11.ゆーちゃん渾身の鯛めし

 その日、寛は上機嫌で帰って来た。


 あまり感情を出さない淡々とした寛がこれだけ感情を出すのは珍しいので、晩ご飯の炊き込みご飯のおにぎりに、寛が味噌汁と野菜炒めを作ってくれるのを待ちながら、僕はお茶を淹れていた。


 シェアハウスのキッチンは寛が仕切っている。冷蔵庫の中身も使い切るように買って来ているので、手を出すと逆に怒られることがある。

 寛は日常的に料理をすることで、料理の腕を上げようとしているのだ。


 代わりに僕は掃除と食器洗いとゴミ出しをする。

 部屋の掃除は家具をどけて隅々までするし、トイレも洗面所も風呂もピカピカに磨く。トイレットペーパーを寛に変えさせたら僕は罪悪感を覚えるほどだ。

 食器洗いは食洗器に詰めるだけだが、鍋やフライパンや調理器具は手洗いする。

 ゴミ出しは当然、ゴミの仕分けからする。紙のゴミ、ペットボトル、瓶や缶、燃えるゴミ、食品のトレイ、牛乳パック、ペットボトルの蓋もきちんと分別する。


 寛は作るだけでいいようにしているし、外に働きに出ているので、これくらいが分担としてはちょうどいいのかもしれない。


 洗濯は学生時代に分担していたのでそのまま、交代でやっている。


「夜の席も今夜は全席埋まったんだよ。プロレスラーのお兄さんが、水商売っぽい綺麗なお兄さんとお姉さんを連れて来てくれてな。みんな着物だったのが不思議だったけど」


 ちょっと首を傾げている寛に、「それは人間じゃないよ」と僕は言いたくてたまらなかった。

 多分鬼の仲間で、妖怪の類だろう。

 それでも寛のお店が繁盛するのならば耐えなければいけない。


 僕はぐっと言葉を飲み込んだ。


「かーくん、明日、ランチを鯛めしにしようかと思ってるんだ。来ないか?」

「行きたいけど、ちょっと仕事が詰まってるかなぁ」


 鬼やそれ以外のひとではないお客さんが来ているというのは怖かったが、それ以上に僕には恐ろしいものがある。

 締め切りだ。

 僕は作家業の他にライターもやっていて、その仕事も入ってくる。


 ライターの仕事は、会社や病院の概要を纏めてサイトに載せられる文章を作ったり、個人的なコラムの代筆をしたりすることなのだ。

 ネットで流れているニュースの中には、僕が文章を手掛けたものもある。

 あくまでも自分の意見は入れず、取材して入手した情報を纏めるだけのお仕事なのだが。


 ライターの仕事と作家の方の仕事の締め切りが重なっていて、僕は明日はとても動けそうになかった。


「店で仕事はできないのか?」

「長居するからお邪魔になっちゃうかもしれない」

「かーくんならいいよ。今日から鯛を煮てるんだけど、絶対美味しくできてるから、食べて欲しい」


 寛はこういうときには強引で情熱的なのだ。

 説得されて、僕は翌日も寛の店に行くことになっていた。


 朝に出かける寛に声をかけられて、僕は目を覚ます。

 すっきりと起きられる寛がちょっと羨ましい。

 眠い目を擦って、顔を洗ってリビングに行くと、海苔巻きと豚汁が置いてあった。今日の海苔巻きの中身は、卵と高菜と魚肉ソーセージだ。

 豚汁は大きなお椀いっぱいに注いで食べていると、寛もテーブルについて食べ始める。


 毎度のことながら、寛はご飯を食べるのが早い。

 僕はゆっくりしているので、寛の方が早く食べ終わって、お茶を淹れて僕が食べ終わるのを待っていてくれる。


「待ってなくていいんだよ」

「俺は、理想だったんだよ。両親と一緒に食事したことないし、誰かと家でゆっくり食事するのが」


 何度待っていなくてもいいと言っても、寛は僕が食べ終わるのを待っていてくれる。食卓という時間を共有するのが寛の夢だったのだ。


 五人兄弟の末っ子の僕としては、食卓は戦争で、のろのろ食べているとおかずは奪われるし、お代りはなくなる、恐ろしい場所だったが、寛と一緒だとそんなことはない。

 寛がいてくれるのは心が安らぐし、急かされないので落ち着いて食べられる。


 二股の尻尾の猫は、寛の後ろの不動明王に撫でられてご満悦の顔をしていた。

 僕と寛が仲がいいように、僕の守護獣の二股の尻尾の猫と寛の守護神の不動明王は、仲がいいようだ。


「不動明王様は猫さんが好きみたいだ」

「衆生を救う神様だからな。猫も好きなんだろうな」


 真面目な顔で答える寛に、僕も豚汁を飲み干して頷いていた。

 食器を洗っている間に、寛は先に家を出る。僕は部屋の掃除とトイレ掃除とお風呂の掃除をして、回しておいた洗濯機の洗濯物を干して、出かける準備に取り掛かった。


 パンダの描かれたバッグに、タロットクロスを丸めて入れて、タロットカードの入ったポーチも入れて、ノートパソコンも入れる。

 玄関で革靴を履いて、ドアに鍵をかけて階段を駆け下りていく。


 寛の店に行く途中の桜はすっかり葉桜になっていた。

 そろそろ暑くなってくる時期だ。


 寛の店に着くと、開店前だったが入れてもらえた。

 寛が仕込みをしている間、カウンター席でひたすら仕事をする。


「昨日急に入った仕事の締め切りが今日なんて、冗談じゃない」


 ニュース関連の仕事ならば時間が勝負。

 こういうことも多々あるのだが、だからニュース関連の仕事はあまりしたくないのだ。


 ライターの仕事と作家の仕事の締め切りが重なってしまうと、僕はうまくこなせなくなってしまう。

 二足の草鞋を履くには、僕は不器用すぎるのだ。


 何とかライターの仕事を終わらせたところで、編集の鈴木さんからメッセージが入っている。


『進捗どうですか?』


 スタンプ一つで人間をこれだけ追い詰められるなんて、鈴木さんも恐ろしいひとだ。

 見なかったことにして、僕は小説の仕事にかかった。


 書いても書いても終わる気がしない。

 その上、面白くないような気分になってきた。


 こういうときには、タロットカードだ。

 タロットカードで展開を決めてもらうのだ。


 遊園地で出会った着ぐるみアクターの女性と、お客さんの女性。着ぐるみアクターの女性が、女性だと知らずに、お客さんの女性は何度も会いにやってくる。

 着ぐるみアクターの女性はお客さんの女性が好きなのに、声を出すことができない。


 休みの日に着ぐるみを着ていない状態で、お客さんの女性を見付けた着ぐるみアクターの女性。

 ここからが詰まってしまった。


 タロットクロスを広げて、タロットカードをよく混ぜて一枚引くと、ソードの二が出た。

 意味は、葛藤。

 現状に甘んじるという暗示もあったはずだ。


 着ぐるみアクターの女性はお客さんの女性に声をかけられない。

 現状を変えてしまいたくないから。


 そう考えると、切ない恋の物語になってくる。


 これは悪くない展開かもしれない。

 僕は続きを書き始めた。


 その後、お客さんの女性に告白されても、着ぐるみアクターの女性は喋ることができないので答えることができない。

 振られたと思ってしょんぼりして離れていくお客さんの女性に、着ぐるみアクターの女性は勇気を出して、急いで着ぐるみを脱いで、汗臭いシャツとパンツのままで駆け寄る。

 本当は自分が着ぐるみの中にいたことを告げると、お客さんの女性は微笑んで涙を流す。

 二人の恋はこれから始まる。


 一巻の本編が書き終わったところで、寛から声がかけられた。


「最高傑作だぞ。食べてくれ」


 タロットカードを片付けてテーブル席に移った僕に、寛はお盆を持って来た。


 丁寧に解された鯛と一緒に煮込んだショウガがたっぷりと混ぜ込まれた鯛めし。

 豆腐とわかめのお味噌汁。

 鯛と一緒に煮込んで旨味がたっぷりと沁み込んだ牛蒡と茄子。

 白菜のお漬物と、柴漬け。


 美味しそうな香りのしている鯛めし定食に手を合わせて食べ始めると、夢中になって食べてしまう。

 鯛めしはショウガがきいていて臭みは全くないし、お味噌汁は赤だしで味がしっかりしている。鯛と一緒に煮込んだ牛蒡と茄子は旨味がたっぷりと沁み込んでいて、とても美味しい。

 白菜のお漬物と柴漬けは香りもいいし、箸休めにちょうどよかった。


「これは最高傑作だな」

「だろう? 昨日から仕込んでた甲斐があった」

「ものすごく美味しいよ」


 僕が絶賛すると寛は嬉しそうにしていた。


 開店時間になってお店にはたくさんのお客さんが入っている。

 着物姿の綺麗な女性や男性、それに着物姿の巨体の男性。


 僕には女性には狐の尻尾が見えるし、男性には白い鱗が見えるし、巨体の男性には角が見えるのだが、寛には見えていないようだ。


「これはうまい」

「いい店を見付けられましたな」

「いけませんぞ。黙食ですぞ」

「そうであった。すまない」


 どこか古めかしい言葉で喋る男女に僕が食べ終わって、逃げ出そうとしていると、一人の巨体の男性が立ち上がった。


 食われる!


 恐怖に震えている僕の足元で、二股に分かれた尻尾の猫が『ふしゃー!』と威嚇している。


 巨体の男性は僕の手に飴玉を乗せて、口元に人差し指を当てた。

 その目は「喋ったら、分かっているな?」と言っているようだった。


 こくこくと頷いて僕はお会計を支払って寛に声をかける。


「一応書けたから、見直しは部屋に戻ってやるよ」

「そうか。晩ご飯は持って帰るからな」

「ありがとう」


 美味しい鯛めしを食べたのに、足が重いのは持たされた飴玉と、口止めされた事実があったからだった。


「これで本当にいいのだろうか」


 寛のお店はひとではないものによって再建する。

 それで本当にいいのか、僕は考えていた。

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