第1話 魔王、入学する

 時間とはあっという間に過ぎていくもので、人間に転生してから早十五年が経過した。


 いわゆる『約束の時』というやつである。


 その間、私は必死で情報を集めた。世界各地に広まっている童話や逸話、挙句の果てには日本で流通しているライトノベル等を読み漁ったのだ。


 やはり多くの書物は勇者が魔王を倒す勧善懲悪もの(自分で魔王を悪と呼ぶのも変な話だが)だったが、中には主人公の魔王が勇者をやっつけるという痛快な物語もあった。その本に出会った時は、こういう結末もあるのかと大いに感動したものである。


 まあ、調査内容は他の四人と合流してからの機会に取っておこう。


 代わりに、私自身のことを少しだけ話そうかと思う。


 私は瀬良せら家の長女として、この《地球》ひいては《日本》に生れ落ちた。


 瀬良真央まお。それが私に与えられた名前である。


 家族構成は、父、母、私、二つ下の弟が一人。一軒家の四人暮らし。名家と呼べるほど歴史ある家柄ではないものの、子供二人を何不自由なく育てられるくらいの資産はあるらしい。先に言ったように欲しい本は何でも買ってくれたし、長期休暇には毎年一度はどこか旅行へ連れて行ってくれたほどだ。


 どこにでもある普通の家庭。それが客観的に見た瀬良家の評価だった。


 ま、語るべきことはこんなところだろう。


 なに、自己紹介が短すぎるって? 仕方ないじゃないか。


 私の使命は《地球》に存在する物語を調査することの他に、人間の心を学ぶというのもあるのだ。あまりに特殊な家庭で育ってしまうと、普通の人間の暮らしというものが体験できなくなってしまう。だから転生する際は、極めて慎重に母体を選んだものだ。もっとも後から知ったことだが、実は私の両親はちょっとばかし特殊だったのだが……。


 ともあれ、これまでの私の人生において特別語るような出来事は何一つない。もちろん普通の女の子として過ごしてきた十五年分の思い出なら長々と語れるが、ここで話しても意味はないで省略する。


 それで……そうそう、『約束の時』だ。


 私を含めた五名の分裂体が一堂に会し、十五年の調査結果を報告し合うわけだ。しかし一言で集まると言っても、お互いの顔も住んでいる場所も知らない五人が連絡を取り合うのは至難の業。そのため集合場所は生まれる前から決めておいた。


 現代日本において、十五歳の時に発生するイベント。


 そう、高校入学である。


 日本各地で調査を行っている同志たちとは、同じ高校に入学する手はずとなっていた。


 というわけで、今日がその日。集合予定だった高校の入学式である。


 仲間との初顔合わせは魔王とて心が躍ってしまうもの。楽しみにするあまり一時間も早く起床してしまったり、真新しいブレザーに袖を通す際は自然と鼻歌が混じっていた。ま、これも私が人間の心を理解できている証拠かな。ふふ。


 ただ嬉し楽しい学生生活の門出を前に、ちょっとした困り事があった。


 どれくらい困っているかっていうと……。


「な、なんてこった!!」


 姿見に映っている自分を見て、家が揺れるくらいの叫び声を上げてしまうほどだ。


 いや家が揺れるのは大げさだけど、眠り姫も思わず瞼を開けちゃう驚愕である。


 事実、私は今、百年の眠りから目覚めてしまうような美しさに見惚れていた。


「とんでもない美少女ではないか!」


 ああそうだよ自画自賛だよ、悪いか!


 光沢が見えるほど艶やかな亜麻色の髪。ガラス細工のような、ぱっちり二重のお目目。やや低めのお鼻は愛玩動物顔負けの緩やかな曲線を描いており、薄桃色の唇は咲いたばかりの花びらみたい。瑞々しい滑らかな肌はビスクドールがそのまま動き出してしまったような乳白色だけど……あれ? 私ってちゃんと人間に転生したよな? あっ、大丈夫大丈夫。しっかり脈打ってるわ。


 幼い頃から本ばかり読んでいたせいか、ちょっと肉付きの足らないもやしっ子に育ってしまったものの、はっきりと断言しよう。


 そう、これは、紛うことなき美少女だ!(自惚れ)


 中学の頃の地味なセーラー服から、若者の受けが良さそうなブレザーに代わったことも大きな要因だろう。こんなん、もうアイドルじゃん! アルファベット三文字と数字で構成されるアイドルグループで歌って踊りそうだもん。今までスカウトされなかったのが不思議だわ!


 ……いや、いやいやいや、それじゃダメなのだ。普通だったら自分が可愛いことを喜び誇るべきなのかもしれないが、私はそうもいかない。


 私には使命がある。勇者を倒す方法を調査するという、全世界の《魔王》の運命を背負った大切な使命が!


 マズいぞ、これは非常にマズい。


 こんなに可愛かったら、毎日のように男が群がって来てしまうではないか。事実、中学校ではそうだった。告白された回数なんぞ、人の指の数では足らないくらい。その度に奴らの花束を鼻で笑って蹴散らしてやっていたが。


 だが遊びはここまで、中学までなのだ。


 高校から本格的な活動を始めるというのに、これでは任務に支障が出てしまう。性欲全開の男子どもが常に付きまとうなど、せっかく協力してくれる同志たちにも悪い。


 うぐぅ。何故だ? どうしてこうなった?


 もちろん、可愛い可愛いともてはやされて調子に乗ってしまった私にも非がある。


 けど、根本的な原因は実はもっと前から存在していた。


 その原因が、足音を轟かせながら怒涛の勢いで階段を駆け上がってくる。


 身の危険を感じて防御姿勢を取った瞬間、私の部屋の扉が勢いよく開け放たれた。


「どうしたの、真央ちゃん!」


「真央! 今の叫び声は何だ!?」


 特殊部隊の突入よろしく転がるように入ってきたのは、私の両親だった。


 私が一万年に一人の美少女に生まれてしまった原因がこの人たちだ。誰もが認める美男美女夫婦なのである。


 それもそのはず。パパとママは二人とも俳優業をしており、とあるドラマの撮影をきっかけに交際を始めたんだとか。できるだけ良い暮らしがしたいために、金を持っていそうな夫婦を選んで転生したのが裏目に出てしまったようだ。


 さらに私は両親からめちゃくちゃ溺愛されているのである。蝶よ花よと育てられた結果、私自身も可愛くならなくちゃという義務感が深層心理に刻まれ、そうなるための努力を惜しまなかったのである!


 ま、そんな過ぎた話はさておき。


 年頃の娘の部屋にノックも無しに入ってきた両親はというと、ママは口元を押さえて号泣し、パパは目頭を摘まんで天井を仰いでいた。


「ま、真央ちゃんが……可愛すぎる……」


「ああ、まるで天使のようだ」


 おいおい、お前らもブレザー姿を見たのは初めてじゃないだろ。一ヶ月前、仕立て屋で試着してみせたじゃないか。確か店員の前じゃ普通の態度だった……アレは演技だったか!


 驚愕の真実に恐れ慄いていると、隙を見た母が突進してきた。


 私の小柄な身体を抱きしめ、無遠慮に頬ずりしてくる。


「私の愛しい愛しい真央ちゃあん。可愛すぎて蕩けてしまいそうだわぁ」


「うわぁ、やめろぉ! け、化粧がぁ!」


「えっ……真央ちゃん、化粧なんてしてるの?」


「あんたのがこっちに移るんだよ!」


 こちとらまだ化ける必要がないほどピッチピチなんじゃい! あんたと違ってな!


 なんて言うと雰囲気が最悪になるので本音は心の中だけに留めておく。いくら距離の近い間柄とはいえ、踏み込んではいけない領域はあるのだ。


 と、天井を見上げて神に感謝の気持ちを伝えていたパパが、スマホを取り出して写真を連射していることに気づいた。今が早朝だってこと分かってるのか? カシャカシャって電子音がマジで耳障りなんだが。


「うんうん、いいよいいよぉ。晴れ姿は記録に残しておかないとね」


「パパさぁ。今日くらいははしゃいでもいいけど、私が結婚する時とかどうするの? 早いとこ子離れしとかないと」


「その時は相手の男を殺して俺も死ぬ」


「死なないで!」


 殺すのもダメだけど! 殺人、ダメ、絶対!


 すると突然、父が私の右腕に縋りついてきた。


「うわぁん! 真央は誰にも渡さないぞ。お嫁になんて行かないでくれぇ!」


「情緒不安定だな、おい!」


 なんだこの大人たちは! 子煩悩にもほどがあるぞ! いや、知ってたけどさ!


 一時間早く起きといてよかったなと安堵しつつも迷惑していると、開け放たれた扉の向こうで弟が通りかかった。パジャマのまま眠たそうな目をこすっているところを見るに、どうやら寝起きのようだ。


「ま、真人まさと! 助けてくれ!」


 弟は心底面倒くさそうな顔をしているようだった。


「姉貴。俺は今からトイレに行って、すぐにでも二度寝をしたい気分なんだ」


「そ、そうか。中学校の始業式は明日だもんな。今日はまだゆっくり眠ればいいさ。けどトイレが済んだ後でもいいから助けてくれよ!」


「俺が思うに、二度寝ってのは頭がまだ寝ぼけているから気持ちがいいんだ。完全に起きちまったら単なる昼寝と変わらねえ。つーか、たぶん眠れねえ」


「うん。分かる、分かるぞ! 二度寝は寝ぼけているうちにした方が気持ちがいい! 私だってそう思う。……で?」


「俺を目覚めさせるな」


「なんかカッコいい!」


 さすがリアル中二。言葉の端々に痛々さが感じられるな!


 そうして我が愚弟は姉に救いの手を差し伸べることもなく、さっさとトイレへと向かってしまった。裏切り者め!


 ま、結局この後、鬱陶しい両親の脳天に拳骨を食らわせて事なきを得るんだけどね。

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