14.実家に帰る僕

 今年は春からやたらと暑い日が続いた。

 初夏になると、部屋の中にいるだけでゆだりそうになってくる。


「今日は店に来るのか?」

「オンラインで打ち合わせがあるから、家にいるよ」

「クーラーつけろよ?」


 朝ご飯の片付けが終わって、出かける準備の整った寛が玄関でスニーカーを履きながら言って来る。その言葉に僕はぐっと喉が詰まる。


「まだ初夏だよ?」

「家で仕事してるなら、電気代も経費のうちだろう」

「早すぎるよ」

「パソコンが熱暴走する方がかーくんにとっては一大事だろ。絶対クーラー入れろよ」


 こんなことまで寛は僕を心配してくれる。

 送り出すついでに僕も革靴を引っかけてごみを捨てに行くと、ゴミ捨て場の前で寛が僕に言った。


「冷蔵庫の中におやつが入ってるから、お腹空いたら摘まんでろ」

「おやつ? なんだろ」

「昼には店に来いよ」


 言われて頷いて僕は寛を送り出した。

 部屋に戻ると、猫又が満足そうな顔で手を舐めている。

 これはなにかひとではないものを食べた後のようだ。


 僕は猫又に聞いてみたいことがあった。


 机の上にタロットクロスを広げてタロットカードを混ぜる。

 猫又は僕の膝の上にやってきて、丸くなって寛いでいる。


「ゆーちゃんに見えるお店に来てるお客さんと、ゆーちゃんには見えないひとじゃないよく分からないものって、どう違うのかな?」


 聞きながらカードを捲ると、死神が出た。

 意味は、さだめ。


 『あのひとに見えないものは、死者の思念や苦悩が残ったものよ』と猫又が教えてくれる。

 それならば、見えるものは何なのだろう。


 カードを捲ると、悪魔が出て来た。

 意味は、呪縛だが、そういうことではなさそうだ。


 『お店に来るお客さんたちは、妖ね。動物や自然の中で信仰されてきたものが形を持ったもの。彼らは、自分が見せたいと思えば、人間に化けて姿を現すことができるわ』と猫又が言う。


 僕がずっと怖がっていた寛には見えなくて、僕にだけ見える影やお化けは、全部人間の死者の思念や苦悩が残ったものだったようだ。

 寛が見えるお店に来るお客さんたちは、いわゆる妖で、動物や自然の中で信仰されてきたものが形を持ったもので、自分の意志で人間の前に姿を現すことができるということだった。


「ゆーちゃんに見えるのと、見えないのがあるのはそういうことだったのか」


 納得しながらタロットカードを纏めてポーチに片付け、タロットクロスを丸めて机の端に置き、パソコンを開いたところでメッセージが入った。

 会議通話に入るためのパスワードが届いたのだ。

 会議通話アプリを開いて、会議に参加する。


 会社の方針を聞いて、新入社員用の研修パンフレットを作る打ち合わせだった。

 話を聞いてメモを取って、資料を受け取って、僕は会議通話から離れる。

 お昼までにはもう少し時間があったけれど、小腹が空いたので冷蔵庫を開けてみた。


 タッパーの中に美しく宝石のように剥かれたグレープフルーツが入っていた。

 よく冷えたそれを取り出して、蓋を開けて僕は呆然としてしまう。


 ものぐさなので僕は果物をあまり食べない。

 皮を剥くのが面倒なのだ。

 それを知っている寛は、グレープフルーツを完璧に果肉だけにしてタッパーに入れておいてくれた。


「ゆーちゃん、マメすぎるだろ」


 これはお礼をしなければいけない。

 僕は綺麗に剥かれた瑞々しいグレープフルーツを食べながら考えていた。


 お店に行く途中に僕は雑貨屋に寄った。

 雑貨屋には文房具や可愛い雑貨が売っている。

 書きやすいボールペンと刺繍糸で編まれた星の形のマスクチャームを選んで、お会計を済ませる。


 寛のお店に着くと、僕は寛にボールペンと星の形のマスクチャームの入った袋を渡した。


「これは?」

「お礼」

「なんの?」

「グレープフルーツ」


 短く単語だけで会話をすると、寛は「そういうつもりじゃなかったのに」と言いつつも受け取ってくれた。

 お店でお昼ご飯を食べる。

 今日の定食は鯵のなめろう茶漬けだった。


「なめろうだ!」


 なめろうとは、元々船上で漁師さんが作っていた料理で、新鮮な魚と味噌や香味野菜を叩き合わせて作る。

 それは僕の大好物だった。


 お酒は飲めないが、お酒のつまみとなるなめろうが大好きな僕のために、寛はなめろう茶漬け定食を作ってくれていた。

 ほかほかのご飯の上になめろうを乗せて、白練りごまをかけて、熱いお茶をかけて食べる。なめろうが程よく火が通って、ご飯ともよく合ってとても美味しい。


 お茶漬けなので汁物はなかったが、代わりにブロッコリーのおかか和えが添えてあった。白菜の漬物と小茄子の漬物も美味しい。

 美味しくいただいていると、お客で来ている化け猫が聞いている。


「これはなんという料理かえ?」

「なめろうですよ。新鮮な鯵と味噌とネギとショウガを叩いたものです」

「とても旨い。また食べたいものだ」

「この店は本当に旨いものを出してくれることよ」

「妾も気に入ったぞ」


 喋り方がとてもじゃないが現代にそぐわないのだが、その辺は寛は気にしていないようだった。

 僕もお会計をして出ようとすると、携帯電話にメッセージが入っているのが分かる。実家からだった。


『大型連休には顔を出しなさい。ずっと帰って来てないだろう』


 父からのメッセージを会計台の寛に見せると、頷いてくれる。


「いつから戻るんだ?」

「明日かな」


 兄と姉のところに甥っ子と姪っ子が生まれたことは聞いていた。

 一度も顔を出していないので甥っ子と姪っ子のこともよく分からないが、お祝いくらい渡さないといけないのかもしれない。

 大学に入学して寛とシェアハウスをするようになってから、僕はほとんど実家には帰っていなかった。


『明日帰るよ』


 メッセージを送ってから、部屋に戻って準備をする。

 実家よりも祖父母の家の方が頻繁に行っていたかもしれない。

 祖父母の家では、美味しいものをたくさん食べさせてもらえるのだ。


 それに祖父母の家には叔母がいる。

 叔母は僕がひとではないものが見えると言っても気味悪がらない、寛以外の唯一のひとだった。


 実家に帰るとまたひとではないものに絡まれるのかと思ってしまうが、今回は猫又がいるので平気だろう。

 実家に帰ってもこれまでは日帰りだったが泊って行ってもいいかもしれない。


 寛に『泊まって来るかも』とメッセージを入れると『そうか』とだけ返事があった。

 こういうとき寛はすごく素っ気ないのだ。

 いつものことなので気にせずに実家に帰ることにした。


 荷物を用意して、寛と朝ご飯を食べている間も、寛は特に何も言ってこなかった。


「おじさんとおばさんによろしくな」


 出がけに寛も家を出るので声をかけられて、僕は「分かった」と返事をした。


 シェアハウスしている部屋から実家までは電車で十五分くらい。そこから徒歩で十分くらいでつく。

 久しぶりに顔を出すと、兄も姉も帰って来ていた。

 赤ん坊の泣く声もする。


「かーくん、お帰り。百合ゆりちゃんもらんちゃんも、つーくんももっちゃんも帰って来てるのよ」

「ただいま。姉ちゃんと兄ちゃんのお嫁さんと旦那さんもいるの?」

「ううん。百合ちゃんとつーくんだけよ」


 一番上から、うちの兄弟は、百合、椿つばき紅葉もみじ、蘭、そして僕という順番だ。

 百合と蘭が姉で、椿と紅葉が兄だ。

 百合と椿は結婚して、最近子どもが生まれたばかりだった。


「楓の本、売れてるみたいじゃない」

「読んでないけど、すごい人気なんだって」


 百合と椿に話しかけられて、僕はバッグから封筒を取り出した。社会人としてきっちりと準備しておいた、出産祝いだ。


「姉ちゃん、兄ちゃん、出産おめでとうございます」

「楓もそういうことするようになったのね」

「楓がなぁ。ありがとう」


 封筒を受け取って百合も椿もお礼を言ってくれる。赤ん坊は父と母の腕に抱かれていた。


「寛くんにご迷惑ばかりかけているんじゃないか?」

「家事はちゃんと分担してるよ。ゆーちゃん、グレープフルーツ剥いてくれたりするけど」


 父に僕が言うと、母が苦笑している。


「シェアハウスを始めた当初、寛くんから電話があったのよね。よく覚えてるわ」

「なんだったんだ?」

「何事かと驚いたんだけど、かーくんが朝ご飯を食べないから、食べられるものを教えてほしいって言われて、海苔巻きはよく食べてたって答えたのよね」


 そんなこと全然知らなかった。

 寛はそれを聞いて、海苔巻きを作る練習だとかこつけて僕に海苔巻きを毎朝作ってくれていたのか。

 今では僕は朝は寛の海苔巻きでないと食べた気がしなくなっている。


「寛くん、元気?」

「最近はお店が忙しくなって活き活きしてるよ」


 パンデミックのせいでお店の経営が厳しくてお客さんが来なかった頃は、すごく落ち込んでいた時期もあったけれど、寛は最近はお客さんがたくさん来て活き活きと仕事に行っていた。

 その話をすると、母も父も喜んでくれる。


「寛くんのお店にもいかないといけないな」

「ぜひ来てあげてよ」

「百合ちゃんとつーくんのお祝いもあるし、今週中に予約しましょうか」


 そんなことを話している僕の足元で、猫又が全身の毛を逆立てていた。視線の向こうには巨大な影がある。

 猫又だけでは倒せないのではないだろうか。


『ふしゃー!』


 猫又が威嚇すると巨大な影は離れて行ったが、家の近くにはいるようだった。

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