春になったら優しいキスで目覚めたい

空草 うつを

1章 白と青灰色とキス

1

 もうすぐ春が来る。

 世界中に春がやって来ることを一番に知らせる花、待雪草スノードロップが咲いたから。


 夜の色をまとっていた空は紫から金色に変わり、朝日が昇り始めた。光の矢がネーヴェ山の麓にまで差し込んでくる。

 そこに群生していた待雪草スノードロップの蕾達に降り注げば、昼間の温かさを包み込んで夜の寒さを耐えた花びらが開いた。

 降り積もった雪を押し上げて、慎ましやかに俯いているその花は真っ白だ。私と一緒。

 私の髪は腰にまで及ぶホワイトブロンド。瞳は水色で肌も白。その容姿から、私はビアンカと呼ばれている。本当の名前は違うけれど。


「なんて綺麗なの……」


 待雪草スノードロップの花畑近くにあった石の上の雪を払いのけて腰掛け、その時を待っていた私は感嘆のため息をついた。花を愛でているのが私にとって至福の時間だったから。

 でも、夜明けの森はさすがに薄手のキトンだけでは寒すぎた。何も履いていない足は凍えて感覚がない。両手で自分を抱きしめるように暖を取る。


 日は高く昇り、森の奥にも光が満ちて来た時、辺りの異変に気がついた。木々の幹は痩せ細り、所々朽ちて倒れかかっている。待雪草が咲く頃は木の芽が少しずつ芽吹いてくるはずなのに、枝の先にはそれらしきものはひとつもない。

 一本の木に手を添えると、少し触れただけでミシッという不快な音がする。内部まで腐食が進んでいたようだ。

 幹に耳を押し付ければ、中から微かな音がした。わずかばかりに残ったありったけの力で、弱々しく呼吸している音だ。


「生きてる。助けなくちゃ」


 目を閉じて額を幹に当てた。脳裏に浮かびあがったのは木の内部。枯れて朽ち果てた木の中に、今にも消え入りそうな光を発している玉があった。この木の魂だ。


「大丈夫。まだ間に合う」


 魂に呼びかけ、枯れた枝や樹皮が全て剥がれ落ち、生まれ変わっていく木のイメージを思い浮かべる。


 ——再生せよ。


 心の中で詠唱し、願いを込めて木に口付けた。

 私は花守り——フローリア——。花だけでなくこの世に芽吹く植物すべてをで、成長を見守るようさだめられた種族。

 フローリアは植物を芽吹かせる力や、萎れたり病気になってしまった植物を治癒する力を持っている。


 唇を離すと、消えかかっていた光の玉が、弾けるように脈動した。古くなった樹皮は剥がれ、根は養分を得る為に土の中で躍動する。空いっぱいに枝を突き上げれば、今にも死にかけていた木と同じものとは思えぬほど生き生きとしていた。恐らく、内部の腐食もなくなっているはずだ。


 さて次は、と視線を他の木に向けて愕然とする。周囲にあるものだけではなく、山の斜面に生えている全ての木が痩せ細り、弱りきっていた。私一人の力では全ての木を再生させるのは不可能だ。

 途方に暮れながらも手立てはないかとあれやこれやと考えを巡らす。あまりにも集中しすぎたのか、私に近づく者がいたことに気づかなかった。


「何か困り事?」

「ひゃぁっ!!」


 不細工な悲鳴をあげ、誰が声をかけたのかと見渡した。視線がぶつかったのは、金色の双眸。その瞳の持ち主である青年は、先程まで私が待雪草を見ていた岩の上に腰掛けていた。

 整った顔貌をしているが、細めの眉に両耳のピアスからはやんちゃな印象を受けた。

 青灰色の髪は肩につく長さでハーフアップに結わえられている。着用している上着の背中にあるスリットから突き出していたのは、青灰色をした猛禽類の勇壮な翼だった。


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