4:『一片たりとも』

 井伊楽・桜佐は、大手出版社の記者であった。

 記者としての能力は平凡だったが、人となりが温厚かつ誠実であったために政界の一部から信頼が厚かった人物だったという。


「要は、御用記者ってえことだ」


 新谷小路が、厳めしく目を閉じる。

 齢による仮面が表情を隠しているが、目元にかすか滲むのは後悔か。


「与党主流派と懇意でな。人柄から、秘書紛いな扱いだったよ」

「秘書? やばない?」

「身内とまではいかないけど、懐に入れるってことだから……」

「おう。おかしな『あれこれ』だって目撃しただろうさ」


 金、人、物。

 政治の世界を汚濁とするつもりはないが、かといって清廉なわけもない。

 少なからずな『裏側』を、井伊楽記者は目撃していたはずだ。

 それも、一人二人ではない。


「十人以上、それも真ん中か、それに近い奴らよ」


 何事かあれば、内閣にまで波及する。

 そんな密着した位置関係だ。

 父親の仕事、その一端を初めて聞いた桃奈が、顔を青くして身を乗り出してきた。


「じゃあ、父が殺されたのは、その秘密のせいで……!」

「落ち着け、お嬢ちゃん」

「政治の世界は、醜聞が飛び交うところだからね。それだけで部外者の記者に手を掛けたんじゃあ、それこそ致命なスキャンダルだ」

「しかも記者相手っしょ」

 

 そうか、と、じゃあ、を眉間へないまぜにして、少女はソファに腰を戻す。けれど、視線は続きを促すように強く。


「スキャンダルなら私らには関係がない。がね、少しばかり許しがたい話を耳にした」

「許せない、ですか……?」

「私はね、お嬢ちゃん。今の怪盗を用いた『ビジネスモデル』を危惧しているんだ」

「ええ、今までのお話からなんとなく……」

「ゼロから価値を創出して、それを膨らませる……危うい。ひどく、危うい」

「創出っても、工芸品と違って僕らの『手垢』に値段を付けているだけだからね」

「その手垢で、日本の経済規模が膨らまされている。大半の人間は、その恩恵を受けられないままにな」


 老人は、息をつく。

 憤慨が、吐息を熱くしてしまうものだから。


「手垢だ。ああ『洗えば落ちる』手垢によってな」


 誰かの利己で膨らんだあぶくは、いずれ破裂する。

 その時に、どれほどの被害が生まれるか、想像もしたくない。


「だから、私は今の仕組みを変更したかった」


 邪まな、他の血を啜るような欲望を、許したくなどないのだ。


      ※


 新谷小路は、深く息をついて見せる。

 言葉を選ぶようでもあり、言葉を遅らせるようでもあり。

 けれど、桃奈にとってはもどかしい間だ。


「それと、父の死に関係があるんでしょうか?」


 そこが、話の出発点。

 先生の、愛国心や怪盗に対するスタンスが、どう接続されるのか。


「先生。井伊楽・桜佐が見知った醜聞には、怪盗に関するものがあった、と?」

「え? でも、政治家と繋がって利益独占とか、今さらじゃん」

「ひなちゃんの言う通りだ」


 つまり、怪盗はスタンスを違えておらず、


「議員の一部が、脱税と資金洗浄に利用してやがった」


 扱う側に問題があったということ。

 例えば、帳簿に載せられない現金を、怪盗のターゲット内に仕込んで持ち去らせる。

 例えば、盗まれた『価値ある物品』を、損失として計上する。

 例えば、査定員に働きかけ『泥棒市』の出品額を小さく算出させる。


「やりようはいくらでもあるがな、そんなもんが横行している」

「そんな! 咲華さん、このこと……!」


 師匠であり相棒である彼に振り返る。

 けれど彼は常の笑顔で、


「おそらくは、ぐらいだね。明確な証拠はないし、まさか、とも思っていたよ」


 憤激を、緩む口元から流しだしていた。

 溶ける鉄のような声音に、少女は息を呑む。


「確証を得たのが半年前。去年の年末あたりで、それから『我々』は井伊楽・桜佐の引き入れを画策した」

「先生、待った。じゃあ、つまり、うちの相棒のお父さんは……」

「その動きを察した『あちら』の誰かが、口を封じたんだよ」


 老人が、深く頭を下げる。


「私の短慮が原因だ。桃奈くん、本当にすまない」


      ※


 胸は散り散りだ。

 ずっと求めていた父の死の真相が、あっさりと知れたことに。

 おそらくは、表沙汰にはならないであろうことに。

 怒りは当然ある。

 けれども、目の前で頭を下げる老人を責めるのは筋違いで。

 だけど、じゃあこの震えをどうすればいいのだろうか。


「形見はな、我々がアドバイスしたんだ。証拠のバックアップを作れ、とな」

「そうすれば、全てを回収するまで命は保証される……はずだった」

「ダメだったじゃんか……!」

「言い訳だがな、あちらが私以上に短慮だったんだ」


 三人の会話が、ひどく遠くに聞こえる。


「あの輝石の下に、メモリチップを隠してある。そして、彼が死の間際に、犯人へバックアップの在り処を白状していた」

「は? なんで?」

「娘の身を守るため、だろうな」

「なるほど。乱暴な手を打つ相手ですからね。万が一を考慮して……というのはあり得るか」

「そこに、目に映る『証拠』があれば、目くらましになると考えたんだろうよ」

「お父さんの命を守るはずのバックアップが、桃奈ちゃんの身を救っていたのかあ……」


 救われていた。

 父は私を守ってくれていた。

 ありがたくて、なおさらに怒りが沸く。


「モノの所在があいまいだったのは、こちらの差配だ」

「事故が事件に変わりましたからね。つまり、警察はこちらの味方と考えても?」

「詳しいところはいとこ君に聞けばいいが、おおむねその通りだ。データはすでに吸出し済みで、今現在の役割は井伊楽くんの娘さん……君を守ることだよ」


 揺れて煮える胸に、差し水が注がれる。

 頭が真っ赤になっていても、老人の言わんとしていることは察せられる。

 つまり、だ。


「私は、私を守ってくれていた人たちの努力を無為にしようとしていた……?」


 新谷小路は、ばつが悪そうに首を横に。


「そうは言っていない。移管書類まで辿り着くことは想定外、ではあったがな」


 だから、と彼は言う。


「あとは、我々に任せなさい」


 父の仕事によって、社会を正す。

 子供は守られ、安全なところで事の結末を見届けろ。


「そんな……それは……」

「気持ちはわかるがね。もし君が形見を取り戻せば、こちらとあちらの全面戦争だ。どちらが勝っても、残るは無人の荒野になる」


 加えて、口封じの手が、直接に桃奈へも迫るだろう。

 言わんとしていることも、気遣いも、何もかも理解ができる。

 だから、私は気持ちの置き所が見つけられず、応えられない。


「会長は……田正会長は、どうなんですか」


 だから、恩人の胸の内を求める。

 けれど、返るのは『衝撃』だ。


「彼女は中立だ。今のシステムを、利益を生む形を維持し、加えて君を守りたいと考えている」

「え?」

「怪盗協会は今『どちらも』の醜聞を握っている状態だ。向こうは話した通り、こちらだって警察組織に圧力をかけて証拠物品を隠匿したからな」

「けどそれは……!」

「君を守るためだが、違法は違法だ」


 行為の正当性を維持できなくなる汚点なのだ、と。


「田正会長は『現物』を手に拮抗を作っているんだよ」

 

 あの淑女は、自分を守ってくれて、けれど父の命に代えた成果を握りつぶそうとしているというのだ。

 胸は重ねて散って、思考どころか感情もまとまらなくて。

 だけど、


「じゃあ、簡単ですね」


 相棒は、軽く。

 羽のように軽く、笑うのだった。


      ※


 誰もが。

 老人も。

 幼馴染も。

 顔色が悪い相棒も。

 誰もが、何を言うのかと、こちらに視線を集める。


「僕らは……いや『僕は』だ」


 最大の懸念が晴れたのだ。


「いかな事態であろうと、誰が阻む手を伸ばそうと」


 僕を頼った少女が、背負っていた不明瞭なリスクの全容が明らかになったのだ。


「結んだ『約束』を違えることはしませんよ。二度と、ね」


 ならば『怪盗』であるだけ。

 獲物たるペンダントの所在も明確になったのだ。


「咲華、マジ?」

「咲華さん。私は、そのまだ……」

「馬鹿か? 言ったろう、泥沼の政争……どころかゴシップ合戦になりかねんぞ」


 口々に、こちらの正気を疑ってくる。

 けれども、いたってまとものつもりで、もし狂っているというのなら『最初』からだ。


 だから、僕は正気だ。

 この左手を奪った『いかれたシステム』を直すことも。

 敗者に頼った少女の身を守り助けることにも。


 その志に、一片たりとも間違いなどないはずだから。

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