6_夏めく日差し、その影で

「さて、準備できたね」


 パタンと携帯を閉じながら、そう言った。


「俺、着替える必要あったんですか?」


 やや不服そうに言う三宅くんは、さっきその辺で買ってきたスーツを着ている。


「まあ居なくはないけど、パーカーにジーンズじゃラフすぎるからね、刑事として」

「えっ」

「ただの一般人連れてますって言う訳にはいかないでしょ? もしかしたら将来捜査一課に来るかもしれないんだし、まあ職場見学だと思って」


 驚いた声を上げてこちらを見る三宅くんに笑って返せば、彼は少し緊張したような面持ちで頷いた。素直だなあという感想を抱きながら改めて声を掛ける。


「じゃあ、行こうか」

 

 そう言えば、彼は表情に、より一層の緊張の色を乗せた。それを微笑ましく思いながらも、足を進めていく。


 目的地である閑静な住宅街には、すぐに着いた。そして目的である人物も、幸運なことにそこに居た。


「こんにちは。お仕事帰りですか?」 


 僕がそう声を掛けたのは、二人目の容疑者である青木英樹だった。僕が直接事情聴取をした、唯一の容疑者。以前彼にアリバイを聞いた時、彼は僕に嘘をついた。それが分かったのは、かつて学んだ心理学からでもあったし、経験に裏付けられた僕の勘からでもあった。だから、ずっと気になっていたのだ。

 彼は話しかけられて、初めて僕たちに気付いたらしい。下げていた視線を上げてこちらを見て、驚いたような、怯んだような表情を浮かべた。まあまあ一般的な反応である。


「すいません、自己紹介がまだでしたね。警察の者です。以前にもお伺いしたことがあるのですが……覚えてますかね?」


 警察手帳を取り出しながら聞けば、僕が手帳の中身を示すよりも早く、向こうから反応があった。


「烏宗田さん、でしたっけ」

「すごい、よく覚えてましたね。僕ら警察は、何人も訪れているでしょう?」

「名前を覚えるのは、得意なもんでして」


 そう言って青木は、視線を三宅くんへ移した。 


「そちらは? 初めて見る方ですけど……」

「ああ、彼は今、僕につけて見学させているんです。見ているだけなので、お気になさらず」


 分かりやすく戸惑いを乗せた問いに対して、さらりと当然のように返せば、向こうもそれ以上は追及してこなかった。これ幸いと、続けて口を開く。


「それにしても、何度もお伺いしてしまって申し訳ありません。我々の力不足でして、未だに犯人を捕まえられていないんです」

「そちらも仕事でしょうし。まあ、何度もこう来られると、困る物はありますけどね」


 苦笑交じりに返す青木は、やはりどこをどう見てもどこにでも居る平凡なサラリーマンに見えた。


「そう言っていただけると、助かります」


 こちらも苦笑で返してから、「そう言えば」と続ける。


「新聞は取ってらっしゃいますか?」

「え? ……取ってますけど、それが何か?」


 唐突な僕の問いに、青木は驚いたようだった。ついでに背後に居る三宅くんも当惑したのが分かった。


「以前にも聞いていたら申し訳ありません。実は被害者の傍には新聞や雑誌の切り抜きで作った名前の書いてある紙が落ちていたんですよ。それで、念のため関係者の方々に聞いているんです」

「そうなんですか。刑事さんも大変ですね、そんなことまで聞いて回らなきゃいけないなんて」

「お気遣い、ありがとうございます。これも仕事ですからね」


 説明すれば、納得したように頷いた後に同情の籠った視線で見られた。それに笑顔で返してから、声色から硬さを抜いて話し始める。


「……それにしても、よくやりますよねえ、切り抜き。僕なんかは実はそういう細かい作業が苦手でして、新聞やら雑誌やらの活字の海から、字を探して切り取って、なんて、とてもじゃないですけど進んでやろうとは思いませんよ」

「はあ、そうなんですか」 


 いきなり始まった雑談のようなそれに、青木はまだ困惑しているようだった。


「しかも人の名前ですからね、珍しいものだったら余計に探すのが大変そうじゃないですか」

「あー、確かにそうですね。最近の子だと、キラキラネームって言うんですか? 珍しい名前の子、割と居ますもんね」


 困惑しながらも話には乗ってくれるらしい。彼は相槌を打ちながら言う。


「そうそう、一番最近の被害者なんて、特にそうだと思うんですよ」


 返って来た同意に対して、やや声のトーンを上げてそう言った。


「ああ、確か……猫って書いて、びょうって読むんでしたっけ。私も初めて聞いた時は驚きましたよ」


 かかった。すとんと、顔に浮かべていた表情を落として、ゆっくり問いかける。

 

「どうして、それをご存知なんですかね?」

「……え?」


 青木は、まだ何が起こったか分かっていないようだった。 


「三宅猫、という名前は、一般には公表されてないんです。なぜなら彼は、まだ生きているから。死亡していない被害者の名前は、ニュースなんかでは公開されないものなんですよ。つまり、これを知ってるのは、捜査関係者か──犯人だけ」


 説明するように、言い聞かせるようにそう言えば、青木の平々凡々な、無害そうな表情がどんどん抜けていった。


「改めてお聞きします。どうして、それを知っているんですか?」


 最終的に、何の表情も浮かばなくなったその顔で、青木は俯いた。そして。


「はは」 


 皮切りは、乾いた笑い声だった。視線を上げた彼の目は、いやにギラギラと光っていた。


「それはな」


 今まで見せた姿からは想像もできないような、俊敏な動作で鞄から黒っぽい何かを取り出す。スタンガンだった。


「俺が、そいつを殺そうとした犯人だからだよ!!」


 青木が、僕の後ろに控える三宅くんに向かってスタンガンを振りかぶる。行動に予想はついていたから、対処は容易だった。軸足に体重を乗せて、もう片方の足を高く振り上げる。体を捻ってつけた勢いのまま、狙う先は青木の、スタンガンを持つ手首だ。狙い違わず目標を蹴り飛ばした足に、ゴツリ、骨にあたる感覚が響いた。青木が呻き声を上げて手首を抑える。その隙を逃さず、対象を地面に押さえつけた。手錠を取り出して、ガシャリ、青木にそれを掛ける。続けて腕時計を確認。


「午後五時五二分、暴行罪で現行犯逮捕。……ごめん三宅くん、今の時間メモしといてくれる?」

「あっ、はい、分かりました」


 そして、気付けばパトカーのサイレンが近づいてきていた。さっき電話で呼んだ応援だろう。

 やや慌てた様子でメモ帳を取り出し、時間をメモする三宅くんの後ろに、パトカーが数台、近づいてきてすぐそばで止まった。降りてきたのは、見知った捜査一課の面々だ。


「烏宗田! そいつが犯人か」

「ええ、自供後スタンガンで殴りかかって来たので、暴行罪で現行犯逮捕しました」

「証拠は」

「もちろん抑えてます。ボイスレコーダーで録音しておきました」


 一課長にそう報告後、取り押さえた青木の身柄を同僚に預けて、やっと僕も立ち上がった。続けて懐に入れていたボイスレコーダーと、三宅くんに書いてもらった逮捕時間のメモも提出する。 


「署に戻って取り調べだ!」


 そう一課長のかけた号令に、その場にいる皆と同じように返事をした直後、一課長から僕に直接の指示があった。

「烏宗田、お前はさっさと被害者を病院まで返せ。逮捕現場に被害者本人が居合わせた、なんて知られたら騒ぎになる」


 その目は、何厄介なことをしてくれたんだ、と雄弁に伝えていた。そりゃあそう思われるよなと内心で苦笑しつつ、それを表には出さずに「分かりました」と従順に返す。

 

 そうして、未だ刑事たちが多く騒がしいままの現場で、居心地悪そうに立っている三宅くんの元へ向かった。 


「聞いてたかな? 僕が送るから、病院に戻ろうか」


 三宅くんは、やや疲れたような表情で頷いた。流石に慣れないことが続いて気疲れしてしまったのだろうか。これは病院の先生にも叱られてしまうかもしれないな、と考えながらも三宅くんを伴って駐車場へ戻る。 


「疲れちゃったかな、病院までちょっとかかるけど、大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」


 言葉少なに返されて、あまり話しかけても良くないかなと思いそれ以降はあまり話を振らないようにして車に乗り込む。


 車を走らせてからしばらくして、病院までもう少し、といったところで三宅くんがおもむろに口を開いた。


「ねえ、千蔭さん。覚えてますか、『ミケ』のこと」


 まるで閉じられていた扉が開かれたかのようだった。ぶわり、脳内に『ミケちゃん』との記憶が溢れる。


 思い出した。自分が地方に飛ばされた時、自分によく懐いていた少年のことを。 


「……ミケちゃん?」

「俺のこと、ぜんぜん思い出してくれませんでしたね」


 問いかければ、彼は不貞腐れたような声で言った。思い返せば、そうだ、ミケちゃんというあだ名は、彼の猫という珍しい名前から取ったのだった。


「ごめん、だって、あれからもう十年も経ってて……君が、随分大人になってたから」


 というか、と気づく。きちんと話がしたくて、適当な場所に車を止めた。 


「記憶、戻ったの? いつ? ていうか、ほんとに、あのミケちゃん?」


 驚きを隠しきれないまま、彼の顔をまっすぐ見て問いかける。彼は次のように答えた。

 少しずつ記憶の欠片のようなものは浮かんできていたこと。

 それは今までの人生の中で印象的だった記憶が多かったこと。

 その中に僕に関する記憶もいくつかあったこと。

 さっき犯人の顔を見て、犯人によって攻撃されかけて記憶が全て戻ったこと。


「それから、俺はほんとに、アンタに救ってもらった『ミケちゃん』ですよ」 


 最後に、付け足すように言われたその表情は、ああ、確かに。あの頃のミケちゃんの面影があった。


 伝えられた情報に、思わず長く息を吐く。正直、彼の記憶に関しては戻る希望はほぼないだろうと思っていたのだ。それが、まさかこんな。フィクションの世界みたいなきっかけで全て蘇るなんて思わなかった。


「それにしても……よく、取り乱さなかったね?」

「これでも警察官志望ですから」


 やや誇らしげに言う彼は、分かってみれば間違えなくかつて見たミケちゃんで、むしろなんで今まで分からなかったんだろうと思うほどだった。


「とりあえず、記憶が戻ったなら余計病院に戻らないとだよね」


 自分に言い聞かせるためにもそう言えば、三宅くん──ミケちゃんも頷いた。


「そうですね。俺も念のため、色々確認しておきたいですし」

「うん、それじゃあ……病院、行こうか」


 改めて病院に向かうべくアクセルを踏む。病院には、あっという間に着いた。


 看護師さんに声を掛けて事情を説明すれば、すぐに検査が決まった。少々お待ちくださいと言われたまま、待合室で看護師さんに呼ばれるのを待つ。僕はもう本部に戻っても良かったけど、なんだか少し名残惜しくて、彼が検査に行くまでは傍に居ることにした。

 だって、まさか本当にミケちゃんが警察を目指していて、警察学校に通っているなんて、思わなかったから。感慨深い、と言えばいいのだろうか。彼が僕と別れた、あの頃と変わらないことがなんだか嬉しくて、ずっとそれを目指し続けてきてくれたことがありがたかった。


「そういえば、昔、バイク好きだったよね。今も好きなの?」


 思い出したように問いかけたのは、なんとなく、彼が僕の知るミケちゃんのままなのか、確認したかったからだ。


「はい。免許もちゃんと取ってますし、自分のバイクもありますよ。しばらく乗れないかもですけど」

「あー、まあ、検査の結果次第だろうねえ」


 残念そうに言う彼に、やや悩んでからそう返す。僕も医学はかじっているけど、流石に記憶喪失に関する知識はない。


「千蔭さんは、捜査一課に入ったんですね」

「そうだね。もうけっこう居るかな。現場が好きだから、僕に合ってるんだと思うよ」

「そうなんですか」


 一度は頷いた彼が、少しだけ言い辛そうに口を開く。


「……あんまり、無理はしないでくださいね?」

「はは、まあ、努力はするよ」


 それには、笑って返した。僕の返事が同意じゃないことにたいしてだろう、やや不満げな表情でミケちゃんが黙り込むものだから、思わずまた笑ってしまった。


「三宅猫さーん」


 病院の受付特有の、間延びした声で彼の名前が呼ばれる。ミケちゃんが立ち上がって、「ありがとうございました」と頭を下げた。


「うん、検査、行ってらっしゃい。すぐに日常生活に戻れるといいね」

「はい」


 連絡先の交換なんかはしていない。だから、僕からこの病院に来ない限り、これっきりだ。きっと、彼もそれを分かっている。けれど、ミケちゃんはそれに関して何も言わなかった。

 僕に背を向けたミケちゃんが、一歩二歩と歩みを進める。けれどすぐに足を止めて、どうしたんだろうとその背中を見ていると、くるりと彼が振り返った。


「待っててください。すぐに、千蔭さんの横に行きますから」


 その表情は、僕に対して自分も一緒に連れて行けと迫った時よりも、よっぽどいい顔だった。覚悟を決めた、けれどそれは決死のそれではない。希望に満ちた、それだった。

 思わず驚きに目を見張って、そしてすぐに顔を綻ばせる。


「うん、頑張ってね」


 そう返せば、ミケちゃんもその表情を柔らかくした。そして、僕に背を向けて歩いていく。それを見送ってから、僕も立ち上がった。そして、捜査本部に戻るべく歩き出す。

 

 いつか彼に会う時は、きっと警察官になっているのだろう。そう思えばこそ、より僕も頑張らなければと思えた。

 

 ──ミケちゃんにまた会えた時、今と同じ立場じゃあ示しがつかないもんね。

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