失くしたレポート①

 少年は下を向く。馬鹿にしたような冷笑と好奇の視線が肌に刺さる。自分が何をしたのだと。確かにそれはそこにあったはずだと。少年は一人、言葉のスコールを浴び、うずくまる事しかできなかった……。



 世間一般では、連休シーズンであるゴールデンウィークが明けた。英気を養った大人達、あるいは連日仕事に明け暮れ、疲弊した表情を見せる大人達。

 井澤朱音いざわあかねは後者の人間だった。


「お疲れさまです。お先に失礼します」


 ゴールデンウィーク中、働き詰めだった朱音を知ってか部署の責任者から早上がりを言い渡される。

 定時より2時間も早く退勤し、明日は休みの予定だ。今日明日はゆっくり過ごそうと朱音は決めていた。

 都心から電車に揺られ、東京郊外へ。帰路に着く中で普段見掛けない店が目に止まる。

……だがしやなとり……


「こんなお店あったかな?」


 お店の外からガラス張りの扉越しに中を覗いてみる。

 店内には、所狭しと多種多様なお菓子が陳列されていた。ヤングドーナツに5円チョコ、きなこ棒にポテトフライ等。だがしやなとりは駄菓子屋であった。

 目に見える商品の懐かしさもあったのだろう。朱音は扉を開けていた。


 カランという鈴の音が店内に響き渡る。内装の古さ、壁に掛かる昔のアニメやヒーローのポスター、一度中に入ってしまえばタイムスリップしたような錯覚さえ起こしてしまいそうだ。


「いらっしゃいませ」


 低すぎない柔和な声音が店の奥から聞こえてくる。しばらくして、レジを挟んですぐの暖簾のれんから背の高い男性が姿を表した。

 歳は20代後半だろうか。白い肌に顔立ちもいい。しかし、驚くことに男性の黒髪は肩甲骨辺りまで伸びていた。長い黒髪を一本に束ねていたのだ。

 朱音は驚いた。あまりにも男性が美しかったからだ。


 朱音は、男のロングヘアーなど有り得ないと考えていた。テレビで観る俳優やアイドルでさえも不潔に映り、気持ちが悪いと常々思っていた。そんな考えを真っ向から否定されるが如く美しさを目の当たりにしたのだ。

 呆然と見惚れていると朱音に向けて男性から声がかかる。


「何かお困りごとですか?」


 男性は真っ直ぐと朱音を見ていた。


「あ、いえ、すみません」


 会話になっていなかった。

 少しの沈黙の後、朱音は店内のお菓子を数個選び、レジへと持っていく。


「お会計260円です」

「じゃあこれで……」


 言われた金額と同じだけ硬貨をトレーに置いた。

 ついさっきの出来事が妙に恥ずかしくて、直ぐにお店を後にしようと考えていたのだが、レシートを貰うタイミングで男性と目があってしまう。

 男性は真っ直ぐと朱音を見据えて言った。


「何かお困り事があれば、僕が相談に乗りますのでいつでもいらしてください」

「は、はい……」


 男性には朱音が困っているように視えたようだ。

 朱音自身はそんな風に見えていたのかと思い、きっと連日の仕事疲れのせいで、他人にまで気を遣わせてしまったと考えた。


「ありがとうございます。またいらしてください」


 お店から出ようと扉の取手に手をかけようとしたそのとき、凄まじい勢いで外側から扉が開く。


「だがしやなとりってここですよね! 店長さんはいらっ……しゃいますか?」


 大学生くらいだろう。気温も暖かくなってきたとはいえ、日によってはまだ肌寒い季節だ。しかし、新しく入ってきた客の額からは滝のような汗が流れ落ちていた。

 荒い息遣いに血走った眼、朱音は怖くなりすぐさまその場を後にした。



 翌日。朱音は昨日の事が気になっていた。

 尋常ではない様子の来客に店員は大丈夫なのだろうかと少し不安だった。もしかしたら、傷害事件なんてことも考えられる。ここ数日、行方不明のニュースも多く何だか物騒だ。

 購入したお菓子をつまみながら思い出していると、手に当たるお菓子の感覚がなくなる。


 休日はダラダラと過ごすことが多い朱音は、良く言えばメリハリがある、悪く言えば出不精なのだ。休日だと決めてしまえば、家を出るのは億劫おっくうで家事なんかも基本しない。逆に仕事のある日は朝から掃除、夜は自炊だってする。少々変わった一面がある。


「お菓子足りないなぁ……」


 口から漏れた言葉に反応し、再び思い起こされる記憶。


「気になるよね……。ちょっとだけ様子、見に行こうかな。お菓子も食べたいし」


 久しぶりに食べた駄菓子に、もっと食べたいという欲が出てきていた。とはいえ、そう自分に言い聞かせているだけで、実際のところ昨日の出来事と店員が気になって仕方がなかったのである。

 割合にして興味8、お菓子2 という具合に。


 自宅で悶々としているうちに短針は12を超えていた。メイクと髪を整えて外出用の衣服に着替える。


 濃すぎないメイクに、営業職として恥ずかしくない程度に染めた髪を肩の辺りで切り揃え、軽くヘアアイロンをあてている。おかしな方向にハネた前髪をピンで止め、衣服は上から白いシャツにベージュのカーディガン、ジーンズにスニーカーという装いだ。


 朱音はお洒落が得意ではない。私服にも無頓着であった。現在着ているものは所持している衣服の中では、比較的まともな部類である。楽だからと機能性を重視して服を選ぶタイプなのだ。

 それでも、綺麗に見えるであろう装いをした。昨日の美しい男性店員と会うことになるかもしれないからだ。


 朱音にはここ数年、彼氏が出来ていなかった。年齢的な事や周りの雰囲気的にも、そろそろ相手が欲しい時期である。そんな多少の下心から今出来る精一杯のお洒落をしたつもりでいた。


 だがしやなとりは、朱音の自宅から数分程度歩いた商店街にある。既にお店の手前まで来ている朱音だが、ここにきて扉を開けるか悩んでいた。

 店の前でかれこれ十数分。悩んだ末、意を決して店内へ入るために取手に手を掛けようとした時。


「どうしたんですか? お店に御用があるようでしたら、どうぞお入りください。」

「へっ!? あ、はひぃ! ごめんにゃしゃい!」


 突然目の前に現れた、昨日の店員に驚いたあまり、受け答えがシドロモドロになる。

 朱音の態度を見た店員は少しクスッと笑って店内へと案内する。朱音の顔は恥ずかしさのあまり、一瞬にして茹でダコのように紅く染まっていた。


「お客さん、昨日も来てくれましたよね? もしかして好きなんですか?」

「えっ! す、好きですか?」

「はい。いやぁ、嬉しいです! 普段は子供たちばかりで大人の方が来店されるのは珍しいんです。駄菓子好きな人と巡り会えて嬉しいですよ」

「好きって……そういう……」

「はい?」

「いえ、何でもありません」


 昨日の来店を覚えていたこと、突然の「好きなんですか」に一瞬心臓が高鳴った朱音だったが、その勘違いも直様解消された。

 俯き、表情を隠す朱音に店員は続けた。


「どうしました? 何か悩み事があるように視えますが……。それとも、気になることでもあるのでしょうか?」


 まただ。また、この人には私が悩んでいるように見えているらしい。と、朱音は不思議で仕方なかった。悩みらしい悩みなんてないと思っていた朱音であったが、気になることといえば昨日の出来事だ。思い切って聞いてみることにした。


「あの、昨日のお客さんの事がすごく気になって……」

「昨日の……。あぁ! 多田さんですか! 彼、カッコ良かったですよね。お客さんが気になるということは一目惚れ……」

「違いますっ!」


 突拍子のないことを言う店員に思わず語気を強めてしまう。そもそも、尋常じゃない様子に恐い印象しか朱音は持っていなかった。


「そうですか。それは失礼しました。」

「いえ、別に……」

「では、彼の何が気になったのですか?」

「気になったというか、その……様子が普通ではなかったように見えたので、店員さんが心配で……大丈夫だったのかなって……」

「僕がですか?」


 店員は面食らった様子だったが、直ぐに笑顔を見せた。


「大丈夫です。心配ありません。彼はただのお客さんです。確かに少し焦ってはいましたが、それも無事に解決しました」

「解決?」

「そうですね。普段はこんな話しないのですが、少しお話しましょうか?」


 朱音は静かに頷き同意する。店員は長く伸びた横髪を耳にかけ、笑顔で話を始めた。




《作者より》

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