ある男を拾った話

岩間 孝

第1話 謎の男

 乾いた冷たい風が吹いていた。

 ぼくは背中を丸め、家路を急いでいた。

 会社で残業を終え、駅からアパートに帰宅途中のことだった。

 公園の片隅で震える男をぼくは見つけた。男は紺色の皺くちゃのスーツを着て、ベンチの上で頭を抱えていた。


 公園を通り抜けるのが帰宅の近道なので見つけてしまったわけだが、気づかれるとめんどくさいことになりそうだなと正直考えた。

 突然の残業で夜の十時過ぎまで会社にいたからくたくただったのだ。だから、できるだけ関わり合いにならないよう男から目をそらし、そうっと静かに通り過ぎようとした。


 だけど、なぜだか男はぼくに気づき、

「助けてくれっ!」

 と叫んでしがみついてきた。

「ちょっ……! まっ、こ、れっ!?」

 突然のことに驚いたぼくは、意味不明な言葉を発しながら男を引きはがそうとした。

 だが、男は力いっぱいにしがみついてきて全然離れない。

 やっとのことで、

「――何かあったんですか?」と、訊ねても意味のある言葉は返ってこなかった。


 仕方なく、

「警察を呼びましょうか」と言って、電話をかけようとしたら、

「だめだ! あいつらにばれてしまうっ!!」

 と、もの凄い形相で止められた。

 ぼくはため息をついて、頭を掻いた。

 男の様子は尋常ではないが、ぼくをだまそうとしているようには見えず、真剣なことだけは伝わってくる。


 結果、なんでそんな判断をしたのか、いまいち自分でも分からないのだが、

「しょうがない。家に来ますか?」

 と、ぼくは言ってしまっていた。

 あとで思い返すに、「気がふれているのとは少し違う」「よく見たら、変な人にも見えない」みたいなことを考えていたような気がする。ただ、突然のことに驚いたのと、何とかその場を凌ごうと思っただけのような気もする。

 その時のぼくの思考の流れを上手くまとめることはできないが、何はともあれ、それからしばらくして、ぼくは家にたどり着いた。

 皺くちゃのスーツを来た男とともに――。


      *


 ぼくは小さな片手鍋に湯を沸かし、冷蔵庫にあったもやしと二袋だけ残っていた袋ラーメンを入れた。できあがる途中で卵を入れて、割れないようにどんぶりに半分移す。ぼくは鍋のまま食べることにして、食卓にラーメンを運んだ。

 とりあえず、コップについだ水も一緒に男の前に置く。


 男はぼくがラーメンを作っている間、膝を抱えて震えていたが、湯気の立つラーメンを目の前にした途端、

「すみません。いただきます!」と叫ぶように言って、食べ始めた。

 ずるずると麺をすする音が響く。男は途中水も飲みながら、またたく間にラーメンを食べ終わった。

 ぼくはいつものペースだったので、男が食べ終わった時点で、まだ半分ほどラーメンを残していた。

 ぼくは、もやしと麺を一緒に食べながら男に話しかけた。


「助けてくれって言ってましたよね。それに警察に電話しようとしたらあいつらにばれてしまうとも言ってました……誰かに追いかけられてるんですか?」

「ええ……」

 男はそう言って考え込むような表情になった。

 ――しばらく無言の間が続く。

 その間、ぼくのラーメンをすする音が部屋に響き、たまに外から自動車の走る音が聞こえてきた。


 話しにくいならいいですよ……と口にしかけたとき、

「迷惑になるかもしれません。でも、誰にも言わなければ大丈夫だと思います」

 と、男が話し始めた。

 何でも、男はロボットの研究者で、その道では新進気鋭の研究者なのだそうだ。しばらく前まで、大学に研究室も持っていたらしい。専門は、自律型のAIを搭載し、二足歩行する人型タイプとのことだった。

「私が名乗ることで、あなたの迷惑になるかもしれないので、名乗ることはご容赦ください……」

 男はそう言って話を続けた。


「ある日、大学の研究室に真っ黒なスーツを着た男が訊ねてきたんです。研究費で困っていた私に潤沢なお金を出すと言って。その男が名乗った会社名は聞いたことはなかったのですが、中国の大手IT関連の企業だという触れ込みでした」

「へえ。そうなんですね」

 ぼくが想像していたのは、借金か何かのためにやくざみたいな怖い人に追いかけられる男の姿だった。だから、全く想像もしていなかった話の方向に驚きながらも、面白そうなので、ぼくは話を続けるよう促した。


「しばらくは、依頼に基づいた研究をしていたのですが、その結果に会社も納得したらしく、男の会社の経営する研究所にヘッドハンティングされたんです」

「移籍金というか契約金はあったんですか? 結構なお金だったんじゃないですか?」

「そうですね。三千万円です」

「えっ! すごっ」

 男があっさりと口にしたその金額に驚いたぼくは、思わずラーメンを吹きそうになり、箸を持った手で口を押さえた。


「普通考えられないですよね。でも、契約後、本当に口座に振り込まれたんですよ。それで約束の場所に行ったら、そこから車に乗せられて……、目隠しされてですね。着いたのはとある港だったんです」

「港ですか?」

「ええ。何か怖くなっちゃって、契約を破棄して帰ろうかとも思ったのですが、そのことを言い出すような雰囲気でもなくて……」

「それで、どこに連れて行かれたんですか?」

「たぶん、外国だと思うんですが……実は船の中で薬を盛られたらしくて、目が覚めたらもう研究所の中だったんです。なので、そこがどこの国なのかも分からなくて……」

 男が大きく息を吐いた。

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