第17話 鬼とアニソンは空気を読まない

 夏希や頼さんと別れた後で、俺はさっそく鬼が現れた公園周辺の散策を始めた。

 カバンを買いに行く予定は後日に回して、今は消えたお針子探しだ。

 とはいえ。

「……そう簡単に見つかるわけがないんだよなぁ」

 一時間ほど歩き回った末に、俺はすっかり夕焼け色になった空を仰いだ。

 このあたりはそれほど栄えている地域ではない。

 すれ違うのは犬の散歩をする人やジョギングする人、駅から来た仕事帰りらしい大人集団ばかりで、遊ぶところやショッピングモールがあるわけでもない。

 そもそも、この近くにいるかもしれない、というだけで、ほかになにかヒントがあるわけでもなかった。特徴である白紫色の髪だって、当然、逃亡者の立場なら目立たないように隠しているだろう。

「……帰ろうかな」

 じきに暗くなりそうな空の気配を察して、自然と駅の方に足が向く。

 小さなロータリーにパン屋や小料理屋が並ぶ駅周辺にも、人はまばらだった。一応、目についた一人一人の姿を確認しながら歩く。

 駅の構内に入ろうとした時、ちょうど入れ替わるようなタイミングで外付けのトイレから出てきた人物がいた。

 まさかな……と思いつつも、フードを目深にかぶっていたその人物の顔を横目でのぞき込む。

 え?

 フードの隙間からのぞいた、白紫色の毛先に整った顔立ち。

「北条みのり、さん……?」

 一瞬見えただけで、確証はなかった。

 だがもしも本人だったら、このまま見送るわけにはいかない。そんな焦りから反射的に口を開く。

 フードの彼女はあからさまにびくついて、こちらを見た。その反応だけでも充分だったが、正面からさらされた顔が推測を確信に変える。

 ……マジか。

 間違いない。神社の前で出会った女の子にして、『らいこう』から逃亡したお針子。

 北条みのりがそこにいた。

「あっ!」

 こちらが二言目を発する前に、みのりはこわばった表情のまま身をひるがえした。

 そのまま一目散に、俺の前から逃げ出してしまう。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 俺は慌ててみのりの後を追って走り出した。

 みのりの足はそれほど速くはなかった。駅のロータリーを出る前に追いつき、肩をつかむ。

 パーカー越しに触れた肩は驚くほど細かった。こちらを振り返ったみのりが、敵意と怯えの入り混じった表情でにらんでくる。

「っ、離して……!」

 抵抗しようとするみのりの姿を、改めてまじまじと見つめる。

 ボロボロじゃないか……

 みのりが組織を脱走したのが、謎の死体事件の前日だから……それからもうどれくらいだ? 一週間くらいたつんじゃないか?

 その間、食事は? 寝るところは?

 裾が汚れたしめっぽい服に、力のない動作。組織を抜け出してから今日まで、まともな生活をしていたとは到底思えなかった。

「あの、さ……覚えてないかな。桃原神社の前で会ったの。君がつけていたブレスレットについて、聞かれたんだけど」

 みのりが目を見開き、小さく息をのむ音が聞こえた。

 神社で声をかけたのが俺だと、今気付いたのかもしれない。

 ちらとみのりの左手首を見やると、桃色数珠のブレスレットはやはりまだそこにあった。何故か、どこか恥ずかしそうに、みのりがパーカーの袖を下ろしてブレスレットを隠す。

「……どうして私の名前を知っているの」

「それは……聞いたんだ。歴史生物化学研究所で。だから、君の正体も知ってる」

 初めて会った時と同じように、みのりは泣きだしそうに顔をゆがめた。だがそれも一瞬で、ぐっと下唇をかんで上目遣いににらみつけてくる。

「つまりあなたは、私をあそこに連れ戻しに来た、ってこと?」

「今は、地域保安員って仕事を引き受けちゃったからさ。そうなるんだけど」

「帰って」

 にべもなく顔を背け、こちらを振り切ろうとするみのりの左手をまたつかむ。

「そういうわけにはいかないよ。その……君がなんで『らいこう』を抜け出したのかは分からないけどさ、そのことで鬼が現れやすくなってるのは確かなんだ。それは君だって分かってるんだろ? だから……」

「うるさい!」

 突然、声を荒らげられて思わず身をすくめる。

「なんで、なんであんたたちのために! 私たちのことなんてなにも知らないで……のうのうと生きてるあんたたちなんかのために!」

 一体、なにが彼女の逆鱗に触れたのか分からなかった。

 ただ、一つだけ分かるのは。

 再びこちらを向いた北条みのりは、泣いていた。

 一度はこらえた涙をこぼして、泣いていた。

 突然のみのりの剣幕に驚いて、言葉を失う。

「……君は」

 躊躇から、出しかけた声をいったん飲み込む。

「君は、『らいこう』から脱走したすぐ後。どうしてうちの神社に来たんだ? あの時、本当はどうしてほしかったんだ?」

 答えは、すぐには返ってこなかった。

 怒りの表情が徐々に、徐々に伏されていき、やがてすすり泣く声だけが夕暮れ時の街中に響き始める。

「地域保安員になって、君のことを聞いた時に思ったんだ。神社の前で少し話をしただけだけど……とても無責任に脱走を企てるような人には見えなかった。だから……」

「……すけて……」

 泣きじゃくり、左手のブレスレットを握りしめながら出されたみのりの声はかすれていた。

「……助けて、ほしかった」

 顔を上げたみのりは、もう表情を繕おうとさえしていなかった。

 ぼろぼろの泣き顔をさらしながら、切れ切れに言葉を紡ぐ。

「でもあの時、あのうさぎの気配がした、から……だから、逃げた。見つかったら、連れ戻されると思った、から……」

 ……兎呂か。

 確かに兎呂が俺の部屋に忍び込んでいたのは、みのりに神社の前で出会った直後だ。あの時の急な慌てようも、組織に捕まることを避けるためだと思えばうなずける。

「助けてほしかったって……君は一体、なにから」

『♪魔法少女~とどけ! あなたに、トキメキ・ドキドキ! 恋の魔法でラブラブきゅんっ♪』

 ……さっきとはまた違った意味で、深刻な沈黙の時間が流れる。

 涙を引っ込め、真顔でこっちを見ているみのりの前で、俺は努めて冷静にスマホを取り出した。

 場所は……うん。めっちゃ近いな。

 多分、移動距離的に無理がある場所での鬼の発生は、最初から通知されないようになっているのだろう。地域ごとに担当がいるみたいだし。

 いや、当面の問題は、呼び出し元までの距離でも、向き合いたくない羞恥心でもない。

「鬼が……この近くで出た、っぽい」

 みのりはなにか言いたそうな顔をしつつも、まだ沈黙を保っていた。

「俺、今武器が使えなくってさ……でも鬼をこのまま放置しておくわけにもいかなくて」

「それは私になんとかしてほしい、ってこと?」

 結論としてはそうなるが、それが正しいことなのかどうかが分からなくて、あいまいに首を動かす。

 鬼が人に危害を加える前に倒す。それは正しいことのはずだ。

 だがみのりが妖力を使えば、今度こそ『らいこう』に居場所がばれる。

 ……あれ? いや、待てよ……?

「そういえばさっき、君は次元の裂け目に干渉した、んだよな……?」

 ふいに、気付いてしまう。

 お針子であるみのりは、次元の壁に干渉できる。それは言い換えれば、裂け目を縫い合わせるだけでなく、裂け目を作ることもできる、ってことじゃないのか?

「……どうしてそんなことが分かるの?」

「それは……組織からもらったアプリの通知で」

「そんなことまで筒抜けなんだ……」

 みのりが浮かべた表情は複雑すぎて、意図が読み取れなかった。疑心暗鬼が、嘲笑とも、悲しみとも、絶望とも受け止めようとする。

 夏希は次元の裂け目がなかなか閉じなかったと言っていた。

 もちろん、そのなかなか閉じない裂け目を、通りすがりのみのりが善意から縫い合わせてくれた、という解釈もできる。だがみのりは逆に〝裂け目が閉じないように干渉する〟ことだってできたんじゃないのか?

 空気を読まずに、スヌーズ機能でまた魔法少女アラームが鳴る。

「……助けて」

 北条みのりの意図が、行動原理が分からない。

 一体なにを優先するべきなのか。

 迷う俺に、みのりが小さな声で詰め寄ってくる。

「言ったじゃない。あの時、助けてくれる、って」

「あの時?」

 突然、記憶にない話を出されてとまどう。

 あの時って、いつのことだ?

「ちょっと待って……いつの話をしてる? 神社での話?」

「……違う」

「俺、それよりも前に君に会ってる?」

 みのりは答えない。ただ下唇をかんで、じっとうつむいている。

「もし俺が忘れてるだけなら申し訳ないんだけど……教えてくれ、俺は君に会ったことがあるのか?」

 かなりの葛藤を見せた末に、みのりは小さくうなずいた。

「それって……」

「おしゃべりはその辺にしておけ」

 ふいに、第三者の声が割って入ってくる。

 聞き覚えのある声に振り向くと、そこに立っていたのはやはり頼さんだった。

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