【14】白いワンピース



 オフホワイトの涼し気なワンピースに透かし編みのブルーのカーディガンを羽織った、自分よりずっと大人の小綺麗な女の人。いつも陸から香るフレグランスの香りに交じって、その人がつけてる香水か、妙に都会的な香りがした。思考が停止仕掛けた時、ドアを抑えている彼女の左手に光る石のはいった指輪が目に付いた。


「どちら様?もしかして生徒さんかな?」


 訝しげに訊いた女性は振り返って宅配じゃなかったよ陸、お客さん、と言った。その時ワンピースの胸から下にかけての控えめな腹部のカーブに、その白い手が添えられているのを見て愕然とした。細身なその女性にしてはふくよか過ぎる。妊娠してることは明らかだった。後の部屋にから、顔を出した梶田が、こちらを見てギクリと顔を強ばらせた。

 ああ、そういうことか。その梶田の反応から、最後に会った時、様子がおかしかったこと、最近のメールの返信の素っ気なさ、全てに合点がいった。ショルダーバックの肩紐をギュッと握る。

 瞬時にその状況を察してその場から逃げ出した。


「大澤!ちょっと待って!」


 後ろから聞こえた梶田の声。入口まで駆け出して来たらしい物音。チラと振り向いた時、梶田と彼女が並んでいた。見えたのは一瞬だったけど、2人はものすごくお似合いだと思った。喉の奥が熱く詰まる感じ。焼けてひりつくような感覚。


 マンションのエレベーターを待つのがもどかしくそばの階段室のドアを開けた。5階から下まで降りるのは一苦労だ。喉元の熱さに加え、階段を駆けおりる振動に痺れた脳がグラグラと揺れる。


 だが、さきほど停止しかけた思考は恐ろしく冴えていた。多分あの人は、梶田の元彼女だ。しかもあの指輪は婚約指輪だ。それに、あのお腹は妊娠してる。

 梶田には姉妹はいなかったはずだから、恋人では無い可能性は極めて低い。


 その時、自分の立場を理解した。彼女が察しのいい人でなくても、さっきの自分の行動を見れば、自分が梶田に好意を持っていて訪ねて行ったことくらい分かるだろう。梶田は彼女になにか聞かれて困ったりしているだろうか?そこまで考えた時1階に着いて、階段室のドアを開けたら、エントランスの前にいた守衛さんがこちらをチラッと見た。


 私はその視線に構わず、エントランスから目の前の通りに飛び出すと、駅に向かって必死で走った。



 足が疲れてもつれて立ち止まる。


 梶田が彼女に私のことを聞かれたとしても、なにも困ることなどないじゃないか。梶田からしたら私はただの少し仲のいい生徒なんだから。そう思い至った時、目頭がかっと熱くなって、しょっぱいものが込み上げてきた。泣きたくない。


 平然を装い、少し先にある目に付いたコンビニに入った。自動ドアが開いて流れ出てきた冷房の冷えた空気に、汗ばんだ首元がヒヤリとする。


 ボランティアからの帰りにそこの駐車場に梶田が車を停めたことを思い出した。帰り道このコンビニで飲み物を買った。その時、端っこの照明の当たらない所へわざわざ停めてたのを思い出した。生徒と出かけていたことを誰かに見咎められたら、たとえ何も無かったとしても噂が流れれば問題になる。だけど本当にそれだけが理由だったのだろうか。もしかしたら彼女がこの近くに訪ねて来たりするかもしれないから、念の為そうしたのか。


(別れたって、言ってたのに)


 あのお腹は何ヶ月なんだろう。あんな状態で別れてたなんでどういうことなんだろう。


 コンビニの棚を見るふりをしてゆっくり店内を歩く。上がった息が落ち着いた頃、苦い想いがまた込み上げてきた。


 そうだ、自分は梶田にとってはただの生徒だ。最近少し距離が近くになったから、こちらだけが限りなく近い恋人未満のような気持ちになっていた。勝手に一人で舞い上がって、身の程を知らなかった幼さに、恥ずかしさと悔しさが込み上げてきた。これ以上情けなくなりたくなくて涙をぐっと耐えた。


(でも、あれは私の勘違いなの?)


 海に行ったあの日、好きだと伝えてから、自分の想いが伝わったと感じてた。梶田にとって自分は生徒だから、今はまだ先のことは考えずにおこうという、梶田の大人の采配なのだと思い込んでいた。


 自分のおめでたさが、情けなくなる。


 まだ上がってる息を整えながらコンビニでドリンクの棚のドアを開けようとして、手が空をきった。体の横にぶらんと下がった手が、沢山走ったせいか痺れていた。

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