第16話


 ルナンダは魔塔の研究者たちが趣味で作っているらしい生活魔法を閉じ込めた魔道具とハウエルの作った娯楽用の魔道具を買い占めた。

 商品として扱われる魔道具たちの種類を見てハウエルが開発の天才と呼ばれている理由をよく理解できたように思う。


(ハウエルの作る魔道具だけ魔法の種類が多いし、変わっている)


 他の研究者たちは既に存在する魔道具の改良や、生活魔法を中心に使いやすい魔法陣を考案し魔道具を作るのが主なようだ。だがハウエルからは他では見ない魔道具が出てくる。娯楽用とはいってもそこに使われるのは今までにない魔法陣であり、高等な技術である。ルナンダもハウエルの魔道具には目を輝かせていた。



「良い仕入れができました。ハウエル様の魔道具であれば高値で売れるでしょう。来年もお取引くださると嬉しいのですが」



 【二度と来ないでほしい】と思っていたものの表面上は頷いていたので来年でも取引はできると思う。それまでに私と彼の関係が前に進んでいればおそらく、今回よりも落ち着いていられるのだろうが、それはハウエル次第である。



「しかしレイリン様は本当にハウエル様と仲がよろしいのですね。先ほどはご助力くださりありがとうございました」


「いえ。ハウエルの機嫌が悪かったのでつい、差し出がましい真似をしましたが……お役に立てたなら良かった」



 昨夜の様子から今日の商談についてちゃんと理解しているのかと心配だったけれど、その心配の通りだった。商談があるのは知っていたが相手がルナンダであることは知らなかったらしい。

 私とロイドを見て相手の商人が誰であるか気づいたハウエルの機嫌が急降下したのはふきだしを見れば一目瞭然だった。声は低く、最低限の返事しかしなくなっていたので商談のサポートになるかと口を出してしまったが、結果的には良かったのだろう。


(他国には流せない魔道具もあるだろうし、今日は夕食の後にでも少し見せてもらえないか頼んでみよう。ハウエルも楽しそうだったからな)


 便利な道具を悪用する人間はどうしたっている。他国の人間には渡せないような、実戦で使える魔道具もあるはずだ。今回見せられたのは生活雑貨に分類されるものでとても戦争で実用できるようなものではなかったと思う。それでも市場には出回らない珍しい物だらけであった。

 魔法陣、魔道具の開発は彼にとっても趣味なのだろう。尋ねれば楽しそうに教えてくれた。最近は私の話をするばかりだったので今日の夕食時には彼の話を聞いてみたい。仕事終わりが楽しみで頬が緩んでくる。



【俺が入る余地はなかったのかもしれない。……いや、だが……まだ、二人の関係は、そこまで進んでいないように見えた。可能性はある】



 ルナンダは微笑んだままそんなことを考えている。そのふきだしからすると私とハウエルの関係や感情をおおよそ察されてしまったようだ。さすが商人は鋭い観察眼を持っているなと感心すると同時に、それでもあきらめないのが商売に必要な逞しさなのかと少し悩ましい気持ちになった。


 その日もすべての商談を終え、宿に帰って護衛の終了となろうかという時のこと。宿の扉を前にして、今日は何事もなく終わったのだとおそらく皆の気が最も緩んでいた瞬間。上の方から人の動く音がして、私だけが空を見上げた。

 宿の二階の窓から誰かがこちらに向かって、何かを振りかけようとしていた。それを確認した瞬間、周りの人間を全員突き飛ばす。声を掛ける暇もなかった。あれに当たってはいけないと、自分の中で警報が鳴る。


 ルナンダの驚きに見開かれた黄金の瞳に、自分の姿が映っているのが見えた。他の人間を優先したため回避が遅れ、私の肩に上から降ってきた液体が掛かり、水がはじける音が耳障りに響く。



「くそ、はずれ……うわ!?」



 即座に飛び上がって宿の二階、液体を投げつけてきた人間の部屋へと踏み入った。その場で取り押さえ、部屋の中に他の仲間がいないことを確認する。長く同じ人間が借りていると分かる部屋だ。ごみが散らかっていて生活感があった。



「今の液体はなんだ、毒か?」


「は、離せ! その液に触れたら死んじまうだろ!」



 やはり毒であるらしい。外に向かって「毒だ! 液体には絶対に触れるな!」と声を張り上げる。さて、しかし困った。触れるだけで死んでしまう毒を思いっきり被ってしまったのだ。今のところ体調に変化はないが、本当に死んでしまうのだろうか。



「解毒剤は?」


「ねぇよ! てかほんとに、はなせ、濡れる……!」

【この毒が解毒できるわけないだろ……!】


「……まあ、尋問前に死なれたら困るな。手荒になるが仕方ない」



 一度刺客を放し、あごを狙って軽く蹴り上げた。脳を揺らせば人間は動けなくなるからだ。これで下にいる他の護衛やロイドが駆けつけるまでの時間は稼げるだろう。


(……ハウエルに、何と言おう。いや、そもそも……もう会えないか?)


 毒の効果が現れる時間が分からない。せめてそれを聞いてから脳を揺らすべきだったな、と苦笑する。魔獣行進の時は意識が朦朧とした中であったし、死が確実に近づいてきているのが分かっても恐怖を抱く余裕などなかった。

 しかし今は怖いと思う。死ぬことが、というよりはハウエルに会えなくなるのが怖いのかもしれない。



「レイリン! 解毒剤は!」


「ああ、ロイド。その刺客を縛ってくれ。触れるだけで致死らしいから私は触らない方がいい。尋問前に死なれては困るしな」


「そっ……んな……」

【嘘だ、レイリンが死ぬなんてことがあってたまるものか。そんなことが、あっては、何か方法は】



 真っ先に到着したのはロイドだった。血相を変え、蒼白となりながら息を飲んだ彼が私を見つめる。ふきだしがずっとでているのは彼にしては珍しいことだ。それだけ混乱しているという証だろう。そしてふと、彼が何かに気づいたように目を丸くする。



「レイリン。……どこに毒を受けましたか?」


「肩のあたりにかかったと思うが……」


「濡れていません。どこも」



 そう言われて私も驚きながら液体が降りかかったはずの右肩に視線を向ける。確かに濡れていない。乾くのが早い液体だったという訳でもないだろう。そういえば濡れた感覚がなかったことも思い出した。

 たしかに液体のはじけた音がした。降りかかったのは間違いない。何故濡れていないのかが分からず首を傾げた。



「……よく分からないな。その男に詳しく訊いてみよう」


「はい。……これを縛り上げたら伝令を走らせます。尋問官にも急いでほしいと頼みましょう。レイリンはどうか、すぐ病院へ」



 治癒魔法はあらゆる体の不具合を治すことが出来る。怪我や病はもちろん、毒による体の変化も治せる。ただ“解毒”ができる訳ではなく、毒の成分が消えるまで治癒魔法をかけ続けることで対処するもの。大量の魔力が必要だし、この日暮れの時間にそれだけの魔力が残っている治療師はほとんどいないだろう。

 即効性や致死性の毒では治療が間に合わないこともほとんどだ。しかし可能性がないわけではない、今のところ不調もないし急げばどうにかなるかもしれない。



「むだ、だ……魔法毒、だ……ざま、みろ」

【でも即死だって聞いてたのに……なんでピンピンしてやがる、この女】



 まだ呂律のまわっていない刺客があざ笑うように言った。魔法毒。その名の通り、魔法で作られた毒である。危険な代物なので製造はもちろん禁止されているし、強い魔力がこもっているため国外から持ち込むことも出来ない。そんな魔力が籠っていたらハウエルの防壁に阻まれるだろう。

 そこでふと、思い出した。今朝も彼にもらった魔法陣に魔力を込めて、魔法を使ったことを。



「……っはは……!」


「レイリン? 大丈夫ですか……!?」

【急に笑い出すなんてやはり毒が!?】


「ああ、いや。大丈夫。私はどうやら毒を受けずに済んだ」



 これが魔法毒でなければ私は今頃死んでいたかもしれない。だが、最近の私は毎日防御魔法を使っている。透明で魔力の強いものだけを拒絶するためその存在は意識から抜けがちだ。……ハウエルの防壁を個人に付与できるよう改良したその魔法が、私を守ってくれた。


(ハウエルに守られたな。これを片付けたら礼を言わなくては)


 君を守れていない、守られてばかりだと嘆いていた彼にようやくお礼を言える。正直、私はハウエルのその気持ちを嬉しくは感じても、本当に守られる日が来るとは思っていなかった。私は誰かに守られる程弱くはないと、私を守れる人間などいるはずがないという自惚れがあったからだ。

 しかし今、実際に私は守られた。私を守ろうと思い続けてくれた唯一の存在である幼馴染に。……急に、会いたくて仕方がなくなってしまう。仕事が優先だと自分に言い聞かせ、走り出したくなる脚を諫めた。



「毒を受けていないとはどういうことですか?」


「開発されたばかりの新しい魔法だ。防壁魔法を個人に付与するものでな。私の周りには防壁が張られている。ハウエルのおかげで助かったな」



 その事実が嬉しくてならないせいか私の顔は緩んでしまった。その時ちょうどロイドが刺客をきつく締めあげたようで呻き声が漏れ、そういえば仕事中だったと表情を引き締め直す。ハウエルのことを考えるのは、違法な魔法毒を使ったこの男の処理をしてからだ。これはさすがに兵士に引き渡すだけでは終わらない。



「……さすが、大魔導士殿です」


【痛ッ……!! 腕ちぎれる……!】



 刺客がかなり痛がっているのがふきだしで分かる。ロイドは性格上、罪人を必要以上に痛めつけることはないので珍しく縛り加減を間違えたのだろうか。

 そんな中、ゆっくり複数の足音が近づいてきた。その中の一つが随分おぼつかないというか、不安定だ。やがてこの部屋の前にやってきたのは予想通りルナンダ達であり――私を見るルナンダの顔ははっきりと恐怖に染まっていた。


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