第3話 帝国の皇子

 その後イサラは、給仕の仕事に戻るエリエを見送ってから、カリオンの案内のもと闘技場の貴賓区画に足を踏み入れる。


 本来ならば奴隷の身で入れるような場所ではなく、実際イサラは、すれ違う者たち――総じて高価そうな服飾を纏っていた――から奇異の視線を向けられていた。

 もっともその誰もが、こちらの顔を確認した途端に得心した様子で去っていくものだから、正直あまり良い予感はしない。


 それからしばらく歩き……貴賓区画の最上階にある、豪奢な扉の前に辿り着く。


「心の準備はいいかい?」


 胡散臭い笑顔をそのままに、カリオンが訊ねてくる。

 今といいエリエへの気遣いといい、笑顔ほどは胡散臭い男ではないのかもしれないと思いながらも、イサラは答える。


「もとより必要ありません。むしろ、必要なのはあなたの方かと」

「というと?」

「私は闘奴です。礼儀作法なんてたいして知りませんし、皇族相手に失礼のないようになんて土台無理ですよ」

「そのあたりについては、ご心配なく。セグメド様なら『調教のし甲斐がある』とお喜びになられるだろうからね」

「わたしにとっては、欠片ほども喜ばしくない話ですね」


 淡々と応じながらも、ため息をつく。

 今の会話だけで、自分が呼びつけられた理由を大凡おおよそ察してしまったから、吐いた息はなおさら深かった。


「まあ君は、ただ立っているだけで気品を感じさせるタイプの人間だからね。礼儀作法なんて気にせずに、いつもどおり振る舞ってくれればいいさ」

「その言葉、後悔することになっても知りませんよ」

「しないさ。これでも、人を見る目には自信があるからね」


 言葉どおり自信満々に言い切られ、口ごもる。

 笑顔は胡散臭いのに、言葉の端々から、妙にこちらのことを買っている様子が窺い知れるせいで、やりにくいことこの上なかった。


「……もういいです。さっさと中に案内してください」

「では」


 カリオンは居住まいを正し、コンコンと豪奢な扉をノックする。


「カリオンです。イサラ・ルーランをお連れしました」


「そうか。入れ」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、皇族らしいというべきか、偉そうな男の声音だった。

 

「失礼します」


 扉を開くと、カリオンは手を部屋の方へと流し、中に入るよう無言で促してくる。

 そんな彼に対して、イサラは申し訳程度に目礼してから部屋の中に入った。


 闘技場の舞台が一望できるテラス。

 血腥さとは対極の、絢爛豪華な調度品の数々。

 大方そうだろうとは思っていたが、イサラが招かれた部屋は皇族専用の観覧席だった。


「来たか。イサラ」


 先程聞いた偉そうな声音が部屋の奥から聞こえ、そちらに視線を移す。


 カリオンと同じ黒色の燕尾服を身に纏った従者を複数人従え、玉座もくやとばかりの豪奢な椅子の上でふんぞり返っている、見た目二〇歳そこそこの王衣を纏った男。

 彼こそがイサラを呼びつけた、ラグエラ帝国の皇子――セグメド・バナーレ・ム・ドミニオンその人だった。


 セグメドは鮮やかな金髪とは対照的な、下卑た輝きを宿す紅い瞳でイサラの肢体をめ回す。


「やはり、の意味でも極上だな……」


 そんな独り言を呟いてから、セグメドは言った。


「喜べイサラ。貴様を、俺様の四番目の妃にしてや――」



「お断りします」



 即答を通り越して、食い気味で拒絶する。

 これには扉の傍で控えていたカリオンも目を丸くし、他の従者たちも呆気にとられてしまう。

 もっとも、全ての従者が呆気にとられていたわけではなく、


「無礼がすぎるぞ、奴隷」


 セグメドのすぐ隣に控える、猛禽の如き鋭い目をした男がイサラを睨みつけた。

 左の腰に下げた細剣レイピアといい、隙のない佇まいといい、この男こそがセグメド直属の護衛だと、イサラは心の中で断定する。


「構わん、レナード」


 セグメドが片手を上げて制止を求めると、レナードは「出来すぎた真似をしました」と謝罪してから引き下がった。


「イサラよ。貴様が身請けの話を全て断っているという話は、俺様の耳にも届いている。だから貴様の返事は想定内であり、俺様の不興を買うほどの話でもない。まあ、俺様の言葉を遮ってまで断ってきたのは想定外だったがな」


 などと大物ぶった言い回しをしているが、セグメドのこめかみは微妙にひくついていた。

 もしかすると、狭量のくせに大物ぶりたい手合いなのかもしれない。


「ゆえに俺様は、貴様にとっても益のある提案を用意してきた」

「提案ですか?」


 訝しげに訊ねると、セグメドは得意げに語り始める。


「そうだ。この俺様と貴様が闘技場で戦い、俺様の四番目の妃になるか否かを決めるという提案だ。無論、貴様が勝った場合は、貴様が望むものを何でもくれてやろう」


 今や闘技場最強の闘奴であるイサラにとって、それは破格の提案だった。

 だからこそ、その裏にある意図もある程度見透かすことができた。


「その戦い、少なくとも二つの特別ルールがありますよね? 一つは、殺しは厳禁。もう一つは、一対多といったところでしょうか」


 セグメドは一瞬驚いた表情を見せるも、すぐに余裕の笑みで上塗りした。


「存外に賢しいな。その通りだ。たとえ俺様の合意があったとしても、皇族殺しは大罪。そして、妃となる貴様を殺してしまうことは俺様も望んでいない。殺しを禁ずるのは当然の判断だ」


 一聴してまともなことを言っているように聞こえるが、どうにも別の意図があるような気がしてならなかった。が、問い質したところで、どうせはぐらかされるだけなので、今は黙ってセグメドの話に耳を傾けることにする。


「そして、一対多は当然俺様への配慮だ。俺様も多少は剣術の心得があるが、貴様が相手では児戯もいいところ。それでは勝負にすらならんからな」


 これもまた、一聴して正しいことを言っているように聞こえるが、何かを隠しているような気がしてならなかった。


「話はわかりました。ですが、わたしにとって勝負にならないほどの人数をご用意された場合は、提案を受けかねますよ」

「わかっている。俺様も含め、舞台に上がる者の数は一〇人。これならば貴様も文句はあるまい?」


 相手が皇族でなければ文句の一つや二つつけたくなるような、されど皇族が闘技場の舞台に立つには少ないとも思えるような、絶妙な人数だった。

 だから、完全には納得できなくとも、首肯を返すしかなかった。


「さて……皇族である俺様が、ここまで段取ってやったのだ。よもや断ったりはしないだろうな?」


 それは、脅迫ともとれる言葉だった。

 皇族である以上、その気にならなくても奴隷の一人や二人、如何様いかようにもできる。

 ここまで譲歩してきたのは、破格の対応だと言っていい。


 だが――


(言葉の端々から、わたしを屈服させたいという欲が漏れている時点で、見せかけの譲歩であることは明白ですね)


 しかし、そうとわかっていても、セグメドの提案に乗る以外に選択肢はなかった。

 何度も言うが、皇族のセグメドならば、奴隷の一人や二人くらい如何様にもできる。

 自分一人ならまだしも、エリエに累が及ぶことだけは何としてでも避けなければならない。


「……わかりました。お受けいたしましょう。わたしの望むものを何でもくれてやるという言葉に、嘘偽りがないのなら」

「心配するな。そこで下手を打つほど俺様は狭量ではない。だが、あくまでも俺様のできる範囲内での話になるということだけは、あらかじめ了承しておいてもらおうか」

「勿論、心得ています。そもそもわたしの望みは、殿下ならば容易く叶えられる程度のものですから」

「妹ともども、奴隷から解放しろといったところか?」

「いいえ」


 イサラはゆっくりとかぶりを振り、淡々と言い放った。


「わたしと妹を買い戻せる程度の金。それがわたしの望みです」


 セグメドは一瞬目を丸くするも、すぐに噴き出すようにして笑い出した。


「ふはははッ! 存外に強欲だな、貴様はッ!」

「この話、それくらい吹っかけないと割に合わないと判断したまでの話です。それに、二倍になろうが三倍になろうが殿下にとっては端金はしたがね。強欲と呼ぶには、あまりにもささやかだと思いますが」

「ふっ……言うではないか。良いだろう。確かに貴様の言うとおり、俺様にとっては端金にすぎんからな」


 言ってから、セグメドは扉の傍で控えていたカリオンに向かって顎をしゃくる。


「話は終わりだ。カリオン、一般区画まで送ってやれ」

「かしこまりました」


 カリオンが恭しく一礼しながら応じる中、セグメドは思い出したように「あぁ」と声を上げる。


「殺しを禁ずる以上、何をもって勝敗を決定するのか運営と話し合わねばならん。そのあたりの決定は、また追って報せる」


 明らかな後出しに、イサラは内心ため息をつきながらも、この場においては唯一の正解となる返答をかえした。


「わかりました」


 その言葉を最後に、部屋を辞する。

 セグメドの命令に従ってカリオンも部屋を辞し、しばらく歩いてところでイサラは口を開いた。


「カリオン。一つ訊いてもいいですか?」

「二つでも三つでも構わないよ」


 という冗談めかした言葉を無視して、イサラは訊ねる。


「あなたの主の辞書に、公平という言葉はありますか?」

「ないね。間違いなく」


 肩をすくめながら、カリオン。

 セグメドの前では心の内に留めていたため息が、とうとう口から漏れてしまう。


「まあ、僕は君のことを応援させてもらうよ。その方が面白そうだからね」


 胡散臭い笑顔をそのままに言ってくるカリオンに、イサラは「それはどうも」と力なく返すことしかできなかった。


 一方、イサラからは微塵も信用されていないセグメドは、


「くくく……思った以上に、調教し甲斐のある女だったな」


 部屋に入る前にカリオンが言っていたとおりの言葉を、護衛であるレナードに向かって吐いていた。


「お喜びのところ水を差させていただきますが、セグメド様に対してあの態度は、少々不敬が過ぎるかと」

「貴様を不快に思わせるほどだからこそ、だ。この世において、ああいう手合いを屈服させることほど愉快な娯楽はないからな。ところで……」


 先程までの享楽的な調子とは打って変わり、怖気を震うほど冷たい物言いでレナードに訊ねる。


「当日、人員に、抜かりはないであろうな?」

「勿論です」

「カリオンには気取られるなよ? 奴は十中八九、俺様の敗北を望んでいるだろうからな」

「ええ、わかっております。ですが、そもそもの話、私も戦いに参加する以上奥の手など必要ないとは思いますが」

「そう言うな。相手は一度の敗北も許されない闘技場において、最強の座にまで昇り詰めた女だ。宮廷剣術の達人である貴様といえども容易くとはいくまい。それに、最悪の事態に対する備えを怠るような愚昧では、〝上〟の連中を蹴落とし、父上の後を継ぐなど夢のまた夢というもの」


〝上〟とは文字どおり、帝位の継承順位第六位であるセグメドよりも上にいる皇子たちを指した言葉だった。


「そこまでお考えになった上でのこととは……このレナード、浅慮を恥じ入るばかりです」


 へりくだる護衛に自尊心を満たされたのか、セグメドは満足げな笑みを浮かべる。


「いずれにせよ、イサラが俺様の四番目の妃になる未来は変わらん。それまでは精々、未来の妃が健気に抗う様を楽しもうではないか」


 もう勝った気でいるのか、セグメドの口から飛び出した笑い声は、頭に「バカ」がつくほどに高らかだった。

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