あのとき
第18話 頭領の目論見
チヨは、板敷の床に座りながら、ソワソワと落ち着かない。
今日は妻木の里の頭領から呼び出され、皇子とアサギの暮らす宮殿から里に戻って来ている。
隣に座っているマツも、どこか落ち着きがないようだ。
二人が揃って呼び出され、アサギの傍を離れるのは、これが初めてのことだった。
頭領から、いったいなにを言われるのか……心当たりはなにも無い。
足音と共に、頭領が入ってくる。一段高い場所に座し、会ったことも無いのに「久しいな」と声をかけてきた。
チヨとマツは頭を下げるも、なんと返答してよいか分からない。アサギの侍女として共に都へ行くようにと指示を与えたのは頭領でも、直接それを二人に告げたのは頭領ではなく別の人間だった。頭領と対面するのは、今日が初めて。どんな対応が正解なのか分からないまま、今に至っている。
「アサギは息災か?」
頭を下げたまま、チヨとマツは互いに顔を見合わせる。マツと視線が交わり、私無理……助けて!と念を送った。眼差しに訴えを込めていると、マツは険しい表情のまま僅かに顎を引く。
頭を下げたまま、代表してマツが応じた。
「お后様のお腹は、だいぶ大きくなりましたが……健やかにお過ごしあそばされております」
「そうか。腹の子の経過は順調か?」
「はい。今のところ、そのようにお見受けします」
「そうか」
頭領は呟くと、おもむろに立ち上がる。
チヨは頭領が自分達の元へ近付いて来る気配を察知し、さらに縮こまった。下げている頭元で、ピタリと頭領の足が止まる。
「マツ。チヨ。面を上げよ」
しばらく躊躇ったものの、言われたとおりに顔を上げた。
頭領はチヨとマツの顔を交互に眺め、ところで、と話を切り出す。
「そのほうら、皇子との関係は良好か? 嫌われたりしておらぬだろうな?」
突然の問いに、チヨはキョトンとしてしまった。
嫌われては……いないだろう。好かれてもいないだろうけど、普通に、主の妻に仕える侍女でしかない。ただ、頼りにされているとは思う。
そのことを素直に伝えると、頭領は不気味に笑んだ。
(え〜……なんなの〜?)
なにかを企んでいるような、嫌な表情だ。
チヨはこっそりマツの様子を伺うと、チヨと同じような印象を受けているのか、マツもどことなく引きつった表情を浮かべている。
(なんだろう。嫌な話かな……)
頭領の顔が、チヨとマツの顔の間に割って入って来た。
「なぁ。子が一人では、もしものときに頼りない……もとい、血が繋がらぬと思わぬか?」
頭領の言葉に、チヨは自分の耳を疑う。
(アサギちゃんの子が生まれてくる前から、なんてこと言ってんのよ!)
腹の奥から、フツフツと怒りが込み上げてくる。縁起でもないことを言わないでほしい。
「イヅモ族の王は相変わらずだ。国を見ているようで見ていない。このままでは、里の存続も危ぶまれる。いくらヤマト族の皇子のお気に入りが后となり、子をもうけても……一人では、な? 心許なかろう」
マツが、表情を険しくした。
「なにが……仰りたいのです?」
頭領はニヤリと歯を見せて笑う。
「ヤマト族の皇子との繋がりを……より、磐石なものにしたい」
「今のままでは、足らぬと申されるのですか?」
詰問するような言い方をしたマツに、頭領は「そうだ」と笑みを深める。
「お前達、皇子の側室となれ」
「は?」
反射的に出てしまったチヨの声は、無かったことにできない。けれど、チヨは慌てて両手で口を押さえた。
(私が……皇子と……?)
いつも傍に居るから、皇子とアサギの間に付け入る隙が無いことは分かりきっている。アサギに対して甘々な皇子を常日頃から見せつけられているのだ。
(それなのに……側室なんて)
頭領の頭の中には、蛆(うじ)でも湧いてしまっているんじゃないか。
マツもチヨと同じようなことを思っているのか、阿呆なのか? という呆れた表情を浮かべている。
マツは手を付き、サッと頭を下げた。そして「お言葉ですが……」と、震える声で意見を述べる。
「皇子は、側室を望まれぬと思われます」
頭領は沈黙したのち、低い声音で「なぜだ?」と問い返してきた。
「お二人は、相思相愛にございます。他が入り込む余地など……」
「血を残すことに、愛情が必要か?」
マツは口を噤(つぐ)んだ。頭領は続ける。
「血を残すことは、役目だ。仕事と同じよ。それが任務だ。そこに、愛は要るのか?」
マツは、言葉を返せない。唇はワナワナと震え、顔色は血の気が引いて白くなってきている。マツに、負担をかけずぎてしまった。
チヨは、意を決する。
「あ、愛は……必要です。でなければ……」
「そうでなければ、なんだと言うのだ」
頭領の冷たい声に、チヨは「虚しいだけです」という言葉が続けられない。
頭領は立ち上がり、元の位置へ戻ると睨(ね)め付けるような視線を二人に向けたまま腰を下ろした。
「皇子には、マツとチヨなら気心も知れ、人格もご存知でしょうと推薦しておいた」
すでに、皇子には話を通してあるということか。
「……皇子は、なんと?」
緊張に締め付ける喉の奥から絞り出されたマツの声は、か細くて震えている。
「まぁよかろうと、承諾された」
頭領から告げられた内容に、チヨは耳を疑う。驚きに、ポカンと口が開いてしまった。
(えっ、なんで? 承諾したの?)
チヨは皇子が承諾したという現実に、頭の中が混乱し始める。
(えっ……ちょっと待って。それ、ありなの? いや、ダメでしょ! 妻の幼馴染みよ? 男からしたらありなの? いやいや、女からしたら無しよ!)
友情にヒビが入るなんてもんじゃない。
アサギが都へ行くとき、一緒に行く動機の一つに結婚相手探しはあった。皇子の側室ともなれば、玉の輿なんてもんじゃない。
皇子の正妻がアサギじゃなければ、願ってもない良き話だ。
だけど……。
(受けられないよ)
ずっと近くで二人を見てきているのだ。あの二人の仲を邪魔したくはない。
チヨは、勇気を振り絞る。
「せっかくのお話ですが……」
「チヨ。そして、マツ。断ることが許されると思うか? お前達如きが……一度、皇子が是とした話を断り、我が里に万が一が起きてしまったら……どう責任を取るつもりだ? ん? どうだ。責任が取れるのか?」
チヨは言葉を飲み込む。
(どうしよう。断れない……)
受ける以外の道は、初めから用意されていないのだ。
(どうしよう……アサギちゃん)
話を受けるほかに、この場から解放されるすべもない。
頭領が諭すような笑みを浮かべた。けれどチヨには、女を下に見ているような下品な笑みにしか見えない。
頭領は頬杖を突く。
「なぁに。女が協力して、皇子を盛り立てていけばよいだけのこと。幼馴染みで仲良しのお前達ならば、協力してやっていけるだろう」
頼んだぞ、と圧力をかけてくる頭領に、チヨとマツは「はい」と答えることしかできなかった。
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