第5話



 そろそろ正午も近いという時間になってもハウエルは新しい魔法陣を考えていた。やはり思う通りの結果を出すのは難しいらしく試行錯誤している。

 休憩を兼ねて昼食にするべきだろうと思ったのだが、この部屋には厨房がない。冷蔵の魔法道具の中身を確認しても食べ物は見当たらなかった。……たまたま食材を切らしている、という感じではなくほとんど使われていないように見える。



「ハウエル、昼食はいつもどうしてるんだ?」


「……大体忘れるかな」


「それはいけない。……まさか夕食も忘れていないだろうな」


「……忘れてないよ」

【時々は忘れるけど】



 時には昼も夜も食事を忘れるということか。それはあまりにも不健康だ。道理でハウエルの手足が細いはずである。私より少し背が高いのに猫背気味のせいで大して変わらないし、むしろ小さく見えるくらいだ。魔導士のローブで体の線はよく分からないが殆ど肉がついていないに違いない。

 元からのめり込む性格であったように思うが、彼の育ての親たる祖父が亡くなり、私とも離れてしまって彼の生活を気にする人間が傍に居なくなったせいだろうか。国を支える大魔導士がこんな不健康な生活をしていてはいけない。



「休憩を兼ねて市場に行こう。昼食は……ひとまず何か買って食べるか。外出できない訳じゃないんだろう?」



 防壁はその維持に注ぎ込まれたハウエルの魔力を少しずつ消費している。その残量は部屋の片隅にある水晶を見れば分かるようになっており、現在は八割程度だ。魔獣が壁を削ったとして、群れ一つならこの量でも三時間はもつ。……魔獣行進ともなればハウエルが常に魔力を注ぎ続けたとしてもじりじりと減ってしまうのだろうけれど。

 昨日あれだけの魔獣を狩ったばかりの上、原因調査のために大勢の騎士団員が門の外に出ているので魔獣は発見次第討伐される。暫く壁を攻撃してくる魔獣はいないと考えていい。今なら出かけるのも容易だろう、という判断での提案にハウエルは首を振って答えた。



「君だけで行ってきなよ。今いいところなんだ」


「私は護衛なので貴方の傍を離れられない。ハウエルが食事に出ないなら、私も昼食は摂らない」


「……仕方ないな」

【君が食べないのはダメだろ。回復しなきゃいけないんだぞ】



 ハウエルはペンを置くと席を離れ、防壁の魔法陣へと向かった。そこへ魔力を注ぎ、水晶の魔力を満たしてから立ち上がる。

 溜められる魔力の二割は、通常「魔法使い」と呼べるほど魔力の多い人間の二十人分の魔力に相当するはずだ。まさかすぐ目の前の市場に出かけるだけで補充するとは思わなかったので驚き、彼の傍に駆け寄った。



「そんなに消費して気分は悪くないのか? 大丈夫か?」


「これくらいは別に。……何、心配してるわけ?」


「あたりまえだ」


「……ふうん」

【ほんとに心配してくれたのか。……嫌われてない、のかな】



 私がハウエルに嫌われてしまったのかと不安になっていたように、ハウエルもまた同じようなことを考えていたのだろう。私はいまでも貴方が好きだ、幼馴染として、友人として大事に思っているのだと伝えさえすれば、また元の関係に戻れるかもしれない。……けれどそれを言うタイミングが難しい。心の声を読んだから知っているだけで、表面上素っ気ないハウエルに伝えるいい機会が見つからないままだ。



「食べ物、買いに行くんでしょ」


「ああ。でも出かける度にこうして魔力を消費しなければならないなら……昼の分だけ屋台で何か買って、あとは数日分の食材を買ってこよう。厨房はないのか?」


「あそこが厨房だけど……食材なんて買ってきても僕は作らないからな」



 大魔導士は魔塔の地下が必ず家になる。必要な設備はしっかりと整っているらしい。ハウエルの指さした奥の扉を開けば小さいが設備の整った厨房があった。定期的に掃除や手入れの人間が入るのだろう、使われている気配はないが綺麗だった。これなら問題なく料理ができそうだ。



「私が作ろう。まあ、その間は貴方にも目の届くところに居て欲しいな。扉を開けておくという手もあるが、匂いがこちらの部屋に入ってしまう」



 ハウエルが固まった。彼のふきだしには【レイリンの手料理】とだけ書かれている。それがどうしたのか、どう思っているかなどは書かれておらず分からない。嫌なら押し付ける気はないので確認を取ることにした。



「……店の料理がよければそちらを買う方法を考えるが」


「いや、別に……出来るならいいんじゃないか」

【レイリンの手料理】



 ふきだしの内容が全く変わらなくなってしまった。魔法の不調か何かだろうか。このふきだしは常に表れている訳ではなく、何か思うことがある時に出てきているように見えるのだが、ハウエルのそれは現在消えないままずっと同じ言葉を表示している。……どういうことだろう。この魔法についてはまだ分からないことが多い。

 そんな状態でハウエルと共に魔塔を出て市場へと向かう。ハウエルは日光を嫌がるようにフードを目深に被り、私と並んで歩き出した。その間も彼のふきだしの表示は変わらないままだったが、街へ出ればまた色々な言葉が並んでいるのが見える。


(魔法の不調ではない、のか? ハウエルのものだけ読めなくなったのか)


 前例のない新しい魔法で謎が多い。本当ならハウエルを頼って一緒に検証する方がいいのだろう。私は体を動かすことの方が得意で、あまり深くものを考えない性質だ。……大体力わざでどうにかしてきた弊害である。

 しかしこの魔法については人に教えない方がその人の心の安寧になる、と結論付けたのだ。いくら幼馴染でもそんな負担はかけられない。一人でゆっくり考えた方がいい。


(まあ、諦める方が早い気もするな)


 考えなくとも時間の経過と共に理解できていくだろう。この魔法は止められないので常に観測できるのだ。まだ手に入れて二日目のものに焦る必要などない。



「ハウエル、何が食べたい?」


「……君が得意な料理でいいんじゃない」

【レイリンの手料理】



 私はこれから買う昼食の話をしているつもりだったのだが、ハウエルは夕食の献立と理解したようだった。そこでふと、彼のふきだしが変わらないのは不調なのではなくて、本当に私が作る夕食のことをずっと考えているのだと気づく。


(楽しみにしてくれているんだろうか。……ふむ、はりきってしまうな)


 ハウエルと私に両親はいない。けれど彼には祖父が、私には祖母が居た。そういう点で私たちはよく似ていたからこそ気が合った部分もあるだろう。彼の祖父が亡くなってからは私の家で食事をすることも多くなり、私が作った料理を食べさせたこともある。そんな昔を思い出してまた懐かしんでくれているのかもしれない。


(ハウエルが好きなのはたしか、豆がたっぷりの野菜スープだったな。他の献立は……)


 昼食に興味はないようなので、この時間帯に売りに出されている屋台のパンを適当に買った。肉と野菜が挟まれたもので、香辛料が効いていて美味しい。鼻に抜ける清涼感と辛さがクセになりそうだな、と思っていたらハウエルがそれに苦しんでいた。

 すまし顔のままだが【辛いっ鼻が痛いッ】という文字が横に浮かんでいる。どうやら香辛料多めの部分に当たったらしい。ほんのりと銀の瞳に涙の膜が張っているのも見えて微笑ましくなった。



「……何」


「いや、からかったのかと思って」


【なんで分かるんだ】



 顔をそむける姿が恥ずかしがっているように見えた。以前ならそうは思えなかっただろうから、これはふきだしの魔法のおかげだ。ハウエルが素直でないだけなのだと知ることができて本当に良かったと思う。

 彼はもうお腹が膨れたというので、私だけ他の屋台の料理をいくつか買って食べた。そんな時だった、誰かが「レイリン様!」と声を上げたのは。私の赤い髪も緑の瞳も一般的なもので、騎士の制服を脱ぎ、大した武装もしていない。せいぜい短剣を腰に差しているくらいのものだ。人込みに紛れてしまえば目立たないと思っていたのだがそれでも見つける人間はいるらしい。

 その声によってあたりの人間がこちらに視線を向け、そんな人々のふきだしに私の名前が浮かび上がっていく。……どうやら注目を浴びてしまったようだ。



「レイリン様ですよね!? お体の具合はもうよろしいのですか……!?」



 話しかけてきたのは若い女性だった。私が生死の境を彷徨う状態に陥り、そこから回復したことは国中が知っているのだと周りにあふれるふきだしの反応で伝わってくる。心配や安心の声のふきだしに辺りは溢れていて、少し目が回りそうだ。



「ああ、大事ない。ただ、完全回復までの暫くの間は内側の仕事を命じられているので魔獣討伐には出られないのだが……」


「いえ、いえ……! レイリン様がご無事で本当に良かったです。どうぞお体をご自愛下さい!」


「ありがとう。……護衛任務中なので、あまり立ち話は出来ないんだ。すまないな」



 その護衛対象が気配を消してそそくさと離れていこうとしているのが分かったので、女性に軽く断ってハウエルの傍に寄った。話しかけたそうにしていた人達も私の言葉が聞こえたのかそれぞれ一言、応援の言葉をかけて去っていく。フードを目深に被って顔を隠した彼が大魔導士のハウエルであることに気づいた人もいたようで「大魔導士殿をよろしくお願いします」なんて声もあった。


(有名人が二人だ。……やはり目立つか)


 見つかってしまった以上、多くの視線はこちらに向いたままだった。どれも好意的なものだが目立つのが嫌いらしいハウエルが【ジロジロ見るなよ】と内心で呟いていて少々申し訳ない。



「すまない、皆を心配させていたようだ」


「……君は人気者だからね。これを機に少しは自重したらいいんじゃないのか」

【ここに居るやつらより絶対僕の方が心配してたけど】



 今回は流石に無理をした自覚があるので、心配をかけてしまったことについてはただ謝るしかない。しかし私は騎士を辞めたいとは思っていないのだ。やはり私がいなければハウエルにだけ負担が圧し掛かるだろうから。


(団長によれば私とハウエルがゴルナゴの双璧らしいからな)


 国を覆う巨大な魔法防壁と、それが壊される心配がないと思わせる強い騎士。この二つが揃っているからこそ国民は安心して暮らせる。私も彼もこの国の柱になっているのに、私だけが抜けたらすべての重みが彼の肩に乗せられてしまう。



「心配をかけずに済むよう、もっと鍛えようと思う」


【違う。そうじゃない】



 私がどんな魔獣相手でも傷を負うことなく、その数に押されることもないくらい強くなれば心配しなくていいと伝えたかったのだが難しい。ハウエルは無言になってしまったし内心で否定されてしまった。

 それから【レイリンは何もわかってない】【心配するようなことをするなって言ってるのに……いや言ってはいないけど】というような愚痴を心の中に吐き出しているハウエルと共に買い出しを続行する。おかげで三日分の食料を両手に抱える頃には本当に心配をかけてしまったということを心底理解させられた。


(きっと、今までも心配してくれていたんだろうな)


 騎士になって七年、言葉にしない彼の心配に全く気付かなかった。さすがに一人で魔獣行進に立ち向かう無茶はもうしないでおこうと決める。……騎士の仕事を辞める気はないので、これ以上心配をかけないためにはやはり鍛えるしかないだろう。

 必要な食材を買い終えて、ふとハウエルに必要なものはないのかと思い浮かんだ。魔塔を出て一時間ほど経ったが、緊急警報も鳴っていない。まだ時間はあるはずだ。



「ハウエル、せっかく外に出たんだ。貴方には買うものはないのか?」


「……魔塔に注文だせば届くからね。届くのは翌日になるけど」


「そうなのか。ああ、じゃあ次からは食材もそれで頼もう。私達が出かけると目立ってしまう」



 私が護衛任務についていることがこの市場を中心に伝わっているようで、こちらに話しかけようとする人間をいさめる姿をちらほらと見かける。おかげで声をかけられて足を止めることはなくなったが、存在自体には気づかれているため「レイリン様」と私の名を呼ぶふきだしは多く見た。

 そんな中、視界の端に引っかかった情報に言葉が止まる。市場の賑わいで溢れるふきだしのどこかに違和感を覚えた。ちらりと見えた文字は【あれが大魔導士ハウエルか。ひ弱そうだ】というもの。

 ゴルナゴの国民がハウエルの姿を見たなら【大魔導士殿だ】と思うだろう。そんなふきだしなら実際にいくつか見た。しかし今の言葉にはどうも違和感があったのだ。……たとえるならそう、よく知らない他国の者が噂だけで知る相手を見つけた時のようではないか。 


(怪しいな、気を付けておくか……ん?)


 不自然でない程度に視線を向けた時、目に入った文字は【すれ違いざまに刺せばよさそうだ】というもので。今までも何度か間者を捕えてきたが――おそらく、私は今までで一番、この敵に腹が立った。

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