8_夏めく日差し、その影で 犯人のメモ

3月13日

真の芸術とは、その生が終わりを迎える瞬間そのものだ。誰もそれに気づいていないだけなのだ。だから、教えてやろうと思った。けれど、それを理解することもできない下等生物どもにわざわざ「真の芸術」その瞬間を共有してやる義理はない。奴らに見せるのは、その芸術の終わったあとの残骸だけで充分だ。

今まで人間で芸術を行ったことはなかった。なぜなら、この間違った世界では人間という生き物を殺すことは犯罪とされているからだ。しかし、ある日気づいた。今日も世界では、様々な原因で人間が死んでいる。その数は膨大だ。そして、その中には生きる価値のあったはずの美しい人間たちだって居たはずなのだ。

愚か者によって、生きる価値のある人間が殺められているならば、私がその愚か者どもを殺せば良い。そうすれば世界から愚か者は消え、芸術へと昇華される。やつらには芸術になることへの駄賃として、死の直前に快楽を与えてやろう。

まずは、あの愚かな女からだ。俺よりも年下のくせに、女のくせに、ちょっといい大学を出たからと周囲にもてはやされ俺を馬鹿にしているあの女。ああけれど、人間で芸術をすることはまだ経験がない。その前になにか別のもので実験を行っておくべきか。何か探さなければ。


3月20日

最初の実験台を決定した。通勤の電車でよく同じ車両に乗り合わせる男子中学生だ。見たところひ弱そうだし、抵抗もそこまで強くないだろう。また、一週間ほど観察したが周囲とあまり交流が無いらしく、一人でいることが多かった。男という点がやや引っかかるが、まあ実験台としてはちょうどいいだろう。


4月9日

学生には春休みというものがあることを失念していた。通りで中々実験台が見つからなかったわけだ。

だが、おかげで入念に準備をすることが出来た。何度もシミュレーションをした。実験台をおびき出すための餌も用意した。失敗は無いだろう。

明日、実験台との接触を試みる。


4月10日

実験台との接触に成功した。やつにわざとぶつかり、持っていた飲み物を鞄に引っかけた。その詫びとして何か奢らせてほしいと言えば、実験台は予想よりもあっさりと頷いた。警戒心があまりにも薄く驚いたものだ。その後、食事中に自分が絵を描くことが趣味であること、今度学生をテーマにスケッチをしたいと思っていること、君はまさに自分の理想通りの学生で、できればそのモデルになってほしいということを話した。承認欲求を持て余していたらしい、実験台は最初こそ戸惑う素振りを見せたが、すぐに了承した。後日また会うこと、それからもし親にどこに行くのかと聞かれたら、友達と出かける等と嘘をついてほしいことを伝えた。実験台は訝しげだったが、このご時世あったばかりの大人と出かけると言えば警戒されてしまう可能性が高いからと説明すればすぐに納得していた。

今週末、実験台で最初の「芸術」を行う。


4月13日

「芸術」は成功した。駅近くの公園で待ち合わせた後、車で郊外へ向かった。たどり着いた自然豊かな公園の、人気の少ない場所でスケッチを開始した。しばらく書いた後、小道具を持ってくると言っていったん車に戻り、道具を持ち出した。ポーズを変えて欲しいと言いながら近づき、隠し持っていたスタンガンを押し当てた。調べていたから知っていたが、ドラマでよく見るように気絶することは無く、体の自由を奪う程度の威力しかないらしい。が、それで十分だった。

今でも興奮が冷めない。あの、死の間際の、縄をかけられたときの顔と言ったら!

あれが一つの芸術であると分かるように、事前に用意しておいた作品名のプレートも置いてきた。スケッチブックに雑誌や新聞の切り抜きで名前を作ったものだ。人気の少ない場所だ。監視カメラがないことも確認している。発見は早くても明日以降だろう。もしすぐに見つかったとしても、指紋が残らないようずっと手袋を付けていたし、靴もほとんど使っておらず下駄箱にしまい込んでいたスニーカーだ。スタンガンもずっと昔に好奇心で買ったものだし、スケッチブックだってどこでも売っているようなものしか使っていない。すぐに見つかることは無いだろう。


4月14日

実験はうまくいった。なら次に芸術を行うのはあの女だ。手順は問題なかった。問題なのは、あの女をどう連れ出すかだ。

メールなどの記録が残るもので声をかけるのはだめだろう。となると電話か直接話しかけるかだが、電話だって内容までは分からなくてもかけたという事実までは残る。やはり直接話を持ちかけるしかないか。


4月22日

今日仕事中、偶然二人きりになる機会があった。いつも通り向こうから話を振って来たため、これは都合がいいと自分が絵を描くことが趣味だと言う話をした。やつは興味を持ったようなそぶりで具体的にどんなことをしているのかを聞いてきた。だから俺は、最近は寂れた場所と人のスケッチをすることに凝っているが、中々モデルが見つからないことを話した。やつは、じゃあ自分がやりましょうかと、いつも通り親切そうな顔で提案してきた。内心笑いをこらえるのが必死だった。俺は、まるでとても驚いたかのような、それでいてありがたいような顔を作ってその提案に乗った。


4月26日

明日は、あの女で芸術を行う。準備は万全だ。


4月27日

失敗した。予想外のことが起きた。偶然俺の芸術を見ていた女が居た。つい反射的にスタンガンを首に当ててしまった。当たりどころが良かった、というべきなのだろうか。女は気絶した。

だから、そう、仕方なく。そいつでも芸術を行うことにした。体を拘束し、抵抗できないようにしてから車に乗せて、目が覚めるのを待った。なかなか目が覚めないのでスタンガンで殺してしまったのかと焦ったが、しばらくすると目を覚ました。女は酷く動揺していて、そして怯えていた。その状態で快楽を与えてから、予備のロープで首を絞めた。

焦ったが、今までで一番興奮する「芸術」だった。


4月28日

死体を適当な場所に捨ててきた。今まで通り作品名のプレートも置いてきた。女が身分証を持っていたことは幸運だった。女の持ち物は、指紋が残らないよう丁寧に拭いて死体と一緒に置いてきた。

実験台の高校生、最初の目的だった女、それから今日捨ててきた女。今まで合わせて三人で芸術を行ってきた。すでに最初の高校生はニュースでも大きく取り上げられている。あまり続けすぎるとどこかでボロを出してしまうだろう。だから、しばらく芸術は控えるべきだ。分かっている。

分かっているけれど、あのときの興奮が忘れられない。


5月3日

あのときの興奮が忘れられなくて、別のなにかで上書きできないかと街を歩いていた。GWで人が多く、それに辟易しながらも歩いていると、後ろから声をかけられた。若い男の声で、最初は自分にかけられたものだと気づかなかった。

振り返ると、そこには痩せぎすで猫背で、あまり活力を感じられない目をした若い男が居た。やや困ったように眉を下げて、「落としましたよ」と俺に差し出されたのは尻ポケットに入れていたはずの財布だった。財布を落としたことにも気づかないほどぼんやりしていたのかと驚きもしたが、それ以上に、俺はなぜかその男に釘付けだった。

なぜか、美しいと、そう思ったのだ。

男は、一般的に整っていると言われるような容姿ではなかった。けれど、何故か俺は男から目が離せなかった。

男は、そんな俺を見て意識が朦朧としていると思ったのだろうか。「あの、大丈夫……ですか?もしかして、熱中症とかになってませんか?」とやや心配そうに言った。

それで、俺は、気づけば何かと理由をつけて、男と一緒に近くの飲食店に入っていた。確か、財布を拾ってもらった礼だとか、たしかに熱中症かもしれないからどこか日陰で休みたいが、誰かについてもらえれば安心できるとか、言った気がする。

男は、三宅猫と名乗った。下の名前は、猫と書いてびょうと読むそうだ。珍しい名前だねと言えば、彼は「よく言われます」と言って薄く笑った。その顔に、また目が離せなくなった。

俺は、その日のうちに、また彼と後日会う約束を取り付けていた。


5月6日

GW最終日、俺はまた三宅くんと会った。そして、俺の趣味の話をした。モデルが中々見つからなくて困っていることも。すると、三宅くんは感心したような声を上げた後に、「モデル、とか……俺がなれるならぜんぜんやりますけどね。ああいうのって、きれいな人じゃないとだめですもんね」と苦笑いしながら言った。

渡りに船だ、と思った。或いは、鴨が葱を背負って来た、とも。

それから俺は、俺がモデルに求める理想を彼に伝えた。その理想は、まさに彼だった。いきなり熱を持って話し始めた俺に、彼は驚いてから、小さく噴き出してから言った。「それなら、俺がモデル、やりましょうか?」

そうして、また数日後、彼と郊外の廃ビルで待ち合わせをすることが決まった。

俺はそこで、彼で芸術を行う。


5月9日

芸術を行うための場所として考えていた場所の一つである、郊外の廃ビルで、芸術を行った。素材は彼、三宅猫だ。

想定していた通り、彼で芸術を行うことはとても興奮した。彼が想像以上に暴れたことと、前座である快楽を与える段階で盛り上がりすぎて、気づけば夜が明けかけていたのは誤算だった。体力を失い呆然としている彼の首に縄をかけて、廃ビルの中の突き出た鉄骨にかけてその場を去った。

自宅に戻るための運転中も、彼で行った芸術のことで頭の中がいっぱいだった。

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