第5話 懸絶

 闘技場で無敗を誇るイサラの強さには、二つの秘訣がある。


 一つは、言わずと知れた見切りによる防御、回避能力の高さ。


 そしてもう一つは――それこそ秘訣と呼べるほどに気づいている者はほとんどいないが――精緻極まる剣技にあった。


 イサラの刺突は針の穴を通し、斬撃は紙一枚の隙間すら微塵の狂いもなく斬り裂く。

 それほどの精密性に、未来が視えるとまで称された見切りが併されば、相対する者の隙を突き崩すことも、人体の急所を一閃のもとに斬り伏せることも自在。

 

 女の細腕でグラドのような巨漢の太首を容易く刎ね飛ばせたのも、頸椎と頸椎のつなぎ目を正確に見切る眼と、正確に斬り断つ技量があったからに他ならなかった。


 そして、今さらながらイサラの真の実力を理解した、セグメドの護衛――レナードは、フルプレートアーマーを纏った騎士たちを圧倒する彼女の姿を、歯噛みしながら睨みつけていた。


(あの女が実力が、まさかこれほどとは……!)


 試合開始と同時に、レナードは騎士たち全員に、イサラの四肢を痛めつけて無力化するように命じた。


 闘技場で最強と言っても、それは何の防具もない闘奴シロウトが相手の話。

 全身鎧で覆われた騎士に敵うはずがない。

 女の細腕なら、なおさらに。

 

 そんな甘い考えは、命令を下した五秒後に打ち破られることとなる。


 イサラは精緻極まる剣技をもって、フルプレートアーマーでも装甲が薄い間接部を正確に狙い、騎士たちの四肢を潰していったのだ。


 騎士たちとて、間接部の防御の薄さは熟知しており、狙わせないように立ち回っているのに、イサラの剣を防ぐこともかわすこともできない。

 ほんのわずかに相手の狙いを外すだけで防御が成立するのに、それが全くできない。


 利き腕の肘関節を刺されて戦意喪失した騎士が、足の膝関節を斬られて立ち上がれなくなった騎士が、苦悶の呻きを上げながら舞台の上で身悶えるばかりだった。


(まさか小娘が、これほどの域に達しているとは……このレナード、一生の不覚……!)


 最後の騎士が膝を貫かれて悶絶し、観客席から轟くような歓声が上がる中、レナードは己が不明を恥じる。


 自分が相手の技量を見誤ったがばかりに、フルプレートアーマーの騎士をイサラにぶつけるという主の素晴らしい案が台無しになってしまった。


 ……いや、懸念すべきことはそんなことではない。

 あれほどまでに精緻極まる剣技の使い手ならば、主の額に巻いた革紐のみを正確に斬り落とすことも容易いはず。

 このままでは敗北もあり得――



「レナード」



 背後から怒気の孕んだ声が聞こえ、レナードの背筋に悪寒が奔る。

 今すぐにでも振り返りたいところだが、悠然とした歩調でこちらに近づいてくるイサラから、視線を切るわけにはいかなかった。


使?」


 背筋に氷塊が伝う思いだった。


 わざわざ用意したフルプレートアーマーの騎士たちが秒殺されたことで、観客たちの物笑いの種にされている。

 主の自尊心を傷つけるには充分すぎるほどの醜態だった。


「……お忘れですか、セグメド様。このレナードがいる限り、奥の手など必要はないと言ったことを」

「忘れてなどいない。だからこそ言う。違えるなよ」


 空気を読んだのか、ただの偶然か。

 こちらの会話が終わるタイミングで、イサラがレナードのもとに辿り着き、立ち止まる。


 相対距離は目測で三メートル弱。

 踏み込み一つで互いの剣が届く、絶死の間合いだった。


「こんなことにまで付き合わされるなんて、皇族の護衛も大変ですね」


 剣を構えることなく、自然体のまま、社交辞令を思わせるほどの事務的な物言いでイサラが話しかけてくる。


「所詮は奴隷だな。帝国の次代を担う御方に仕える喜びを、まるでかいしていない」


 応じながらも、レナードはすでに鞘から抜いていた細剣レイピアを、切っ先を相手に突き出すようにして構える。


 刹那――


 レナードは矢のような刺突を繰り出し、


 イサラはそれを、


 これには、レナードも驚愕を隠せなかった。

 切っ先を切っ先で受け止める――それだけでも大概に神業だというのに、イサラは今、こちらが刺突を繰り出す前から剣を振るい、その切っ先を刺突の延長線上にみせた。


 イサラの見切りは未来をも視透かすという噂を聞いた際、レナードは思わず鼻で笑った。

 しかし、今彼女が見せた絶技は、未来が視えていなければ不可能だと断ずることができるほどの神業――いや、悪魔の業だった。

 闘奴如きが使えていい業ではなかった。


「……認めん……」


 レナードは即座に細剣を引き、


「認めんぞぉぉおおぉおぉッ!!」


 驟雨しゅううさながらに刺突を乱れ打つ。が、イサラはその悉くを、先と同じように切っ先で防いでみせる。


 切っ先と切っ先がぶつかる音が万雷のように轟き、レナードの後方にいたセグメドが思わず両手で耳を塞ぐ。


 はたからは凄まじい攻防を繰り広げているように見えるため、何もわかっていない観客たちは大盛り上がりだった。

 実際は、両者の間に隔絶した実力差があることにも気づかずに。


(このままで終われるものか!)


 手数で押すのはやめて、渾身の刺突を放つために一歩下がり、細剣を握る腕を限界まで引き絞る。


 どれだけ強かろうが、所詮は女の細腕。

 屈強な男が放つ、全身全霊を込めた一撃を止められる道理はない。

 そんな思いすらも細剣に乗せるように、レナードは引き絞った腕を解放し、渾身の刺突を放つも、


「あなた、バカですか?」


 イサラの冷ややかな声が、真下から聞こえてくる。

 彼女はレナードが放った渾身の刺突を、地を這うほどに姿勢を落としてかわすと同時に、懐まで潜り込んでいたのだ。


 レナードは慌てて対応を試みるも、全身全霊を込めた刺突を放った直後ということもあって、細剣で迎撃することも、飛び下がることもできず、


「がッ!?」


 立ち上がる勢いを利用して突き上げた柄頭に顎を強打され、砂埃が舞うほどの盛大さで地面に仰臥した。


 最早完全に意識を失ったレナードに向かって、イサラは冷ややかに言葉をつぐ。


「手数で押しても攻撃が当たらなかった相手に、大技なんて当たるわけがないでしょう」


 イサラが未来をも視えているように見えるのは、あくまでも相手の初動を見切っているだけの話。

 視線、筋肉、重心……様々な情報を瞬時に把握した上で、相手の行動の〝起こり〟を相手よりも先んじて押さえる。

 ゆえに、未来が視えているように見えるのだ。


 そんなこともわからずに大技を繰り出してくるあたり、レナードや騎士たちよりも、今までこの闘技場で戦ってきた闘奴たちの方が余程手強かったとイサラは思う。

 実際、先日戦ったグラドならば、今の自分と同じように彼らを全滅させることができただろう。


(それにしても、解せませんね)


 イサラは、孤立無援となったセグメドを見やる。

 セグメド自身も言っていたことだが、イサラの見立てでは、彼の実力は剣の心得がある程度。

 つまりは素人に毛が生えた程度しかない。


 にもかかわらず、セグメドからは微塵の焦りも見受けられなかった。

 それどころか、自身の勝利を信じて疑わない眼をしていた。


「わからんか? わからんだろうな。貴様程度では。この俺様が用意した奥の手を」


 露骨に見下した物言いをしながらも、セグメドは腰に下げていた剣を抜き、天を衝くようにして高々と掲げる。


 イサラは一瞬身構えるも、セグメドが掲げた剣の向こう側に、いるはずのない人物がいること認めた瞬間、今が試合中であることを忘れて目を見開いた。


 掲げた剣の向こう側――観客席で、両隣を燕尾服の男に挟まれ、眠るようにして気絶しているその人物は、


「エリ……エ……?」

 

 数十を超える死合において、一度たりとも表情を崩したことがなかったイサラが、愕然としながら呟く。

 そんな彼女を見て、セグメドは勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。

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