第13話 裏切り


 ヴォネガット魔法大学は、ヴォネガット伯爵が自分の領地に建てたいわば私立の大学である。金貨を相手の顔に叩きつけるようにして、王立アカデミーから引っ張って来たマナ工学の権威ブロンズベロー学長と、魔法考古学の権威エストリッジ教授を二本柱としている。もっともエストリッジ教授はほとんどの時間をフィールドワーク、つまり魔法遺跡の発掘に出ているので、実際にはブロンズベロー学長の独壇場と言ってもよい。

 田舎貴族としてその名も高いヴォネガット伯爵は、自分の一族の格を上げようとする目的で、十年ほど前に魔法大学を建てたのだが、いまのところその成果は上がっていない。ただ単にヴォネガット魔法大学に、成り金が建てた田舎の大学というレッテルが張りついただけあった。

 ラングに取っては恩師でもあり師匠でもあるエストリッジ教授が、何を好んでこのような大学に来たのかは、ただ謎の一言ではあった。ブロンズベロー学長はこの大学が出す高給につられてやってきた。だがエストリッジ教授の性格からすれば、同じ動機とも思えない。

 しかし、最近になってラングにもようやくわかってきたのは、魔法遺跡発掘には莫大な金額がかかるということだ。発掘品を狙う盗賊に対抗するための傭兵費から始って、発掘の際に必ず出る死傷者に対する補償金まで、金はいくらあっても足りないものなのだ。少なくともヴォネガット魔法大学は、それらの予算はたっぷりと用意しているように見えた。

 魔術師ギルド所属の二級魔術師であるラングは、生活のために、この大学の学生寮の舎監頭も兼任している。学生寮で誰かが何かとんでもないことをしでかした場合、その対策に駆り出されることも、しばしばである。

 いわく、召喚悪魔にうっかりと魂の譲渡契約をしてしまった。それも自分の家族の分も含めて。

 いわく、魔法を織りあげてみたはいいが、それが勝手に動き始めて、おまけに予期しない効果を見せはじめた。

 などなど。魔術師志望の学生たちが引き起こす騒ぎは絶えることはない。

 そのたびに、ラングは自宅から大学に呼び出されることになる。

 だいたいが、この手の呼び出しはまともに済んだことがない。緊急の用件とやらで大学に行ってみれば、石作りの校舎の一部が、派手に燃えていたこともあった。それも石そのものが炎を吹き出していたりするのだ。

 普通でないのは当たり前だ。見習い魔術師たちが引き起こす騒動なのだから。消防隊がいかに放水をしようとも、魔術の火など消せるわけがない。

 だから、緊急の呼び出しを受けて大学に赴いたラングの目の前で、いつものように静かにたたずむ大学の校舎が、逆に異様に見えたとしてもおかしくはない。

 召喚された巨大魔神もいなければ、謎の火災もない。人々の肩の上に魔物が乗っていることもなければ、夜空を埋め尽くす渦巻く暗雲もない。

 普通の光景。これこそが何か恐ろしいことを暗示する象徴だ。

 ラングはしばらくの間、周囲を見回し、それから意を決して、大学の構内へと足を踏みいれた。

 警備ギルドから派遣されている警備員たちが、すばやくラングの体を調べる。名前を問うことは最初からしなかった。巨人族というものは本来きわめて閉鎖的で、故郷の居留地を離れてまで魔法大学に関るような人物は、ここらではラングぐらいのものだ。

「武器はなし」警備員は言った。それが無意味な行為であることは警備員もよく知っている。ラングは自分で魔法を編むことのできる『織り師』と呼ばれる魔術師だ。武器を携帯する必要などそもそもないのだから。

「どんなトラブルだ?」ラングは顔見知りの警備員に尋ねた。

 その警備員は肩をすくめてみせた。

「さあ、こちらには報告が来ていません。酒を飲んで馬鹿騒ぎをやっている学生の話もなければ、学生派閥同士の衝突もなし。今週は爆発事故も起きていませんしね。あの魔法消失事件以来、実に平和なものです。あ、そう言えば、学長がお客さんを何人か案内していたようですが」

「ブロンズベロー学長が? じきじきに?」ラングは眉をひそめた。このことは自分が呼ばれたことに、何か関係があるのだろうか?

 体の大きい者の常で、建物の中に入るときは、ラングは戸口に頭をぶつけないように注意している。もともと巨人族の体格に合わせて作られた建物ではないのだ。廊下に立つと、天井に頭がぶつかりそうになる。こうなると、頭のてっぺんの毛を気にするのならば、派手な動きは厳禁だ。

 学長室の扉をノックすると返事が返ってきた。またもや体を無理に屈めて、部屋の中に足を踏みいれる。

 ブロンズベロー学長。灰色の密生した鼻髭を左右に振り分けているのが印象的な人物だ。やや太りぎみで、見た目は好々爺といった感じだが、実際は欲深で狭量な精神の持ち主だと、ラングが考えている人物でもあった。

 壁の横に置かれたソファーの上にファガスが座っているのを見て、ラングは一瞬、驚きの表情を浮かべた。ファガスも確かにこの大学の出身だが、ラングのように大学そのものに雇用契約を持っているわけではない。彼がここにいるのはひどく場違いであった。

「来たな。ラング。さあ、ファガスの横に座りたまえ」

 いつになく機嫌のよさそうなブロンズベロー学長がラングに向かって言った。

 魔物に鼻をつままれるような心地とはこのことだ。そういえば今日は耳刺す日と呼ばれるロキの曜日だ。外出すると嫌なことに遭うと伝えられていることを、ラングは思い出した。

 ファガスは奇妙に静かにしている。ラングに挨拶もしない。ただ目ばかりをきょろきょろと動かしてラングを見ている。

 お喋りのファガスが押し黙っているなんて、いったい何が起きたのか?

 ラングはファガスの隣に腰を降ろした。ソファーがその体重を受けて大きくたわむ。

 雲が湧き上がるさまを連想させる熱気が、ソファーから立ち上る。抵抗する暇さえ与えずに、それはラングの足と言わず腕と言わず、ところ構わず巻きつくと、たちまちにして堅牢なる魔法の鎖へと成長した。

「!」ラングは絶句した。

「だから言ったんだ」

 魔法が解けて、ようやく喋ることができるようになったファガスが声を上げた。

「何を言ったって?」ラングはつぶやいた。

 両手を揺すってみる。駄目だ。恐ろしく頑丈な魔法の力だ。おまけに、実によくできている。手の指さえ動かないのでは、魔法を使うこともできない。ここまで深く罠に捕われては、いかなラングでも打つ手はなかった。

「とても残念だよ。ラング。それにファガス」

 ブロンズベロー学長は首を左右に振りながら言った。その口調に笑いが混ざっている。

「こんな形できみたちと対面せねばならないとは」

「いったい何を!」ラングは叫んだ。

 魔法の力が上って来ると、ラングの口を優しく、だが容赦なく包んだ。対呪文用システムだとラングは気がついたが、もう遅い。出せるのはささやき声だけだ。

「ああ、ここでわたしの新しい友人を紹介しておこうと思う」

 ブロンズベロー学長はそう言うと、テーブルの上の呼び鈴を鳴らした。入り口の扉が開き、足音高く男たちが入って来る。

 その中の一人を見て、ラングはうめいた。「ザニンガム」

 ザニンガムは気取った足取りで前に出て来ると、二人ににっこりと微笑んだ。

「さあ、こうしてわたしはあの大騒ぎの犯人を見事に捕まえたというわけだ」

「ザニンガム」今度はファガスが口を開いた。「眉毛はどうしたんだ?」

 眉毛のあった辺りを赤い腫れに変えて、ザニンガムは嫌な顔をした。ラングに殴られて折れた鼻も前歯もすべて魔法治療で完治した。それなのに、元々が魔法の薬で荒れたこの皮膚だけはどうにもならなかったのだ。

「はめられたんだ」ファガスはラングに小さな声で説明した。「いい儲け話があるというんで、話を聞きに出かけたら」

 ラングは目をつぶった。

「頼むから、このわたしに、どこの誰にそんなうまい儲け話を持ちかけられたのか、言わないで欲しいものだな」

 ファガスは口をとがらせた。

「いやしかし、ラング。お前だって、きっとあの罠にはかかるはずだぞ。金持ちの奥様につけられている魔法の貞操帯の合鍵を作れば、山ほどの金貨が入るところだったんだ」

 いまのファガスは、どことなくネズミを連想させるな、とラングは思った。それからブロンズベロー学長に向かって、抑制の効いた静かな声で話しかけた。

「学長。われわれの逮捕に協力する見返りとして、何をもらったんですか?」

 ブロンズベロー学長はチョッキに入れた手を抜き出すと、ラングの前で指を振ってみせた。

「おっとっと。ラング君。わたしを見くびってもらっては困るね。見返りが欲しくてきみたちの逮捕に協力したのではない。極悪人の逮捕に協力する。これはまあ言ってみれば、善良なる市民の義務というものさ。

 まあ、我が魔法大学の歴史に、世間を震撼させた大事件の犯人としてのきみたちの名前という汚点がつくのは、こちらに取っても困る。

 ザニンガム調査委員は実によい提案をしてくれたものだよ。彼はまったくもって、大学の運営に世間の評判というものが持つ力を理解してくれている」

 それからブロンズベロー学長は、自分の執務机の上の手帳を取ると、目当てのページを見つけだした。

「まあそういうわけで、今回の一件は外部に洩れないように内密に処理されることに決まったのだ。魔術師ギルドの中でもすべては秘密とされる。あの恐るべき魔力消失の一件が、たかだか二級魔術師の二人が引き起こしたことだと知れたら、大変なことになってしまう。

 ああ、ここだ、ここだ。きみたちを庇いだてしそうな唯一の人物、エストリッジ教授のことだが、彼は最低でもあと二週間は発掘に忙殺される予定だ」

 パタンと音を立てて、ブロンズベロー学長は手帳を閉じると、自分の自慢の鼻髭を指でこする。それから独り言のようにつぶやいてみせた。

「ふむ。二週間か。魔術師ギルドに連行し、裁判を受けさせ、火焙り刑にするのには十分な時間だな」

 ザニンガムとブロンズベロー学長は顔を見合わせて笑った。

 ひとしきり無意味な歓談が行われたあとで、ザニンガムは椅子から腰を上げた。

「さて、長居するのも何ですからな。この悪人たちをギルドに移送することにしましょう」

「ギルドの御大たちにはよろしく言っておいてください」握手を返しながら、ブロンズベロー学長は言った。

「もちろんですよ」

 ザニンガムはそう言うと、扉の外に合図を送った。待機していた男たちが踏みこんで来ると、魔法を組みこまれたソファーが宙に浮き上がる。

「ああっと」ブロンズベロー学長は一行を引き止めた。

「何でしょう?」顔に軽い笑みを張りつけたままで、ザニンガムが学長に向き直る。

 もしここで学長が考えを変えたのだとしたら。ザニンガムはそう思った。この場で彼を撃ち殺そう。逮捕の際にファガスたちを庇おうとして抵抗したことにすればよい。

 ザニンガムの心の中に芽生えた殺意にはまったく気づかずに、ブロンズベロー学長は言った。

「そのソファーですが。後で返して貰えるのでしょうな?

 とても気に入っておるソファーなのですが」

 ザニンガムはにこやかに笑った。肉食獣の笑みをその中に隠して。

「もちろんですとも。すべてが終わった後には、きれいに洗濯させてから、ここに配送させますとも」

「ありがとう。それだけが気になっていたんだ」ブロンズベロー学長も笑いを返した。

「ブロンズベロー学長」ラングが名前を呼びかけた。

 執務机に向かって歩いていたブロンズベロー学長は振り向いた。

「なんだね? まだ何かあるのかね? ラング君」

 ソファーに縛りつけられたまま、ラングは静かに言った。

「信頼という言葉についてどう思われています?」

「信頼か」ブロンズベロー学長は顔をしかめてみせた。「とても良い言葉だと思うよ。まさに人間と人間の結びつきを表す最高の言葉だろうね。で、その信頼がどうしたというのだね。ラング君」

 その言葉に答えたのはファガスだった。卑猥な言葉でブロンズベローの悪を喚き立てる。ソファーの魔法の力が働き、その声を抑えこむ。窒息しかけたファガスの顔が真っ赤に染まる。

 学長室の扉が音を立てて閉まった。



 ラングとファガスを載せたまま、空中を浮遊するようにしたソファーをそっと校舎の屋上に運び出す。夜陰にまぎれた飛行船がそれを収容すると、静かに夜空に飛びたった。

 本来、飛行船というものは夜間は飛行しない。夜の空には様々な魔法生物が飛んでいるために、非常に危険なのだ。しかし、今回は特例であった。護衛専門の魔術師を何人も乗せ、飛行魔物の間を強行突破する。

 素早く、静かに、極秘のままで、二人を運んだ。死の懐へと。向かうはヘイムダル大陸の中央にある魔術師ギルド本部。

 誰も気づかなかった。ある泉に所属する老婆たちを除いては。



 大いなる森の老婆は、頭上の夜空から足下の泉へと視線を降ろした。

「何だか奇妙なことになったね」泉の中の顔の一つが言った。「予測可能性の中の誤差の表出というやつだね」

 一斉に顔たちが喋り始める。

「魔術師ギルドの連中は何としても、あの二人を殺すつもりだよ。裁判だって? 茶番劇だよ」

「半分は正しく、半分は間違っている。たしかにあの二人は今回の騒ぎの首謀者だけど、同時に世界の救世主でもあるのだよ」

「で、どうするんだい?」別の顔が言った。

「助けないのかい? あの二人はあたしたちのこの世界を救ったんだよ」

「狼はひどいダメージを負った」目を細くした老婆の顔が言った。

「しかし、皆の衆、良く考えてほしい」大いなる森の老婆は言った。その意見を聞こうと、他の顔が黙りこむ。

「あの二人の力は危険だ。特に二人が揃うと。今度の事件で、世界樹を取り巻くあらゆる神々や怪物の注意を惹いてしまったいまとなっては、特に、だよ。

 ファガスとラングを利用しようと、色んなものがやってくるよ。もしかしたら、このまま二人には死んでもらうほうがいいかもしれないね」

 この発言は顔の間に騒ぎを生んだ。それぞれが勝手に話し始める。

 しばらくの間、大いなる森の老婆は沈黙し、聞き役にまわった。

「よし、十分考えたね。意見をお言い」

 もっとも若い、しかしそれでも老人の顔をした女性が話始めた。

「あたしは、二人を助けるべきだと思うね。石はもう転がり始めたんだ。失われていた多くの神々や巨人がこの世界に入りこんで来る。神々をあたしたちが操るのは無理だけど、あの二人なら対抗できるかもしれない」

「あたしゃ反対だね」鼻の曲がった老婆が割りこんだ。

「危険過ぎる。考えてみな。今までにドラウプニルの腕輪を復元したやつがいるかね? いないだろう。ファガスがこれからどんな道具を生み出すのかと思うと、ぞっとするね」

 かつかつと歯を鳴らして、別の老婆が発言権を奪った。

「パットは泣くだろうね。まあ、パットをアリスタナル家の次の候補者に近づけるのは、そう難しいことじゃないだろうけど」

「だけど、あの二人はこの世界を救った」

 短いが、重要な意見を口にしたのは、視力を失ったままの濁った目をした老婆であった。

「絶対にこのことは忘れちゃいけないよ。あたしたちだって、まだ人間なんだ。恩というものを忘れたら、人ではなくなる」

 大いなる森の老婆の脳裏に、魔法が戻ってきた瞬間の思いがひらめいた。胸が痛くなるような感謝の気持ちだ。それは他のミーミルの泉の監視者も同じらしく、しばらくの間、泉を静寂が支配した。

 大いなる森の老婆は発言した。

「よし、結論が出たようだね。二人を助けるよ」

「でもどうやって? あたしたちは過剰な干渉は禁じられているのだよ」一人が聞き返した。

「なに、必要なのは、小さな一突きなのさ」大いなる森の老婆は、計画を説明した。「フェンリル教徒たちには悪いが、犠牲になってもらうしかないね」

「かまわないよ。世界が滅ぶことを望むような連中が、どんな目にあっても」

 顔の一つが言うと、周囲の顔たちも賛同した。

 それから、老婆たちは、その計画をそれぞれの所属する泉へと流しこむ。泉の予言魔法が働き、計画の結果を説明する。

「なんだいこれは」一人が声を上げた。

「こんな結果、見たことがないよ」もう一人が声を上げる。

「二人が死ぬ未来と、二人が生きる未来が共存しているじゃないか」別の老婆も叫んだ。

 大いなる森の老婆はその声にうなずいた。泉の中に映った男の顔を指差した。

「そうだ。これはつまり、運命の女神たちも二人の処置に関しては迷っているということだよ。あたしたちは自分でも想像しなかった、何か大変なことに関っているのかもしれないね。さあ見てごらん。これらの運命の別れ道は、すべて、この男にある。二つの顔を持つ男だよ。彼がファガスたちの裁判に間に合うかどうか。すべてはそれで決まる」

 自分の言葉に、大いなる森の老婆は、もう一度頷いた。

「すべての物事の平衡を取る男だ」

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