光を頼りに走っていると、目の前に聳え立つ壁のような岩肌が見えて来た。

 それに沿うように暫く進むと先頭を歩く彼はそう言って入り口に私を残し一人洞窟の中に入って行った。


 真っ暗な森の中、一人取り残されるのはとても心細かったが、これも私を護る為なのだと言う事は分かっている。

 山奥の洞窟は魔物の住処だと学園の授業で教えられていたからだ。

 彼は私を危険に晒すまいと、そんな危険な洞窟へ明かりも灯さず入り単身乗り込んでいった。

 恐らく彼の事だ、周囲に魔物が居ない事も分かっていたのかもしれない。



『グオォォォォ』


 突然洞窟の奥から恐ろしい魔物の叫び声が聞こえて来た。

 やはり森の洞窟は魔物の住処だったのだ。


「兵士様!! 今すぐ逃げて下さ……ハッ!……いけない……」


 彼を心配して思わず声を上げた私は途中で自らの愚かさに気付き慌てて口を両手で塞いだ。

 しかし、今更後悔してももう遅い。

 なんて馬鹿な事をしてしまったのだろうか……。


 ただでさえ月明かりも閉ざされた闇夜に光も差さない洞窟で魔物に襲われる。

 いかに彼と言えども一溜まりも無いだろう。

 思わず逃げるように声を掛けたが、闇の中では出口もままならない筈だ。

 それなのに私は大声を上げ彼の注意を引いてしまったのだ。

 気を取られた彼は、そんな隙を逃さない魔物の一撃によって屠られるだろう。

 先程の魔物が発した雄叫びはそれ程までに強大で恐るべき存在だと感じた。

 

 私は絶望によってその場に膝を突き終わりの時を待つ。

 私の声を聞いた魔物は、彼の次に私を殺しに来るだろう。

 全てを失い、そして彼まで失うなどもう生きている意味が無い。

 彼を殺した魔物に殺されるのは、私にとって贖罪であり唯一の救いに思えた。 

 もし来世があるなら今度こそ彼と添い遂げたい……。



『グギャァァァ……』ズズン。


 目を瞑り蹲った私の耳に洞窟の奥から想像すらしなかった叫び声が聞こえた。

 しこも人間とは到底思えない魔物の声だ。

 それはまるで断末魔のような……いや、なにか巨体が倒れる音まで聞こえて来たのだからまさしく断末魔で正しいのだろう。

 何が起きたか理解出来ない筈なのに、私は何が起きたのか確かに理解した。


 有り得ない有り得ない。

 そう理性は否定する。

 でも……。


 私は顔を上げ洞窟の入口を見詰めた。

 だって、そこには――。


「兵士様!!」


 私はその姿を見た瞬間、に向かって走り出す。

 そして私が駆け寄るのに驚いた顔をしている彼に抱き付いた。


「おわっ! どうしたんだよ。びっくりしたぜ」


 まただ、また彼はまるで何事も無かったかのように笑っておどけてみせる。

 その笑顔に私の心配もないがしろにされてしまったように感じて、少しだけ腹がたった。


「どうしたも有りません! 魔物に襲われて貴方が死んでしまうのかと……。でも、生きていてくれて良かった……です」


 ちょっとだけ、抗議しようかと思ったが、そんな思いも湧かないくらい彼が生きていてくれることが嬉しくてそのまま彼の胸に顔を埋めた。


「そう言ってくれてありがとよ。あれくらいなんざ、俺の育った村じゃ日常茶飯事だったから余裕だぜ」


 彼はそう言うが、一体彼が住んでいた村ってどんな人外魔境なのだろうと少し思う。

 それとも王都以外じゃ皆そんな暮らしをしているのだろうか?


「さて、もう洞窟の中は安全だ。それに中にいたヤツの死体を入り口付近に置いとけば他の魔物除けにもなるぜ」


 彼は笑ってそう言った。

 けれど逆じゃないだろうかと首を捻った。


 死体が有ったら魔物達が寄って来る。

 だから倒した魔物の死体を処理出来ないならすぐにその場から離れろ。

 そう魔物学の教授が口を酸っぱく言っていた事を思い出す。


 いえ、ちょっと待って? ……そう言えば確か例外が有るとも教授は苦言っていた。

 有り得ないことだがね、と付け加えて苦笑していたのを記憶している。


 それは即ち通常では考えられない、騎士団が全力で向かわないと勝てないようなとても強い魔物の場合との事だ。

 そんな強者を倒す奴が居るだと恐れをなした魔物達はその場から逃げて行くらしい。


 例えばドラゴン……これは流石に有り得ない。

 なによりこんな小さな洞窟に入るわけが無いし、そもそもそんな恐ろしい魔物なんて騎士団全員でも敵わないだろう。

 だったらトロールとか? これも単独では有り得ないのだけど、それを好物とし捕食する森の魔物が存在する。

 ドラゴンには劣るけど、人にとっての脅威は似た様な物だ。

 人間如き単独だろうが集団だろうが、どちらにせよ森でソレと遭遇したら命は諦めろと教授が言っていたのだから。

 えぇと、確かソレはフクロウと熊を合わせたような恐ろしい姿の魔物だったと思う。

 その名前は……アウルべ……。


「んじゃ、ちょっくらアウルベアの奴を入口まで引っ張って来るからもうちょっと待っててくれ」


「ブフゥゥゥ!!」


 うら若い乙女だと言うのに彼の言葉に思わず吹き出してしまった。

 とてもはしたなくて顔が真っ赤に染まる。


 彼は今なんと言ったのだろうか?

 まるで野ウサギを狩ったかのような気軽さでその凶悪な筈の魔物の名前を口にした。

 確かにこの近くに魔物が居ない理由もそれで説明出来る。

 だけど、それにしたって一人でどうこうなる魔物じゃない。


「ど、どうしたんだよ。くしゃみか?」


「ち、違います。アウルベアってとっても危険な魔物じゃないですか! それを暗闇の中一人で倒しただなんて信じられ……いえ、貴方の事ですから本当なんですね」


「あぁそう言う事か。ここらに居るとは思わなかったが、俺の村の周辺じゃよく出たぜ。それにあいつらは暗闇でも目がギラギラ輝くからよ。その光を頼りに……」


 彼はまるで少年の様な顔でそう笑う……けど、本当に彼の村ってどんな人外魔境なの?


「……まぁ半分はこの武器のお陰だけどな。クククッ、さすが最強騎士の従騎士様だ。良い武器持ってやがるぜ。パクって来て正解だったな」


 貴方はそう言いますが、武器だけで勝てるなら苦労しません。

 本当に貴方って人は……次から次と私に驚きと感動を与えてくれる貴方。

 あぁやっぱり貴方の事が大好きです。


 彼のお陰で私の心を覆っていた深い闇は少しだけ晴れた気がした。

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