第五話 剣の故郷を求めて(後編)


 周りに渦巻くのは暗黒の霧の様に見えた。ここは虚空とはまた違う。ララ神は神にだけ許された飛翔法を使って飛んでいる。飛ぶと言っても翼で飛ぶのではない。ララ神が蹄のある足で霧の上を踏んで進むのだ。この巨体の重量を霧は支えている。いったいこれは何だ。なにぶんこの霧には敵意がある。そう俺の直感が告げる。これは霧に見えるが、何か別のものだ。

 なるほど、俺たちの力だけでは、たとえキリアの魔法と言えども、この旅は無理だ。

 ララ神は移し替えた袋からマカデミアン・ナッツを一つ器用に取り出すと、幸せそうに噛み占めた。この巨体では、あの小さな木の実など何ほどの物でも無いだろうに。それでもララ神に取っては何よりも貴重なものらしい。

『ああ、なんという至福。なんという味だ。これほどの物がこの世にあるとは』

 本当に幸せそうな声だ。それを聞いていると、俺はなんだか無性に酒が飲みたくなって来た。

『この前にこれを味わったのは、一度切り、それも何百年も前だ』

 そうだろう。マーニーアンもこれを手に入れたのはただの一度限りと言っていた。

『それ以来、私は訪れるあらゆる冒険者の持物を探った』

 もちろんララ神に負けた冒険者たちだろう。ララ神が死んだ冒険者の遺体のポケットを探る映像が脳裏に浮かび、俺は慌ててそれを打ち消した。世の中にはしない方がよい想像もある。

『悪魔と取り引きしようとした事さえあるのだぞ。奴らも持ってはいなかったが』

 ふむ。まるで根源の神を求めるキリア並だな。このララ神の執念も。これほど欲しがっていたのでは、ララ神の好物の噂がじきにマーニーアンの耳に入ったのも不思議は無い。

 カリン。パリパリ。

 しばらくはララ神が至福の溜め息とともにマカデミア・ナッツを食べる音が響いた。俺たちはその肩にしがみついたまま時を過ごした。

 ・・やがて。

『着いたぞ。ここだ』

 ララ神は立ち止まった。そこは暗黒の霧に囲まれた森のように見えた。

 森はどれも同じ木で形作られている様だ。つまり自然の森じゃない。このように何者かが作り上げた場所なのだ。

『この森の中央にお前達の求めるものがある。帰りはマーラーテレポートで帰れるだろう。来るのは無理だがな。何分、この森は常に霧の中を移動している。つまりお前達がここに来ることができるのはこれ一度切りだ。

 それから、戦士よ。また、この木の実を見つけたら、必ず私の所に持って来るのだぞ。代償は何でも払うからな』

 そこまで言うと、ララ神は再び霧の中へと戻って行った。

 俺たちが背中に乗っている間にも、随分と身体の温度が上がっていたが、そろそろ限界なのだろう。キリアがシナリオ摩擦効果と呼ぶものは、ウィザードリィ世界の運命に逆らうすべてのものに働く。与えられた役割から逸脱する者は徐々に体の温度が上り、最後はなにもかもを燃え上がらせる高温に達する。

 幸い俺たちは厚いトーガの上に座っていたのであまり熱くは無かったが。あのままだとララ神の体温は超高熱呪文ティルトウェイト並みになっていただろう。

 俺がララ神と話している間にキリアとシオンは森の木を調べていたが、キリアが振り返って叫んだ。

「どうやら、この木は樫じゃ」

「樫って?」俺は聞いた。

「最上のこん棒の事じゃよ。ドーム。物を知らないお前でも、樫の木のこん棒と言う言葉を聞いたことがあるじゃろう。誰かがここにこん棒を山ほど植えてから、植物化の呪文を掛けたのじゃ」

 俺はなんだかキリアがとんでもない間違いを言っているような気がしたが、頭を振ってその考えを振り払った。

 キリアが間違いを言うはずはない。少なくとも俺にわかるような間違いをだ。

 俺たちはララ神に言われた通りに森の中央へと向かった。


 森の中央には大きな円形の空き地があった。俺たちがそこに足を踏み入れると、何か小さなグレムリンを思わせるものたちが、鳴き声だけを残して森の中に駆け込むのが見えた。

 どうやら襲って来る気は無いらしい。しかし彼らがいるということはここが悪魔の領域であるという意味かもしれない。グレムリンは小型の悪魔で、悪魔は常に群れるものだからだ。

 そして俺たちは空き地の中央にその男を見いだした。


 その男は十字架に磔にされていた。


 大きな四角い柱を十字に重ね、岩に穴をくり貫いて立ててある。両手両足に楔が打ち込まれていて、男はそこに磔にされていた。頭には刺の冠まで被せられている。体はひどく痩せていて、あばらが浮き出している。

 そして、男の両目はくり抜かれていた。

 男の足元には何かが赤い山を作っていた。

 さらに男を囲むかのように、大きな色の異なる宝玉が四方に配置されている。その周りに、さっき森の中に隠れた小鬼達が作業をしていたらしい、石のテーブルがあった。テーブルの上に載っているのは・・・。

 そうだ、この透き通るような感じの青い刃は・・オーディンブレードだ!

 間違いない。俺の持っているオーディンブレードの刃と寸分同じだ。俺の剣の方が若干汚れているのを除けば。

 キリアが足元の小石を磔にされている男へと投げつけた。小石は空中で火花を上げると、真っ赤になって熔け落ちた。いや、熔けたんじゃない。溶けたんだ。俺の目はその石が細かい塵へと変じたと見てとった。

「魔法引力交錯場じゃ。それも非常に強力な。この場に入った物はあらゆる方向に引っ張られて最小精霊単位まで分解する。ドーム。触れるで無いぞ」

 頼まれても触れるものか。

 それでも、シオン達が見守る中、俺はその男のそばに限界まで近付いてみた。

 男の足元の赤い小山の正体が見えた。これは、この宝石は『オーディンの隻眼』だ!

 俺の剣の柄に埋まっているのと同じ宝石だ。

 いきなり磔にされた男が顔を上げて、俺に話しかけて来た。

「戦士よ。遂に来たか。感じるぞ、わが力の剣を」

 驚きの余りに俺は反射的に剣を抜こうとしてしまった。この男はてっきり死んでいるか眠っているのだと俺は思っていた。

 俺はしばらく男を見つめた。男も俺を目玉の無い両目で見つめた・・・ように思う。

「あなたが…」俺は話しかけた。

「そうだ」男は頷いた。「私が神、オーディンだ。戦士よ。それが知りたいのならば」

「なぜ、そのような姿を。オーディン神よ」

 しばらくは無言だった。だがやがてオーディーン神は口を開き話し始めた。

「世界が滅んだのだ」



 神が語ったのは長い物語だった。

 ある日彼ら神々が住む大地に滅びが訪れた。

 ラグナロク。神々の運命。最終戦争だった。ギャラルホルンの角笛の音が響き、大地に住むあらゆる神々、あらゆる巨人、あらゆる善とあらゆる悪が虹の橋を渡って集い来った。大海を割り世界蛇ヨルムンガンドが現れ、天空を引き裂き総てを食らいつくす巨狼フェンリルが現れた。大地の果てより炎の巨人の軍勢が攻め来りて、予言された破滅を運んできた。

 そのとき。何かが狂った。

 一柱の神がこの滅亡と再生の物語を認めなかったのだ。地上のあらゆる生き物を皆殺しにし、選ばれた者たけを再生させる神々の計画に異を唱えたのだ。そしてそれに幾柱かの神が同調した。

 ラグナロクはもはや神々と巨人たちの戦いではなくなった。今や戦っているのは神々同士。巨人や怪物も同様に二手に分かれて各陣営に加わり殺しあった。 運命は引き裂かれ、予定調和は跡形もなく消え去った。



「そして戦いに負けた私と私の親族たる神々は因われ殺された。一族の長たる私はただ苦痛を味わわされるために、ここにこうして屈辱の日々を強いられている」

「オーディン。これはあなたの剣か? 狂戦士の力はあなたの物か?」

「そうだ!」オーディンは頭を振り上げた。

 その瞬間、オーディンの一方の眼窩から赤い滴が垂れ、足元の赤い宝石の中に落下した。

 チン!

 澄んだ音がした。

 良くぞこの赤の宝石を『オーディンの隻眼』と名付けたものだ。宝石なんかじゃない。これはオーディン神の血の涙が固まったものだ。

「戦士よ。私はずっと私の力を携えた戦士が来るのを待っていた。この屈辱の日々から私を解放してくれる者を。

 戦士よ、どうか、私を縛るこの石どもを破壊してくれ。私を・・」

そこでオーディンはがっくりとうなだれた。

「・・ここから、降ろしてくれ」

 俺は迷った。

 オーディンブレードの力の源を確かめに来ただけなのに、繋がれた神を解放せよと迫られることになろうとは。神々に関する問題はキリアの仕事だと、俺は思う。少なくとも俺の仕事でないことだけは確かだ。

「戦士よ。私を見ろ。私こそは戦士の究極の姿なのだ。どんなに強い戦士もいずれは負ける。負ければ惨めな姿を晒すことになる。お前も戦士なら判るだろう。お前に慈悲があるなら、私をここから解放してくれ。そして殺してくれ」

 その言葉を聞いて、俺は決心した。

 戦士として、戦士を見捨てるわけには行かない。

 この四方に配置された宝石を破壊すれば、神の戒めは解けるのだろう。

 俺はオーディンブレードを抜くと、宝玉の一つに向けて振り被った。

 オーディンブレードは果してこの宝玉の魔法に耐えられるだろうか?

 剣は奇妙に重く、俺の手の中で身をよじった。宝石の作る魔法場に反応しているのだろうか?

「ドーム。止めろ。何をする!」キリアが叫んだ。

「離れていてくれ、みんな。俺はこの神を解放して、それから殺してやるんだ」

 森の中に逃げ込んだ小鬼どもが一斉にざわめく。何が起きているのかわかったのだろう。もっとも、剣を握った俺を止めようと駆け出てくる小鬼は一匹もいなかったが。

 キリアが慌てて俺の背中に飛びつくと、後ろから羽交い締めにして耳元で大声で叫んだ。

「やめんか! ドーム。奴は嘘をついている。奴の力を見くびるな。あそこから解放されたら、この森ごと消すつもりじゃ」

「じいさん。神は嘘をつけない」

「ばかもの。奴は堕ちた神じゃ。必要ならば幾らでも嘘を吐くわい。ドーム。奴の望みはただ一つ。解放じゃ。オーディンは詐術の神、騙しの神、そして恐るべき魔法の神よ。奴はこのわしでさえ足元も及ばん魔法使いなのじゃ」

 俺は剣を下ろすと、オーディンの方を向いた。

「そうなのか?」

 オーディンは答えなかった。答えずに顔をあげると、その目の無い眼窩の中にきらめく狂気の光が見えたような気がした。

「戦士よ。わしの頼みが聞けぬのか?

 偉大なるバルハラに行きたくは無いのか?」

 バルハラとはなんだ?

 本当にあんたは戦士の神じゃ無いのか?

 そう俺は尋ねようとしたが、オーディンは俺の言葉を無視して続けた。

「だが、こんなわしでも。まだ力は残っているぞ。わが力。受けるが良い!」

 オーディンが吠えた。森中に神の叫びが木霊する。

 突然、俺の持つ剣から白熱の流れが流れ込んで来た。

 手を剣から離そうとしたが、剣は離れなかった。

【苦きサリズリのルーンよ・・・・】神の強烈な声が響く。【我が元にいで来たり! この者を倒せ!】

 宙に炎が巻き起こり、三角の図形を描き出した。しばらくそこに留まった後に、炎は伸び・・広がり・・輝きを増し・・。

 そして、そこには巨大な炎の巨人が立っていた。

 ダンジョンの中でも炎の巨人にはお目にかかる。だが、これほど巨大なものは初めてだ。それにこれほど熱いものも。あの炎の魔神ゴーモーノーンに匹敵する。

 俺の前髪は奴の熱を受けてちりちりと焦げた。

 願っても無いこと。いまこそ狂戦士の出番だ。剣から無尽蔵に流れ込んで来る白熱の炎と、胸の奥から湧き起こる戦士の叫びを、俺はためらわずに解放した。


 剣よ・・・剣よ・・・戦士の魂たる剣よ・・・。

 我が意志を知り、我が望みに答えよ。


 髪が逆立ち、俺の全身に強烈な歓喜を込めて力が満ちる!

 剣を頭上に大きく掲げ、俺は吠えた!

 吠えた!

 吠えた!

 吠えるたびに俺の身体は大きくなり、遂には炎の巨人に匹敵するほどになった。

 森を見下ろす形で奴と俺は対峙した。

 俺は剣を振り降ろした。これほど力に満ちているのに、どういうわけか剣は重かった。

 奴の右腕に剣が食い込む。剣の刃に沿って奴の炎が登って来ると俺の腕を包んだ。

 熱い!

 剣を持つ右手がじゅうじゅうと音を立てて焦げた。肉が爆ぜ、黒く焼けた骨が覗く。

 俺は叫んだ。悲鳴だったのか、雄叫びだったのかはわからない。だが、俺は戦いを止めるつもりはなかった。ここで引けば、キリアたちが危ない。

 そして俺はもう一度剣を振り上げた。今度は奴の頭を狙うつもりだ。

「ドーム。止めろ!」

 どこかでキリアじいさんの声が聞こえたような気がした。

 うるさい。キリア。これぐらいの傷で戦闘を止められるものか!

 俺は剣を振り下ろした。

 剣は右にぶれたが、それでも千切れかけていた奴の右腕を今度は奇麗に切断した。またもや俺は炎に包まれた。

「ドーム!」

 またキリアの声だ。うるさい。じいさん。ここは俺に任せろ!

「マダルト!」今度は月影の声だ。途端に俺の背中がひどく冷たくなった。

 こら、月影。どこを狙っている。まったく月影と来たら、忍者なのに魔法使いの呪文まで使う。パーティの中で全く魔法を使えないのは俺だけか。

 何かがうなりを上げて、俺の頭に当った。目から火花が散った気がした。

 ええい。邪魔するなあ。

 俺は剣を振り上げ、今度こそと、炎の巨人の頭目掛けて渾身の力を込めて振り下した。

「ロミルワ!」

 キリアの声と共に、辺りが強烈な光の洪水に包まれた。

 全ての魔法の幻影を貫く、平均化された光の波の中で、俺の剣の先に今や砕け散らんとしている例の四つの宝石の一つが見えた。

 慌てて引いた剣は、かろうじて宝石を破壊するコースから逸れた。いつの間にか俺の体は元のサイズにまで戻っている。

「ドーム。正気に戻ったか。奴の術じゃ。幻影じゃ」

 キリアが俺の顔を覗き込んで言った。

 シオンが地面に屈み込んで、折れた愛用のメイスを拾った。

 どうやら、俺の頭に当ったのは、あれらしい。

「これが、奴じゃ。オーディンじゃ。恐ろしく強かな魔法の神。邪悪なるオーディンじゃ」

 キリアじいさんはそう言うと、俺の右手を見た。改めて見ると俺の右手はまるで残骸だ。ひどく焼けただれて骨まで飛び出している。あれは炎の巨人の炎ではなく、砕けかけた魔法の宝玉の放った魔力だったのだ。

【残念だ。戦士よ。後、一歩だったのに・・】

 今や真の姿を見せた神が言う。

 そこにいるのは邪悪な光に彩られた恐るべき神だった。縛られたままなのに、力のオーラに包まれて世界そのものに立ち向かうかのように存在している。その体が縛り付けられた十字架が何かの力で神を抑えてなければ危なかっただろう。

【それにしても、剣よ。我が子たる剣よ。わしを裏切るのか】

 神の嘆きに対して、俺の手の中の剣が答えた。これが初めてに違いないが、キリアたちにも剣の声は聞こえた。

 深い沈んだ声だ。

『そうだ。主よ。あなたが復活すればどうなるか私はよく知っている』

【わしはまたもや、自分の身内に裏切られるのか・・】

『それも貴方の邪悪さの故。それに。創造物に裏切られるのは全ての創造者の宿命。

 偉大なるオーディンよ。

 あなたは我々オーディンブレードを、そしてわれらの魂である戦士を、決して愛してはいない。あなたは己の為に周囲のすべてを利用しているだけ。如何に装うとも、あなたは戦士の神では決して無い』

【剣よ。傲慢な剣よ。わしの力無くしてお前に何の存在価値があるのか?】

『狂戦士の力は無くても、私は剣。私は戦士。邪悪なるオーディンよ。あなたの解放の望みは断たれた。あなたはそこで朽ち果て行くがよい』

 オーディンが呻いた。小さな呻き声だったが、天地が震えた。オーディン神は絶望の呻き声を上げながら、渾身の力を奮って、戒めから抜け出ようとした。神の額に苦悩の皺が浮かんだ。力の集中に伴い、耐え切れないほどに空気の温度が上がった。まるで地獄の門が開いたかのように。

 オーディン神の全身に奇妙な文様が浮かび上がる。

 それは只のミミズ腫れの様にも見えたし、何かの文字の様にも見えた。

 四方の宝玉は輝き、低く震動し、宙に虹色の鎖が浮き出た。オーディンの周りに隙間無く巻きついているのが、魔法使いでない俺の目にもはっきりと見えた。

 オーディンの努力に従い、大地が震え、魔法の力の鎖がミシミシときしみを上げるのが聞こえた。

「キリア。どうすればいい?」

 俺は再び神に対して剣を構えて、キリアに聞いた。キリアが素早く治療呪文を唱える。黒く焦げ落ちた腕の皮膚が再生を始め、骨が肉の間に潜りこむ。

「何もするな。ドーム。わしらの出る幕は無い。祈れ、ドーム。力の宝玉が耐え抜くことを。魔法の鎖グレイプニルが耐えることを」

 キリアの声は厳しかった。

 オーディン神の腕に力こぶが浮かぶ。神の古の姿が蘇り、そこには精力的な風貌をした片目の男が出現した。びりびりと大気が震え、地面がかすかに身震いをした。宝玉が歪み、悲鳴を上げる。

 周囲に転がる無数のオーディンブレードが震えだした。その内の一本が空中に飛びあがると、傷ついた宝玉へと飛んだ。俺の手の中のオーディンブレードが素早く動くと、飛んできた剣を叩き折る。

【馬鹿な! ありえん。我が剣が我を裏切るなどと】

 オーディン神が呻いた。

【そうか、わかったぞ。貴様、違うな。まさか奴か! いや、ロキは死んだはず】

 突然、オーディンの体から力が抜けた。神の力とて限界はある。膨らんでいた身体がまたもやも、痩せたみすぼらしい男の身体に戻る。

 宝石のうなり声が消え、落ち着いた光を発するようになった。

 恐るべき力の戦いは終わった。

 この魔法の宝玉には膨大な量の魔力が蓄えられているのだ。それでも、たったいまオーディン神が放った力は宝玉の力の限界まで到達した。

 危ないところだった。もし、もう一撃でも俺が宝玉に傷をつけていたならば耐え切れ無かっただろう。

 再びただの因われた男に戻ったオーディン神は俺たちの前で泣き始めた。

【私はただ自由が欲しかっただけなんだ】

 今度は号泣が森に木霊する。

「同情なんか、するでないぞ。ドーム。これも演技じゃ」キリアが言った。

 シオンがその言葉に頷く。

 こうして、泣きじゃくる神を一人残し、俺たち一行は帰路についた。




「それでいいのよ。ドーム」マーニーアンは言った。「調べてみたわ。オーディンは恐ろしい神よ」

 マーニーアンの手の中には、例の『本』の一つがある。彼女はそれをキリアに渡した。

「オーディンは魔法使いの神よ。この神話によると戦士の神はチュールね。オーディーン神はチュール神を罠にかけ主神の座から追い落したのよ。そうして自分が主神となった」

 チュールか。聞いたことの無い名前だ。

「オーディンは貪欲な神よ。オーディンが片目と言われるのはどうしてか知ってる?」

「俺が見たオーディン神はどちらの目も無かったぞ」

 いや、違う。思い出してみれば、あの魔力の攻防の一瞬は、片目の男になっていた。

「ふむ。ワシも思いだしたぞ」キリアじいさんが叫んだ。

「ドーム。オーディンはかって自分の片目と交換に偉大なる魔法の知識を手に入れたのじゃ。奴はその知識を使って、さらに冥界から苦きルーンの魔法を盗んだのじゃ」

「じゃあ、キリア。どうして今の奴は両目が無いんだ?」

「きっと、残った片目と交換に、あの戒めを抜け出す知識を得るかも知れない、とでも思われたのじゃろう。奴を捕らえた神がチュール神なのかどうかは知らぬが、そやつはオーディン神の残った目も繰り抜く事にしたというわけじゃ」

「そうね。イブド」マーニーアンが後を続けた。

 イブドか。キリアじいさんの下の名前だ。ふむ。やっぱり二人はそういう仲か。

「現にオーディンは自分の血で作った宝石を使って、ドームを呼び寄せたもの。ドームを犠牲にして自分は逃げ出すつもりだったのでしょう。ドーム。腕は大丈夫?」

 俺は右腕を出してみせた。キリアの行った治療呪文にも関わらず、腕には火傷の跡が深く残っていた。完全治療呪文マディでも傷が治らない。こんなことは初めてだ。

「強力な魔力による火傷ね。これはなかなか治らないわ。狂戦士のオーラに守られていなかったら、そのまま灰になっていたのは間違いないわ」

 マーニーアンは恐いことを平気で言う。

「そうじゃぞ。ドーム。ついでに言えば、もしあの宝玉を一つでも完全に破壊しておったら、狂戦士の力にも関わらず、お前は灰になっておったじゃろうよ。

 それに抜け出したオーディンのためにわしら全員もな。本当に危ない所じゃった。

 なんだか咽が乾いて来たぞ。マーニーアン。何か飲物は無いかのう」


「それで・・・ドーム。結局、オーディンブレードの力は消えたの?」

 キリアにはお茶を、俺には酒を注いでくれながらマーニーアンは聞いた。

 キリアじいさんは俺の分の酒を物欲しそうな顔で見ていたが、マーニーアンに睨まれて止めた。キリアは酒が死ぬほど好きというわけではないが、お茶よりは酒の方が好きだ。俺は、そうだな、死ぬほど酒を飲むのが好きだ。死ぬほど酒を飲めるなら死んでもいいとまで思っている。

 マーニーアンがカント寺院の自分の部屋の中で酒を出すのは異例の事だが、俺は余りうれしくなかった。きっと難しい話が始まるに違い無いからだ。

「うん。マーニーアン。それがわからないんだ」

 ぐびりと酒を一口飲んで、俺は答えた。驚くほど旨い酒だった。

「試して見て、もし、狂戦士になっちまったら、誰かを『壊さないと』納まらなくなる。だから試せないんだ」

「でも。ドーム。剣には聞いて見たの」

 俺は酒にむせそうになった。それは考えなかったのだ。

 キリアが俺のそんな様を見て、畳み掛けるように言った。

「ドーム。まさか、そんな簡単なことを思い付かなかったのか」

 そんな目で俺を見るのは、頼むからやめてくれ、キリア!

 俺は戦士だ。キリアじいさんやマーニーアンの様に頭が回るもんか。

 俺は剣を鞘に入ったままで取り出すと、両手に掲げて尋ねて見た。


 剣よ・・我が剣よ・・お前の力。あの神の力。狂戦士の力は消えてしまったのか?


 部屋の中に穏やかな悲しみをたたえた声が響いた。オーディンブレードの声だ。

『そうだ。戦士よ。かの神の力は消え去った。赤い宝石の中の魔力は消えた。二度と汝は狂戦士になることは無いだろう。

 戦士よ。

 われを見捨てるか?』

 俺は剣の言葉をしばらく考えて見た。それから俺は自分の中に揺るがぬ一つの答えを見つけ出した。

「我が剣よ。戦士の魂は剣だ。そして魂は誰でもない、自分のものだ。

 戦士は自分の力で戦う。かの神の力はいらない。

 共に行こう、剣よ。お前は永遠に我が魂、我がものだ」

 それを聞いたきり、剣は押し黙った。

 キリアとマーニーアンにも今の声は聞こえたようだ。

 身を乗り出して聞いていたキリアが、どっさりと椅子に身体を戻して、それからゆっくりと言った。

「残念じゃのう。ドーム。あれほどの力を失うとは」

 マーニーアンがいつの間にか、俺の傍らに来ていた。

「ドーム。今の言葉は本心よね」

 俺は頷いた。狂戦士の力に狂っていては、いつの日にか取り替えしのつかないことになるだろうとの予感があった。それに、狂戦士にばかりなっていたのでは、戦う楽しみというものが無くなってしまう。誰もが狂戦士の力に酔えるのならば、そもそも戦士なんていなくていいだろ?

 マーニーアンが続けた。

「不思議なものね。ドーム。

 貴方は戦士としての自分を認め、それを生きがいとしているわ。自分を肯定することで生きがいを見い出している。

 ところが、イブドときたら、魔法は根源の神を見つけるための手段でしか無いの。彼が本当に望んでいるのは、魔法使い以外の者になることよ。本屋のようなね。

 あなたは揺ぎ無く自分を肯定して生きているけど、彼は自分を否定することでしか生きがいを見いだせないの」

 俺は少し頭が痛くなって来た。

 マーニーアンと来たら、もっと簡単に話してくれないものだろうか?

 でも、キリアは目に見えるほどはっきりとむくれた。

「なにを言うか。アン。

 目的の為の手段を目的とする様な若造の時期は、とうの昔に過ぎ去ったわ。

 それにわしが根源の神を探すのは単に本屋がやりたいためばかりでは無いぞ」

「じゃあいったい、何がやりたいの。イブド?」マーニーアンは聞いた。

 厳格なマーニーアンがキリアの呼びかけを修正しないのに、俺は気付いた。

 キリアじいさんは答える代わりに、真っ赤になって横を向いた。

 ぶつぶつとつぶやきながら、お茶のカップをいじくり回している。

「帰るぞ。ドーム。邪魔したな。マーニーアン」



 帰り道で、俺はじいさんに聞いて見た。

「キリア。キリアじいさん。あんたは本当に根源の神に会ってどうしたいんだい?」

 じいさんは凄い目で俺を睨んだ。

「ドーム。お前までわしをなぶるのか?」

 それからじいさんは俺の目を覗き込み、俺が何も理解していないことに気付いた。

「ドーム。良かろう。教えてやろう。ただし誰にも言うな。マーニーアンにもだ」

 じいさんは俺の方を見ずに歩きだした。意外な早足だ。

「ドーム。マーニーアンは影の存在だ。マーニーアンは冒険者では無い」

 それはそうだ。じいさんは何が言いたいのだろう?

 前を足早に歩くじいさんの表情は読めなかった。

「ララのような強力な神ならばともかく、もしマーニーアンがこの世界の流れ。すなわち、シナリオに背いたら一体どうなると思う?」

 俺は考えてみた。そんなことをすればマーニーアンの体は熱を帯びて。

「一瞬にして消滅するだろう。そしてその後にはわしの事を何も知らない、新たなカント寺院の尼僧長が出現するだろう。まるでダンジョンで倒された怪物が次の冒険ではまた現れるかのように」

 ようやく、俺にもわかった。

 どうしてじいさんがこれほど根源の神々に執着するかが。

 俺がスーリーを失ったのは一瞬だ。だが、キリアじいさんはこの世界で生きながらえた長い年月の間、いつもマーニーアンを失うのでは無いかと恐れて暮らしていたのだ。

 それもシナリオと呼ばれるこの世界の法則に反するような不用意な行動一つで。そもそもシナリオがどう書かれているのか誰にもわからないのだから、何をやっていいのか、何をやってはいけないのかすら判らない。

 愛する者を突然失うかもしれない恐怖。キリアじいさんはいつもその地獄の業火の中にいる。

 そしてマーニーアンも同じだ。彼女が消滅を逃れるためには、カント寺院から一歩も出ず、そこで期待されている役目を忠実になぞること。それは牢獄に閉じ込められているのと変わりはしない。


 マーニーアンはキリアの考えを知っているのだろうか?

 あの賢いマーニーアンも自分達の事には疎いのだろうか?

 ・・ああ、このウィザードリイの小さな世界にも、謎は山ほどあるものだ。


『戦士に必要なのは死の覚悟だけさ。そんな謎解きは魔法使いに任せておけ』

 腰のオーディンブレードが、そうつぶやいた様な気がした。


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