幕間劇3 聖なる野蛮人


 その女性は機能的なワンピースを着てシオンの前に立っていた。機能的ではあるが安物ではない。生地は最高級品で、縫製もデザインも一級品だ。全体を構成するどの曲線も極限まで考え抜かれて作られ、縫い目も1ミリの狂いすらもない。まさに優れた芸術家のみが成しえる作品。その一着だけで下手をすると高級車が一台買えてしまう。そんな印象があった。それを着ている中身のほうも貴族というイメージがぴたりと似合う、厳しさと傲慢さを持っていた。

「あなた! もうそろそろパーティに行く時間よ。支度はできているのでしょうね」

 シオンは自分を見下ろした。大きな体にぴったりしたスーツ姿。ネクタイをきちんと締めてこちらも一部の隙もない。

「準備はできているよ。お前」

 自分がそう言うのを自分で聞いて、シオンは驚いた。これは何だ。いったい何の夢なんだ。

 女性がシオンの上から下まで冷たい目でチェックする。着こなしにほんのわずかでも問題があればまた口うるさいお説教が始まる。正直シオンはうんざりしていたが、表情には出さなかった。そんな自由はシオンにはない。

 扉が開いて女性にいつも影のようにつき従っている執事が入って来る。手にブラシを持ち、埃一つついていないシオンの服をさらに完璧なものにしようと狙っている。

「旦那さま。本日のレセプションの原稿は暗記なさいましたか。今一度、チェックいたしましょうか?」

 シオンは眉をひそめた。そしてまた延々と重箱の隅をつつくあら捜しが始まるんだろ?

 きっとこいつらは俺が自殺することが望みなんだろうな。でもそうなれば今度は自殺の作法がなっていないなんて言い出すに違いない。

 どうして俺はこの女と一緒になってしまったのだろう。いつもの疑問がぶり返してきた。あれは確か・・


 そのとき、物音が聞こえた。


 悪夢から目を覚まして大きく伸びをすると、シオンは素早くベッドから下りた。二メートルを超す大男の癖に猫のようなしなやかさで。動かないはずの岩がそのまま獣と化して走り出したような印象を覚える。

 いつもベッド脇に置いてあるメイスを握ると、足音を忍ばせて部屋の扉を抜け、隣の部屋の壁に耳をつけた。

「まったくもう」壁の向こうから女性の声が聞こえて来る。

「こんなに散らかして。だからやっぱり女手がないと駄目なんだって」

 若い女性の声だ。心当たりがある。

 シオンは自分の体を見下ろした。大きくてなおかつ均整の取れた体。発達した筋肉に艶やかな肌。骨は太く丈夫で、まるでどこかの運動選手のような体型をしている。長髪と言うわけではないが、金色の流れるような髪が踊る。


 これじゃ駄目だ。この姿のまま出て行けば、大変なことになる。


 シオンは扉の横に置いておいたボロ布を体に巻きつけると、自分の髪を乱暴にかき混ぜた。顔を汚す暇はない。その点には気づかないでくれると良いが。乱した前髪が化粧をしていない顔を隠してくれることを期待する。

 部屋の扉を封じている魔法保護場を解くと、素早く隣の部屋に滑り込み、背後ですばやく扉を占めた。きちんと整頓された本当の部屋を見せるつもりはない。

 シオンのいきなりの出現に、汚部屋の中で掃除を開始しようとしていた女が固まった。

「俺の家に勝手に入るのは誰だ」

 わざと野太い声を出し、手の中のメイスを威嚇するように振る。

「あたしだよ。メリーだよ。こないだあんたに助けてもらった」

 女が慌てて言った。

「メリー? 知らんな。それよりここは俺の家だ。出て行け。鍵はかかっていたはずだぞ」

「ごめんよ。知り合いに頼んで開けてもらったんだ。こないだの礼がしたくてねえ」

 こないだというのは、酔っぱらいが夜の街で彼女に絡んでいたのを助けた事件だ。助けるべきではないと思いながらも、ついシオンは助けてしまった。偶然に見せて酔っ払いの頭に拳を一つ叩きつけたのだ。

 やはりあれは失敗だった。シオンは後悔した。

 メリーは胸を強調するドレスを着ていた。わざとそれを見せびらかすかのようにシオンに擦り寄って来る。まずい。昨日の夜、風呂に入ったままだ。悪臭の元をまだ塗っていないから、このままだと自分の体臭を嗅がれてしまう。それだけは防がないと。どういうわけか女性たちはシオンの体臭を嗅ぐと、これは自分のものだと感じてしまうらしいから。

 シオンは内心少し焦った。

「お前のことは知らない。こないだ? 知らんな。さあ俺の家から出て行け」

 強引に女を追い出すと、その背後で家の扉を無情に閉める。


 やれやれ。シオンは一息ついた。

 何故か、女性はシオンに惹かれる。シオンにその気はないのだが、まるで灯りに引き寄せられる蛾のように、シオンに出会った女性はシオンの世話を焼こうとする。


 そしてシオンの自由を奪おうとする。


 シオンは汚部屋の中を再び元のように散らかす。一見無造作に脱ぎ捨てられている衣服も、放置されている食器も、実は極めて正確に配置されている。ここは野蛮人シオンの名前を維持するための完璧な汚部屋なのだ。よく観察すれば、部屋の中に虫が一匹たりといないことに気づかれるかも知れないが。さすがにこの部屋で害虫の大運動会をやらせる気はない。

 今回のように盗賊を使って勝手に侵入されることもしばしばだ。露出の大きい服を着て、部屋の片付けや料理をする姿を見せれば、男なんてたちどころに落ちると思っている女性の多いことにシオンは呆れ果てていた。

 奥にある本当の部屋へと引っ込み、魔法保護場で扉を封じた。実は綺麗に消毒されているボロ布を脱ぐと、奥の部屋へと戻る。チリ一つ落ちていない部屋の中を歩き、朝の沐浴を済ませる。

 シオンの職業は聖騎士ロードだ。半分戦士で半分は神に仕える僧侶である。祈り部屋に入ると、設えてある小さな神殿の前で神への祈りを捧げた。掃除の行き届いた部屋の中に安置された黄金で飾られた神の似姿が神々しく輝く。その輝きが強くなりかけると慌ててシオンは祈りを中断し、祈り部屋から逃げ出した。最近はシオンの呼びかけを聞いて愛の女神ラフォーレが勝手に召喚されるようになってしまっている。出現した女神が毎回シオンを誘惑するので、シオンはほとほと困り果てていた。

 例え神でも女性は懲り懲りだ。

 一人で手の込んだ朝食を作り、静かに食べる。ワイングラスに一杯だけ高級ワインを注ぎ、飲む。それ以上は一滴も飲まない。少なくとも朝の内は。

 鎧を手に取り、顔が映るまで磨く。武器も磨く。鎧の下に着る鎖帷子の鎖一つづつまで磨きあげる。それから煮沸消毒した泥を持ってきて、ごく自然に汚れたように見せるため磨き上げたばかりの武器や鎧に塗りつける。できれば香水を吹き付けたいところだが、それをやるとまたドームにどこの女性のところにしけ込んでいたんだと勘違いされてしまうので止めた。代わりに悪臭の元を少しだけ刷り込んだ。

 ようやく昼になったので再びボロ布を身にまとって外に出た。奥の部屋にはまた念入りに魔法保護場をかけ、玄関の偽部屋の鍵はわざと甘くしておく。誰かが忍び込んでもこの有様を見て呆れて帰ってくれれば有り難い。

 昼食はいつもの場所で取った。給仕の女性がこっそりとシオンの皿だけ肉を大盛りにしてくれ、ついでにウインクを一つ投げて来た。シオンは肉に気を取られていたためそのウインクには気づかないという振りをした。だんだんお皿に盛ってくる肉の量が増えてくる。じきにこの女性もシオンの家に忍び込もうとするのだろうか?

 それからカント寺院に回った。キリアに頼まれた用事を片付けるために、カント寺院の女性惣領マーニーアンに会った。

 マーニーアンは年齢不詳の穏やかな女性だ。とびきりの美女というわけではないが、深い知性を感じさせる清潔感のある女性である。彼女を巡る街の噂にはいろいろなものがあるが、マーニーアンのことを悪く言う者はいない。魔術師のキリアと一緒に行動することが多いが、二人が男女の仲なのかどうか本当のところを知る者はいない。

 シオンは彼女がシオンの気を惹こうとしないところが大変に気に入っていた。だが、ほんのときたまだが、マーニーアンがじっとシオンを見つめていることがある。キリアやドームと楽しく酒を飲んでいるときなど、シオンの注意が横に逸れてしまっていたときに、マーニーアンが静かなそして底知れぬ目でシオンを見つめていることがあるのだ。もっともそれはシオンだけではなく、ドームやキリアを見つめていることもあるのにシオンは気づいていた。

 シオンと同じく、彼女もまた本当の自分を隠しているのかもしれない。シオンはそう思っていた。だがそれを誰にも言わないだけの賢さがシオンにはあった。シオンも本当の自分を周囲に暴かれたくはない。マーニーアンも同じだろう。


 野蛮なシオン。薄汚れた鎧に血まみれのメイスを持ち、ぼさぼさの髪にごつい顔。


 それでいい。それだけでオレは幸せだ。キリアと魔法議論をするときはつい地が出てしまうが、ロードという職業上の特性と見られて、そのミスマッチな部分は見過ごしてもらえている。

 誰にも何も言われないのがいい。痒ければ頭を掻き、馬鹿な話に興じ、好きなときに酒を飲む。

 誰にも何も期待されないのがいい。こうあるべき、や、こうでないといけない、が無いのが最高だ。

 ドームと一緒に酒を飲み、酔っ払い、わめき、それから命がけでダンジョンに潜りこむのがいい。ドラゴンの頭をメイスで勝ち割るのも好きだ。少なくともドラゴンはお説教を始めたりはしない。

 ボルタックの店で商品を冷やかすのもいい。値切っても品位とやらに傷がつかないのがいい。


 自分がなりたかったのは野蛮人なんだ。オレは野蛮人を止めないぞ。


 シオンは今日も演じ続ける。矛盾を抱えた聖騎士の野蛮人を。

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