節分とかいう行事(イベント)考えた奴ちょっと来い

新屋敷マイコ

第1話 非日常のふりした日常

 惜しげもなく朝の光が差し込む学校の廊下に、予鈴が響く。

 一日の始まりを予告するその音に、俺は少しだけ足を速めた。朝の時間に廊下を走れば、どこからともなく教頭が現れるのは、高一の時点ですでに学習済みだ。

 大丈夫、走らなくても余裕で間に合う。

 電車通学二年目の俺に隙はない。五分程度の列車の遅れの動じたりはしない。

 ガラッ。

成海なるみ、おっはよおおお!」

 教室のドアを開けた瞬間、上からふわりと影が差す。

 ひらめく水色のスカートと、むっちりとした太もも。一瞬で俺の視界を埋め尽くしたそれらは、次の瞬間ものすごい勢いで俺の顔面に突っ込んできた!

「ねえねえねえちょっと見た見た聞いた? 昨日のニュース!」

「……いや、その前にちょっと落ち着け」

 廊下に押し戻され、なおかつ押し倒される形になった俺の顔面に、雪宮志乃ゆきみやしのの太ももが押しつけられる。柔らかいぬくもりに挟まれながら、そして本能による衝動を抑えつけながら、俺の顔面に馬乗りになった志乃をできるだけ冷静になだめる。

「もうカラパイヤにも記事がのっててね! ちょっと待ってね、今――!」

「いやだからまずはそこをどけっつーの!」

 俺の鎖骨のあたりをこれまた肉付きのよい尻で圧迫したまま、スマホの画面をいじり始める志乃の下から叫ぶ。

 雪宮志乃はどちらかといえば、普段はおっとりしているタイプだ。

 まだ幼稚園バスに乗っていた頃から彼女を知る、俺の見識に間違いはない。

 だが俺は知っている。そんな幼なじみのテンションがバカ高い時は、総じてろくなことにはならない、と。

「あ、ごめんね。つい興奮しちゃって……頭大丈夫?」

「大丈夫だけどその言い方には語弊があるし、そのままそっくり返してやりたいセリフではあるな?」

「やだなー、そんな今さら。昔は一緒にお風呂にも入った仲じゃない!」

「なんで〝興奮しちゃって〟の方を拾った……?」

 いや、なんも感じてないっていえばそりゃ嘘になるけどさ……

 というか、むちむちの太ももやお尻のダイレクトアタックを食らった健全な青少年が、心乱さずにいられるとでもお思いか? 

 いつまでも幼少期の感覚を引きずっている幼なじみの、肌触りのいい至福の重みから解放され、ようやく身体を起こすことを許される。

 ――そうだ。

 今日は志乃がこうなるんじゃないかってことも、予想しようと思えばできたじゃないか。

 始業に間に合ったのもつかの間、自分の見積もりの甘さに心の中でため息をつく。

「で、なにがあったって?」

 立ち上がって制服の汚れを払いながら、一応聞く。

 志乃のせいで集めてしまった注目を一身に浴びながら教室に入り、自分の席に着く。当然のように俺の席までついてきた志乃は、待ってましたと言わんばかりに鼻を鳴らして、スマホの画面を俺の目の前に突きつけてきた。

「よくぞ聞いてくれました! これです! これこれ!」

「……SCT財団?」

「あ、違う。間違えた。これっ!」

 再度、志乃に見せつけられたスマホの画面に並んでいた見出しはこうだ。

『天使か悪魔か? 青海おうみ蓮華れんげ町に奇妙な生物の死体』

「……やっぱそれか」

 系統的には訂正前とあまり変わっていないように思えるその文字列を目にした瞬間、正直な反応が自動的に口から漏れる。

「なに、そのつまらない反応」

「そんな不服そうな顔されてもな」

「こういう時は目の色変えてよだれを垂らしながら食いつくのが正常な人間の反応でしょ?」

「正常の定義が激しく揺らぐな」

 頬をぷくっと膨らませて口をとがらせる志乃から目を外し、教室中を見渡してみる。

 青海市蓮華町。俺たちが住んでいるこの町で起きた事件に、面白コンテンツ大好きの志乃が反応しないわけがない。

「『海岸沿いに横たわっていたその奇妙な生物は、全身が焼け焦げた状態で発見された。人とも猿ともつかないフォルムに鋭い爪、額には二本の角……なんらかの事故によって焼け落ちてしまったのか、背中には翼のようなものが生えていた形跡も――』」

「読み上げてくれなくていいぞ。俺もニュースで見たから。オチは珍しい海の生き物でしたーとか誰かのイタズラでしたーとか、どうせそんなんだろ」

「まだ! まだ解明されてないから! 鬼を祀る神社の息子はそんな現実的なこと言わない!」

「神社の息子に対するひどい偏見だなおい」

 適当に志乃をあしらいながら耳をすますと、同じ話題で盛り上がっているらしい声が教室中からちらほらと聞こえてきた。視線をそらしていることをとがめるように、俺の机に両手をついて志乃がずいと身を乗り出してくる。

「時空の狭間を抜けて異世界から現れたモンスターとか神の怒りに触れてその身を焼かれ地上に落とされた堕天使とか死体を処理したい殺人犯のカモフラージュとかそういう可能性がね? いくらでもあるわけじゃないですか、桃原とうはら成海くん」

「そりゃあ俺だってそのニュースを聞いた直後は、中二心をくすぐられたけどさ。てか三番目は普通にやばいだろ。あと突然のフルネームやめろ」

 なおも畳みかけてこようとした志乃の口をふさぐように、本鈴が鳴った。

「おい、もうホームルーム始まってるぞ、席に着けー」

 廊下の前で待機していたんじゃないかというほどジャストなタイミングで、担任であるところの髪の薄い現代文教師、通称、現文ハゲが教室に入ってくる。

「えーやだ、もうそんな時間? むー……」

 志乃はまだなにか言いたそうにしていたが、周りの動きに合わせてしぶしぶ自分の席に戻っていった。後ろ髪をひかれるようにこちらを振り向く志乃に、頬杖をつきながら雑に手を振る。

「今日はまず先にこれを配っておくからなー。もう決まっているやつは出席を取っている間に書いていてもいいぞ」

 現文ハゲは入ってくるなり、手に持っていた紙の束を前の席から配り始めた。

「とはいえ、まだ二年になったばかりだしな。なにも考えていないやつもいるだろうから今の段階ではざっくりでいいぞ。来週には全員提出するようにな」

 先に配られたクラスメイトたちのざわめきに首をかしげるが、前の席から回されてきた用紙を受け取り、合点がいく。

 現文ハゲが出席を取る声を聞きながら、『進路希望調査』と書かれた用紙に、とりあえず名前を書く。

 だが、そこから先に進めない。第三希望までどころか、第一希望すら埋まらない。空白の枠内とにらめっこしていると、前の席のやつがこちらを向いた。

「あぁ……お前ん家は神社だから、継げばいいんだよな」

 前の席のやつは参考にならない俺の空白枠をチラ見すると、すぐにまた前を向いてしまった。

 そう、家は桃原神社という、鬼神様を祀っているちょっと珍しい神社だ。

 だけど今のご時世、そこまで大きくないうちの神社が神職一本で食っていけるわけもない。実際、今の神主はじーさん一人で、親父は普通に外で働いている。親父も俺も、最終的には神社を継ぐのかもしれないけれど、そこに至るまでの道のりはあいまいだ。

 どうしてもこれになりたい! みたいな夢があるわけではないし、大金持ちになりたい! みたいな野心があるわけでもない。

「田中」

「はい」

「塚本」

「はい」

 俺は白紙の進路希望調査書を折りたたんだ。

「桃原」

「はい」

 正直、適当な大学に行ってそこそこ安定した仕事について、普通の暮らしができればそれでいい。

 俺は折りたたんだ進路希望調査書を、机の奥に押し込んだ。




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