第13話 かけはしの皇子

 横たわるアサギの目の前に、狭い産道を押し広げて通り、懸命に出てきて産声を上げた赤子が眠っている。

 取り上げてくれた婆様の嬉しそうな声が、まだ耳の奥に残っている。


「ま〜ぁ! 可愛らしい。お后様、男の子でございますよ」と。


 赤子をその手で取り上げた婆様の声は、とても弾んでいた。

 今も周囲には人が行き来し、アサギは喧騒の中に居る。


(無事に生まれてきてくれて、よかった)


 二日続いた陣痛を耐え、やっと生まれてきた我が子。

 アサギは身を捩り、赤子の顔を覗き込んだ。


(男の子……)


 生まれ出ることに体力を使ったせいか、大きな産声を上げて以降は眠ったまま。顔の輪郭は、皇子に似ているかもしれない。


(名前はケイにしようと思っていたけれど、皇子に決めてもらうほうがいいわよね……)


 まだ名も無き我が子の小さな手の平に人差し指を添えると、薄桃色をしている紅葉のような手が緩く握り返してきた。


(ちゃんと、生きてる)


 まだ母になった自覚も実感も無い。

 でも今、心から言える言葉がある。


「生まれてきてくれて、ありがとう」


 この子がお腹に来てくれてから、いろいろなことが起こったことは記憶に新しい。

 不安に駆られ、平静を保っているのがやっと。少しでも気を抜けば、もう、足元が崩れ落ちていくようだった。

 それでも頑張れたのは、この子が居てくれたから。胎動で、頑張れと励ましてくれているように感じられた。

 ありがとうの意味も込めて、今この場で、力いっぱいギュッと抱き締めたい。けれど、産み終えたばかりの体は、ガタガタで言うことを聞いてくれない。動くこともままならず、唯一自由に動かせるのが自分の手だった。


「生まれたか!」


 ドシドシという足音と共に、興奮した声が近付いてくる。知らせを受けた興奮気味の皇子が、鼻息荒くやって来たみたいだ。


「まだ安静にしておかねばなりませぬ。どうぞ、お静かに」


 婆様から注意を受け、皇子は素直に口を噤(つぐ)む。

 こういうとき、素直に言うことを聞くのだから、つい可愛いと思ってしまうようになった。


「こちらに」


 婆様に誘導され、皇子がやって来る。アサギの姿を見留めた途端、足を止めて息を飲んだ。


「皇子様……?」


 どうしたのだろうと声をかければ、皇子は静かに歩み寄り、崩れるように座る。そしてギュッと、アサギの手を両手で強く握った。


「アサギ……」


 皇子の声は微かに震えている。


「はい」


 微笑を浮かべて落ち着いた声で返事をすると、瞳を潤ませた皇子はアサギを抱き寄せた。


「大儀であった! よくぞ、立派な皇子を産んでくれた」


 逞しい腕に力がこもる。驚きながらも、アサギは皇子の抱擁に応えるべく背中に腕を回した。


「はい。頑張りました」


 皇子の気が済むまで、アサギは抱き締められたままでいることにする。皇子の温かさが心地よい。安心できる温もりだ。


「もう、抱いてもよいのだろうか? 眠っているが、起こしてしまうかな?」


 皇子の指す人物が赤子だと認識し、アサギは婆様に目を向ける。婆様が黙って頷く姿を確認すると、皇子に「どうぞ」と声をかけた。


「皇子様と、私の子でございます。その腕に抱いてやってくださいませ」


 皇子はアサギを横たわらせると、嬉しそうな笑みを浮かべながら赤子に手を伸ばす。


「おぅ、よしよし。よくぞ無事に生まれてきてくれた」


 抱き方がぎこちなく、すぐさま婆様が手助けに入る。クッタリしてしまう首と後頭部を支え、お尻を抱えるように抱く。

 皇子が顔を覗き込むも、赤子は眠ったまま、静かに抱かれていた。


「おぉ、軽い。まるで羽根のようだ」


 嬉しそうな皇子を見ていると、アサギの顔にも自然と笑みが浮かんでくる。微笑を浮かべたまま、アサギは尋ねた。


「皇子様。この子の名は、なんと致しましょう? ぜひ、名付けてやってくださいませ」


 皇子は赤子を抱えたまま、勢いよくアサギのほうを振り向く。その顔には、待ってましたと言わんばかりの笑みが浮かんでいた。


「ちゃんと考えておるぞ! この子の名はホウキだ」

「ホウキ……?」


 どのような意味があるのか、アサギは首を捻る。皇子は愛しそうに、ホウキと名付けた赤子の頬を撫でた。


「ゆくゆくは、この地を治める子だ。ヤマト族の父とイヅモ族の母を持つ伯耆国の王。この子が、ヤマト族とイヅモ族の梯(かけはし)となるのだ」

「まぁ……なんと、大きな意味のある名でございましょう」


 伯耆国の王。ヤマト族の皇子(おうじ)である皇子(みこ)は、ホウキにこの国を任せるつもりでいるのだ。

 イヅモ族とヤマト族が共存共栄していくための、大切な一人。どちらの民族からも信頼が寄せられれば、なんとも心強い人材となる。


「アサギ、異論はあるか?」


 嬉しそうな皇子に、否と答えられるアサギではない。

 皇子とアサギの希望の子。イヅモ族とヤマト族の梯となる子だ。


「よいと思います」


 アサギが同意すると、皇子は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「そうだ! ホウキは、法吉鳥(ほうきどり)であるな。この子の愛称は鶯(うぐいす)としよう。伯耆の王よ。鶯の王よ! 鶯王!」


 皇子は「ホーホケキョ」と鶯の声真似をしながら、ホウキの頬を突(つつ)く。

 ホウキは迷惑そうに顔をしかめるも、うぎゃ〜ん! と泣き出すことはしなかった。

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