橋を焼く

青月クロエ

第1話 Side:兄

 微妙に度の合わないレンズとアクリル板越しに映った頬はまた膨らんだ気がした。

 まばらに生えた髭に覆われた顎もたるんでるし、スーツの袖が悲鳴を上げてる。


「また太った」

「うわ、だっせぇ眼鏡」


 同時に発した第一声は互いへの憎まれ口。

 ぶつかり合っても消えることなく伝わり、膨らんだ頬がはっきりと引き攣る。

 やれやれ。すぐに顔に出るとこも相変わらずか。手が出なくなった分だけ成長したというか、歳食ったというか。


「ここじゃコンタクトは禁止でさ。眼鏡もブランドものやデザインものなんかは使っちゃいけないんだよ」

「で、わざわざだっせぇの作ったってわけ」

「収監に間に合うよう作ったからさ、いまいち見えづらいんだよな」

「自業自得なんじゃねぇの」


 ハッ!という苦笑とも嘲笑とも取れない笑い声は透明な仕切りを越え、俺の元まで届きそうだ。


「自業自得、ね」


 金属パイプ椅子に軽く背中を預け、脚を組んで薄く笑う。


「馬鹿なことした、とは思ってる」

「あったりまえだ。ヤク中の弟なんて外聞悪いにも程があるし、今回は暴行の現行犯……、カンベンしてくれっての。……つっても、いい加減もう慣れた。二回も三回も捕まっちゃあ『あぁ、またやったか』としか思わんし、珍しい話でもない」


 外国映画の俳優さながら大袈裟には両手を広げ、肩を竦めた。

 広げた両手の大きさは太いネックを握るのにふさわしく、十本の指先の皮膚は分厚い。度が合わない眼鏡でも、なんなら裸眼でだってよくわかってしまう。


「でも今回ばかりはちっとねぇ。『またやった』じゃすまないぜ」

「言われなくても……」

「言われなくてもじゃねぇよ」


 奴の声のトーンが下がる。

 あと一音半下がったらマジギレ確定、かな。


「社長はカンカンだ。もう庇いきれねぇってよ」

「今度こそ俺は契約解除か。てことは」

「今度こそ無期限活動停止……、実質、解散だ!か・い・さ・ん!!」


 ほぼ予想通り。ただ、なんで社長やマネージャーとかじゃくて、こいつが伝えに来たんだろう。

 身内の口から言わせた方が事態をより重く受け止めると願ってか??なんかそんな気がするけど、正直俺よりこいつの方がダメージ受けた顔してる。そりゃそうか。飯のタネバンドが解散すりゃ失業同然だもんな。俺と違って一人じゃ食うに困っちまうから。


「失業者にして悪かったよ。そこはちゃんと反省して」

「そうだけどそうじゃねぇ!!」


 あ、遂にキレた。奴は座りながら地団太を踏む。アクリル板が間になきゃ胸倉掴まれてたかもしれない。立会する刑務官に緊張が走った。

 俺なんかよりガラ悪い見てくれだし、警戒されるわな。若い頃は見た目通り喧嘩っ早かったし。でも所詮はファッションヤンキー。タカが知れてる。

 自慢じゃないが俺の方が一旦キレると無制限に暴れ回ったもんだ。その性分が原因でこうしてぶちこまれちまったけど。


「あ、だいじょうぶすよ。すぐ落ち着くと思うんで」


 言った端から、奴は立会人に「取り乱してすんません」と小さく頭を下げていた。ほらな。


 才能がないって可哀想で惨めだと思う。俺みたいに、俺でなきゃ生み出せないってモノが特別さがないんだ、奴には。

 才能がないからしたくもないのに人を敬って人の顔色窺って。

 俺ならあんなみっともなくぺこぺこ頭下げたりしない。


『お前の代わりなんていくらでもいる。俺の代わりは誰もいない。違うか??』

『お前が音楽で飯が食えるのは俺の才能に乗っかってついてきたからだろ??』


 俺に逆らった時。殴りかかった時。聞きたくもない説教を垂れた時。

 ここぞと奴にとっての呪いの言葉を吐きつけてやった

 ギターを始めたのだって俺に憧れたから。バンドだって俺が誘ってやったんだ。


 頭上でジジジ……、電子音に似た音がして、カン、カンッと何かがぶつかる──、羽虫が蛍光灯へ飛び込んでいく音だ。


 いつだって虫けらは強い光に吸い寄せられ、無遠慮に近づいていく。才能のない奴らも同じ。

 己じゃ強い光を放つこと、光を保ち続けること、更に強く輝くことができやしないから、俺に近づくことで光にあやかろうとする。奴なんて筆頭じゃないか。



「……ねぇ」

「は??」

「兄貴は全然わかってねぇ……」

「何が??」

「俺が怒ってんのはなぁ……」


 これでもかと殺気を込めた眼差しを、生意気にと思いつつ受け止めてやった──、が。奴は続きを語ることなく無言で席を立ち、俺に背中を向けた。

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