家族ガチャ

はちゃこ

保奈美

 「私たちって、いい友達よね」

 私の言葉に、テーブル越しの河野 初音が「もちろん」と頷く。指先についたスナック菓子のくずをティッシュで拭っている。

 初音のグラスに麦茶のお代わりを注ぎながら、私は話を続ける。

「世間ではさ、ママ友付き合いって、なかなか大変だって聞くじゃない。ほら、格付けとか、マウントとか」

「うんうん。確かに大人になると、結婚してるとか働いてるとか、子どもがいるとかいないとか……そういうのでカテゴリー分けされちゃって、本当の意味での「友達」付き合いって、続けるの難しくなるしね」

 子どもの通う幼稚園で知り合った私たちだが、歳も同じ、夫の歳も同じで、子どもも男の子一人。家族構成までそっくりだとわかったとき、何か運命めいたものを感じた……なんて言ったら、初音はいつもの通り笑いとばすだろうか。

 今もこうして初音の差し入れのスナック菓子をつまみながら、私たちはとりとめのない世間話に花を咲かせている。気を遣わずに何でも話ができる友達というのは、この年齢になると本当に貴重だ。

「ねぇ、はっちゃん」

「うん?」

 早くも次のお菓子に手を伸ばしている初音が、顔を上げた。

「この先、子どもが小学校に行っても、中学に行っても仲良くしてね」

 わざと大げさに演技がかったセリフを吐いた私に、初音は茶化すように笑って答える。

「あたりまえじゃん。子どもが大きくなって、就職して、結婚したら、一緒にお嫁さんの愚痴を言おうね」

 そう。私たちに限って、ママ友トラブルなんて関係ない。私はそう信じて疑わなかった。

 ――あのガチャを引くまでは。


 私は、遠藤 保奈美。初音からは「ぽんちゃん」と呼ばれている。下の名前で呼び合う友達なんて、何年ぶりだろう。結婚、出産を経た今「遠藤さん」とか、「ママ」という肩書で生きている私にとって、自分の名前を呼んでくれる初音の存在は特別だった。ちょっと押しが強くて空気が読めないところもあるけど、余計な気を遣わずに気楽に付き合っているのはお互い様だ。


 翌日も玄関のチャイムが鳴った。初音だ。一人息子のまー君も一緒だ。

「いらっしゃい」とドアを開けると、まー君は挨拶もそこそこに、部屋に上がり込んだ。すかさず注意をする初音の声なんか、全く聞こえちゃいないらしい。いつものことだから、別にいいけど。

「いつも、ぽんちゃんのおうちにお邪魔させてもらって、ごめんね。これ、今日のおやつにどうぞ」

 初音が差し出したのは、駅前のケーキ屋の袋だった。いつも、差し入れはスナック菓子なのに珍しい。驚いた私の表情をみて、初音は慌てて付け加えた。

「ちょっといいことがあったから、奮発」


 せっかくなので、今日は麦茶ではなく、紅茶のティーバックを出した。一息ついてから、初音が話を切り出した。

「実は、旦那が昇進したの」

「そうなんだ、おめでとう」

 黙っていればわからないのに、こうやってわざわざ報告してくるところが、気が付かないうちに敵を作ってしまう、初音の無頓着で損なところだと思う。しかし、友達として一緒に幸せな秘密を共有するのは、悪い気はしない。

「はっちゃんの旦那さんてさ、男らしくて、頼れるタイプだよね。うちの旦那なんて、全然パッとしなくて」

「えぇー?優しそうで、家事も育児も協力的だし、羨ましいよ」

「なら、交換する?」

「あはは!いいね、それ、大歓迎」

 そう、初音には、見え透いたお世辞も嫌味も通じない。よくもまぁ、そんな調子で、このしたたかさが求められる女の世界で生きてこれたものだと、驚かされる。

 しかし、初音の報告はこれで終わりではなかった。  

「あとね、これはまだ周りには秘密なんだけど……まーくん、小学校のお受験をさせようと思うんだ」

「え?はっちゃんは、そういうタイプじゃなかったのに、急にどうして」

「うん…ちょっとね。でも、ぽんちゃんとは、そういうの関係なく、ずっと仲良くしたいから。小学校が別になっても、よろしくね」

 悪びれなく笑う初音に、私はその場で何も言えなかった、が、初音たちを見送った後から、飲み込めない感情がふつふつと込み上げてきた。


 ――おかしい。絶対おかしい。初音はあんな子じゃなかったのに。まーくんだって、うちに遊びに来ても、行儀は悪いし、挨拶もろくにできないのに、急にお受験なんて、何、夢見ちゃっているんだか……ティーカップを洗うスポンジにも、つい力が入る。

 と、そこに玄関に郵便物が届いた。

 郵便受けを開けてみると、DMが一通。「限定☆家族ガチャへのご招待」と彩られた文字が躍るそのDMには「サイトからガチャをひいて、あなたの人生をワンランクアップ」「SRを当てると一流企業にヘッドハンティングで転職、子どもが有名私立に進学」など、他にも多数取り揃えている旨が謳われている。

 しかし、続く「ガチャ1回10万円」の文字を見て、たまらず吹き出してしまった。バカバカしい。こんな詐欺DMに引っかかる奴なんて、今どき、いるのだろうか。

 だけど……先ほどの初音の言葉が思い出される。夫の昇進に、子どものお受験。しかも受かることが確定しているかのような、あの態度。偶然にしては、タイミングが良すぎるのではないか。もしかして初音は、このガチャを回したのか。


 いてもたってもいられず、私は初音に電話で問いただした。

「もしもし?はっちゃん?『家族ガチャ』って知ってる?」

「うん。この前、レアが当たったよ」

「……やっぱり、ガチャ引いていたんだ。やめなよ、良くないって」

 あんなのに騙されるなんて……と心配した私の言葉を、初音は遮った。

「どうして? 家族のために課金しただけだよ。現に、うちの旦那も昇進したし。知ってるでしょ」

「でも……こんなので昇進とか、そもそもあり得ないし……それに努力もしないでいい結果だけ得るのって、結局ズルじゃん」

「課金して、その対価を受け取るんだから、正当な方法だよ。それとも、ぽんちゃんって『無課金こそ正義』なんて、堂々と宣言しちゃうタイプ?」

 初音は悪びれもせず、電話口でケタケタと笑っていた。いったいどういう神経をしているんだろう。さらに続く初音の言葉に、私は言葉を失った。

「いいから、ぽんちゃんもやってみなって。家族の幸せのためなんだから」


 ――そう、これは「家族の幸せのため」。悪いことなんかじゃない。

 ズルをして開き直る初音を許したわけではないし、ガチャを信用しているわけではない。だけど、このまま手を出さずに無課金であることをバカにされるのは、気が済まない。私は夫に内緒で独身時代の貯金を切り崩し、サイトに課金した。

 「家族ガチャ」と銘打ったスマホの画面は、あっという間に賑やかな演出で彩られた。

「うわっ、当たった…レア…夫が昇進!やった!」

 当たりの画面を確認したとたん、スマホが着信で震えた。夫からだ。こんなタイミングで連絡が来るなんて……と焦る気持ちを抑えて電話に出ると、それは、夫の突然の昇進を知らせる連絡だった。

 まさか、このガチャが本当だったなんて。一瞬、勝ち誇った初音の顔が脳裏をよぎる。だめだ、癖になってはいけない。ここで止めないと。


 数日後、今度は初音から連絡があった。「ショッピングセンターをぶらぶらしよう」と。いつもなら一緒に楽しんでいたのに、今日は気分が乗らない。片っ端からお店に入っては、ウィンドーショッピングを楽しむ初音を見ていると、またガチャを引いたのか、当たったのではないかと勘繰ってしまう。

 散々付き合わされたあと、フードコートで休憩することになった。席に着いたとたん、初音は身を乗り出して聞いてきた。

「ねぇ、ぽんちゃん。『家族ガチャ』試してみた?」

「……うん。そうね。悪くなかった、よ」

「ここだけの話、ぽんちゃんは、何回引いたの」

 こういう空気を読めないところが、初音の悪い癖だ。自分の手の内なんか、他人に教えるわけないのに。

 私はあいまいに言葉を濁したが、初音はそれすらまったく気にしていないようだった。

「そういえば、来週の期間限定イベントのお知らせ、見た?10連ガチャで、SRが1個確定、100回引くとSSRが1個確定って」

「100回…って、それって1000万じゃない!」

そもそもそんな大金、夫に内緒で用意できるわけがない。初音に乗せられてガチャに付き合うのは、あれきりにしようと決めているのだ。

「どうしよっかな。かなりきついけど、頑張っちゃおうかな」

「え、はっちゃんやるの?1000万だよ?」

「1000万は無理でも、10連ガチャぐらいなら……だって周りと差を付けれるチャンスだもん。『家族の幸せは、私の幸せ』でしょ。推しに課金して、自分も幸せになれるなら、実質無料!」

「…そ、そう…かな?」

「旦那も昇進したし、課金分は後から取り戻せるかなって。ねぇ、ぽんちゃんも一緒にやろうよ」

「…んー、考えておく」


 「このあと用事があるから」と言って、初音とはショッピングセンター前で別れた。それにしても、当たるかどうかわからないガチャに、100万円も払うだなんて、初音の考え方はバカげている。「家族の幸せのため」と言いながら、やっていることはガチャにハマって課金を繰り返しているのだ。どう考えても、周りを見下して優越感に浸りたいための後付けの理由にしか見えない。なんて最低なやつなんだろう。

 ATMが無機質な音声案内とともに、現金を限界まで吐き出した。

 ――だから、初音になんか負けられない。ここまでいくら課金したと思ってるの。せっかく掴んだチャンスを途中で手放すなんて、できるわけないじゃない。


 幼稚園の玄関前は、ママたちの社交場である。が、今の私にとっては、煩い雑音でしかない。生産性のない話題で群れているだけの仲間に何の意味があるというのか。

 中でもひときわ目を惹くのが、初音を中心に囲んだグループだった。どうやら息子のまー君が芸能事務所にスカウトされたらしい。「全然興味なんてなかったのにぃ」と初音が声高く喋っているので、嫌でも耳に入ってくる。

 初音の子どもが子役デビューなんて、どうせあのガチャのせいに決まってる。努力もしないで、チャンスだけ当たっても、どうせ最後には、失敗して痛い目を見る。じゃなきゃ、頑張ってる私がバカみたいだ。

「あ、ぽんちゃん。なんか久しぶりね。全然連絡つかないけど、どうしたのぉ?」

足早に通り過ぎるはずが、運悪く初音につかまってしまった。初音の間延びした語尾に、イライラさせられる。

「…あぁ、うん。最近、仕事を始めたから」

「仕事?」

「ごめん。忙しいから。じゃ」


初音を振り切って職場に向かう。子どもを預けたら、幼稚園に長居する理由はない。私は向かう先は、昼の歓楽街。夫にも秘密のバイト……いや、こんな仕事、初音にも、誰にも知られたくはない。独身時代の貯金だけでは足りなくなった私は、キャッシングを利用し、ガチャを回し続けた。

 いや、ガチャは「回さないといけない」のだ。もっと、もっと回さなくては。こんなんじゃ足りない。私は幸せになれるはずなんだ。あんな初音なんかよりも、努力を重ねてる私の方が、絶対に幸せにならなきゃいけない。


 心も体も摩耗していく中、唯一の心の支えである家族ガチャを起動させると、「サービス終了のお知らせ」の文字がトップに踊っていた。私はいてもたってもいられず、初音に電話を掛けた。

「あー、そういえば、お知らせに出てたねぇ」

「え?それだけ?サービス終わっちゃうんだよ?困るでしょ?はっちゃんだって、結構、課金してたでしょ?」

「そりゃ確かに課金はしたけど、そこまでハマってたわけじゃないし。あ、もしかして、ぽんちゃん、沼るほど課金しちゃった?大丈夫?」

どうして私が初音に心配されなきゃけないのだ。空気が読めない初音に、いちいち腹が立つ。

 そんな私の心境を知ってか知らずか、初音は「よく考えたら、あれって怪しいアプリだよね」とのんきに笑っていた。「うまく利用して、さっと手を引くのが正解だよ」と。


 ――どうして?初音も、家族ガチャに課金してたはずなのに。そうでなければ、あんなに幸せが続くはずない。私だって家族の幸せのために、夫に内緒で課金して、借金して、あんなバイトまで始めて…もう後には退けないのに!

 ズルをした初音が、幸せになるなんて許せない。……いや、私が幸せになる方法は、ガチャの課金だけじゃない。初音から幸せを……初音の家族を奪ってしまえばいいんだ。

 

 引っ越し業者のトラックが荷物をいっぱい詰め込んで、出発の時を待っている。その横で泣き顔を晒しているのは、初音だった。

「……ぽんちゃん。どうしよう……この先、私、一人でやっていけるかな」

泣きはらした目で肩を震わせる初音の姿は、私を満足させるには十分だった。本当にいいザマだよ、初音。思わず緩みそうになる口元を、私は嗚咽を堪えるふりをして隠した。

「……やっぱりやだぁ!ぽんちゃん!こんなの、辛すぎるよ!」

「はっちゃん…ほら、もう、まーくんも旦那さんも待ってるから…ね?」


 家族ガチャのサービスが終了してから数カ月後。悪意ある第三者によって、ネット上に河野一家に関する誹謗中傷がばら撒かれた。初音が子どもを芸能界デビューさせるために、関係者に枕営業したとか、初音の旦那が昇進後、調子に乗って、よそに女性を作ったとか、離婚も秒読み段階だとか。幼稚園でも、あちこちで初音の悪い噂がささやかれた。そんな中、初音の夫に地方への辞令が出た。

 河野一家は逃げるように、この街を去ることになる……はずだった。


「ねぇ、ぽんちゃん、本当にありがとう。ぽんちゃんのおかげで、私、すごく幸せだった」

負け惜しみか、強がりか。「幸せだった」なんて、よく言えたものね。私は、最後の優しさを振り絞って、初音に笑顔を向ける。あとは、引っ越しのトラックを見送れば私の計画は完璧だ。

 しかし、初音の肩が震えていたのは、嗚咽をこらえているのではなかったらしい。

「だって、ぽんちゃん、ガチャのために借金してカラダまで売ってさ、うちの旦那をたぶらかして、浮気の既成事実まで作って。さらに誹謗中傷、罵詈雑言やデマをネットに書き散らしたでしょ。……本当、ぽんちゃんって面白すぎ!」

「……は?何……言ってるの?」

喉がひりつき、指先が冷たくなっていく。どうして……どうして全部ばれているの?

「とぼけたって無駄だよ。証拠、全部取ってあるもん。なんなら、出るとこ出てもいいよ。……でも、それももう必要ないや」

状況が飲み込めない私を、初音があざ笑う。

「ねぇ、ぽんちゃんは、ずいぶん、あのガチャに課金してたんだね。素行調査したら、一発だったよ。旦那さんはヘッドハンティングで一流企業に転職。子どもも、有名私立の小学校入学、大学進学までエスカレーター式で確定済み」

「なにそれ、勝手に……!」

「あの家族ガチャでね、私、実はSSRが当たってたの。特典は何だったと思う?」

「そんなの、わかるわけないでしょ!」

「私、ぽんちゃんがお友達で、本当に良かったぁ」

初音がにたりと笑った。それが私たちの世界がひっくり返る前の、最後の記憶だった。

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