第30話 駒の舞台

 マツは一人で、妻木の頭領から呼び出されていた。

 久しぶりに妻木へ帰ったのに、実家に寄る間もなく頭領の元へ向かう。

 どんな小言を聞かされるのだろうと、今から胃が痛いし、気が重い。

 側室になれと命じられたときと同じ部屋で、頭領が入室してくるのをじっと待つ。室内には他に人が居らず、マツただ一人だけだった。


(前回ここを訪れたときは、チヨちゃんも一緒だったのに……)


 ジワジワと涙が浮かんでくる。何度も瞬きを繰り返し、溢れ出てこないようにと、涙腺から分泌される液体を懸命に分散させた。


「久しいな」


 声をかけながら入ってきた頭領に、マツは慌てて頭を下げる。ヤマト族の皇子の第二夫人といえど、頭領の養女となった身。礼儀は欠かせない。

 頭領は定位置に座り、マツに目を向ける。黙っている時間が、異様に長く感じた。


「皇子は、ヤマトへ戻ってしまったか」

「はい……」


 皇子がヤマトへ立ち、ひと月は経つ。


「お戻りは、いつだ?」

「皇子様ご自身も、いつになるのか分からぬと……」


 マツは皇子から聞かされたままを答える。

 頭領は頬杖を突き、盛大な溜め息を吐いた。

 マツの胃が、ギュッと縮む。


(お帰りの時期が分かるのなら、私が知りたい……)


 分からないというのは、不安だ。

 いつまで待てばいいのか、終わりが見えない。到着地点を知らされぬまま闇雲に走るように、少しずつ不安と疲労が蓄積していく。

 真綿で首を絞められるように、やがてはジワリジワリと精神を蝕んでいくのだ。

 終わりが分かっているほうが……期限が決まっているほうが、安心を得られるというもの。そこまで頑張ればいいのだと、ひとつの到達点になるのだから。


 マツの耳に、演技がかった溜め息が届く。


「どいつもこいつも使えんなぁ」


 頭領は不機嫌に言い捨て、呆れた眼差しをマツに向ける。


「なんのために、皇子の側室にあてがったと思っているのか……。理解していると思っておったのに……使えない」


 頭領は右耳の穴を小指で掘ると、指先に付着した耳垢をフッと吹いた。


「チヨが自ら命を絶ったというのは、誠か?」

「……っ、はい」


 流産したと分かったチヨは、嘆き、悲しみ、絶望して命を絶ってしまったのだ。

 皇子さえ傍に居てくれたなら、違った結果になっていただろうにと、悔やんでも悔やみきれない。

 次はいつ会えるのか、帰ってくるのか分からないという不安に押し潰されてしまったのだろう。

 でも、それは今のマツも同じ。先が見えない不安に押し潰されてしまっているのは、マツも同じだった。


 だけど、きっとチヨのほうがつらかっただろう。

 チヨは頭領から側室にという話をされてから、瞬時に自分の役割を把握して実践できるくらいに、頭の切り替えが早い。そんなチヨが気持ちを切り替えられなかったのだから、子を成していたことに気付かなかったこと、子が流れてしまったことが、よほど堪えたのだろうと想像する。

 婚姻によってより強固な絆を結び、子を成して血を濃くするようにと命じられていたのだから、使命感を持って臨んでいたチヨが感じた絶望の度合いは計り知れない。


 拒絶をされても、もっとチヨの傍に居てやればよかった。落ち込み嘆くチヨの傍で、手を握ってあげればよかった。一人にしなければよかったと、マツも後悔の波に飲み込まれている最中だ。


 もう戻ってこないチヨ。


 大事な幼馴染みは、会えない場所へと行ってしまった。


「まったく……バカなことを。死んではなんにもならぬではないか」


 頭領の言葉に、マツは同意する。生きてさえいれば、違った希望を見い出せていたかもしれないのに。


「儂は死ねなどと命じておらぬのに。バカが勝手な判断をしおって」


 駒が一つ減ってしまった、と頭領は呟く。


(今、駒って言ったわね)


 マツは、自分の耳を疑わなかった。

 頭領にとっては、所詮(しょせん)みんな駒なのだろうと思っていたから、驚きはない。マツも、チヨも、アサギも、皇子でさえも。みんな、頭領にとっては自分の理想を実現させるためだけの駒なのだ。

 分かっていたことだけれど、口に出して言われると気分が悪い。しかも、人が一人亡くなっているのに。


(そんな言い方をしなくてもいいじゃない!)


 腹の底から、フツフツと怒りが込み上げてくる。


(許せない)


 幼馴染みの死を愚行だと言った頭領に、怒りの矛先は向く。

 マツの心境を見抜いてか、頭領は冷たい視線を寄越した。


「チヨは、任を果たせなかったこと……死して詫びたつもりなのだろうか?」

「……分かりませぬ」

「死して詫びるくらいなら、生きて別の形で返してほしいわ」


 そのほうが生産的だと思わぬか? と、頭領はマツに問いかけた。

 マツは拳を握り、怒りが溢れ出てしまわないように気を引き締める。いつまで、こんな小言を聞かされ続けなければならないのか。嫌で辛くて、それこそ生産性はなにも無い。


 マツの答えを待たず、頭領は「そう言えば」と口にする。


「お前だけ、子を成していなかったな」


 ゾクッと、冷たいものが背筋を伝った。

 初夜にかけられた皇子からの言葉に甘え、マツはまだ皇子を受け入れていない。やっと皇子の唇の感触を知り、ようやく手を繋げるところまで漕ぎ着けたところなのだ。

 そんな状態にあって、子など授かれるものか。


「……申し訳、ございません」

「謝っても、どうにもならぬであろうが!」


 不機嫌を隠さない頭領のドスが効いた声に、マツは俯き縮こまった。後ろめたい気持ちでいっぱいになり、顔を上げることができない。

 溢れ出さんとしていた頭領に対する怒りは瞬く間に小さくなり、どうしよう……といった焦燥感が大きくなっていく。マツの血の気は引いていき、見る間に青ざめていった。


 頭領は苛立ちを発散させるようにダンッと床を叩き、チッと舌打ちする。


「皇子は、次いつ戻ってこられるか分からない。何ヶ月先か、何年先かも分からぬ」


 頭領は立ち上がり、マツの元へドカドカと歩み寄る。下を向いたまま動けないマツの髪をガシリと鷲掴み、力任せに顔を上げさせた。

 ブチブチと、掴まれた髪の毛が抜ける。歯を食いしばって痛みに堪えていると、不機嫌な頭領の顔が目の前にあった。頭領の唇が、ゆっくりと動く。


「あ〜ぁ、使えない……」


 言の葉の刃が、グサリと胸に突き刺さる。のみならず、心が深く抉(えぐ)られる。

 マツの目に、ジワリと涙が浮かんできた。

 マツも頭領から、役立たずの烙印を押されたのだ。


「お前は、なんのために存在していた? 役立たず」


 人格を否定し、蔑むような目を向けてくる。


「お前を選んだのは、間違いだったな」


 もうマツは用無しだと、暗に告げる頭領の視線が痛い。


(私の居場所は、どこにも無い……)


 逃げ出したい。この状態から逃れたい。全てを放棄して、投げ出して、楽になりたい。


(どうやったら、楽になれるかしら?)


 アサギが羨ましい。順調に皇子と愛を育み、子を授かり、仲睦まじい関係を築けている。

 たとえ何ヶ月、何年と皇子が戻って来なかろうが、ヤマト族の皇子の子の母という立場は絶対に揺るがない。


(チヨちゃんも、アサギちゃんが羨ましかったかしら)


 幼馴染みで、仲良く楽しく暮らしていたのに、全てが壊れてしまった。


(壊したのは、誰?)


 アサギを嫁がせよと命じた皇子か、側室になることを拒めなかったマツか、妻木の里のためといろいろ画策する頭領か。


(もう、嫌だ……)


 もう疲れた。


 マツは両手を揃えて床に突き、申し訳ございませんでした……と、頭領に頭を下げることが精一杯。


(もう、いいや)


 もう、なにもかにもどうでもいい。


 すり減って細くなっても、ギリギリの精神力で保っていた理性の糸がプツリと切れた。


(私が居なくなっても、世は回る)


 朝は来るし、夜も来る。

 世を動かす大事な歯車ではないマツが消えたとして、いったい誰が困るだろう。


 誰も困らない。


 頭領が演出する舞台から、もう降りることにしよう。無くなっても替えがきく、ただの駒なのだから。

 ゴドゴドと繰り返される頭領の小言を聞き流しながら、マツは自ら人生の幕を下ろす決意を固めたのだった。 

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