因果の信託2

『では、本題に入ります。まずはこちらの映像をご覧ください』


 改まったように咳払いをして地母神が指を鳴らすと、空中に一枚のスクリーンが映し出される。それ自体は遺跡のトラップなどで見慣れた古代技術ロストテクノロジーだったが、それが実際に使われているところを見るのはシリウスも初めてだった。


 映し出されるのは、魔族の死に際。一面が赤と黒で構成された魔界の光景。その中央で、幾千もの手に引きずられていく魔族をシリウスがつまらなさそうに見下ろしていた。


『この時、彼は言っていましたね。世界に神託の聖餐と呪詛の魔法玉をばら撒いたと』

「しかし、それは他の冒険者が対処していると言っていませんでしたか? シリウス様」


 魔族の計画に冒険者組合はすでに気づいており、その対処も終わっているというのはシリウスの言である。しかし、リリアの問いかけに対してシリウスは黙秘を貫いた。


 すでに倒した者に興味はないが、世界が混沌に包まれるという魔族の去り際の言葉は覚えている。しかし、その根拠が魔王の復活などありえない。魔王は勇者によって封印されており、それは勇者の力でないと解除不可能。魔族の言っていたことは与太話だろう。少なくともシリウスはそう判断した。

 しかし、完全な与太話だとして、女神がわざわざそんな話をするはずはない。リリアの追及に対して、シリウスは先ほどとは違う理由で冷や汗を流す。


「……シリウス様?」


 リリアは困惑を顕わにしながら主の名前を繰り返す。一方のシリウスも、二度も呼ばれて答えないわけにはいかなかった。

シリウスは、仕方ないとばかりにため息をついて白状する。


「あれは嘘じゃ。勝ち誇ったような顔が気に食わんかった。魔族の計画もあの時初めて聞いた」

「シリウス様……」


 三度目は、落胆を色濃く映していた。不満げに突き刺さる視線は、神の御前で恥をかかされたと言わんばかりに。リリアは口を尖らせる。


「あとでお仕置きですからね」


 恨めし気な忠告にシリウスは肩をすくめた。


「それで、一体何なんじゃそれらは。魔道具の類か?」

『神託の聖餐は、魔物が食すと邪神の声が聞こえるようになります。人が食べると発狂して死んでしまうとか。こちらは単に魔物が種族の限界よりも強くなってしまうというだけなので大した問題ではないのですが、問題はこっちですね』


 そう言って女神はふたりの目の前に淡い紫を放つ光球を出現させる。見慣れない術に対し、シリウスは最早身構えることをしなかった。こちらだけが術を使えない状況など今更だった。そして、状況の重大さに気が回らなくなるほどに、その光球に視線を奪われたのだ。不規則に点滅し、気を張ってければ吸い込まれて二度と戻ってこれないと思わせるほどの魔力があった。


 その後も数秒の間その宝玉に魅入られていたシリウスだったが、地母神の咳払いとともに現実に引き戻される。


『今あなたの目の前にある呪詛の魔法玉は人が触れると悪意に蝕まれ、いずれは魔族になります』


 


『単刀直入に言いますと、あなたにはこの一件の解決にあたっていただきたいのです』

「断る」


 即答するシリウスだったが地母神は特に驚く様子もなく、そう答えると分かっていたかのようだった。


『元はと言えば、この状況はあなたが引き起こしたのですよ』

「どういうことじゃ」

『……かつて、時空神が人族を滅ぼそうとしたことを覚えていますか?』


 不穏な問いに、シリウスは顎に手を当てて遠い昔の記憶を思い起こす。


「あの堅物か。確か、冒険者組合によって邪神認定されていたと記憶しておるが」

『ええ。人間にとって、人に害を成す神は邪神と思われてもおかしくありません。人間の時間で表すと百年ほど前のことだったでしょうか。繁栄しすぎた文明を滅ぼすため、時空神は世界各地に天使を送り込みました。神と人との総力戦。本来なら、人類は全滅しないまでもその文明のほとんどを失うはずでした』


 しかし、そうはならなかったことを当事者であるシリウスはよく覚えている。世界各地に送り込まれた天使たちの攻撃を現地の冒険者ギルドが対処し、一部の一等星冒険者が時空神の聖域に乗り込んだ。そして、守護天使や聖天使といった上位天使たちを倒し、神の御元にたどり着いたのが一等星筆頭冒険者であるシリウスだった。


 人類の最先端と神の一端が相まみえた結末は、今シリウスがここに立っていることが物語っている。


『人族がこの世界の理を読み解くとは恐れ入りました。神は世界の調整役。世界のバランスを崩すほどに人族が繁栄しすぎれば、神の力を使ってその文明を過去へと戻す必要がある。そして、それを防いだのがあなたというわけです。おかげで人類の技術は大層進歩したようですね』


 そう言って地母神は穏やかな笑みを浮かべるが、その言動の節々に皮肉が垣間見える。人が地母神へと抱く印象とは乖離しているが、神を殺すという所業を行ったシリウスに何らかの恨みを持っているとすればなにもおかしいことはない。しかし、だからと言って知性を失うような女神ではないらしい。


 その後も地母神は淡々と告げるだけだった。


『人間を魔族化することはこの世界の理で禁忌とされています。本来、このような事態になったときに対処するのは時空神の役目なのですが……どこかの誰かさんに討たれてしまったようですからね。こんな形の下克上は私も想定していませんでした』

「話半分に聞いておこう。生憎、人族に味方する神以外は邪神らしいからのう」

「あら、意外ですね。あなたが自分で見たものよりも他人の言うことを信じるなんて」


 唯一神も邪神も同質の神である。神と同じ場所で話したことがあるシリウスはその事実に気づいていた。しかし、それも再び神と対峙して初めて思い出したくらいである。端的に言って、興味はなかった。あるのは、敵なのかそうでないのか。それだけだ。


「まあ、今はそれでいいでしょう。ですが、いずれあなたは嫌でもかかわらなければいけない時期がやってきます。そういう運命なのですよ」

「なぜそんなことが言い切れる」

「私は一番長く人の歴史を見てきました。そんな私から見ても前代未聞の大災害が人類に降りかかろうとしている。それも、人族が滅びてしまうほどの。勇者の召喚を許可してもいいですが……大賢者は勇者召喚の儀を禁忌としているようですね」


 地母神の言葉に、シリウスは意地の悪い笑みを浮かべる。


「非人道的らしいからのう。人の枠から外れておいて道義に縛られるとは、滑稽じゃな」

「仕方がありませんよ。魔王と勇者の戦い以降、あなたや大賢者を筆頭にちらほらと人族の限界を超えるものが現れています。成長限界を突破し、寿命までなくなってしまったらそれは人と言えるのでしょうか。強大になりすぎた超越者が人の枠内に収まっていられるためにも、道義は必要ですよ」

「私には関係のない話じゃ」


 縛られることを嫌うシリウスにとって、もはや人という括りこそが自由を縛る鎖だった。そして、力とは翼である。翼をもったなら飛ばなければならない。飛ぶためには大きな翼が必要なのは自明のことだ。

 人は、翼を得たのだ。風や嵐でも落とされない強い翼を。中には雷に堪えるものもいるだろう。


『忠告はしましたよ。人族が勇者に頼らなくてすんでいたのは、あなたが勇者の役目を担っていたからです。勇者がいない今、どんな強敵が現れても、あなたに役目が回ってくる。あなたのあずかり知らぬうちに、そういう因果になっているのです』

「知ったことか。私の因果は私が決める。私は私のしたいことをするだけじゃ」

『そうですか、それは残念です』

 地母神がそう言って指を鳴らすのと同時、足元に罅が割れ、際限なく続いているかに思われた周囲の空間がガラスを割ったような音を立てて崩れ始める。


『あなたたちの行く末を、上から見守っていますよ』


 慈しみに溢れた声を最後に、視界が暗転した。

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