第43話 剥がれた面

 アサギは言葉も無く、ただ一点を見つめていた。


 一掴みほどの、ひと房の黒髪。


 大王とクワシの屋敷に設けられている謁見の間には、静寂の帳が降りていた。

 大王も、大王の隣に座すクワシも、同座している人々も、誰も言葉を発さない。


(私が喋り始めなければ、ずっとこのままの時間が過ぎていくだけなのかしら……)


 なんて無駄。


 ひと房の髪から、沈鬱な表情を浮かべている陛下に視線を向けた。

 口を開こうとして、思いとどまる。


(あぁ、ダメ。やっぱり声が震えてしまいそう)


 分かっているのだ。この場にアサギが呼ばれ、目の前にはひと房の髪。そして愛する我が子の姿はない。

 察しはついているのだ。それが、なにを物語っているのかということは。


 だけど、嫌味のひとつも言ってやりたい。


「これは、なんの冗談でしょうか?」

「……すまぬ」


 沈鬱な表情を崩さない大王は、蚊の鳴くような声で謝罪を述べた。


(すまぬ、って……なによ)


 アサギは、腹の中でゾワゾワと育っていく負の感情に名前をつけかねている。

 怒り。憎しみ。悲しさ。悔しさ。憤り。どれもしっくりとこない。


 ただ、ここで涙を見せるのは癪だった。

 あえて笑みを浮かべてみせる。


「私を……からかってらっしゃるのですか?」


 アサギの浮かべた笑みを目にし、大王は息を飲み、クワシは視線を逸らす。


(そんなに、ひどい顔だったかしら?)


 アサギは普通に笑みを浮かべてみせたつもりだ。どこか、歪な部分があったのだろうか。


(鶯王……母は今、どんな顔をしているのかしら?)


 ひと房の髪に問いかけても、答えが返ってくるわけもなし。無意味な時間だけが過ぎていく。


(いつまで留まればいいのかしら。特に喋りたいことも無いのよね。早く解放してほしいわ……)


 この空間に居ることが、苦痛で仕方ない。


 アサギが喋らないことに、各々が勝手な解釈をしているのだろう。コソコソと聞こえてくる話し声と鼻をすする音が、なんとも耳障りだ。


「アサギ」


 大王に名を呼ばれ、はい……と小さな声で答える。


「鶯王を殺したのは、我らだ」

(我ら?)


 戦の相手ではなく、味方に殺されたということは、暗殺されたのだろうか。しかし暗殺なら、アサギのためにわざわざ髪を遺してなどくれないだろうし、大王が自ら申告はしないだろう。


(なぜ、鶯王が殺されなければならなかったの?)


 アサギは、唇が歪んでいくのを感じた。


「わざわざ戦の場に赴かせ、成人前の子を殺さなくとも……」

「違うアサギ。勘違いをしないでおくれ。排除したのではない。鶯王は、命を守って亡くなったのだ。勇気ある、尊い死だ」

(勇気ある、尊い死ですって?)


 そんなもの、あってたまるか。


 死に方に尊いもなにもない。そんなものは、遺された側が心に折り合いを付けるために、あとから加えられる価値観だ。

 そんな綺麗事の価値観で、鶯王の死を語らないでほしい。


 アサギが眉をひそめると、大王は壁際に座していた一人の女性に顔を向けた。


「カナ……我が妻に話して聞かせてやってくれ」

「承知致しました」


 落ち着いた声で承り、カナと呼ばれた女性が進み出る。

 そしてとつとつと、鶯王の最後を話してくれた。


 全てを聞き終えると、堪えていた涙が浮かんでくる。


(なんて優しい子なのかしら……。誰でもない……鶯王を殺してしまったのは、私だわ)


 出陣前に、大王と語った夢の話などしなければよかった。

 あんな話を聞かせなければ、鶯王は敵陣の長と話をしようと言い出さなかったに違いない。


(あぁ、悔しい……っ!)


 時が戻ればいいのに。

 せめて、鶯王が出陣する前に戻ることができたなら。

 もしかしたら、あの無邪気で愛しい笑みを浮かべて、鶯王がまた母と呼んでくれていたかもしれないのに。

 叶うことはないのに、そんな願いが生じてしまう。


 そもそも、なぜ鶯王が戦に出なければならなかったのか。


(あぁ、そうだわ……頭領のせいよ)


 妻木(むき)の頭領であるムラジが、討伐隊の総大将に鶯王を選んだから。その身に大王の血が流れているという理由で、総大将に選んだからだ。


 鶯王の死が自分のせいだと自覚しているアサギにしてみれば、責任転嫁だということは理解している。理解はしていても、原因をそこに求めたい。元を正せば、頭領のせいだと。


 アサギの腹の中で存在感を増していくドロドロとした負の感情は、発散させる矛先を探し当てたのだ。


(頭領が、諸悪の根源)


 鶯王も、二人の幼馴染みも、頭領のせいでこの世から居なくなってしまった。


(憎い。頭領が、憎い!)


 アサギは、大事にしている全てを奪われた。なぜアサギの大切な人ばかり奪われなければならないのだろう。


(頭領が大事にしている物って、なにかしら……?)


 しばらくして、閃いた。

 里だ。頭領の行動は、全て妻木の里のため。


 アサギを大王の元へ嫁がせたのも、幼馴染みであるマツとチヨを第二夫人と第三夫人にしたのも、鶯王を総大将にしたのも。全てが里にとって一番いい選択をした結果。


(頭領も、奪われてみればいい)


 自分が、とても大事にしているものを。


 アサギの手に、ソッと白い手が重なる。

 手の主に顔を向ければ、鶯王の最後を語って聞かせてくれたカナだった。


「あとで、アサギ様の元へ訪ねることをお許しください」


 荒んだ心を癒すような笑みを浮かべるカナの声は、心を落ち着かせるような優しさを含んでいる。


「こういう場ではなく、もっと落ち着ける場所で、カナはアサギ様とお話がしたいのです」


 アサギの腹の中で蛇のようにとぐろを巻いていた負の感情が、様子を伺うように首をすくめた。もう少しで解放されるところを制止されたと、不満に感じているようだ。

 アサギ自身も、負の感情の発散場所はここではないと自覚している。そして腹の中のコイツは、出してはならない存在であるとも自覚していた。


(話せば、落ち着くかしら……)


 アサギはカナの申し出に、黙ったまま頷く。


 大王の妻としては、この対応ではダメだったかもしれない。だけど今……愛すべき息子の死を告げられた状況で、アサギは大王の妻という仮面を被り続けることができなかった。


 もう、全てどうでもいい。鶯王も居なくなり、大王にはクワシが居る。

 アサギが頑張る理由は、綺麗サッパリ無くなったのだ。

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